ミソハギの花

 霞ヶ浦湖畔に建つ有料老人ホームに安田芙美子が入居したのは、今年の二月だった。芙美子は今年で八十三歳になった。入所前は、土浦市内の一戸建て住宅で、息子の進一郎、孫の翔太と暮らしていた。進一郎は五十六歳で、地元の食品加工会社の経理主任を務めている。妻とは二年前に協議離婚していた。翔太は東京の大学を卒業後、転職を繰り返し、今は県内の建材会社の契約社員をしている。
芙美子は霞ヶ浦湖畔の集落で、半農半漁の貧しい家に育った。昭和三十年代にサラリーマンと結婚し、土浦市内に住んだ。その後、夫の栄一の会社は高度経済成長の波に乗って、順調に業績を伸ばした。芙美子は、まだ珍しかった地元創業のスーパーマーケットに勤めて、家計を助けたが、出産を契機に家事と育児に専念するようになった。
一人息子の進一郎は地元の高校を卒業後、父の会社に就職し、営業を経て経理を担当した。営業マンの頃、取引先の会社の受付をしていた娘と知り合い、結婚したのだった。
しかし、社交的な嫁は、地味で真面目だけが取り柄の進一郎や慎ましく暮らすことが信条の芙美子と、そりが合わず、夫婦喧嘩が絶えなかった。それでも息子の翔太が成人するまでは、辛うじて婚家に留まっていた。
舅の栄一は退職後、脳出血で倒れ、自宅療養が長かった。進一郎の妻は姑とともに介護を務めたが、疲労が蓄積していった。舅が長い闘病の末、他界したことが契機になって、開放感を感じたのか、家を空けることが多くなり、熟年離婚に至った。
一家の主婦がいなくなった進一郎の家は、家事が行き届かず、一方、芙美子が高齢化して、認知症の症状が出てきた。男手ばかりでは、老母の介護はおぼつかなかった。
ある日、芙美子が風呂場で転倒し、腰を痛めてからは車椅子生活となった。息子も孫も仕事があるため、進一郎が市役所の高齢者福祉課の担当者と相談して紹介された、市内の霞ヶ浦湖畔に数年前に建設された、医療法人が経営する介護付き有料老人ホームへの入所を決めたのだった。
超高齢化社会の到来で、地方でも高齢者向けの施設や住居が様々あるなかで、最初は特別養護老人ホームへの入所を希望したが、入所待ちの希望者が多く、順番を待っていては、芙美子の入所がいつになるか、わからない状況だった。それに、特別養護老人ホームは、本人や家族の家計、本人の要介護度の認定など、条件が厳しかった。
有料老人ホームの入居時の出費は、かなりの負担だったが、亡夫から相続した、なけなしの遺産や芙美子の遺族年金などを充てれば、なんとかなった。進一郎にとって、体力の衰えを感じ始めた自分が、老々介護で、たいへんな思いをすることは避けたかった。不況で、業績が伸び悩む会社で、責任が重い仕事を任されていたこともあった。
市役所の高齢者福祉課と地域包括支援センターが紹介してくれた介護付き有料老人ホームなら、専門の介護職員が二十四時間世話してくれる。嘱託の医師もついている。
 こうして、ようやく入居した老人ホームは、芙美子にとって、終の棲家になるはずだった。進一郎も翔太も、時間を見つけては芙美子を見舞った。
 入居して半年ほど過ぎた頃、ある日曜日に進一郎は母の様子を見に、老人ホームに行った。芙美子は見晴らしが良い三階の食堂にいた
芙美子は、誰が来たのか、分からないようすだったが、進一郎が身をかがめて目線を低くして、声をかけた。
「母さん、体はどうだい?」
息子の声を聞いて、ようやく安心したように、芙美子は言った。
「ああ、進一郎かい。体は大丈夫だよ。ここの職員さんたちは、とてもやさしいしね」
進一郎は、ほっとして言った。
「そうか。それは良かった。ここは霞ヶ浦がよく見えて、気持ちがいいだろう?」
 霞ヶ浦という言葉を聞いて、芙美子は首を振って言った。
「霞ヶ浦はこわい。水がこわいんだよ。見たくない」
 進一郎は驚いて言った。
「霞ヶ浦がこわいって、どういうことだい? ほら、晴れた日は、霞ヶ浦は広々として、いい眺めじゃないか。母さんは、昔、霞ヶ浦のすぐ傍で育ったから、この老人ホームで過ごすのがいいかなと、下見もして決めたんだよね」
「ああ、分かっているよ。でも毎日、霞ヶ浦を眺めていると、気持ちが・・・」
 芙美子は、ぞっとしたような表情で、視線を霞ヶ浦から逸らした。

 老人ホームでは、晴天の日には、入所者の気晴らしと軽い運動を兼ねて、霞ヶ浦湖畔の小公園にマイクロバスで行くことが、数週間に一度の恒例行事になっていた。
初夏のこの日も、バスから降りると、自力で歩ける人はゆっくり歩いて水生植物園の木道を散策した。車椅子の入所者は、職員に押してもらいながら、水辺の新鮮な空気を感じ、葦や真菰など、鮮やかな緑の水生植物の景観を楽しんでいた。ハンノキや柳など水辺の樹木も生育して、水郷情緒が感じられた。
「ここは、霞ヶ浦らしさが感じられて、気持ちがいいわねえ」
入所者の一人が、思わず、声に出した。
十人ほどの入所者も職員も、リラックスして、散策を楽しんでいた。
 突然、車椅子に座った芙美子が、発作を起こしたように震え出した。気づいた職員が驚いて声をかけた。
「芙美子さん。どうしました。大丈夫ですか?」
芙美子は苦しそうに、ようやく声を出した。
「ここはダメ。こわい。早く帰りたい」
職員は当惑しながらも、芙美子のただならぬ状況に迅速に対応した。
「分かりました。バスに戻ります」
 芙美子を担当している職員は、他の入所者や職員を水生植物園に残し、車椅子を押してバスに戻った。

 職員から芙美子の様子について電話を受けた進一郎は、老人ホームの嘱託医が勤務している月曜日に訪れた。
「先生、母の精神状態が不安定のようですが、どうしたのでしょうか?」
地元の公立病院を定年退職して、この老人ホームの嘱託医となった佐々木医師は、首を傾げながら言った。
「私は精神科が専門ではないので、大学時代の友人の医師に相談してみました。彼が言うには、ハイドロフォービアではないかと・・・」
「ハイドロフォービアですか? 初めて聞きますが、それは病名ですか?」
「ええ、恐水病、あるいは恐水症と訳します。水を恐れる病と書きます」
佐々木医師はメモ用紙に、その漢字を書いて、進一郎に渡した。
病名を知らされて、怪訝な顔をしている進一郎に、佐々木医師は言った。
「本来の恐水病は、狂犬病の別名です。狂犬病に感染した人は、なぜか水を恐がるようになるので、昔、そう呼ばれることがありました」
進一郎は驚いた。
「母は狂犬病なんですか? 母は犬に咬まれたことはないはずです。それに日本では、狂犬病は撲滅されたのでは?」
「いや、もちろん狂犬病ではありません。狂犬病を発症すると、患者は水を極度に恐がるという症状が出ます。その症状に似ているので、私の友人は仮にそう呼んだだけです。
気になるのは、芙美子さんは、なぜ水辺を恐がるようになったのかということです。水そのものではなく、水辺が怖いようなんです。つまり、朝、顔を洗ったり、歯磨きする時、洗面台に向かいますが、蛇口から出る水道水が怖いわけではないのです。息子さんは何か、心あたりはありませんか?」
「いいえ、全くありません。母は霞ヶ浦の傍の村で生まれ育ったのです。水辺を怖がるなんて考えられません」
佐々木医師は続けた。
「介護職員の話では、水辺の植物が生えているような、霞ヶ浦の傍の広々とした景色が怖い様子だった、ということでした」
「はあ、そうですか。霞ヶ浦の岸辺が怖いということなのでしょうか?」
「私は、精神科は専門外ですが、霞ヶ浦の岸辺が怖いというのは、不思議な気がします。
認知症の症状として、幻覚や幻聴が現れることがあります。特にレビー小体型認知症とパーキンソン症では、幻視と体の震えが特徴です。  
それには過去の人生体験や境遇が影響することがあると、友人の医師は言っていました。。お母様の人生で、何か、水辺に関連することで、つらいことがあったというようなことはありませんか?」
 進一郎は、当惑した表情で言った。
「さあ、そんなことがあったとは、母からは聞いていません。これまで、特に霞ヶ浦を見に行くとか、遊覧船に乗ることはありませんでした。 
私も、子どもの頃から、アオコが発生するなど、霞ヶ浦の水質が悪いということを聞いていましたので、霞ヶ浦の水辺で遊ぶことはありませんでした。しかし、母の世代では、霞ヶ浦の水がまだきれいで、泳いだ記憶があると思います」
「そうですか。とりあえず、様子を見ましょう。ここでは入居の方々は、霞ヶ浦がよく見える三階の展望レストランで食事していただくようにしていますが、お母様にはしばらく居室で食事をしていただくことにしましょう」
「よろしくお願いします」
 進一郎は、不安と当惑が入り混じった表情で立ち上がり、頭を下げた。

 数日後、進一郎は、母の実家で、跡継ぎの伯父、伸夫を訪ねた。伸夫は芙美子より三歳年上の実兄だった。八十六歳を過ぎたが、かくしゃくとして、表情もしっかりとしていた。年齢相応に頭髪は白く薄くなったが、目には穏やかな光があった。
伸夫は、定年まで地元村役場に勤めた地方公務員だった。休日には、田畑を耕す兼業農家でもあった。農業だけでは、家族を養えないので、公務員になった。公務員を長く務めただけに、考え方が堅実だった。進一郎は、子どもの頃から、伯父を信頼していた。
 進一郎は、母の近況を報告し、ハイドロフォービアの症状を説明した。
「母は霞ヶ浦の水辺の風景を怖がるようになったのですが、なぜそうなったのか、見当がつかないのです。老人ホームの医者は、母のこれまでの人生で何かあったのかもしれないと言っていました。伯父さんは、何か心あたりはありませんか?」
 伸夫は腕組みをして進一郎の話を聞いていたが、遠くを見るような視線で話し始めた。
「そういえば、こんなことがあった。芙美子は、ずっと気にかけていたのかもしれないなあ。ずいぶん前の話だ。これまで、進一郎君には話したことがなかったなあ。話す必要がなかったんだ。
あれは昭和三十年ごろだったかな。芙美子がつきあっていた男がいたんだ。昭二という男で、近所の農家の次男坊だった。なかなかの男前で頭が良かった。昭二は、戦争前は阿見町にあった海軍航空隊の予科練を志願したかったそうだが、受験の前に終戦になったんだ。
正義感が強い男だった。昭二は、学校を卒業後、実家の農業を手伝っていたが、できて間もない自衛隊に入隊した。しかし、二年ほどして自衛隊を除隊したんだ」
 進一郎には、初めて聞く話だった。伸夫が続けた。
「話しているうちに、だんだん思い出してきた。芙美子は昭二に惹かれていたんだよ。半年ほどつきあったようだ。そのうち、昭二が左翼運動にかぶれていることが分かったんだ。自衛隊を除隊になったのもそれが原因だったらしい。
あの頃はそういう青年が少なくなかった。しかし、昭二の父は、そういう思想が大嫌いだった。息子にきつく説教することがあったのかもしれない。
近所でも噂になって、うちの父親も母親も、芙美子に昭二とのつきあいを止めるように言ったんだ。しかし、もう二人は深い仲になっていたんだろう。二人はよく霞ヶ浦の葦原の方で逢っていたらしい。葦原の中は人目につかないからな。
芙美子は泣いて、その男との結婚を認めてほしいと親たちに言ったんだ。だが、特に親父は頑として結婚を許さなかった」
 進一郎は驚きを隠せなかった。あの静かな母親にそんな過去があったとは信じられない思いだった。伸夫はさらに続けた。
「ある日、二人は駆け落ちしようとしたんだ。あれは夏の終わりで、台風が近づいていた。二人は小舟で土浦方面へ逃げようとしたんだ。陸路では人目につくからな。親父はそれを察して、芙美子を絶対に家から出さないように、俺に見張るように言った。
しかし、芙美子は俺がちょっと目を離したすきに、家を出ちまった。俺は慌てて追いかけて、連れ戻したんだ。雨が降り始めていたから、ずぶ濡れになった。
 昭二の方は、夜になっても芙美子が来ないから、諦めて霞ヶ浦の沖の方へ、独りでさっぱ舟を漕ぎ出したんだろう。土浦の川口河岸へ向かったのかもしれない。おりから波が高くなって、漁師でも舟を出せないほどだった。
台風が過ぎて、翌朝、さっぱ舟が岸辺に打ち寄せられているのが見つかった。しかし、昭二の姿はなかった。消防団員が総出で探したが、見つからなかった。雨風が強い台風で、霞ヶ浦もかなり増水していた。まもなく捜索は打ち切られた。
 それから芙美子は泣き暮らした。昭二を諦めきれず、きっと生きていて、迎えに来ると思ったんだろう。
昭二の家族は土浦の町に出向いて、昭二の噂がないか、聞きまわったそうだ。しかし、何の手ががりもなかった。金も相当持ち出したらしく、土浦駅から常磐線で東京へ向かったのではないか、という者もいた」
 そこまで言って伸夫は一息ついた。
進一郎が深いため息をついた。
「今まで、まったく知りませんでした。初めて聞きました。その後、その男は見つかったんですか?」
「次の年の春、三月、このへんの集落では、春の大掃除を湖岸でやる習慣がある。春先だから、谷原(ヤワラ)は枯れている。谷原というのは葦原のことだ。
昔、このへんでは葦原は大切にされた。茅葺屋根や葦簀の材料を採る入り会いの茅場だったんだ。春先は葦が枯れていて、見通しがよくなるので、ゴミを拾うには丁度よい。
その日も集落の住民が総出で谷原の中まで入って、ゴミや流木を片付けていた。そのうち、誰かが大声で叫んだ。『オーイ、来てくれ。人が倒れているぞ』と。
その声を聞きつけて、皆が集まった。作業服を着た男の死体であることはすぐ判った。カーキ色の作業服はぼろぼろになっていた。男の体は半ば白骨化していた。
駐在さんに連絡すると、土浦警察署から警官が何人も来た。歯形を、通っていた歯科医院の治療記録と照合して、昭二であることが確認されたんだ。失踪以来、半年ぶりに死体が見つかったわけだ」
「母はそれを聞いたんですね?」
「狭い集落だ。黙っていてもすぐ伝わるから、俺が芙美子に話した」
「母のようすはどうでしたか?」
「覚悟はしていたらしく、取り乱すことはなかった。しかし、それから長い間、ほとんど何かをする気力はなく、家に篭もり切りだった。
次の年、親や親戚が相談して、無理やり見合いをさせて、土浦の町の勤め人に嫁がせたんだ」
「それが親父ですね」
「そうだ。進一郎君の父親、栄一さんは何もかも承知の上で、芙美子をもらってくれたんだ。ありがたいことだった。栄一さんは、芙美子を幸せにしたいと、仕事も家庭のことも頑張ったんだ。
おかげで、芙美子は徐々に回復して、落ち着きを取り戻していった。進一郎君が生まれたので、いつまでも過去にこだわっていてはいけない、前向きに生きようと思いなおしたんだろう」
 それを聞いて、進一郎は少し気持ちが楽になってきた。
「親父は気持ちのおおらかな人で、息子からみても尊敬できる人でした。その理由が分かったような気がします。親父が母を見守っていたんだと思います」
「その通りだな。立派な人だった。栄一さんが脳出血で倒れた後、芙美子が献身的に介護したのは、感謝の気持ちの表れだったと俺は思っているよ。もちろん、進一郎くんの嫁さんも頑張ってくれたと聞いている。しかし、栄一さんが亡くなり、嫁さんに去られてからは、気持ちの張りを失ってしまったんだろうね」
「私は何もできませんでした」
「いやいや、進一郎君には仕事があるからね。一家の家計を支えながら、職場で大事なポストを勤めているんだから、仕方がないよ。芙美子を老人ホームに入れてくれたことは感謝しているんだ。いろいろ手続きとか、あったんだろう。大変だったなあ」
「恐れ入ります」
「しかし、芙美子は老人ホームの静かな生活に入って、介護職員が身の回りの世話を全部してくれるから、体も気持ちも楽になって、かえって認知症が進んでしまったのかな。そして、記憶の底にしまいこんでいた昔の思い出が蘇ってきたのかもしれないなあ」
 進一郎は、伯父の伸夫の話に頷いていた。これまでの父母の日常や父が亡くなってからの嫁との関係などは、伯父の話で理解できそうな気がした。
もっと早く、伯父の話を聞いていればよかったかもしれないが、母の認知症が出てきたのは、この一、二年間のことなので、やむを得ないと思った。

結婚前、つきあっていた恋人が不慮の死を遂げたことへの母の自責の念は、夫になってくれた栄一のおおらかな気持ちに癒され、あたたかな家庭を築くという目標の前に封印してきたのだろう。
しかし、夫が亡くなった今、昔の恋人の記憶が深い湖の底から浮かび上がるように現れ、母の気持ちを揺り動かしているのではないか。
とすれば、息子の俺はどう対処すればよいのか。進一郎は途方に暮れる思いだった。

「伸夫伯父さん。お話を聞かせていただいて、ありがとうございました。母の気持ちが少しだけ理解できたような気がします。
母が結婚する前のことは考えたこともなかったので、驚いたのですが、それもある意味で一人の生身の女の人生なのだと思います。
母を一人の女性として見つめることも必要なんですね。息子としてはあまり考えたくないことですが・・・」
伸夫は、甥の心情を確かめるように進一郎を見つめて言った。
「そうだな。息子としては辛いだろうが、より大きな人間に成長するきっかけにすればいい。芙美子を老人ホームに入れてくれた進一郎君の選択は間違っていないと思う。老々介護で共倒れになっては何にもならないからね。もうそんな時代じゃないんだ。
俺も役場にいたから、わかるんだが、老人福祉の問題は、ある程度、計画的に合理的に対処するしかないと思うんだ。予算的には、法律の整備に基づいて、国の支援が不可欠だな。介護福祉士の給料を上げたりして、人材確保も大事だな」
 進一郎は、伯父らしい意見だと思った。
「はあ。それにしても、霞ヶ浦の水辺を怖がる母の気持ちに、どう接すればよいのか、わかりません」
「うむ。それは老人ホームの職員さんたちや医師と相談しながら、やっていくしかないだろうなあ」
「そうですね。そうします」
 進一郎は伯父宅を重い足取りで辞した。

 次の週、進一郎は嘱託医の診察室を訪れた。老人ホームの施設長と担当の介護福祉士にも同席してもらった。
進一郎は伯父から聞いた話をそのまま伝えた。佐々木医師は肯きながら進一郎の話に、注意深く耳を傾け、パソコンのモニターを見ながら、キーボードを叩き、電子カルテに入力した。
 医師が進一郎に向き直って、言った。
「なるほど。そんなことがあったんですね。芙美子さんは、辛い思い出を忘れていたかったのでしょうね。しかし、霞ヶ浦の傍にこの施設があることで、その思い出が蘇えってしまったのかもしれません。  
芙美子さんのケースに限らず、ご高齢者の気持ちに寄り添うことが何より大事です。
それは、芙美子さんを問い詰めて、根掘り葉掘り聞き出すことではありません。また、芙美子さんが言うことを頭ごなしに否定したりしてもいけません。それを決してやってはいけません。それをやってしまうと、芙美子さんの記憶がさらに蘇ってしまったり、混乱して、自身を追い込むことになります。あくまで気持ちを察するだけでよいのです。
芙美子さんが嫌がることを避けて、普通に接していれば、だんだん気持ちが別の方向に向いていくでしょう。あせらないことです。私も、副作用が少ない向精神薬の処方を、精神科の友人と相談して、もう一度、検討します」
 施設長が言った。
「私たち職員も、芙美子さんの気持ちに添って、水辺の近くに誘うことはしないように注意しましょう」
 進一郎は感謝の言葉を述べた。
「ご配慮、ありがとうございます。何ヶ月かすれば、母も落ち着いて、水辺の景色を気にしなくなればいいのですが・・・」
 佐々木医師が念を押すように付け加えた。
「そうですね。我々が注意深く観察して、お互いに連絡しあいましょう。職員の皆さんも、芙美子さんに何か変化が見えたら、報告してください」
「分かりました」
 施設長と介護福祉士は頷いた。

 その年の夏が過ぎていった。芙美子は、老人ホーム側の配慮で、霞ヶ浦の水辺の景色をなるべく見ないで日常を過ごしていた。気持ちは落ち着き、発作のような症状を示すこともなくなった。
 お盆の時期になった。日曜日、進一郎は菩提寺のお墓と、母の実家の仏壇をお参りした。伯父の伸夫が対応してくれた。
「その後、芙美子の様子はどうかね?」
「はあ、お陰様で、落ち着いたようです。老人ホームの職員も配慮してくれています」
「それは良かった」
 進一郎は、仏壇の前に座り、線香を焚き、お鈴をチンと鳴らし、合掌した。仏壇の花差しには、いろいろな花が飾られてあった。その中に小さな紫色の花をたくさんつけた野草らしい植物が飾られていた。
 進一郎は、伸夫に尋ねた。
「伯父さん、この花は?」
「それはボンバナだよ。今はスーパーで仏前に供える花をいつでも売ってるが、昔は、お盆は夏の盛りの頃だから、花が少ない。丁度その頃に咲いてくれるから、お墓や仏壇に供える花として重宝されたんだね。
霞ヶ浦の傍に生えているが、堤防が出来て、近頃ではめっきり減ったなあ。堤防は水害を防いでくれるから、ありがたいものだけど、どうしても自然は失われてしまうなあ。人間がやることは、いいこともあれば、悪いこともある。仕方がない。
そうそう、この花の本当の名前はミソハギというんだ。秋のハギに似た、ミゾのような湿地に咲く花という意味で昔の人が名付けたんだろうなあ」
「なるほど」
進一郎は頷いた。

その帰り、進一郎は霞ヶ浦の湖畔に僅かに残る葦原を見に行った。昔、母の恋人の遺体が発見されたという葦原だった。今は堤防が築かれ、葦原は堤防に沿って、狭い幅で続いていた。葦は人の背丈以上に伸び、穂が出始めていた。
管理されていない葦原では、ところどころに柳の樹が大きく成長していた。風は強くはないが、葦の先端を少し揺らすほどは吹いていた。
進一郎は堤防の上に車を停めて、下に降りてみた。緑一色に見えた葦の群落の辺縁を見ると、藪になっていて、他にいろいろな植物が生えているのだった。
 進一郎は小さな紫の花を縦にたくさんつけたミソハギを見つけた。
進一郎はつぶやいた。
―ボンバナか。まだ少し残っているんだな。手折って持ち帰り、お袋に見せようかな。懐かしく思うかもしれない―
 しかし、葦原の植物であることを考えると、母の記憶を刺激してしまうのではないかという心配が頭をよぎった。一方、このボンバナを見てもらうことで、徐々に水辺の景色に慣れてもらいたいという気もした。
進一郎は、葦原に一歩足を踏み出した。泥地から水が滲み出してきた。白いスニーカー靴が泥で汚れた。
―この泥だよなあ。人間は泥を嫌うけれど、この泥の中のたくさんのバクテリアが、死んだ生き物の体を分解して、泥土にしてしまうんだな。泥が浄化してくれるんだ。泥は汚いものではないんだ。それが自然というものだ。恐いことではないよなあー
―葦原の泥の中から養分を吸収して植物は成長してくる。植物は冬になれば枯れて、泥に戻るのだ。しかし、春になれば種が芽生えて、養分と太陽の光で、ぐんぐん成長し、花を咲かせる。
葦や真菰の花は地味だけど、ちゃんと穂になって、種が出来て、風や水で遠くへ運ばれる。種はそこでまた芽吹いて、子孫を残す。そう考えると、葦原は輪廻転生の場なんだろうなあー
進一郎は、そう思った。
―泥は物質循環の場だ。つきつめれば、生命は死んで蘇える。それで子孫に生命は伝わる。何も怖れることはない。それが仏の教えというものかなあ。今日はお盆のお参りの日だから、いつになく、そんな気持ちになったのだろうかー
進一郎は瞑目し、合掌した。昔、ここで亡くなった、母の恋人の供養になったような気がした。進一郎は目を開け、しばらく逡巡したが、思い切ってミソハギを手折った。

進一郎は車を運転して老人ホームに寄り、母を見舞った。進一郎はこれまでも、時々、花屋やスーパーで買った切花を母の居室の花瓶に飾ることがあった。芙美子は花が好きだった。
進一郎がミソハギを花瓶に生けると、それを見た芙美子が、気が付いて言った。
「おや、ボンバナだねえ。なつかしい。昔はよく摘んだものだよ。仏様に供える花だよ。亡くなった母親が好きだった花だよ。進一郎、どこで見つけたんだい?」
 進一郎は、言うべきか、一瞬ためらったが、思い切って言った。
「母さんの実家、伸夫伯父さんの家の近くの霞ヶ浦の傍だよ。お盆だから、お墓と仏壇にお参りしてきたよ」
「おや、そうかい。ご苦労さんだったねえ。私もお参りに行ければ良いけれどねえ・・・。あのへんは、ボンバナが多かった。まだ残っていたんだねえ」
「うん。堤防が出来て、この花は少なくなったって、伸夫伯父さんが言っていたよ」
「そうだねえ。何十年ぶりかで、この花を見たよ。進一郎、ありがとう」
 芙美子は穏やかな表情で、進一郎に感謝した。
 進一郎は、ほっとした。
―女の人は歳を取っても、花が好きだ。綺麗なボンバナと辛い記憶が結びついていないのは幸いだ。この調子でお袋のハイドロフォービアが少しずつ癒されていけば何よりだなあ・・・。
進一郎は、母との絆がより深くなったような気がした。 

              了

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