永遠の小町

☆1

紀元前211年、秦の皇帝は、五十の齢を過ぎ、気力の衰えや疲労を感じることが多くなっていた。かなりの肥満体で、玉座から立ち上がり少し歩くだけで息が切れた。しかし、顎鬚を蓄えた顔貌は威厳に満ち、眼光は鋭かった。彼は卓越した戦略と政治力で春秋戦国の乱世を終わらせ、天下統一を成しとげ、皇帝となり、後の前漢の時代に「史記」を著した司馬遷によって、始皇帝と尊称されるようになる。始皇帝は怒涛のように国作りを進め、異民族の侵入を防ぐために建設した長城を延伸し、道路網を整備し、政治体制、律令、貨幣、度量衡を確立した。しかし、それらの成果に、まだ満足していなかった。老いを意識し始めてからは、後継者問題が気がかりだった。
 ―朕亡き後、誰にこの国の行く末を任せたらよいか―
始皇帝には後継者がいなかった。息子たちは頼りなかった。大臣たちは皇帝の顔色を窺う者ばかりだった。始皇帝は既に巨大な陵墓の建設を始めていた。
―死後も墓の中からこの国を見守りたいが、再び国が乱れてしまうのではないか―
 若い頃、壮大な野望を抱き、強力な軍隊を組織し隣国と戦った。覇王として寸暇を惜しんで国の経営にあたってきた。しかし、長年の過労と美食がたたり、体の変調や衰えを感じるようになった。時に無常観に襲われ、周囲に気付かれぬように嘆息することがあった。始皇帝は、自分自身が不老不死の体を得れば末永くこの国を治め、さらに強大な国を作り、全世界の征服も不可能ではないと考えた。
―不老不死の仙薬はないものか、不老長寿薬でもよい。それが手に入れば、永く朕がこの国を治めることが可能になる―
数年前、その仙薬を持ち帰るように、本草学に詳しい神仙方士の徐福に命じて探索団を組織させ、東方の大海にあると伝わる蓬莱島をめざして派遣した。
蓬莱島には白煙を吐く蓬莱山があり、気候温暖で食物が豊富、島民は平和に暮らし、百歳を超える老人も珍しくないという。始皇帝は、蓬莱島にある不老不死の仙薬を是非とも手中にしたいと思うようになった。始皇帝の厳命を受け、徐福一行は船出した。しかし船は嵐に遭い、巨大な鯨に恐れをなして戻って来た。始皇帝はそのことを思い返していた。
―蓬莱島では仙人が白い雲に乗ってゆったりと飛び回り、島民は死を恐れることなく、温和な気候と豊穣の土地でおだやかに暮らしているという。その仙薬が手に入れば、朕は永遠の命を得て、ますますこの国を発展させたい。諦めきれぬ―
始皇帝は側近に命じた。
「徐福を呼べ。再度、徐福に不老不死薬を探索させるのだ」
徐福は渭城の城下に住み、医薬術を業としていた。徐福は黄海に面した町の出身だった。その町には徐一族が住み、生薬に関する豊富な知識をもとに、病に悩む人に適切な薬を処方して信頼を得ていた。その薬は一族が家内工房で生産し、都へ輸送されていた。
先年、徐福は、始皇帝の命を受け不老不死薬を探索するため、百人余の乗組員を載せた船で東方の海に乗り出し蓬莱島をめざしたが、途中嵐に遭い、命からがら引き返した。始皇帝には鯨に遭遇したことを大仰に話した。大鯨が口を開けて船を呑みこもうと襲ってきたことにして、乗組員が恐れをなしたため、引き返さざるを得なかったと報告した。
徐福は、患者の治療に当たってきた経験から、不老不死薬の存在に懐疑的だった。命あるものは老い、病に倒れ、、死を迎えるのであり、薬や医術は病人を一時的に快方に向かわせたり、病状を和らげたり、延命したりするが、結局、死を免れることはできないと考えていた。しかし始皇帝から、不老不死薬の探索を再度命じられれば断われない。 
第一回の航海については何とか言い繕ったが、第二回の探索を命じられてはたまらない。徐福は、皇帝が不老不死薬を諦めてくれることを願った。しかし始皇帝の使者から早急に登城するように伝えられ、徐福は怖れていたものが来たことを悟った。
翌日、登城した徐福の顔を真っ直ぐに見て、始皇帝が言った。
「徐福、そなたに再度頼みがある。先年、不老不死薬の探索は不首尾に終わった。その責任を今さら、そなたに取らせようというわけではない。朕は失敗の原因を考えた。それは探索団の規模が小さ過ぎたことにある。次ぎは規模を格段に大きくして探索団を派遣したい。数千人規模で、数十隻の船に分乗して蓬莱島に向かえば、一部は嵐で難破し、また一部は大鯨に呑まれようとも、残りの船が到着して不老不死の仙薬を探し出し、持ち帰ればよいのだ。その探索団長に、再度、そなたを任命しようと思う」
始皇帝は大事業を好んだ。気宇壮大な計画ほど士気が高まり、実現の可能性が高くなると考えた。
―技術や財源は後からついて来る。実現に向かって努力することが重要なのだ。不可能と思い込んで実行せず、最初から諦めてしまえば進歩はない―
実際、その論理を強引に通し、巧みな弁舌を駆使し、大言壮語によって人民を鼓舞し、様々な大規模事業を次々に実現させて来た。徐福は権力者の発想も気性もよく知っていた。
―断わることはできない。もし断われば、私だけでなく徐一族は永く不遇となろう―
暫し沈黙後、徐福はようやく言った。
「陛下、壮大な計画に感服しました、しかし、私のみならず、多数の者達の命運がかかっております。返答まで三日の猶予を頂戴したく存じます」
「分かった。三日の猶予をやろう。良い返答を待っておるぞ」
「それにつきまして畏れながら申し上げます。この大命をお受けし、大海に乗り出し、運あらず海の藻屑と消えることになっても、陛下のために命を捧げたのですから、残された我が一族のみならず、全ての団員の家族の行く末を、陛下のお力で末永くお守りいただきたい。もう一つは、首尾良く不老不死の仙薬を持ち帰った暁には、相応の処遇を、お約束いただきたいのです」
「そなたの要求はもっともだ。皇帝の名誉にかけて約束する」「ありがたき幸せに存じます」
徐福は一礼し、謁見の場を辞した。
自邸に戻った徐福は、妻子や親族に相談した。始皇帝の命令を拒否できないことは誰もが理解していた。この大事業が成功する可能性はごく少ないことも分っていた。しかし徐福は、自らが亡き後、一族の安泰を皇帝が約束してくれたことに、徐一族の領袖として微かではあるが安堵していた。気持ちが落ち着いてくると、本草学の研究家としての探求心が頭を持ち上げてきた。
―不老不死薬は存在しないだろう。しかし、蓬莱島に渡れば、秦にはない様々な生薬が手に入り、その中には難病や重病に効く特効薬も見つかるかもしれない。そうすれば、病に苦しむ人々を救うことができる―
そう考えると、この大事業の困難さに悲観するより、わずかな可能性に賭けてみる気持ちになった。
―この難事業を成功させるには確かな戦略が必要だ。綿密に計画を練って陛下に奏上し、財源、人材、資材を確保しなければならぬ―
徐福は文机に向かって提案書を書き始めた。

☆2

三日後、徐福は再度始皇帝に謁見した。始皇帝は逸る心を抑えながら言った。
「徐福、待ちかねたぞ。返答はどうだ」
「三日三晩熟考し、また家族や親戚縁者にも相談しました。その結果、この度の御下命を謹んでお受けいたします」
 始皇帝は破顔一笑した。
「その返答を待っていた。徐福ならきっとやり遂げてくれると信じておるぞ」
「陛下に不老不死薬を必ず持ち帰るために、わが命に賭けて努めることをお誓い申し上げます。つきましては、この探索団が成功するための方策を考えてみました」
「今すぐ聞きたい。述べてみよ」「まず、派遣団の人数はおよそ三千人とします」
その人数を聞いて、並み居る大臣たちは驚き、どよめいた。しかし、始皇帝は眉一つ動
かさなかった。
「その三千人が蓬莱島に向かって一度に出航するのは危険です。何隻かの船に分乗しても、ひとたび大風が吹いて海が荒れれば全ての船が難破し、全員が波に呑まれてしまいます。そこで三千人を十艘の大船に分乗させ、各船は時期をずらし、十次にわたって出航します。もし遭難する船があっても、残りの何隻かは蓬莱島に到着できます。一団は約三百人とします。将官経験者など乗組員に号令できる剛毅の者を団長とします。総団長は私が務めます。その下に顧問として本草学者をつけます。さらに薬草の探索を任せられる屈強な青年を数十名従わせます。また、記録する書記官を採用します。
首尾よく蓬莱島に到着すれば、すぐに食糧を確保しなければなりません。蓬莱島は食物が豊富と伝わっていますが、楽観できません。船に積み込んだ穀類は早晩底を尽くでしょう。それを見越して蓬莱島で穀類や野菜を栽培し、その収穫で命をつなぐことにします。そのため、農民も連れていきます。穀類や野菜の種子も持ち込みます。農具を作る鍛冶職人も必要です。また海、川、湖で漁る漁師も必要です。衣服を作るために綿花や麻を栽培し、糸を紡ぎ、織物を織る職人。養蚕の技術者、住まいを作る大工。帰りの船を建造する船大工。そして、身の周りの世話をする女房たちも連れていきます。
すぐに不老不死の仙薬が見つからず、多くの団員が老いて死んでも、その子孫に皇帝陛下の命令を伝え、探索を続けるには、子どもを産み育てる女房たちが不可欠です。望むなら若い夫婦者、あるいは子どもを含む家族での渡航も認めます。また独身の青年男女の参加も歓迎します。彼らは蓬莱島で夫婦になり、子どもを産むでしょう。それから、馬、牛、豚、鶏、犬や猫も各船少なくも一つがいずつ、連れて行きたいと思います」
ここまで一気に説明した徐福は一息ついた。これまでも軍事費や大規模公共工事に巨額の税を費す状況で、国家財政は常に逼迫していた。始皇帝は、これまで様々な大事業を企て実行してきた自信から、全く顔色を変えることなく、笑みさえ浮かべて言った。
「徐福よ。周到に計画を練ったようだな。しかし、探索に時間がかかり過ぎるなら間に合わないではないか。首尾よく派遣団の子孫が不老不死薬を持ち帰ったとしても、朕が墓の中に入ってしまっていたら、どうなるのだ」
始皇帝はすでに広大な陵墓の築造を始めていた。その周囲には、死後の世界も皇帝に従う最強軍団として、個々の兵士を模した等身大の陶製人形を多数作らせ、配置しようとしていた。人間の姿だけではなく馬車もあった。それらは後に兵馬俑と呼ばれることになる。始皇帝は、不老不死の体を得れば永くこの国を統治し、領土を拡大できると考えた。徐福の返答次第では計画を中止し、厳罰を与えることも考えていた。そうしなければ、これまで多くの巨大事業を推進してきた姿勢が地に墜ち、皇帝の権威を揺るがしかねない。徐福は始皇帝の質問を予期していた。この場面を切り抜けなければ、自分だけでなく徐一族は末代まで累が及ぶだろう。
「皇帝陛下、私は成功を確信しております。必ずや使命を達成して、陛下のもとに不老不死薬を持ち帰る覚悟です。そのためにこそ大派遣団を組織いたします。しかし、私が海の藻屑となり、あるいは大鯨の餌食となっても、また蓬莱島の土となっても、替わって志を継ぐものが目的を達成し、陛下のご存命中に帰国する計画です。帰還が間に合わなくとも、持ち帰った不老不死あるいは不老長寿の仙薬は陛下の後継者や国民の健康を保ち、病を癒し、皆が長生きする理想の国を建設するために、必ずや役立ちます。生きとし生けるものはみな老い、病に倒れ、やがて黄泉の国へ行きます。しかし、その子孫は生き続けます。陛下の子孫がこの国をより立派に、より強大に経営していくでしょう」
始皇帝は、苦々しい表情を浮かべた。
「徐福。そなたは朕の器を問うたな。朕は徒らに権力にしがみついておるのではない。国民の犠牲の上に自分だけが生き延びようというのでもない。皇帝となって朕は大事業を起こし、律令も整備し、国家を整えてきた。国というものは、大きいほど強い指導者が必要なのだ。
しかし、この国は未完成だ。朕亡き後、隣国の王はすぐにも攻め込んでくるかも知れぬ。再び国内は乱れてしまうかも知れぬ。この国は朕が手塩にかけて育ててきた。朕はこの国を愛しておる。できるだけ長生きして秦の行く末を見届けたい。そのためにこそ、不老不死薬を手に入れたい。徐福よ、必ず朕の存命中に仙薬を持ち帰るのだ」
徐福は、始皇帝の覚悟を引き出せたことに感動した。大臣達も、始皇帝が秦の将来を思う気持ちに打たれた。徐福は、声を詰まらせて言った。
「ありがたき御言葉をいただき、私は迷いなく蓬莱島に不老不死薬の探索に向かうことができます。その仙薬を持ち帰るまで、陛下のご健勝を衷心より御祈念申し上げます」
「期待しておるぞ。出航はいつになるか」
「派遣団員の人選だけでなく、大船の建造、物資の調達、団員の人選など、時間が必要です。しかし、ゆっくりはできませぬ。概ね一年後には出発します。先ほど述べましたように、大船団を組んで一気に渡航することは危険です。時期をずらしながら、航路も複数設定し、危険を分散させることを想定しております」
「さすが戦略家の徐福だ。成功の可能性が高くなった。早速準備にかかれ」始皇帝は機嫌を良くし、相好を崩して徐福を見つめた。
「朕と徐福の約束のしるしとして、この頸飾を授けよう」
始皇帝は、自分の首飾りを外して、徐福の首に架けて言った。
「この頸飾は、翡翠の玉でできておる。その中でひときわ大きいのは、虎目石じゃ。わが国の奥地で採れた貴重な宝石だ。翡翠を身に付けると長寿と幸運が授かる。徐福、蓬莱島への道中、この頸飾を常に身につけよ。徐福を守ってくれるだろう」徐福は感涙した。
「陛下、貴重な品を賜りました。必ず任務を果たして帰還し、陛下の元へ不老不死薬を持ち帰る覚悟を新たにしております」始皇帝は徐福の手を強く握り、大きく肯いた。

☆3

徐福は約一年をかけ、蓬莱島へ渡る大探索団を組織した。その総数はおよそ三千人。それを約三百人ずつの十団とし、十人の団長を人選した。十人目の総団長には自分が就いた。各団長に団員を募集させた。各船団には、秦の船大工が初めて経験する大型船を建造させた。団員には、国中から自薦、他薦で多くの人材が集まり、団長が自ら面接して、意思堅固な者、体が屈強な者、有用な技術をもつ者、さらには若い夫婦者、独身の若い男女などを選んだ。知識が豊富にあっても体が弱い者や老人、そして幼い子どもは原則として選ばれなかった。しかし蓬莱島に移住する覚悟で、家族で応募してきた場合には、その決意の固さを確認し、家族の誰かが必ず秦へ戻ることを約束させて許可した。
生薬の知識を豊富に持っている老人は、最初は面接官から断わられた。この痩せた老人は薬草採集の名人と言われていた。
「老大人。そのような痩せたお体では渡海時に体力が尽きて、蓬莱島へ着く前に船上で葬式を出しかねない。失礼ながらお歳を考えて、諦めなされ」老人は落ち着いた声で言った。
「いいや、長年、生薬を求めて山野を渉猟しておるので、足腰は丈夫だ。わしはどの季節に、どこに薬草が生えているか熟知しておる。この知識は蓬莱島へ渡っても必ず役に立つはずだ。是非わしを団員の一人に加えてくださらんか」「ご家族の意向は聞かれたのか」
「老妻や息子夫婦は反対しておる。何も危険な目に遭わずともこの国で安泰に老後を過ごすべきだと。しかし、わしは蓬莱島で、知識を生かして不老不死薬を探し出し、秦に平和と繁栄をもたらした陛下の役に立ちたい。たとえ蓬莱島にこの老骨を埋めようとも、替わりに不老不死薬を持ちかえる者に我が知識を伝えたい」
会話を物陰で聞いていた徐福が現れた。
「朱仙昇先生。お久しぶりです。徐福でございます。お覚悟に感じ入りました。この度の探索は是非とも成功させねばなりませぬ。その為には朱先生の豊かな知識と経験が必要です。是非、探索団に加わっていただきたい」
「徐福様。ありがたいお言葉を賜り感涙にむせびます。朱仙昇、ご期待に添えますように、命ある限り蓬莱島の山野を駆け巡り、秦にはない妙薬を探し出しますぞ」
 こうして朱仙昇は、徐福による直接の面接の結果、団員達に薬草の見つけ方、見分け方を指導することで採用された。
応募してきた人々の中に、若い曹偉傑とその妻明敏がいた。二人は結婚したばかりで、子どもが無かった。面接官が言った。
「蓬莱島へ渡ったら、その者たちは何ができるのか」曹偉傑は落ち着いて答えた。
「私どもは農民でございます。これまで稲作を中心にやってまいりました。その他、麦や雑穀、野菜も作っております。山羊や豚、鶏も飼育しております。しかし秦では雨が少なく、土地は乾いております。蓬莱島は雨が多く稲作には適しているが、農法は遅れていると聞いております。わが国の進んだ技術を持ちこみ、これまでの経験を蓬莱島で生かし、移民の覚悟で団員の皆様の食糧作りに励みます。」
「なるほど。その方はどうだ」面接官は明敏を見て言った。
「夫を助けて米や野菜を作ります。家畜の世話も慣れております。子どもを産み育て、その子どもがまた不老不死薬の探索をお手伝いすることでしょう」
「よくぞ申した。この度の蓬莱島への渡海は壮大な事業になる。何年、いや何十年かかるかもしれぬ。国家的大事業だ。様々な困難に遭遇するであろうが、お前たちのように、地道に気長に取り組む農民が必要だ。是非採用したい。追って沙汰あるまで待つように」
若い農民夫婦は、ほっとした表情で一礼し、その場を辞した。
 徐福は、優秀な若者あるいは少壮の学者を書記官として、一団に一人ずつ、十人連れて行きたいと考えていた。この度の事業の計画段階から、渡航、蓬莱島での探索、帰国までの一部始終を記録に留め、皇帝に提出する報告書を執筆する担当者を必要とした。不老不死の仙薬はどのような場所にあるのか、その形状、製薬法、保存法、処方などを逐一正確に記録しなければならない。さらに、探索隊がいかに任務を誠実に遂行したかを記録し、仮に不老不死薬を発見できなくとも、報告書を携えた者が帰国し皇帝に説明することで責任を果たさなければならない。難題は文筆に長けた有能な人間が十人も同行してくれるかであった。優秀な人材が集まらなければ、皇帝の威光を振りかざし、指名してでも強制的に連れていかなくてはならない。事業の意義を十分に理解し、意欲的で冒険心を持つ人間が欲しかった。
しかし知恵が先に立つ者は、この事業が危険を伴い、無事に帰国できないかも知れないと考えると、気軽に応じるわけにはいかなかった。特に一家の主として家庭を築いている者や独身でも将来を嘱望されている優秀な若者が躊躇するのは無理もなかった。徐福は、皇帝から取りつけた約束を文書にして役所内に回覧させ、有能な書記官の応募を待った。もし帰国できず殉職することがあっても、遺された家族は恩給が支給されること、大役を果たして帰国した時には相応の褒賞が与えられることを付記した。こうしてようやく応募する者が現れた。その中に、官吏登用試験に合格したばかりの若き俊秀、王賢瑛がいた。面接官が言った。「王賢瑛、この度、応募した理由を述べよ」
「私には年老いた母がおります。私を女手一つで育ててくれた大恩がございます。私は母の期待に応えて勉学に励み、官吏登用試験をようやく通りました。これから皇帝陛下と秦のために奉職しようと考えていたところ、蓬莱島での仙薬探索団の書記官募集の話があり、郡長様から応募を奨められました。しかし、母のことが気がかりで躊躇しておりましたが、家族の面倒を陛下の方でみてくださるとのことで、安堵して応募いたしました。私はまだ若輩者ですが、徐福様に従い、仙薬を探し、秦国に持ち帰るお手伝いの過程を詳しく記録する書記官の仕事を、是非担当させていただきたいと存じます」
「そなたには期待しておるぞ。試験の成績は抜群だった。渡航の日まで心安くして待機せよ」
「ありがたき幸せに存じます」王賢瑛は、一礼して面接官の前を辞した。
技能者には様々な職種の者が応募した。その中で、もう若くはないが表情に力を感じさせる年増の女がいた。面接官が、その女に問うた。
「その方の名と特技、そしてこの度応募した動機を申せ」
「梁輝姫と申します。機織りを業としております。絹布も綿布も織ることが出来ます。綿花の栽培から、糸を紡ぎ、機を織ることまで一貫して行っている村の出身です。私の村では桑の栽培、蚕の飼育、絹織物の生産も始めております。是非この度の探索隊に加えていただければ、常世の国とも言われる蓬莱島で布を織り、団員の皆様の衣服を提供したいと思います。また蓬莱島の人々に機織りの技術を伝えたいと思います」
「団員の衣服は潮風にやられ、強い陽光に曝されて、早晩ぼろぼろになってしまう。不老長寿薬の探索は何年もかかるであろう。衣服を作る職人は必要だ。その方の技術を知りたい。織った布は持参しておるか」「これにございます」
梁輝姫は、持参した絹布と綿布を広げて見せた。面接官は身を乗り出し、織物を手に取って品質を確かめた。「なるほど、丈夫に美しく織れておる。染色もその方がやったのか」
「染色技術を持っている者が染めました。この度の派遣団にも加わる者がいると思います」
「蓬莱島に着いたら、すぐに綿花栽培や蚕の飼育をやってもらいたいが、できるか」
「綿花の種子、桑の苗、蚕の卵を持ちこんで始めたいと考えております」
「それは心強い。頼むぞ」「では準備にかかります」梁輝姫は面接官の前を辞した。
 応募してきた様々な人間たちの中で、陽に焼けて色黒く屈強な男がいた。女房らしき女と二人の子どもを連れていた。「そなたは何ができるのじゃ」
「吾は漁師だ。毎日川で魚を獲って暮らしてきた。吾は魚が何処にいるか、よく知っている。いつも漁師仲間では一番多く魚を獲ってきた。獲った魚は市場で売る。魚が獲れ過ぎた時は、女房が発酵した米の飯に魚を漬けて熟鮨を作る。これは保存食だ」男は早口で言った。
「魚獲りの名人か。貴重な人材だな。蓬莱島でも魚を獲って皆にふるまって貰いたいものだ。それに渡海の船中で、干魚等の保存食は必需品だ。蓬莱島でも魚の熟鮨を食べたいものだ。わしも熟鮨は好物だ。あの臭いが苦手の者がいるが、慣れるとやみつきになる。よし決まった。その方を採用する」
「ありがたい。ただし、熟鮨を作るのは女房だ。吾は女房と別れては生きていけません。女房と子ども二人も連れていきたい」「良かろう。家族で加われ。ところで名は」「張羽だ」
「良い名だ。頼んだぞ」面接官は上機嫌で言った。
水夫、船大工、住居を立てる大工、樵、農具などを作る職人、鍛冶屋、猟師など、蓬莱島で探索団が生き延びるために必要な職種の人間が集められた。特に技能がなくとも体が丈夫な者は、田畑を耕す農民として採用された。また独身の青年男女も集められた。彼らはやがて夫婦になり、子を産み、不老不死の薬を探す使命を受け継ぐことを期待された。応募した者たちには共通点があった。新しい土地で、新たな人生を切り拓こうとする進取の気性を持っていた。彼らは勇敢な冒険者だった。こうして探索団は、大移民団の様相になった。

☆4

翌春、天候が安定し、準備が出来た船団から出発することになった。夜間に星の位置を天測する必要から、新月の日を基準として、帆に良い風を孕む日が選ばれた。第一団の出発は未明だった。まだ暗いうちから見送りの人々が港に詰めかけた。岸辺では煌々と篝火が焚かれ、家族、親戚縁者、恋人同士等でごったがえした。あちこちで、涙で別れを惜しむ姿があった。徐福は、第一団の団員を整列させて訓示した。
「諸君は皇帝陛下の命により、蓬莱島へ不老不死の仙薬の探索に向かう。その薬を探し出しわが国に持ち帰れば、皇帝陛下の願いがかない、わが国はますます栄え、民は幸せになる。その重要な仕事を諸君とともに担うことになった。必ずや目的を達成して、無事に戻ってきてもらいたい」団員は徐福の訓示に聴き入った。
「諸君は第一団だ。私は第五団で後を追う。全部で十団が出発の時期をずらしながら蓬莱島へ向かう。小島伝いに向かう団。帆に風を孕んで一気に沖へ向かい、海流に乗る団、沿岸に沿って時間をかけて行く団というように、様々な経路をとる作戦だ。十団のうち、どの団が蓬莱島に着くか。誰にも分からない」徐福は皆を見回しながら力強く言った。
「だが、怖れるな。最後まで諦めない者が目的を達する。諸君は船上で、そして蓬莱島に到着後、団員同士協力しあい、互いに補い、学んで、より有能な人間に成長して、秦に帰還してもらいたい。それが成功への道である。諸君の留守家族のことは心配するな。年寄りや子ども達は皇帝陛下のご配慮で、長く面倒をみていただく。では、諸君の前途を祝い成功を祈願して乾杯しよう。杯に酒を注げ」
団員は家族から、また同僚から酒を注いで貰い、杯を掲げた。
「皇帝陛下万歳。乾杯」
団員たちは不安と期待で身震いしながら、自らを鼓舞するように大きな声で唱和し、乾杯
した。強い酒をあおり気持ちが高揚した団員たちに、団長が大声で怒鳴った。
「出発だ。総員、乗船」銅鑼が鳴った。団員は次々に船に乗り込み、持ち場に就いた。
「錨を上げろー」「良い風だ。帆を上げろー」
太い三本の帆柱のうち、中央の一番帆がするすると上がり、風を一杯に孕んで大きく膨
らんだ。秦国で三本の帆柱を持つ大型船が建造されたのは初めてだった。
「もやい綱を解け」
三百人の乗組員を載せた船はゆっくりと岸を離れた。岸辺から、船上から、別れを惜しむ声が飛び交った。色とりどりの幟旗がひるがえった。
「元気で帰ってこいよー」「体に気をつけてー」「後は心配しないで。しっかり留守を預かるよー」「親父とお袋を大事にしろよー」「あんたー、きっと帰ってきてよー」
 見送る人も船上の人も千切れるほど手を振り、涙で顔を濡らして別れを惜しんだ。今生の別れになるかも知れないと思うと、その場に崩折れて座り込んでしまう者もいた。船は次第に遠去かり、第二、第三の帆も上げて船足が速まり、新月の闇夜の彼方に消えた。

☆5

最初の船団の出発後、十日前後の間隔をおき、天候を見ながら次々に探索団が出港し、ついに徐福が自ら団長を務める第五団の出発の時が来た。
乗組員全員を船の前に整列させ、徐福は良く通る声で言った。
「わが第五団もいよいよ出航だ。団員一同、留守を預かる者たちと心置きなく別れを惜しむがよい。今生の別れとなるかもしれぬ。或いは首尾よく数年後に帰還して、親族と再会が叶うかも知れぬ。先のことは神のみぞ知る。しかし、われわれの命運は自身が切り拓かねばならぬ。常に人生は安泰ということはない。いつ、何処にいても、老いも若きも、そして何時の時代も、人間はより高みを目指して努力するものだ。それが人間たるゆえんであろう。これから東方の海に船を出すわれらは蓬莱島に到達し、不老不死薬を探し出し、持ち帰るという壮大な目的のために、成功を信じ、心を一つにして出発しよう。皆の者、よいか」
徐福は団員たちを見回して、さらに大きな声で言った。
「皆の者、気勢を上げよー」団員たちは拳を突き上げて叫んだ。
「えいえい、おー、えいえい、おー」
「皇帝陛下、万歳。徐福様、万歳。われらは、海の果てまで徐福様にお供します」
 徐福の言葉に団員たちは口々に応え、奮い立った。重大な使命感に改めて身が引き締まる思いがした。その中に、将来を嘱望された俊秀、王賢瑛がいた。
やがて日没に会わせたように銅鑼の音が響き渡った。
「風良し、出航だ。乗り遅れた者はいないか」
徐福は船内を見渡した。さらに見送りの人々に向かって大きく手を振った。他の団員もそれにならった。あちこちで別れを惜しむ声が広がった。
「必ず帰ってこいよー」「ご無事でー」「お袋を頼むぞ」「きっと帰るからなー」
新しい白帆が上がった。錨が引き上げられた。船は岸辺をゆっくりと離れた。船が遠去かるにつれ、別れの声は絶叫に変わっていった。やがてその叫び声も聞こえなくなり、風を孕んだ帆の音だけが聞こえた。夕闇が深まり、故国の岸辺は見えなくなった。
やがて月が出た。満月だった。「見よ。美しい月だ。我らの船出を祝福しているようだ」
 月を見上げた一行は前途の不安をしばし忘れて、うっとりと見上げた。
 出航後、穏やかな天候は三日続いた。既に、黄河が吐き出した黄色く濁った水は、澄んだ蒼い海に変わっていた。一行は海豚の群れを見て歓声を上げ、名も知らぬ海鳥が飛び交う海原を眺めて過ごした。王賢瑛が言った。
「徐福様。このまま蓬莱島に着くまで、順風が続けばよろしいのですが」
「我々はできるだけ安全な航路をとる。いきなり沖の海流に乗らず、本船は島伝いに少しずつ、水や食糧を補給しながら、蓬莱島を目指すのだ。我々が本隊であるから、最も確実な航路を選ぶ。他の団の中には、すぐに海流に乗って、最短時間で蓬莱島をめざす船もある。また、わが国の岸沿いに、港に寄りながら半島を経て蓬莱島へ行く船もあるが、その航路は一番日にちがかかる。食糧も大量に必要になる。沿岸は安全なようだが、座礁しやすい。また海賊の襲撃を受け易い。もちろん、どの団にも武人を乗せて万全を期しておる」
「うまく海流に乗っても、蓬莱島から逆に遠去かってしまうこともありえます」
王賢瑛は心配そうに言った。徐福は、悲痛な表情を浮かべた。
「海図がなく、運を天に任せるしかない。蓬莱島に到着できず、大海の中で何日も漂流するかもしれない。蓬莱島でなくとも、大洋の向こうにあるかもしれない別の島にとりあえず漂着してくれれば良いのだが。しかし、その場合、秦に戻ることは難しい」
四日目に風が強まり、雲が空を流れるように動き、波が出てきた。季節外れの台風に巻き込まれたようだった。帆を張ったままでは危険なので、下ろした。船は次第に高くなる波に翻弄され、船酔いする者が続出した。船内のあちこちで、苦しげに吐いている者が見られた。波頭は船よりも高くなり、天を覆うように崩れてきた。船内は水浸しになり、溜まり始めた。
「皆の衆、海水を汲み出せ。海水が船底に溜まると船が沈むぞ」
団員は必死で小さな汲み取り道具で水を汲み、桶に溜め、桶が一杯になると、手渡しで船外へ捨てた。その作業を分担して行った。夜に入って風は益々唸りをあげ、波浪は壁のように立ち塞がった。船が波の底に入ると、海底に引きこまれそうな感覚に襲われた。臆病な団員が怯えた声で言った。
「もう終わりだ。俺たちは皆溺れて死ぬんだ。国にいればこんな目に遭わずに済んだのに」
「大丈夫だ。船は沈まぬ。耐えるんだ。必ず嵐は収まる。嵐が過ぎるまで、持ちこたえるのだ」徐福は、皆を励ました。王賢瑛が立ち上がった。
「皆で神に祈ろう。天の神、海の神に祈ろう。われらの祈りは必ず神に届くだろう」
手が空いている団員は胸の前で手を組み、親は子を抱きしめ、夫婦は互いに手を取り合い、祈った。どれほどの時間が経ったのか、東の空が微かに明るくなる頃、あれほど吹き荒んだ風が弱まってきた。まだ、うねりは強いが、波頭が白く崩れることがなくなった。やがて曙光が海上を照らし始めた。美しい光が憔悴しきった団員の顔を照らした。人々は互いの無事を確認して喜びあった。船は再び帆を張った。
順風が、船を気持ちよい速度でさらに東方へ進めた。白い鳥が船に接近し、団員に挨拶するように旋回しながら上空を飛んだ。
「鳥が飛んで来たということは、島が近い」「しっかり四方を見張れ。島は見えぬか」
その日、太陽が西に傾き始めたころ、見張りが東の水平線の上に緑の小島を発見した。
「島だー。島が見えたぞー」その声に、団員は見張りが指差す方角を見た。
「蓬莱島か」皆は歓喜に包まれた。しかし徐福は冷静に言った。
「いや、蓬莱島ではない。小さ過ぎる。蓬莱島は大きな島だ。しかも蓬莱島には白煙を吐く蓬莱山があるのだ」王賢瑛が言った。「徐福様、上陸しますか」
「静かな入江を見つけて上陸してみよう。団員の休息、水と食料も補給しようにもなる」
 島は次第に大きくなり近づいてきた。その島は思ったより大きく、緑の樹木に覆われていた。島の周りは珊瑚礁が発達していた。船は注意深く珊瑚礁に近づき、小舟を下ろした。小舟は数人の先遣隊を乗せ、島の浜を目指した。浜のやや奥まったところに苫屋が数戸見え、住民が大慌てで走り回っていた。先遣隊は念のため、剣を携えていた。しかし先住民と争う心算はなかった。王賢瑛を先頭に上陸し、集落の方へ向かった。集落側からは白い髯の老人が屈強な男達を従えて出てきた。王賢瑛は穏やかな声で、ゆっくり話し始めた。
「われわれは秦から船で参った。嵐に遭ってこの島に辿り着いた。われわれは疲れている。少し休ませていただきたい。新鮮な水を飲ませて欲しい。決して迷惑はかけない」
 王賢瑛は身振りを交え、微笑しつつ表情豊かに来意を伝えた。さらに王賢瑛は、敵意がないことを示すために、積んできた品物の中から美しい絹織物を差し出した。
「これらの品々を、わが団長から贈り物として貴殿に進呈したい」
 長老らしき老人は絹織物を手に取って見た。その鮮やかな色彩、手触り、緻密な織り方に驚いた。それが贈り物であることも理解した。老人の表情から警戒心が消えた。老人は回りの男たちとしばらく小声で相談していたが、王賢瑛の方を向いて、島の言葉で応えた。
「よろしい。上陸を許そう。体力が回復するまでこの島で過ごすがよい」
王賢瑛は、老人の言葉の詳しい意味はわからなかったが、表情や身振りから、上陸が許されたことを理解した「ありがたき幸せに存じます。ところで、この島の名は?」
王賢瑛は島の土地を指差し、次に自分の頭を指しながら、頭を傾けて困った表情を浮かべて尋ねた。その動作を数度繰り返すと、長老は質問の意味を理解した。
「この島は、よなぐにじゃ。この島には砂浜がある」
「おお、伝説のよなぐにとはこの島か。よなぐには扶桑国とも呼ばれると、わが国の古い文書にある。われわれは扶桑国の島におるようだ」
王賢瑛は驚きと安堵がこみ上げて来るのを感じた。王賢瑛は上陸許可がおりたことを、手旗信号で本船に伝えた。固唾を飲んで見守っていた団員達は歓声を上げた。

☆6

梁輝姫は第三団の船に乗っていた。出航して十八日、船は大海の潮流に乗って流されていた。島影は見えず、次第に団員に不安が募っていた。潮流の流れは強く、相当の速さで北に向かっていることは北極星の観測で分かった。潮流から船を脱出させるべく帆を張りたくとも強風で危険だった。櫓を漕いで少しずつ方向を転換しようとしても、あまりにも潮流が強過ぎた。更に数日過ぎた頃、西の方角に陸地が見えた。
「陸地が見えたぞ。何とか岸辺に船を寄せられないか」「無理だ」
「これが最後の機会かもしれぬ。ここで上陸できなければ、あとは陸地から離れる一方か」
「団長、陸地に山が見えます。いただきは雪に覆われているようです。白煙も上がっています。蓬莱山でしょうか」
「伝説の蓬莱山とはまさにあれかもしれぬ。さすれば、あの陸地はまさしく蓬莱島であろう。蓬莱島を目の前にして上陸できないのは無念じゃ」
しばらくすると陸地は遠ざかり、見えなくなった。団員は意気消沈し、船底や甲板に仰臥してしまった。ただ物見だけが帆柱の上で見張りを続けた。夜になり、物見が叫んだ。
「また島が見えるぞ。小さな島だ」「おお、あの島でもよい。船を着けられないか」
 しかし潮流は速く、火山島らしいその島を目の前にしながら、船は流されるしかなかった。団員たちは島が遠ざかるのを、呆然と眺めるしかなかった。
それでも梁輝姫は、秦から積みこんだ綿花の種子、桑の苗木、蚕の蛹など、積み荷のそばに座り込みながらも、希望を捨てていなかった。翌日、潮流の様子が変わった。流れが緩やかになり、方向が東に変化しつつあった。弱い風の中で霧がかかりはじめ、海鳥の種類が変わってきた。
団長は、潮流から脱出する時は今しかないと思った。
「帆を張れ、櫓を漕げ、海流から脱け出すぞー」「団長、目指す方角は?」「西だ。蓬莱島だ」
「霧で方向が分かりにくい。しかし、かすかに夕日の方角はわかる」
「それでよい、とにかく西だ。西へ向かうのだ」
夕日が沈んで暗闇に包まれた。暗い夜を船はひたすら西と思われる方向をめざした。
また一晩が過ぎ、霧中で朝日が東の空をぼんやり染めた。それは船の後方の方角だった。
「本船は間違いなく西に向かっている。そのまま漕ぎ続けよ」
漕ぎ手は交替しながら必死で漕いだ。風の方向が変わり、やや強い向かい風になった。それでも巧みに帆を操り、ジグザグ航行した。夕方、西の方角に岩場が見えてきた、海鳥も増えてきた。
「見えた。陸地だ。日没前に近くまで漕げ。日が暮れてからでは沿岸は危険だ」
 暗くなる前にようやく船は入江に入った。波が収まり、風も弱まった。船はゆっくりと進んだ。団員は歓声をあげながら船上に集まった。
「到着だ。これで波に揺られないですむ。船酔いせずにすむ」
「海に呑まれて溺れ死ぬことはなくなった。もう安心だ」
 船がさらに入江を進むと、遠くの前方に平地から突出した独立峰が見えてきた。
「見ろ、あの山を。白煙は見えないが蓬莱山かもしれぬ」
「入江はあの山の方向に続いている。船をあの方向に進めるぞ」
船は三日かけて、ゆっくりと入江の最奥に着いた。そこは独立峰の方角から流れてくる川の河口で、砂や泥が堆積して浅く、葦原が広がっていた。船はそれ以上溯ることはできそうになかった。団長が言った。
「とりあえずここに上陸する。上陸用の小舟を下ろせ」
十隻の小舟が何度も往復して、団員と物資を陸に運んだ。そこは砂浜だった。
「陸だ、陸だ。揺れないぞ。大地がこんなに安心できるものとは思わなかった」
「土の匂いが懐かしい。今夜はぐっすり眠れそうだ」
団員は口々に上陸の喜びを言葉にした。
「今夜はここに小屋掛けして雨露を防ぐことにしよう」
団員たちは岸辺の柳や畔の木を伐採しはじめた。その時、林の奥の方から、この土地の住民が十数人、手に槍を持って姿を現した。先頭の長老らしい人物に率いられていた。団長が皆に指示した。
「皆の者、落ち着け。敵意を持つな。穏やかな表情で応対するのだ。われわれは争いに来たのではない。そのことを分かってもらうのだ。戦いが始まれば目的は達成できない」
 団長がまず前に進み出て長老らしき人物と相対した。満面に笑みを浮かべた。長老の前に膝まずき、頭を低くして敵意がないことを示した。
「我々は秦から参りました。一ケ月ほど海を航海して蓬莱島にたどり着きました。そしてあの山を目指して入江を進んできました。われわれは疲れております。今晩はここで寝て、疲れを取りたいのです」
 団長はゆっくりと身振りを交えながら穏やかな声で話した。たとえ内容は正確に伝わらなくとも、自分たちが争いに来たのではないことを理解してもらいたかった。長老は静かに団長の挨拶を聞いた。言葉の抑揚や声調、そして表情や動作をも注意深く観察し、少なくとも敵意が無いことは理解したようだ。
長老の表情から警戒心が消えた。団長の挨拶に長老が応えた。
「皆さんが疲れていることは分かった。皆さんが乗ってきた船は素晴らしい。遠い国から来られたようだ」
 団長は、長老の言葉は理解できなかったが、身振りや表情で、長老も地元民も驚いていることが分かった。団長が梁輝姫に言った。
「梁輝姫、そなたの織物を出してみよ。贈り物にするのだ」
 梁輝姫は陸揚げした荷の中から綿織物と絹織物を出した。
「長老様、これはわが国で織られた布でございます。上陸記念品として献上いたします」
 長老は織物に手を触れ、手触りを確かめた、そして色の美しさに驚いた。長老は地元民を呼んで、彼らにもその布の素晴らしさを確認させた。地元民は口々に驚きの声をあげた。地元民らは素朴な白い貫頭衣を着ていた。その材質は麻の繊維でできているようだった。織りも粗かった。また毛皮を纏っている者もいた。団長はさらに、宝石、陶製の器、日用品などを贈った。長老が言った。
「このような珍しい品々をいただき感謝する。しばし、ここでゆっくりされるがよい。その後のことは相談に応じよう」
 団長は、笑みを浮かべた長老の表情と身振りを交えた言葉で、自分たちが受けいれられたことを理解した。団長が両手を差し出すと長老も両手で強く握り返した。団員から歓声があがった。地元民もほっとして、互いに顔を見合わせた。団長は長老と肩を並べ、気になっていた山を指差して、首を傾げながら言った。
「ところで長老。あの山は何と呼ぶのですか」長老は即座に質問の意味を理解して答えた。
「あの山はつくばじゃよ。われわれはそう呼んでおる」
団長は大きく何度もうなずいて、再度、山を指差し、
「つくばー、つくばー」とくりかえした。
 団員たちはそれを聞いて、秦で蓬莱山と呼ばれる山は、この地では「つくば」と呼ばれているのかと思った。あの山の麓にいけば伝説の不老不死の仙薬が見つかるかもしれない。船旅は苦しかったが、ようやく目的地に到着したと安堵した。

☆7

第三団は、数日休息した後、つくばをめざした。荷物を船から降ろし、木製の曳き車に積み替え、男たちが交替で曳くことにした。上陸地からは、細い道が岸に沿いながらつくばの方向へ向かって続いていた。団長は、つくばが蓬莱山か、確信はなかったが、その山をめざして進むしかなかった。第三団はやがてつくばの麓に到着した。その場所は山裾だが、南向きで日当たりが良く、水量豊かな小川が流れていた。団長は団員らと話し合った。
「ここで稲を作ればきっとよく穫れるぞ。水がいい。山からの絞り水だ。養分を含んだいい水だ」農民出身の団員が言った。
「絞り水だから夏でも枯れない。それにこの土を見ろ。肥えた黒土が砂地に程よく混じっている。根がよく張るぞ。ここで稲、麦、野菜を作ろう。それを団員に食べてもらうのだ。地元民に種を分けて、稲や野菜の育て方を教えよう」
それを聞いていた梁輝姫も言った。
「私は蚕を飼い、絹糸をとって布を織りたい。蚕の繭を秦から持ってきたけれど、まだ生きているかしら。生きていれば、蛾になって卵を生んでくれる。その卵が蚕になってまた繭を作る。蚕が食べる桑の苗木も積んできた。桑の木も殖やさなくては・・・」
「綿花はどうするのだ」農民出身の一人が聞いた。
「綿花の種も持ってきた。綿花の栽培も皆でやろう。今着ているものはやがて古くなって襤褸になるから、新しい綿布も作らなくては・・・」
その話を聞いていた団長が言った。
「よし、ここに落ち着き、暮らしを立てながら、不老不死薬を探索しよう。まず、仮住まいを建てることにしよう。幸い、山の木が豊かだから、伐って柱にする。この土地の森の見事さはどうだ。雨が多いから木がよく育つ。秦は雨が少なく大地が乾いているから、木が育ちにくい。ここは恵まれた土地だ」
 翌日、麓で樹木の伐採が始まった。手頃な木が選ばれ、秦から持ってきた青銅製や鉄製の斧を使って手際よく作業が進められた。地元の長老が従者とともにやってきた。長老は激しい怒りを顔に表しながら言った。
「お前たち、木を伐ってはならぬ。木は山の神のものだ。木を伐る時は神に祈りを捧げねばならぬ」
団長は長老の言葉の細部は分からなかったが、森や伐採した木を指差しながら、厳しい表情で話す長老が何に怒っているのか、すぐ理解した。
「長老、申しわけない。お許し願いたい」と言って、頭を垂れた。
長老の怒りはそれでも収まらなかった。
「お前たちは何の相談もない。相談を受けたら、木を伐る時の祈りの作法を教えてやれた」
長老は、斧を指さして続けた。
「お前たちはそのような鋭く固い斧を使って、太い木でもたやすく伐ってしまう。それでは山は簡単に丸裸になってしまう。山の木が無くなったら神の怒りに触れて、山は崩れて恐ろしい災いが起きるのじゃ」
 団長は長老の言葉の意味を理解した。
「お怒りはもっともだ。わが国では鉄の斧でどんどん木を伐ってしまい、洪水の災害が起きたことを思い出しました」
長老が言った。「お前の言っていることはよく分からん。しかし反省しているようだな。よろしい。これからは、何でもわしに相談せよ」
長老は鉄製の斧に注目した。「その斧を見せよ」団長は斧を長老に手渡した。
「これは素晴らしい。我々の斧は石斧だから、早く伐ることはできない。それに比べ、この斧の鋭さは恐ろしいほどだ。試しにそこの薪を割ってみよう」
長老は薪を持って来させ、鉄斧を振り下ろした。薪は簡単に割れた。
「これは便利だ。焚木を作る時に楽だな。これから時々貸してくれ。貸してくれるなら、山の木を少しずつ伐ることを許そう」
団長は長老の表情が穏やかになったことを見て、ほっとした。
「これからは必ず長老に相談することにいたします。仮住まいを作りますので、木は少しずつ伐らせていただきます」団長はさらに付け加えた。
「ここで畑や水田も作りたい。すぐにはおわかりいただけないと思いますので、いずれ実際に作業をお目にかけます。作物の作り方もお教えします」
長老と従者は団長の穏やかな対応に怒りをしずめ、納得して帰っていった。
次の日、団員たちは湿地にでかけ、葦を刈り取り、屋根を葺いた。数日で数棟の仮住まいが完成し、乗組員たちは秦を船出して以来、久しぶりに屋根の下で眠ることができた。

☆8

梁輝姫はつくば山麓で山桑の木を発見した。
「桑だ。秦の桑とは少し違うようだけれど、蚕が食べてくれればいい。試してみよう」
梁輝姫は山桑の葉を枝ごと採取し、同行の女達に手伝わせて運んだ。蚕は繭から羽化し、小さな白い卵をたくさん産んでいた。秦から大事に鉢植にして運んできた桑の苗は大部分が枯れてしまったが、数本だけ生き残っていた。筑波山麓の土地に下ろされた桑は小さな新芽を出していたが、卵から孵化した仔虫の餌にはまだ間に合わなかった。そこで梁輝姫を先頭にして、女達は近くの低山に桑に似た木を探しに出たのだった。
「梁輝姫、見て。蚕の仔虫が山桑を食べました」蚕の世話をしていた女が報告に来た。
「よかった。これで蚕を育てる目途がついた」
蚕は、山桑の葉を食べて成長した。蚕が葉を食べる音が、時雨の微かな雨音のように屋内に響いた。数週間して大人の小指くらいに成長した蚕の幼虫はしだいに葉を食べなくなり、一気に糞をすると体が透けて見えるようになった。それを観察した王輝姫は幼虫が繭を作る時期になったことを知った。
「蚕が繭を作る場所が必要になりました。稲の藁を貰ってきておくれ」
女たちは地元の農家をまわり、身振り手振りで藁との物々交換を申し出た。藁と交換したのは秦から持ってきた衣類だった。地元民は喜んで交換に応じた。女達は梁輝姫の指導で、手に入れた藁を編んで小さな梯子様のものを作った。それをたくさん作り、幼虫を載せると、幼虫は自分で隙間に入り込んで、口から透明な細い糸を吐き、繭を紡ぎ始めた。幼虫は一晩で小さな白い楕円形の繭を作り、その中で蛹になった。白い繭がたくさん出来た。梁輝姫は繭を手に取って手触りを確認した。
「秦で作っていた繭と同じだ。この蓬莱国でも繭ができた。あとは絹糸を紡ぐだけ」
繭ができたことを聞いて、第三団の団長、団員、そして地元の住民たちがやって来た。
皆が口々に言った。「おめでとう、梁輝姫」
梁輝姫は少し熱っぽく、めまいを感じていたが、気を奮い立たせて言った。
「ありがとう。でも地元の皆さんに認めてもらうには、絹糸を紡いで、それを絹織物にして見せなければなりません。まだまだ、やることがあります」
そこまで言った時、梁輝姫は気が遠くなって後ろに倒れかかった。
そばにいた女達があわてて支えた。一人が彼女の額に手を当てて言った。
「ひどい熱です」「疲れが出たのだろう。今まで頑張り過ぎたんだ。蚕を飼うのは不眠不休だからな」「奥でゆっくり休ませよう」団長が命じた。
梁輝姫は翌日も床に伏せったままだった。胸が苦しく咳が続いた。熱も下がらなかった。それでも梁輝姫は臥せったまま、女達に次々に指示した。
「湯を沸かしておくれ」「器に湯を満たしたら、それに繭を浮かべて」
「繭を浮かべたら、繭の表面を小枝で擦ると糸が小枝に絡まってくるから、それを紡ぎ車に通してゆっくり廻せば糸が取れるはず」
女たちは梁輝姫の指示に従って立ち働いた。数個の繭から同時に糸を取ると、ねじれてより太い糸になった。お湯の表面に浮かんだ繭は糸を取られて、くるくるとおもしろいように廻った。繭から取った細い糸は少しずつ太くなり、やがて美しい光沢がある絹糸になった。女たちはその美しさに息を呑んだ。
「きれいね。これで布を織ったら美しい織物になりそう」
別の女が言った。「私は渭城に行った時、絹の衣服を着ている高貴な女性たちを見たことがあります。しなやかで、つやつやとして肌触りがとても気持ち良さそうでした。その絹の衣服は上品な色に染められていました」
 それを、床に伏せながら聞いていた梁輝姫が弱々しく言った。
「あなたたちも間もなくその絹の布を織るのよ。織機は大きくて秦から持ちこむことがかなわなかったから、器用な大工に作ってもらいましょう。大工を呼んでおくれ」
大工が梁輝姫のそばに呼ばれた。
「この板に織機の絵を書いてみました。この通りに作って欲しいのだが」
「秦にいた時に、私の母が機織りしていたのを見ておりましたので、材料さえあれば何とか作れます」「それは心強い」
 そう言って梁輝姫はまた苦しそうに咳こんだ。団長が大工に言った。
「梁輝姫はだいぶ体が弱っている。なるべく早く織機を作ってくれ」
大工は地元民の集落に行って材木を集めてきた。それを秦から持参した大工道具を使って加工し、数日間で無骨な織機を作り上げた。「何とかできた。これで試してみてくれ」
梁輝姫が横臥している前で、一人の女が織機に座って織り始めた。いつの間にか地元の女達も集まっていた。梁輝姫がかすかな声で指示した。
「横糸が真っ直ぐ伸びるように、その梭はすばやく動かして」「隙間が出ないように、常に糸と糸の間を詰めて」
 次々に指示を出す梁輝姫の額には汗が浮かんでいた。彼女の目は織機の動きを見つめ続けた。しだいに布が織り上がってきた。皆は織機のそばによって手を触れてみた。
「すべすべした手触り。気持ちがいい」「こんな布は見たことがない」
地元の女達が叫んだ。見守っていた人々は口々に言った。
「梁輝姫。おめでとう」皆は彼女の方を見た。梁輝姫はかすかにほほえんで言った。
「皆が協力してくれたからこそ、できました。絹布も綿布もこれで織れます。貴方達はこれをたくさん織って、皆の衣服を作るように。そしてこの国の人々にも伝えるように」
梁輝姫はゆっくりと言葉を続けた。
「不老不死薬を探しに来たのに、死ぬのはくやしい。けれど、蚕は絹糸を残す。私は養蚕と絹織物の技法をこの国に残す。一匹の蚕は死んでも、卵から産まれた仔虫は命をつないでいる。私の使命も皆に引き継がれる。皆はきっと不老不死の仙薬を見つけて、帰国を果たしてほしい」
 梁輝姫は皆に見守られながら息を引き取った。団長が言った。
「梁輝姫、そなたは立派に使命を果たした。秦の誇りだ」
周りを囲んだ人々は梁輝姫の言葉に心動かされ、互いに手を取り合って嗚咽した。
 翌朝、弔いが行われた。梁輝姫の体は織り上がったばかりの絹布に包まれ、朝日に照らされた。絹布は陽光を浴びて金色に輝いた。それを見た地元民たちは言った。
「おお、金色姫だ。梁輝姫様は蚕の神になった」
悲しみに包まれる皆を鼓舞するように団長が言った。
「我々は梁輝姫の遺志を継いで不老不死薬を探し、必ず秦に帰るぞ」
人々の後ろには筑波の双峰が静かにそびえていた。

☆9

徐福が団長を務める第五団は、中継地のよなぐに島で数日休養を取り、食糧や水を補給して次の航海の準備を進めていた。島の長老から、身振り、手振りで、蓬莱島までの地理に関する情報も入手した。長老は砂浜に小枝で地図を描いた。
「この付近は島がたくさんあり、このように一列に並んでおる。だから島伝いに船を進めればよい。ただし、珊瑚礁や浅瀬、岩場に注意せよ」
徐福と王賢瑛は、長老が言ったことを理解した。
「安全に船を進めるにはそれが良い。もし事故が起こっても、近くの島に船を寄せることができる。我らの船は、時がかかっても、とにかく安全に確実に、蓬莱島に到着しなければならない」「ご成功を祈りますぞ」 
「長老様、感謝します。水、干果、干魚、塩漬肉を快く分けていただき、ありがとうございます。われらは必ずや航海を成功させ蓬莱島に到着します」
 徐福ら一行は、再び船上の人となった。        
常に島影を確認しながらの航海だった。一つの島が見えなくなると、間もなく次の島が現れた。団員達は安心して航海を楽しむ気分にさえなった。水も食糧も十分にあり、天候も安定していた。太陽は連日容赦なく照りつけたが、人々は帆布が作る影に入るなどして凌いだ。次々に現れる島の景色は美しかった。しかし、それらは蓬莱島ではなかった。蓬莱島は大きく、中央に雪をいただく蓬莱山があるはずだった。最後に島が見えた後、船足が速くなった。海流に乗ったことを徐福らは実感した。
海流に乗って四日目、西方に大きな陸地が見えてきた。
「陸地が見えるぞー。島にしては大きいー」見張りが大声で言った。徐福が言った。
「あれこそ蓬莱島かもしれない。船を接近させろ」「蓬莱山らしき山は見えませぬ」
「あれほどの陸地なら、山は奥地にあるのかも知れない。とにかく少しずつ近づけろ」
団員のうち、手空きの者は甲板に出て陸地を眺めた。陸地は次第に近づいてきた。樹木が繁った山々が連なり、急峻な傾斜で海に迫っていた。海辺は岩場が続いていた。    
「岩場だらけだな。船を寄せられない。波静かな入江はないか」
船は岩場に近づき過ぎないように用心しながら進んだ。そのうち、岩場と岩場の間が湾入して、波静かな水域が現れた。間口はかなり広く、奥まったところには小さな砂浜があった。船はその砂浜の沖合に投錨した。砂浜に続く山裾には住民の住居が集落になっていた。住民達は見慣れない船に気付いた様子で、たくさんの人々が浜に出て船の方を見ていた。砂浜には小さな漁船らしき舟が引き上げられていたが、そのうちの数隻が海に下ろされて、沖合の船に向かおうとしていた。徐福が言った。
「警戒しているようだ。われわれは戦さに来たのではない。そのことを分かってもらわねば」
「上陸用の小舟を出しましょう」
「まず私と王賢瑛が行く。土産品を用意せよ。念のために護衛を数人連れていこう。王賢瑛、我等は正装していくぞ。どんな時でも礼を尽くすのだ。われらは秦の代表だ」
三隻の小舟が船から下ろされ、代表団として徐福らが乗りこんだ。徐福は武人でもある護衛たちに言った。
「住民を刺激してはならぬ。挨拶と交渉は私と王賢瑛が行う。お前たちも穏やかな表情で接するのだ。腰の剣を軽率に抜いてはならん」
 小舟は砂浜に慎重に近づき、砂に乗り上げた。先頭の船に乗った徐福らが先ず上陸した。徐福らは槍を持った多数の住民に取り囲まれた。住民らの槍の先は石器だった。また竹や木の棒の先端を尖らせただけのものもあった。それらの武器を見て徐福は、自分たちの青銅製や鉄製の槍や剣の方がずっと優れたもので、もし戦いになっても勝てると思った。そう思うと気持ちに余裕が出た。住民の代表らしき人物が進み出て、厳かな態度で言葉を発した。
「わしはこの浜の長だ。お前達はこの浜に何をしにきたのか。お前達のかしらと話をしたい」
徐福は、その言葉は理解できなかったが、彼の表情や話ぶりから、およその意を察した。
「私が団長です。徐福と申します。遠い秦の国から参りました。長い航海の末、ようやくこの浜にたどり着きました。この浜の皆様に危害を加えることはしません。ご安心いただきたい。われわれは疲れているので、できればゆっくり休ませていただきたいのです。それから、水と食物を分けてもらえたらありがたい。これは、秦から携えた土産の品でございます。絹織物、玉、陶製の器、青銅の鏡や短剣であります。どうか受けていただきたい」
 徐福は、部下に持たせてきた土産品をうやうやしく差し出した。浜の長は徐福の言葉や物腰、表情、穏やかな視線、そして初めて見る絹織物などの土産品から、徐福らがこの地を侵略する意図がないことを理解した。浜の長は言った。
「この織物の輝きはすばらしい。手触りの滑らかさ。糸の細さ。織りの細かさ。その他の品も初めて見る。この人たちは海の彼方の国からやって来たに違いない。皆の者、よく見よ」
警戒していた浜の住民たちは、長の興奮した声に誘われ、恐る恐る近寄り、品々を手に取ってみた。「確かに手が込んだ品だ。この器の美しさ、固さはどうだ。とてもすばらしい」
「この剣は、恐ろしいほど固く尖っている。これなら獲物を楽に得ることができよう」
徐福は船を指差し、次に陸地を指して、浜長に言った。
「船に残っている仲間が上陸してもよろしいか」浜長は鷹揚にうなずいた。
「ご配慮に感謝いたします。ところで、ここは何という国であろうか?」
徐福は、ここの場所を知りたい旨を身振りで示した。その意味がようやく通じた。
浜の長が言った。「ここは、きの国だ」
「蓬莱島の中のきの国ということでしょうか?」
「おそらくそうであろう。王賢瑛。船に残っている団員に、全員上陸するように伝えよ」
「承知しました」
徐福らの交渉を船から見守っていた人々は、伝令の報告を受けて歓声を上げた。
「やったぞ。蓬莱島だ。上陸だ。荷を下ろせ」

☆10

徐福らの第五団はきの国に上陸した後、その地に一年間、留まることにした。その間、言葉を習得し、気候に慣れ、生活習慣を知り、さらに食物や生薬について予備的な調査をすることを王賢瑛が提案したからだった。さらに地理を知り、蓬莱山への行程を把握すべく、王賢瑛は慎重に策を練った。焦って闇雲に移動しても目的を達成できないと考えた。徐福がその策を受けいれた。三百人もの団員がきの国にしばらく滞在すれば、食糧確保がまず難題だった。漁師や農民の団員の経験と技が役立った。
張羽ら漁師出身の団員はきの国に自生する竹類を材料に漁労具を製作し、海や川の浅瀬に仕掛け、魚を大量に獲った。秦から持参した金属製の槍を加工して銛を作り、大きな魚や獣類を捕らえることも出来た。それらの漁労や狩猟方法を地元民に伝えて感謝された。また、地元民から伝統的な漁法を学び、さらに改良し、互いに協力して大量の魚を漁獲し干魚に加工した。農民出身の団員は鉄製農具を使って大地を耕し、持参した穀類や野菜類の種子を蒔いた。きの国は雨が多く、間もなく芽生えた農作物は良く成長した。
農民出身の団員たちは口々に話し合った。
「この国の土地は肥えている。雨が多いから作物は良く育つ。秦では土地が乾き、作物の栽培が難儀だった」
「秦では雨が少ないから水が貴重だった。土地も長年の耕作で痩せていた。なかなか豊作にはならなかった。この国は温暖で潤っている。農業をやるには最適だ」
「ただし土地が狭い。秦では見渡す限り、地平線まで畑だった」
徐福は王賢瑛の意見を聞いた。
「穀類を作って食糧を確保し、ここを拠点にして仙薬の探索隊を派遣出来るだろうか」
「あまりこの地に執着すると、地元民との摩擦が生じるかもしれませぬ。食糧を確保したら、ここに残りたい者を残して、本隊は出発してはどうでしょうか?」
「そうだな。蓬莱山について地元民に聞いた。どうやら山を幾つも越えて、東の方角へ何日もかけて歩くと、雲に届く大きな美しい山があり、頂上は雪をいただいているそうだ。白煙を吐いている。それが蓬莱山らしい。不老不死薬はその麓にあるのかもしれぬ」
 半年後、徐福の本隊はきの国を出発した。本隊の人数はきの国に残った者を除くと約半数の百五十人余りに減った。本隊は、いったん北上した。途中、盆地や平野を抜け、峠道を越えることもあった。地元民に警戒され、怪しまれ、時には争いになりかけることもあった。その度に、いち早く言葉を習得した王賢瑛が交渉役となり、贈り物を手渡して、敵意が無いこと、通過するだけであることを説明した。時間がかかったが、地元民が了解して、ほとんど通過できた。しかし時には武力衝突が起きた。血気に逸る地元の若者が武器を手に襲いかかってきた時には、やむを得ず武人達が応戦した。鉄や青銅製の槍や剣、盾で武装し、戦国の世を戦い抜いてきた秦の兵士にとって、棍棒や粗末な弓矢で襲ってくる地元民は敵ではなかった。小競り合いの後で、戦力の差をまざまざと見せつけられた地元民達は、徐福隊の通過を認めた。徐福隊は地元の人々に強い印象を残し、後々まで語り継がれた。風雨に曝され、薄汚れてはいたが、衣服は立派なもので、沓を履き、被り物を被った姿はよく目だった。徐福は通過する土地で見聞した事柄を、書記である王賢瑛に文字で記録させた。王賢瑛は地元民の気風、衣服、住居の様子、作物の種類、草木の種類、気候、地形等あらゆる事柄を記録した。紙はまだ発明されていなかった。木簡や竹簡に墨で記録したが、記録が多くなると運搬が難儀になった。きの国を後にして数十日後、大湖の畔に出た。王賢瑛が地元民に聞いた。
「ここは何という土地であるか」「おうみの国だ」
「おうみの国か。あれは海か」「海ではない。湖だ。水を飲んでみなされ」
団員が手で水をすくって一口飲んだ。「塩辛くない。よい水だ」
「おうみでは魚がたくさんとれる。眺めもよい。ところで、お前たちはどこから来たのだ」
「われわれは秦から来た」「秦とはどこだ」「ずっと西の方角にある海の向こうの国だ」
「海の向こうの国から来た人なら知っておる。近くに住んでおる。この村の長だ」
それを聞いて王賢瑛は驚き、徐福に報告した。
「徐福様。驚くべきことが分りました。この土地にはわれら以前に海の向こうから渡来した人が住み付いているそうでございます」
「ぜひ会わねばならぬな。その地元民に案内するように伝えよ」
徐福らはその渡来人の家に案内された。その家はかなり大きく立派で、館といってもよいほどで、敷地が広かった。家の奥から出てきた主の身なりは立派に見えた。
「わしが村の長だ」
「私は徐福と申します。大陸の秦から参りました。村長様は大陸からの渡来人と伺いましたが、本当ですか」
「本当だ。ただし、わしの曾祖父が大陸からの渡来人で、もう既に亡い。曾祖父は、あわうみまで来て、ここに落ち着いた。地元の娘と夫婦になり、わしの祖父が生まれた。わしは四代目だ。曾祖父はこの国に稲作や魚の獲り方を伝え、とても感謝された。曾祖父はもともと農民だった。しかし大陸の戦禍で村を焼き払われ、船で逃げ出したそうだ。船が運良くこの国に漂着して命が助かったそうだ」
「なるほど。われらの前にこの蓬莱島に来た人がいたことが分りました。そのうち、また大陸に戻った人はいたのですか」
「曾祖父と一緒に辿り着いた仲間の中には、数年後にこの国で船を作って、また大陸に戻ろうと海の彼方に向かった人もいたそうだ。しかし、それが成功したかどうかはわからぬ」
「成功した人がいたのです。その人が蓬莱島にある不老不死の仙薬の存在を伝えたのかもしれませぬ。蓬莱山のことも語ったのです。それを我が皇帝が伝え聞いて、我々を不老不死薬の探索に派遣したのです」
「なるほど、徐福殿の目的が分かった。海を渡って来られた皆様のご苦労を察します。しかし、この国でも不老不死薬は聞いたこともない。この土地は温暖肥沃で、食べ物が豊富なせいか、長生きの人が多い。それが大袈裟に伝わったのでしょう」
徐福はさらに聞いた。
「この国の民は何歳くらいまで生きるのですか」
「はっきりは分からぬ。多くの年寄りは歳を取ると自分がいつ生まれたのか、自分は何歳なのか、分からなくなってしまう。周りの人も、年寄りの正確な年齢は気にせぬ。八十歳くらいまで生きる人はおる」
「秦でも八十歳くらいの人はいるがごく少ない。多くの人は四十歳くらいで、疫病や栄養不足、そして戦乱で死んでいきます。生まれて間もなく、あるいは子どもの時に死ぬことも多い。十五歳くらいまで生きれば体が強くなるので、その後はある程度生きて、結婚して子どもを産み育てます」
「この国は、島国のためか疫病は少ない。気候が穏やかで、とくにおうみは魚が豊富で、よく食べる。魚は体にいいようだ」
「秦でも地方によっては魚がたくさん獲れ、よく食べます。しかし川や湖から遠い地方ではあまり食べません。たしかに魚をよく食べる地方では、長生きする人が多いような気がします。長寿の秘訣の一つは、魚を食べるということですか」
「よく分からぬ。この国では食物の種類が多い。山の幸、里の幸、湖の幸、海の幸と実に豊富だ。それに春夏秋冬の季節の変化がはっきりしておる。季節ごとにいろいろな食べ物を食べることも、体に良いのだろう」
「分かりました。それでも不老不死薬が存在する可能性は残っている気がします。もし、それがあるとすれば、ごく少数の特定の人だけが存在を知っていて、他の人には教えないということはありえます。我々はこの後、蓬莱山をめざします。蓬莱山はどこにありますか。美しく高い山で、頂上は常に雪を被っているそうですが?」
「その山は、とおつうみの国のさらに向こうにある。とおつうみは、このおうみの国と同じように湖がある国。海も近い。海の魚が捕れ、温暖な土地と聞いておる。わしは行ったことはない」「村長様。教えていただき、ありがとうございました」「達者で旅をお続けなさい」

☆11

徐福の第五団はおうみの国を離れて蓬莱山をめざした。とおつうみの国はそれほど遠くないと、おうみの人は言った。しかしその道は険しかった。山をいくつも越え、峠を超え、谷を越えた。平野もあった。平野には川や湿地が広がっていて、徐福隊の前進を阻んだ。川を渡る時は地元民の小さな丸木舟を借り上げた。
 徐福隊は、通過する地元民の集落で物々交換によって米など食糧を入手した。地元の村にとって米は貴重で、交換が難しかった。足りない分は弓の名手が野鳥や鹿、猪を射て何とか調達した。水辺では魚をたやすく捕らえた。徐福は、この国の自然が実に豊かであることに驚いた。この国の人々に長生きする者が多いのは、多様な食糧が豊富にあり、気候がよく、暮らし易いからではないかと思った。
「この国の文明はわが国のようには進んでいない。衣服や住居は質素、農の営みは素朴で遅れている。しかし、自然の恵みである食物は豊富で様々な種類がある、われわれの口にも合う。何より新鮮だ。村の近くで魚も獣もたくさん獲れるのだからな」
「仰せの通りでございます。長生きには食物が豊富にあることと、のんびり暮らすことが必要ではないでしょうか。この国の人々の暮らしぶりを見るとそのように思えます」
 徐福と王賢瑛は、うなずきあった。徐福隊が山や谷を越えると、広い湖が見えてきた。
「おお、かなり大きな湖じゃ。あれがとおつうみかもしれぬ。あの湖をめざそうぞ」
団員の足が早くなった。湖の水辺に近づいた団員が一口、湖水を手ですくって飲んでみた。
「塩辛くない。真水だ。ここがとおつうみに違いない。蓬莱山も近いな」
「しかし、このように霧が深くては見通しがつきませぬ」
「焦ることはない。この湖には魚がいそうじや。食糧補給を兼ねて漁をやってみよ」
徐福は漁師の張羽に命じた。彼は早速、水草が生えている辺りを竹製の漁具でがさごそと探ってみた。しばらく探っていると、ぬらぬらとうごめく長い魚が一匹入った。
「鰻じゃ。鰻がとれたぞ。この国にも鰻がいた」「これは旨そうじゃ。わしは鰻が好物じゃ」
その様子を見ていた地元民たちは笑顔を見せながら言った。
「なかなか魚獲りがうまいな。ここには鰻が多く獲りきれないほどだ。鰻を食えば旅の疲れが取れる。ただし、よく焼いて食え。よく焼かなければ毒が残るぞ。特に鰻の血には毒があるからな」「わが国でも鰻は焼いて食す。鰻の食べ方も同じだ」
地元民の中で、長い髯を蓄えた長老らしい人物が言った。
「お前たちはどこから来たのか。見なれない衣服を着ておるが」
徐福が答えた。「われわれは、海の向こうの国、秦からまいりました」
「いつ来たのじゃ」「二年ほど前です。きの国というところに船で着きました。その後、おうみの国をへて、このとおつうみの国にまいりました」「目的は何じゃ」
「不老不死薬を探しにまいりました。その薬は蓬莱山の麓にあるかもしれませぬ」
「蓬莱山とは何じゃ」「この国にある一番高い山です。美しい姿の山です。頂上には雪を頂いていると伝え聞いております」
そう言って徐福は、両手で蓬莱山の形を描いてみせた。「それはあの山のことか」
長老は、背後に見えてきた山を指さした。徐福らは一斉に振りかえった。
 そこにはかなり遠いが、美しい山容の山岳が霧の晴れ間から見え始めていた。除福らは
息を呑んだ。天空高くそびえるその山岳の頂きは白く雪を被り、さらに一筋の白い噴煙を吐
いていた。徐福隊の一人が、ようやく声に出した。「蓬莱山だ」
長老が言った。「あれは神の山じゃ。われらは朝、夕、拝んでおる」
「徐福様。ついにわれわれは蓬莱山を目の前にしております」 
「感無量だ。秦を出発して一年余り。思えば長い道のりだった。我々の隊は幸運だったかもしれない。他の団は波間に消えたか。全く別の土地に漂着したか」
団員が互いに手を取り合って喜びあっているのを見ながら、徐福の心中は複雑だった。
徐福は団員を集めて言った。
「われらはまだ目的を達成していない。蓬莱山を前にして喜ぶ気持ちはよく分かるが、最終目的は不老不死薬を発見して秦に持ち帰ることだ。秦に帰れば国に残してきた人々に再会できる。これからもわれわれは、目的に向かって心を一つにしていこう」

☆12

徐福の第五団は蓬莱山をめざして、とおつうみの国を出発した。右手に海を見ながら進んだ。海辺から見る蓬莱山はことに美しかった。蓬莱山は一日ごとに確実に近づいてきた。
「蓬莱山はもうすぐだ。見よ、あんなに近くなった」
朱仙昇が感に堪えないというように、顎の下の白く長い鬚を撫でながら言った。
「裾野に向かって扇形に広がる姿がなんとも美しい。それに頂上は白い雪だ。不老不死の仙薬はあの麓にあるのか。それとも頂上にあるのか」
王賢瑛が傍で言った。「朱先生、いよいよ出番ですね」
「この老骨に鞭打って海を渡り、蓬莱島に来た甲斐があった。この国は草木の種類が実に多い。雨が多いから様々な植物が生育できる。その中にはわれわれが探す不老不死の薬草がきっと見つかるじゃろう」
「われわれにも薬草の見分け方をご伝授ください」
「もちろんじゃ。中には毒草があるから気をつけねばならぬぞ。毒草を口にすれば、時には死ぬこともある。うまく使えば薬になる。その使い方がむずかしいのだ」
 そのやりとりを聞いていた徐福が言った。
「朱先生。まさにそのとおりです。適量を服すれば薬となりますが、量を間違えれば毒にもなります。その匙加減は方士の知識と経験がなければわかりませぬ」
朱仙昇が付け加えた。
「わしは野山で薬草を探してもう五十年じゃ。若い頃は薬草を自分で噛んで味を覚えた。時には毒草を噛み、一晩中生死の境をさまよったこともある。そのような長年の経験で生薬の知識を自分のものにしてきた」
「秦国広しといえど、薬草の探索にかけて朱先生の右に出るものはおりません。我々方士は朱先生がいなければ生薬を手に入れることができません。処方の中には複数の生薬を組み合わせるものがありますから、一つ欠けても、薬としての効能が薄れるのです。朱先生、頼りにしております」朱仙昇は、大きく肯いた。
「蓬莱山は高山だから、麓から山頂に至るまで気候に応じて様々な植物が生育しておるじゃろう。生薬の探索はおもしろい。秦の薬草とは全く違う種類があるかもしれぬ。蓬莱島に上陸以来、様々な植物を観察してきた。中には秦と共通の植物もあるが、初めて見るものもある。今までの経験を役立てながら、より慎重に探索したいものじゃ」
「朱先生、よろしくお願いします。探索には若者を何人かつけます」
 蓬莱山が近づくにつれて森が深くなってきた。鬱蒼と茂った樹木が地面を覆い、道は細くなった。見通しが良い場所に出た。広い台地の上が草地になっていた。風が草地を心地よく吹き渡っていた。蓬莱山は圧倒的な存在感で正面に迫っていた。噴煙は風に流されて横に靡いていたが、活きている火山の姿だった。王賢瑛が言った。
「ここは眺めが良く日当たりも良い。不老不死の仙薬を探す基地にしてはどうでしょうか」
徐福が言った。「眺めは良いが、飲み水を確保できるかだな。周囲をよく調べてみよう」
王賢瑛は曹偉傑と妻の明敏を呼んだ。
「曹偉傑、明敏。おまえたちは故国では農民であったな。ならば、水が湧き出る場所を探してみよ。まずわれわれの飲み水を確保しなければならぬ」
曹偉傑と明敏は、やや低く谷になっている方向に向かった。
夕刻、戻ってきた二人が声を弾ませて言った。
「徐福様、ご安心ください。水源を見つけました。この小さな谷の先の方に清水が湧き出る場所がありました。水量も相当あります。これが汲んだ水です。飲んでみてください」
明敏が竹筒の水を差し出した。徐福は掌に水を受け、水の透明さを確認し、一口飲んだ。
「良い水だ。蓬莱島は綺麗な水に恵まれているが、その中でも最も良い水だ。蓬莱山に降った雨や雪融け水が山腹の森林や岩石で濾されて山裾で湧き出すのであろう。この水そのものが不老不死の水、命の水かもしれない。秦では飲み水が悪いために病気になる人もある、良質で安全な水はとても貴重だった。蓬莱国の人が長生きなのは、水が良いためかもしれない。とにかく、これで飲み水の問題は解決した」曹偉傑がさらに言った。
「水はこんこんと湧いておりました。この水を引いて谷筋や麓で水田を作れます」
 徐福は、上機嫌で言った。
「それは素晴らしい。ここを基地にして不老不死薬を探すには食糧を生産しなければならない。ここは最適の場所だろう。われらはここで小さな村を作り、稲や野菜を育て、綿や麻から、あるいは蚕から糸を紡ぎ、衣服に仕立て、さらには農具も作りたいものだ。その前に、雨露をしのぐ住居を建てることが先決だな。曹偉傑、明敏。ご苦労であった。
徐福は王賢瑛を真っ直ぐに見て言った。
「ここは恵まれた土地だ。しかし先住民もいる。彼らとはなるべく争わず、技術を伝える替わりに、薬草の知識を教えてもらうようにしよう。とりあえず食糧の交換だ。できるだけ彼らに受けいれられるように平和的に交渉しよう。王賢瑛。そなたの優秀な実務能力、交渉術を存分に発揮してもらうぞ」
「心得ました。そのために、きの国に漂着以来、できるだけ住民と接して、この国の言葉を学んできました。言葉は地域によってかなり違いがあるようですが、友好的に誠意を込めて交渉すれば心が通じるものでございます」
「その通りだ。この国の人々は気質が穏やかだ。それはおそらく気候が温和で、食糧が豊かで、人々が争うことが少ないからだろう。しかし、この国でも人口が増えれば、領地や食糧をめぐって頻繁に争いが起こるかもしれぬ。わが国が戦国時代を経て、皇帝が天下を統一したように、英雄が現れ、国を治めることになるであろう。我々が田畑の耕し方や堆肥の施し方、灌漑用水路の作り方をこの国の住民に指導すれば、恵まれた土地ゆえ、稔りが飛躍的に増えるだろう。食糧が豊かになれば人口が増える道理じゃ。そうなればこれまで助け合って暮らしてきた人々の中で、貧富の差が出て来るだろう。食糧をたくさん貯めこむ人や広い土地を所有する人は次第に力を得て、村の長から、さらに強大な権力を持った王になるかもしれぬ。そしてわが皇帝のように大きな墓作りを命じるようになるだろう」
そこまで言った徐福は王賢瑛を見た。王賢瑛が視線を返した。
「おそらく徐福様が予想される方向に、この国も向かうでしょう。そこで私なりに考えたのですが、徐福様がこの国の王になってはいかがでしょうか。私は徐福様に、皇帝陛下のような独裁者になって欲しいのではありませぬ。徐福様は権力者の限界をよくごぞんじです。徐福様なら民の訴えをよく聞き、その喜怒哀楽を自分のことのように共感され、権力を振うことなく善政をしかれることと存じます。徐福様が考える理想の国をこの地に築いてはいかがですか」徐福は愉快そうに笑った。
「そなたはまだ若いから夢を見るのが好きなようじゃ。自分が王になれる器かどうか、良く分かっている。それに私は皇帝陛下から託された自分の使命を忘れてはおらぬ。まず不老不死の仙薬をできるだけ探索してみよう。発見はむずかしいが可能性はある。もし発見できたら、秦に帰還しなければならぬ。そのために、船大工の技を持つ者も連れてきたのだ。私の存命中にそれがかなわなかったら、そなたが引き継ぐのだ。そなたは役人としても優秀だ。団員の信頼も厚い。この国の住民との交渉も見事だ。全て任せられる」
徐福は、少し沈黙した後で続けた。
「私は、命令することはもうやめたい。これ以上私が団員を縛ることはできない。皇帝の命令とはいえ、大海を渡る危険を冒してこの蓬莱島まで連れてきてしまった。その責任を重く感じている。そなたたちはもはや自由だ。団員としての規律などかたくるしいことはもう言うまい。そなたたちは残ってこの国の発展に貢献するもよし。不老不死薬を探し出し、帰国に向けて準備するもよし。ただし再度あの荒海を渡る勇気が湧き出るかのう。いずれにしろ、私の余命は残り少ない。最近は少し体を動かすだけで疲れる。食も細くなった。人生は短い。しかしやるべき仕事は多い。私には皇帝陛下の気持ちが良く分かる。自分が作り上げた国。愛する家族。有能な臣下や自分を慕ってくれる国民。それらが皇帝陛下にとって宝に見えるのだろう」徐福は王賢瑛の肩を抱いた。
「王賢瑛。そなたは、この国の娘と夫婦になって子孫を残せ。この国の娘たちは美しい。髪の毛は烏の羽毛のように黒く輝いている。眼は涼やかで、肌は雪のように白い。子供が出来たら、そなたが秦で学んだことを伝えるのだ。やがて子孫たちはこの国で学問を伝え、律令を整備し、稲作を指導し、この国の王家と民の幸せが末長く続くよう、基礎を築くのだ。それゆえ、これからは王之と名乗ってはどうか」
 王賢瑛は徐福の言葉を聞いて体が震え、涙が自然に滲んできた。
「私は除福様に同行して蓬莱島まで来たことを誇りに思います。徐福様のお気持ちを理解できました。この国の民が末長く幸福に暮らせるように、私の知識を全て役立てて、さらに秦にもない新しい考え方を生み出して、国づくりに取り組んでいきたいと存じます。これからは仰せのとおり、王之賢瑛と名乗ります」
「私はこの国の土となる。初代の王は、王之賢瑛が務めるがよかろう。そして、その子孫が王の位を継いでいけばよい」
徐福は出港して後、常に身に付けてきた翡翠の頸飾を外し、王之賢英の首に架けた。
「この頸飾は皇帝陛下からいただいた記念の品じゃ。これからは、そなたが受継いでくれ。この国を秦にも匹敵する立派な国に育てるのじゃ。王之賢瑛、まかせたぞ」
夕陽が二人の顔を赤く染めた。夕闇が迫り、蓬莱山は噴煙を上げながら黒々と目の前にそびえ立っていた。その姿はたくましい生命力の象徴であり、不死の山であった。

☆13

西暦二四〇年の夏、やまとの国、三輪山の麓に高床式の大きな神殿があった。周りは緑深い森林に囲まれ、盆地は連日うだるような暑さが続いていた。蝉しぐれが真昼の時刻を告げていた。神殿の奥まった一室では、白い衣装を身につけ、頭には輝く冠を載せ、翡翠の頸飾を着けた初老の女が祭壇に向かい、一心に呪文を唱えていた。顔立ちは、近寄り難いほど美しく整っていたが、眼差しには穏やかな慈愛の光が宿っていた。彼女は呪文を唱え終わると、よく磨きこまれた銅鏡を手にとり、自分の顔を映して嘆息した。
―歳は争えぬものじゃ。肌の艶が年々失われ、小皺も増えている。吾がこの国の王を継いだ時はまだ若く、自分の美しさに見とれたもの。あの頃は、ようやく国中がまとまって戦さが止み、隣国とも仲直りできて、民は田畑の仕事に勤しむことが出来た。民の暮らしが豊かになり、大陸との間で互いに使者を送ってきた。吾は渡来人の子孫ゆえ、大陸のことばも分かる。大陸からは水田や水路をつくる新しい技、稲の苗の育て方、田植えのやり方、刈取り、籾の保存法、そして鉄の農具の作り方など、多くを学んだ。この何十年かは、平和な年月を重ねてきた。しかし、吾が歳を取り、さらに老いれば、東国の狗奴国王がこの時とばかり攻め入るかもしれぬ。それに備えなければならぬ。老いを退けて永遠に若さを保つことはできぬものか。さすれば、吾が永くこの国を治め、平和を保つことができるのだが呪術だけでは限りがある。何か良い智恵がないものか」
そこに、彼女の弟で、ただ一人、入室を認められている中年の男が静かに入って来た。
「姫巫女様。先年、魏に派遣した難升米と牛利が帰国しました。御目通りを願い出ております。さらに、同行して、魏から使者の一行が到着しました。いかが致しましょうか」
姫巫女と呼ばれた女は振り返って、喜びを隠せずに弾んだ声で言った。
「おお、難升米が戻ったか。さらに魏からの使者とは、願いがかなったようなものだ。大陸の進んだ政事に学んで、やまとの国の今後について参考にしよう。それに不老長寿の妙薬が大陸にあるのか、聞いてみたいものだ」髪をみずらに結い、顔中に刺青を入れた男が言った。
「それでは、すぐ謁見されますか」姫巫女は、やや考えて言った。
「すぐ会いたいが、使者らは長旅で疲れておろう。まず宿舎に案内して、汗を流してもらい、良き食事を提供し、一晩眠って疲れを癒してから、明日会うことにしよう」
翌朝、難升米らと魏からの使者らは宮殿の広間で、姫巫女への拝謁を待っていた。
姫巫女が御簾の向こうに現れた。やや間を置いて、厳かな声で姫巫女が言った。
「此度は魏から様々な苦難を超えて、遠路、吾がやまと国に来てくれたことに、国を代表して感謝する。本当にご苦労であった。また難升米は、使命を全うし、さらに魏の使者を帯同して帰国したとはめでたい」使者たちの先頭に座った者が平伏して言った。
「ありがたき御言葉、感無量です。私は魏王より派遣されました建忠校尉の梯儁と申します。先年、姫巫女様が遣わされた難升米殿が魏に到着し、魏王に朝貢されました。魏王は姫巫女様から贈られた生口、珍しい布地にお喜びあそばし、友好国への返礼として、私を派遣したのでございます。ここに携えましたのは、「親魏倭王」の金印、紫綬、金貨、青銅鏡、鉄剣、絹地などでございます。魏王から姫巫女様への贈り物です。それに難升米殿と牛利殿にも、その労に報いるため、各々卒善中郎尉、卒善校尉に任じ、銀印と青綬を贈ります」
「それはかたじけない。永く大切にしようぞ。吾がやまとに比べ、魏は文明が格段に進んだ国。国を治める考え方や技を参考にしたい。稲がたくさん穫れる技術をはじめ、国の制度、文字など、わが臣下や民に何でも教えてほしい。実は吾が先祖は大陸からの渡来人と伝わっておる。四百年以上前に海を渡って来たと口伝えに聞いておる」
姫巫女は、翡翠の首飾りに手を触れて続けた。
「この頸飾は、先祖が大陸から伝えたものじゃ。また言葉も伝えた。よってこのように、そなたと話ができる。この度はまたとない機会じゃ。いろいろと進んだ魏の様子を教えてほしい。しかし、急ぐことはない。まずはこのやまとでゆっくりと過ごし、折にふれて、教えてもらえばよい」姫巫女は、一息おいて言葉を継いだ。
「ただし、今すぐ聞きたいことがある。それは、永く若さを保つ方法が魏にあるのかということじゃ。吾も少しずつ歳を取り、老いを感じることが多くなった。不老不死とはいわず、不老長寿の秘法や妙薬があるならば。今すぐ教えてくれぬか」
梯儁は、やや考えて言った。
「わが国でも昔から不老不死、不老長寿の仙薬の探索が行われてきました。秦の皇帝が、その仙薬を持ち帰るように命じて、徐福一行を倭に派遣したことは史実として伝わっております。しかし、徐福一行は秦に戻りませんでした。そして未だ、その仙薬は発見されておりません。わが国の民の願いは、修行を積んで仙人となり、霞を食べて長生きすることです」
それを聞いて、姫巫女は落胆した。「霞では、あまり栄養がなさそうじゃのう」
梯儁があわてて言った。
「わが国では、あくせく働いて得た対価で食物を購い、調理して食する手間暇をかけるよりも、仙人になってのんびりと霞を食べて生きられないものかと考えてしまう者がおります。そういえば、霞はともかく、魏では桃を常食すれば長生きできると言われております」
「進んだ国とはそういうものか。吾が国ではまだ、その日の食物にもこと欠く者がおる。国の指導者としては心苦しい。ところで、桃は吾が国にも伝わり、栽培されておる。桃の花はことのほか美しい」梯儁が応じた。
「わが国では桃源郷という言葉がございます。春に桃園の花が一度に咲いた様子は見事で、現世の憂さを忘れます」姫巫女は肯いた。
「花咲く桃園に遊べば命が延びるような気がするもの。それに、熟した桃はまことに美味。吾の好物の一つ。これは良いことを聞いた。さっそく、民に桃をたくさん献上するように命じよう。折りしも、桃が熟れる頃じゃ。梯儁殿、そして随行の者たちよ。やまとに半年でも一年でも長く滞在し、いろいろと吾に、また臣民に魏のことを教えてほしい。滞在中の寝所や食事は心配せずともよい。そこに控えておる吾が弟を通じて、臣下の者によく世話をするように伝えよう」「お心遣いに感謝致します」
梯儁は随行の者たちとともに平伏し、その場を辞した。

☆14

半年後、やまとの国は早春を迎えていた。梅が咲き始め、梯儁らの郷愁を誘った。梯儁は、従者らとともに、宿舎の庭に咲く梅の香りを嗅いだ。
「かぐわしい香りじゃ。やまと国にも梅が咲いているとは・・・。梅の香が魏を思い出させる。そろそろ、帰国を考えなければ」翌日、梯儁は謁見を申し出た。
「姫巫女様、この半年の間、我々は手厚いもてなしを受け、自由にゆるりと過ごさせていただきました。我々が持つ知識や技を、やまとの皆様にお伝えしました。しかし、梅の花の香りを嗅いで、無性に魏に帰りたくなりました。この上はお暇を頂きとう御座います。今出発すれば、ちょうど夏の間に帰国の船に乗ることができましょう。秋になれば、大風が吹いて海上は危険が募ってしまいます」
姫巫女が従者に御簾を上げさせて応えた。穏やかな光が姫巫女の姿を照らした。
 梯儁らは、姫巫女の厳かな美しさに息を呑んだ。
「残念であるが、それがよかろう。できれば田植えまで滞在してもらい、水路の作り方、水田への水の張り方などを教えてもらいたかったのう」
「そのことは、昨年のうちに、稲を作る部の民に伝授しておきました」
「それはありがたい。水田を作って稲がよく獲れれば、民が安心し、国が安定するというもの。水路を作って水を田に引く。田には広く平らに水を張る。稲が草に負けてしまわぬように、草を取らねばならぬ。稲が稔れば、穂を刈り、貯蔵する。米作りは手がかかる。その技をやまとから、周辺の国々に伝えていきたい。食糧を安定して作ることが国づくりの基本となろう。米が不作では民心が不安となり、隣国から攻め込まれてしまう。しかし、米作りが広く行われれば、争いごとは減るであろう」梯儁は、肯いて言った。
「それにつきましては、冬の間、やまとの兵に兵法を伝えました。また、武器や武具の作り方も伝授しましたので、姫巫女様の兵は、格段に強くなっております」
「それは心強い。戦さをせずに済めばそれにこしたことはないが、備えあれば憂い無し。梯儁殿、そなた達のお陰で、やまとはより豊かで安定した強い国になっていくであろう」
「それに貢献することができ、我々も魏王に良い報告ができます。帰国したら、姫巫女様のやまと国をはじめ、倭国を旅した記録を文字にして、長く伝えたいと存じます。わが国では正式な国史を残すことが定めになっております」姫巫女が肯いた。
「国の歴史を記録するのは大事なことじゃ。記録を残せば、後の時代の者がそれを読んで参考にして、国の進路をあやまらず、善政を行うことができる。今、吾が国は吾の占いや呪述によって、つまり神のお告げに頼って国を治めておるが、正史があれば、様々な過去の経験を参考にすることができる。王が長生きして国を治めなくとも、後継者が記録によって政事を行うことができる。しかし、まだこの国では文字が普及しておらぬ。そなた達が滞在したことを記録しておけないのはまことにくやしい」梯儁が微笑して言った。
「姫巫女様がやまと国を立派に治めておられることは、我が国の国史、すなわち魏志に記録して長く残していきます。いずれ、その記録がやまと国にも伝わり、姫巫女様のことが再び、この国の歴史に登場する時がきっと来ることと存じます」
「文字とは便利なものじゃ。吾が国でも文字を解する者を育てていこうと思う」
「姫巫女様。我々はこれからやまと国を辞して、帰国の途に付きます」
「名残りおしいが、道中の恙無きを祈っておるぞ。帰国したら魏王によろしく伝えるように。魏への朝貢は、これからも二年に一回は続けたい」
「承りました。そのように魏王に伝えます。姫巫女様も末長くうるわしく御健勝にておすごしくださいますように」
 梯儁一行は食糧や土産品を携えて、やまと国を去った。やまとの民は一行が見えなくなるまで手を振って見送った。

☆15

西暦二四七年、やまと国と狗奴国との戦さが勃発した。狗奴国の兵は軍馬を巧みに操り、やまとの兵を翻弄した。姫巫女は魏に援軍の派遣を要請した。しかし、魏からは使者の張政が到着したものの兵士は派遣されず、魏王の詔書と黄幢をもたらしたのみだった。姫巫女は落胆したが、詔書と黄幢を自軍の兵士に示して鼓舞した。姫巫女は病の床にあった。弟は姫巫女の言葉を全軍の前で伝えた。
「魏王から詔書と黄幢が届いた。詔書には、魏王はやまと国を支持する。その印である軍旗として黄幢を授けると書いてある。見よ、この黄幢の厳かな輝きを。これで吾がやまと国軍の勝利はまちがいない。この黄幢を見た狗奴国軍は、おそれをなして逃げ帰るであろう。皆の者、今こそ突撃の時じゃ。一気に狗奴国軍を追い落とせ」
「おおう」呼応する叫びが一斉に上がり、兵士達は槍を天に突き上げた。
しかし、黄幢の効果も空しく、やまと軍は苦戦を続けた。一進一退の状況報告を弟から受けたが、姫巫女は死の際にあった。
「あれから桃を多く食したが、桃の季節は夏だけじゃ。いくら桃を食しても夏だけでは、限りがあるのか。吾の命もつきかけておる。せめて狗奴国の軍を退け、平和な、うるわしいやまとを取り戻してから死にたいが、かなわぬようだ。臣下の者ども、兵士たちに吾の最後の言葉を伝えよ。皆の者、勇む心を一つにして敵軍を撃退せよ。やまとを何としても守るのだ」
 そう言うと、姫巫女は眠るように眼を閉じた。
姫巫女は、やまとで始めて築造された、直径が百余歩もある大きな塚に葬られ、周囲には百名の殉葬者が埋葬され、壕が掘られた。姫巫女は、やまとの国の礎を整えた、桃が大好きな姫として、やまととといももそひめと呼ばれ、後世に名が残ることになった。
姫巫女の死に奮い立ったやまと国軍は、ようやく狗奴国軍を国境まで押し戻した。しかし、姫巫女の後を継いだ男王は指導力を発揮できず、内乱が激化した。内乱が長引けば再度狗奴国の侵略を招くおそれがあった。男王は潔く退位し、姫巫女の姪の十三歳の壱与が即位し、争いが収まった。
壱与は姫巫女から継承された翡翠頸飾を身につけていた。姫巫女の政事にならい、水田稲作を全国に広めるために、各地に稲作の専門技術者を派遣し、地元の人々を指導させた。技術者は各地に定着し、豊かな稔りをもたらし、地元民の感謝と尊敬を集めた。その技術者はやがて、国のみやつこと呼ばれ、その地方の長となった。国のみやつこが亡くなった時は、やまとから伝わった古墳築造の技術によって、各地にやまと式の大きな前方後円墳が造られて葬られるようになり、米作りと古墳築造の土木技術が、東国をふくめて全国に伝わった。やがて東国の一部や東北部を除き、やまと王権が全国に認められ、倭は統一されていった。その安定した時代は約四百年続き、後の歴史学者によって古墳時代と呼ばれるようになる。

☆16

 西暦六○七年、後に飛鳥時代と呼ばれる御世に、推古天皇の摂政、厩戸皇子が派遣した遣隋使の団長である小野妹子は、隋の都洛陽の王宮に到着した。皇帝煬帝から謁見を許され、小野妹子は主だった随員とともに迎賓殿におもむいた。小野妹子の頸には小野家の先祖から受け継いだ翡翠の頸飾がかけられていた。隋の最高権力者である煬帝と大勢の家臣に臆することなく、堂々と進んだ。頸飾の翡翠と虎目石が、明かり窓から差し込む太陽光に妖しく輝いた。小野妹子は煬帝の前で、朗々とした美声で口上を述べ、天子の親書を差し出した。そこには『日出る処の天子、日没する処の天子に致す。恙無きや』という書き出しの文が漢文で認められていた。最初、小野妹子の堂々とした態度にやや鼻白みながらも、上機嫌で親書を手に取り、読み始めた煬帝の顔は次第に紅潮し、苦虫を噛み潰したような表情から怒りの表情に変わっていった。そして徐々に口を開いた。
「小野妹子とやら、この親書を何と心得る。朕に対し無礼とは思わぬか。東海の小島の小国、倭の王に過ぎない者が、大国である隋の皇帝に対等に挨拶しておる。それに、天子とは皇帝にのみ許された尊称だ。倭は隋の属国に等しい。この親書は臣下の礼を欠いておるぞ」
 小野妹子は、煬帝の顔をまっすぐに見て言った。
「皇帝陛下。畏れながら、国同士の外交は対等であるべきとぞんじます。確かに貴国は大国であり、わが国はようやく国の体制が整ってきた小国でございます。しかし、小国には小国なりの理があり、義があり、誇りもあります。私どもがこの度、遠路、貴国に罷り越した目的は貴国の進んだ政治や文化を謙虚に学んで帰国し、吾が国の国造りに寄与することでございます。それが摂政を務めておられる厩戸皇子のお考えでもあります」
 小野妹子は堂々と自分の意見を述べた。その真摯な態度と朗々とした声には不思議と傾聴せずにはおれない魅力があった。それを聞いた煬帝の顔から、次第に怒りの表情が消え、かすかな笑みが浮かんだ。
「そなたの言い分はもっともである。臆せず堂々とした態度に免じて許す。朕は隋の皇帝である。人を見る眼は持っておる。帰国したら倭の王と皇子に伝えよ。有能な臣を大使に任じた。朕はその大使を受け入れた。その大使は立派に務めを果たしたとな」
「ありがたき幸せに存じます」
「小野妹子。朕の返書は半年後に渡そう。それまで随員らとともに、我が国の政治の仕組み、律令、農業、物産、文化、水運等の交通路、特に仏教、建築、本草学などを学べ。記録せよ。案内にはそれぞれ優秀な臣下をつけようぞ。それでよいか」「ご配慮、いたみ入ります」
「ところで、そなたは吾が国の言語に通じておるな。かなり倭の訛りはあるが十分伝わっておる。この親書の文も見事である。これは誰が書いたのか」
「おそれながら私でございます」小野妹子は誇らしげに答えた。
「そなたはどのようにして、吾が国の言語を身につけたのか」
「実は、私は数百年も前に大陸から、当時は蓬莱島と呼ばれた倭国に渡った渡来人の子孫の家系に連なる者でございます。昔は王之と名乗っていましたが、畏れ多いので、今は小野という字を使っています。私の先祖は大陸から水田の稲作り、鉄製の武器や農具などだけでなく、文字を吾が国にもたらしました。しかし、当時はまだ倭としてのまとまりもなく、小国に分かれていた頃です。話す言葉を文字で表わすことはなかなか難しいことです。今でも文書と話し言葉は違っております。それでも私の先祖たちは、代々文字を子孫に伝えてきました。いつか国作りに役立つことがあると考えたからでございます。また数十年に一度、新たに大陸から吾が国に渡来する者があれば、その者を訪ねて大陸の新しい文字を学びました。近年は仏の教えが伝わると同時に、さらに大陸の文化が半島を経由して度々入ってくるようになり、私も勉学の機会が増えたのです」煬帝は吾が意を得たとばかりに膝を打った。
「なるほど。朕は三国志の魏書東夷伝倭人条を読んだことがある。そこには、倭は小国に分かれていて、壱岐国、邪馬台国、那国などがあると書いてあった。また後漢書には、倭の那の国王に金印を授けたとの記述があった。邪馬台国は女王卑弥呼が治めていたのじゃな。今はどうしておるか」
「姫巫女様は遥か昔にお亡くなりになりました。今は伝説となった女王様です。その後、倭国は近隣の諸国と争いながら大きくなり、現在の我が国の礎を築いたと伝わっております」
「そなたの国には歴史を記録した史書はあるのか」
「正史はございませぬが、漢字を使いこなす学者が出てきておりますゆえ、少しずつではありますが、歴史を記録していこうとしております」
「そなたからはまだ聞きたいことがあるが、今日はこれまでにしておこう。長旅で疲れておろう。まず、ゆっくり休息を取り、疲れを癒すがよい」
「ありがたき、お言葉。小野妹子、一生忘れませぬ」
「ところで、そなたが頸にかけている飾りは見事な翡翠と虎目石じゃ。それは、倭国で作られたものか」
「いえ、倭国では翡翠は限られた地域でのみ産しますゆえ、非常に貴重です。これは、吾が先祖が大陸から伝えたものと聞いております。虎目石は全く倭国には産しませぬので、やはり大陸から伝わったものかと存じます」
「その頸飾を身につけているということは、確かにそなたは大陸から渡った者の子孫であろう。そうであれば奇遇じゃ」
煬帝に受け入れられた小野妹子と随員たちは、その御前を辞して宿舎へ案内された。

☆17

 小野妹子が皇帝煬帝から呼び出されたのは、最初の謁見から半年後のことだった。妹子は煬帝の前にひれ伏し、言葉を待った。
「小野妹子、頭を上げよ。この半年、隋で何を学んだか、申してみよ」
煬帝が厳かな声で言った。小野妹子は静かに頭を上げ、煬帝をまっすぐ見た。
「まず市中へ出て、民の暮らし振り、市場の商人たち、各地から都に集まる様々な人種や交易品をじっくりと観察いたしました」
「何か分かったことがあるか」妹子は即座に答えた。
「市場の賑わいに感嘆しました。この国の民だけでなく、遠く西域から碧眼の商人達が珍しい品々を商っておりました。次ぎに、市場で流通している貨幣に驚きました。貨幣は便利なものであると実感いたしました。わが国では物々交換が主で、まだ貨幣は使われておりませぬ。市で売られている様々な品物の中で、織物や工芸品はとても精工な出来栄えで、わが国の品は足元にも及びません。穀類、野菜、果物の種類の多さにも目を見張りました。実に民の生活が豊かで、いきいきと暮らしている様子がよく分かりました。これも皇帝陛下の政事が国民に支持され、平和で安定しているからでございましょう」
煬帝は気を良くした。「その他は何を見たか」
「都の近郊農村を訪ねました。農村では、馬、牛、豚、羊、鶏などの家畜を飼い、鉄製の農具を使って効率的に耕している様子を見て感銘しました。我が国でも鉄製農具を量産できるようにして、民の農作業を楽にしてやりたいものです」
小野妹子は、農民から様々な穀類や野菜の種、薬草の種を物々交換によって得たことは黙っていた。馬鹿正直に申告して、没収されてはたまらないと思った。小野妹子は続けた。
「運河も見ました。広大な大陸で大量の物資を運ぶには、舟運がたいへん便利であることを見てとりました。案内役の話では、皇帝陛下の号令で短期間に大勢の人夫を動員して運河を掘らせたとか。陛下のお力の偉大さにいたく感じ入りました」
煬帝は小野妹子の返答に満足した。
「なかなか目の着け所が良いな。帰国したら十分に参考にせよ。他はどうじゃ」
「国家の中枢にいる役人の仕事ぶりも見ました」「役人たちはどうであった」
「貴国の役人は、律令に従って仕事をしておりました。わが国では皇子様が、『和を以って貴しとなす』を始めとする憲法十七条を制定し、臣民の融和を図っております。また冠位十二階を制定し、有能な人材を登用しております。しかし体系的な律令はまだわが国にはありません。律令があれば、役人がその時の気分や胸先三寸で判断して国民を裁いたり、指示したり、挙句の果ては賄賂を要求するようなことがなくなります。判断の基準である決まりがあることは大事なことです。律令の制定がわが国の課題の一つと感じました。
立派な寺院も数多く見学しました。その伽藍や建物の見事さに目を見張りました。わが国では、仏教に深く帰依する皇子様が四天王寺を建立し、さらに今、法隆寺という大寺を作っているところでございます。私が帰国する頃には完成しているはずです。また宮中の医師たちが病人を診察する様子も拝見しました。病を癒す薬はたいへん進歩しており、随行の者が処方を学び取らせていただきました。戦で傷ついた兵士たちも、治療を受けておりました」「兵士たちとは話をしたのか」
「新兵を訓練中の隊長と話をしました。国を守る気概を新兵に伝えるのに苦労されているとのことでした。わが国の辺境地方では天子様に従わぬ者が多く、これから兵士を訓練して戦いに備えることにしておりますので、たいへん参考になりました」
「そうか、だいぶ収穫があったようだな。倭国はそなたのような優秀な人材をわが国に派遣することができて幸運というものじゃ。ところでここからが大事な話じゃ。そなたが帰国したら天子に伝えよ。わが国の属国として今後、使節を定期的に派遣すること。次に、倭の国にあるという不老不死の仙薬のことじゃ。それは本当にあるのか。秦の時代に、始皇帝の命令を受け、徐福一行が不老不死の仙薬を探索すべく、蓬莱島、すなわち倭に渡ったことは前漢の司馬遷の史書に記録されている。
しかし彼らは帰って来なかった。始皇帝の崩御に間に合わなかった。その後も徐福隊の誰かが戻ったという記録はない。徐福は倭に渡ることができたのか。倭には本当に不老不死薬はあるのか。帰国したら、よく調べてみよ。どうじゃ、小野妹子。あるいは、そなたが徐福一行の子孫ではないのか」小野妹子は真っ直ぐに煬帝を見て言った。
「私の家系は、渡来人の子孫と言い伝えられていることは既に申し上げました。しかし、徐福隊に加わった者が私の先祖かどうか、今となっては分かりませぬ。私は薬のことは詳しくは存知ませぬ。そのような不老不死の薬がわが国にあるという話は聞いたことがありませぬ。わが国の民には長寿者が多いと思われますが、不老不死ではありませぬ」
「長寿の薬でも良いぞ。不老長寿薬があるなら、それを次ぎに朝貢する時に必ず持参せよ。それでこの度の無礼な親書の件は不問にする」 
煬帝は高圧的に言った。妹子は困惑した表情を浮かべて応えた。
「皇帝陛下、一番目の件は、わが天子に伝えます。おそらく属国ではなく、友邦である朝貢国としてお認めいただくことになるかとぞんじます。しかし二番目の件はお約束出来かねます。わが国でも不老不死薬や不老長寿薬はないと存じます。もしそのような薬があれば、人は死を免れますが、人口が増えて大変でございます。食糧生産が追いつきません。また不老長寿の薬があれば国は老人が多くなって、これまた大変なことです。若者の負担が大きくなります。老人の知恵は大変ありがたいものでありますが」煬帝は肯きながら言った。
「人口が増えれば田畑を広げ農産物を生産し、市街が大きく広がり、税を納める臣民が増えることになる。兵士も多くなり、外敵からわが国を防御できる。ただし無限に人口が増えるとは思わぬ。その時は皇帝だけがその薬を手にすればよいのじゃ。国の指導者だけが長寿であれば、蓄積した知識や経験によってうまく国を治めることができよう。隋は長く安泰というわけじゃ。小野妹子、帰国したら、その仙薬を探してみよ。この書状に今申した二点の要求を認めてある。必ず、そなたの天子に手渡すのじゃ。この二点の要求に倭の天子が誠実に応じなければ、制裁を加えるかもしれぬ」「確かに承りました」
小野妹子は難題を与えられて困惑し、苦汁を飲まされたような表情で煬帝の前を辞した。

☆18

小野妹子は帰国した。しかし気持ちは晴れなかった。煬帝の返書をそのまま厩戸皇子に差し出す気になれずにいた。そのまま差し出せば皇子の不興を買い、遣隋使の務めを果たせなかったという評価が下り、左遷されかねないと思った。小野妹子は、ここは知恵を絞り、倭にも隋にも、そして自分にとっても悪い結果にならないようにしたいと考えた。
数日後、旅の疲れが抜けると、小野妹子は参内し、厩戸皇子の前に進み出て言った。
「小野妹子、隋より戻りました」
「ご苦労であった。無事に戻って何よりである。そなたの帰国を楽しみに待っていた。いろいろ隋の珍しい話を聞かせてくれ。わが国の国作りに活かしたい」
「隋の都の賑わいは、想像を超えておりました。立派な建物が並び、さまざまな商いをする人々が市をなしております。街には広い道路と運河が縦横に走り、それが地方に繋がっております。市にはわが国にはない野菜や果物、穀類、織物、薬草などが売られておりました」
「それらを求めてきたのか」
「できるだけ野菜や穀類、薬草の種などを入手し、持ち帰りました」
「それらを四天王寺や施薬院の薬草園で栽培させよう。他には何を学んで来たのか?」
皇子は、隋の文化、仏教、技術、軍隊組織、政治制度などを取り入れ、参考にしたいと考えていた。
「隋では律令が細かく整備されつつありました。それには、役人の心構えや国民の納税などについて定めてありました。また罪を犯した人間を処罰する規定などもあります。それに関しては調査した結果を報告書にまとめます」
「大儀であった。その報告書を参考にしてわが国も国作りを進めよう。ところで煬帝殿には拝謁できたのか」
「煬帝様は、われわれを手厚く歓迎してくれました。都の市中や宮廷の中を自由に歩けるように配慮していただきました。隋の国から学べるものは何でも学ぶようにと、まさに大国の皇帝らしく気持ちも大きな方でございました」
「そなたは煬帝殿に気に入られたようだな。煬帝殿はどのような印象であったのか?」
「臣民にはとても厳しく、時には暴君と怖れられておりました。しかし、われわれ、遣隋使一行には良くしていただきました」「ところで親書の返書は受け取ったのか」
「煬帝様は、親書を実に堂々とした文章だと、大変高く評価されました。わが国と隋とでは国力でも文化的にも大きな差があるが、外交文書は対等の内容で書かれるべきだと」
それを聞いて、皇子は安心した。
「やはり大国の皇帝陛下であるのう。わが国が小国だからと下に見ることはしなかったようだ。それでは返書を見せてみよ」
小野妹子は床に頭がつくほど平身低頭して言った。
「申しわけございません。実は帰国の途中、寄港した百済で強盗に遭遇しまして、返書を入れた文箱を奪われてしまいました。この上はどのような処罰も覚悟しております」
「残念であるが、失せたものは仕方がない。そなたを罰しても、失せものが出てくるわけでもない。災難じゃ。しかし、返書はそなたが熟読したであろう。憶えている限り申してみよ」
 仏教に深く帰依する皇子の慈悲深い言葉に、小野妹子は感動にふるえた。
「ありがたき幸せにぞんじます。返書の内容は諳んじるほど何度も読み返しましたので、よく憶えております。一つは今後友好国として定期的に使節を送るようにということです」
小野妹子は、煬帝が親書を一読して激怒したこと、煬帝が使った属国という表現は隠した方がよいと思った。返書を奪われたと偽りを敢えて言ったのも、高度に判断したからだった。
「遣隋使はこれからも続けて派遣しようと考えていたところだ。煬帝殿も同じ考えのようであるな。二番目は何じゃ」
「不老不死の薬を探して届けるようにとのことでございます。これは難題でございます。煬帝様は、倭国には不老不死または不老長寿の薬があると思いこんでおられるご様子でした。隋では、東海の蓬莱島すなわち、わが国には不老不死の仙薬があるという伝説が信じられているようでございます。何百年も前に、秦の皇帝がわが国に探索団を派遣したことがあるが、戻って来なかったということです」
「人というものは、権力を手に入れ、何でも思い通りになっても、命だけは自由にならないことに気がつくものなのだ。老い、病を得てやがて身罷る。しかし権力者は、それを受けいれることができないのだ。煬帝殿も人らしい面を見せたものだ」
「皇子様。実はわが小野家代々の言い伝えでは、小野家の祖先は大陸からの渡来人で、不老長寿の薬を探しに来たと言われております。数百年前に秦の皇帝が派遣した探索団の一員だったのでしょう。煬帝様には小野家は渡来人の家系であることは申しましたが、不老不死薬を探索しに、わが国に渡った一行の子孫かも知れないとは申しませんでした」
皇子は感慨深げに言った。
「それはありえるな。小野家は常に学者や祐筆を輩出してきた家系と聞いておる。たしか出身は近江の小野の里であったな。小野の里の近くには百済から渡来された方々も代々住まわれておる。そなたが遣隋使となって隋に行くのは里帰りのようなものかもしれぬな」
「百済の文章博士であった和邇家は、渡来後、琵琶湖畔の山里に居を構えました。その頃、小野家も近くに住み、当時は渡来人らしく王之家と名乗っておりました。同じ渡来人の家系として交流するうちに縁戚関係が生まれ、いつしか両家は合流し、統一した家名として小野家を名乗ることにしたのです、王之家では畏れ多く、嫉妬する者がおるやも知れぬと、小野と表記することにしたと伝わっております」
 皇子は興味深げに頷いた。「面白い話じゃ」
「恐れ入ります。ところで煬帝様から不老不死薬を献上するように要請されましたが、いかが致しましょうか」
「そのような秘薬はわが国の隅々まで探してもないであろう。もしあれば、すでに不老不死の人がいてもいいはずだが、そのような話は聞いたことがない。人は老い、やがて死ぬものじゃ。仏の教えは、死を恐れることはない、死んでも魂は滅びない、やがてこの世に再び生まれ変わるというものだ。いずれ、そなたを再び隋に派遣することになるだろう。その時は、小野妹子が仏の教えを、改めて煬帝殿に説いてみよ」
「滅相もございません。煬帝様は暴君と畏れられるお方にございます」
「友好国の使者を捕らえて罰することは、外交儀礼上ない。案ずるな。わが国の名産品のなかで、美味で体に良さそうなものを不老長寿薬と称して献上すればよかろう。熨斗鮑はどうだ。あれは余も好物じゃ。それに干鯛や鱶鰭も美味じゃ。海が遠い大陸の隋では珍重されようぞ。はっはっは」
皇子は愉快そうに笑った。その快活な笑い声を聞いて小野妹子は、摂政宮である皇子の寛大さに感服して、胸のつかえがとれる思いだった。

☆19

 数年後、小野妹子は、第二次遣隋使として再び隋の都に到着した。しかし隋は混乱していた。隣国から攻め込まれ、隋の軍隊は苦戦していた。都では民衆が右往左往し、家財道具を牛車に載せ、避難先を求めて移動を始めた家族の姿が目についた。皇帝一族も気が気ではなかった。敵軍が都に攻め込んでくれば、真っ先に皇帝とその家族、さらに重臣らが捕らえられ、惨殺されるだろう。このような非常時に、属国の一つに過ぎない倭国の使節と会う余裕はなかった。しかし煬帝は小野妹子らが再び来朝したことを聞いて、寸時でも謁見することにした。それは小野妹子が不老不死の妙薬を献上してくれるのではないかという期待があったからだ。
宮殿に到着した小野妹子が、煬帝の前に進み出て言った。
「皇帝陛下、倭からの使者として再び拝謁が叶い、感無量でございます。またこの度は危急時に謁見の時間をいただき、わが天子と皇子に替わり御礼申し上げます」
「おお、小野妹子か、息災で何よりじゃ。懐かしいのう。約束を違えず再訪してくれたことに礼を言うぞ。非常時で手厚いもてなしはできぬが、滞在中の安全だけは確保しよう」
「ありがたい御配慮に、重ねて感謝申し上げます」
「小野妹子よ。さっそくだが、不老不死薬を持参しておるのか?」
「そのことでございますが、私は帰国してすぐ、摂政の厩戸皇子様にお願いし、国中にお触れを出して調べました。それは、長寿者がどれくらいいるか、長寿者がいればその者はなにを専ら食しているのか、長寿のための特別な食物や薬はあるかというものでした」
煬帝は身を乗り出した。「念の入った調査じゃ。その結果はどうであった?」
「残念ながらそのような食物も薬も見つかりませんでした。長寿者はおりましたが、記録が無いため、何歳なのかはっきり分からない者もおりました。しかし、長生きする者も結局、死を免れないようです」「残念じゃ。倭にも不老不死薬はないのか」
煬帝の落胆ぶりは傍目にも気の毒なほどだった。
「しかし陛下、吾が国の長寿者が申すには、長生きの秘訣はいろいろな食物を少しずつ食べ、くよくよと気に病まず、人と争わず、歳をとっても畑仕事などで体を動かすことだそうです。また、例外なく長寿者は家族に大事にされておりました」
「なるほど。朕は激務の疲れを取るべく、美味いものを好きなだけ食べてきたが、それは良くないようだな。近頃は太って息が切れる。体を動かすのも大儀じゃ」煬帝は、嘆息した。
「皇帝ともなれば心配ごとも多い。毎日政務で忙しく、のんびり休息することもなかなかできない。果ては、この度のように戦さになれば、皇帝の座どころか命さえ危ない。まことに不老不死薬を探すなど、始皇帝同様、愚かなことであったのかもしれぬ」
煬帝は遠くを見るような眼差しをして独白した。  
「できることなら農夫の翁になって、孫たちに囲まれて長生きを楽しみたいものじゃが、かなわぬ願いよのう」
「陛下、不老不死薬は見つかりませんでしたが、この度は干鮑をはじめ、わが国の名産品を多数献上させていただきますので、どうぞご賞味いただきたく」
「このような国情であるからゆっくり味わうゆとりもないが、気持ちだけはありがたく受けるぞ。そなたの天子や摂政宮にも朕の感謝の言葉を伝えてくれ」
小野妹子は、感極まり平伏した。
「必ずや、吾が天子様と皇子様に伝えます。このような時期に私どもを厚遇していただき、重ねて感謝いたします。煬帝様のご安寧を心よりお祈り申し上げます」
「そなたも達者で。今度も無事に帰国できるようにわが兵に護衛させよう」
「ありがたき幸せに存じます」
小野妹子と従者らは宮殿を後にし、隋の人々と別れを惜しみながら帰国の途についた。

☆20

 西暦八百七十年頃の清和天皇の御世、京の都は夏から秋へと向かいつつあった。この頃奥羽地方では、地震、津波、火山の噴火が相次ぎ、多数の被災者が出て、都にも惨状が伝わっていたが、京では寺院など新しい建物が次々と完成し、政情が安定し庶民の生活も落ち着いて、市中は活気がみなぎっていた。内裏では貴族たちが天皇を中心に政務を行う一方、歴史書の編纂が進み、その合間に歌を詠みあうなど文化の面でも爛熟期を迎えつつあった。その中でひときわ輝きを放った小野小町は、独り、憂いを深くしていた。小町は、小野妹子、小野篁、小野道風に連なる名家の才媛で、才色兼備の女官として貴族の男達の間では知らぬ者がないほどの存在であった。言い寄る男たちは数知れず、中には歌で思いを伝えてきた者もあったが、小町はそれらをことごとく丁重に断わってきた。男達は噂しあった。
「小町殿の姿を先日お見かけした。相変わらずお美しいものの、やや表情に翳りがあるようにお見受けした」
「私も、歌会の席で拝見した。歌の才は相変わらずであった。しかし失礼ながら、お顔には小皺が目立ち、疲れておられるように見えた。その折に詠まれた歌は、
花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに
咲き誇った美しい花も、秋の長雨に色褪せてしまうことに我が身を重ねた歌であった」
「その歌は私も承った。名歌として後世に残るであろうが、時というものは容赦ないものよ。どのような麗人もやがて老いる。時は残酷だ。人は誰でも老いて、やがて身罷り、しゃれこうべを晒すのみだ。諸行無常とはこのことよ」
「小町殿は、もう一首詠まれていたのう。
色みえで うつろうものは 世の中の 人の心の 花にぞありける
絶世の美女と謳われても、容色が衰えてしまえば、人の噂にも上らなくなる。人の心変わりも、小町殿には耐えられなかったのであろう」
 そのような噂話がなされた頃、小町は内裏の自室で独り嘆息していた。小町が女官として仕えた菅原道真が、右大臣まで上り詰めたにもかかわらず、左大臣の藤原氏に疎まれ、大宰府に左遷された後、悲嘆のうちに、その地で亡くなったという噂が伝えられていた。道真は、国史である日本三代実録の編纂の仕事に携わった折、有能な小町を特に高く評価し、原稿の浄書を任せ、小町もそれに応えて充実した日々を過ごしたことを、懐かしく思い出していた。あの頃は小町も若く、優秀な殿上人との切磋琢磨の中で、中枢の仕事を担う喜びを感じていた。しかし、菅原道真という後ろ盾が無くなった今、任せられる仕事もなく、寂しい思いだけが募った。そのような日々の中で、先ごろの歌会で出会った若く才気溢れる公達、在原業平のことを考えていた。業平は若手の歌詠みとして頭角を表しはじめ、美男子としても知られ、女官たちの噂の的であった。その日、思いがけず業平から、小町のもとに文が届けられた。その文には、次ぎのように認められていた。
―先日の歌会の折、小町様にお会いして、心を強く動かされました。また詠まれた歌の見事さに感じ入りました。歌に込められた小町様のお気持ちに打たれました。この上は一度お住まいにお伺いして、私でよければ歌のお相手として御傍に参りたく、お願い申しますー
 その文には次の歌が添えられていた。
きみにより思ひならひぬ 世の中の人はこれをや 恋といふらむ
小町は業平の歌の才を高く評価していた。公達らしい落ち着いた立ち居振舞いも好ましく感じた。しかしこれまで同様、言い寄るあまたの男たちを退けたように、その思いだけを尊いものとして、歌詠みの道に専心していきたいと思った。
―業平様とて、私はなびかぬ。殿方には頼らぬ。私には歌がある。歌詠みの小野小町という誇りをもって余生を全うする覚悟ぞ―
小町は文箱から翡翠の数珠を取り出し見入った。数珠の珠の中央には妖しげな光を放つ虎目石があった。その数珠は小町の祖先から伝わるものだった。昔は頸飾として、首にかけて使われたとも聞いていた。小野家の祖先は渡来人と言われていた。渡来人の家系として数百年来、小野妹子のように大陸の隋へ派遣された優れた知識人を輩出してきた小野家の末裔としての誇りがあった。しかし同時に容色に翳りが出てきたことは、女として忍びがたいことだった。
―得度して仏門に入り、都を離れよう。さすれば殿方も諦めて追っては来まい。諸国を旅しながら、故郷の奥州出羽をめざそう。近頃、奥州では多賀城が大津波に遭い、千人もの人が亡くなる等、災難が相次いでおるそうじゃ。出羽には亡き父上が郡司として赴任していた当時、仕えてくれた人々が住んでいる。その人々の安否が気になる。皆が元気でおれば、私が帰れば快く迎えてくれるであろう。宿は行く先々で寺のお堂の一隅を借りればよい。懐かしい出羽にたどりついたら、故郷で余生を穏やかに過ごし、静かに黄泉の国へ参ろう―
そう決心すると、小町は業平への返歌にこう詠んだ。
秋風に 逢うたのみこそ悲しけれ わが身空しくなりぬと思へば
小町は長い黒髪を下ろし、剃髪した。小町は九条の東寺の僧正を訪ね、一筆、紹介状を認めてもらい、それを大事に携え、気心が知れた侍女を一人伴い、東国をめざした。

☆21

 小町が都を離れた翌年の秋、常陸国板久の津は朝靄に包まれていた。鹿島、香取の海から続く入り海の岸辺は遠浅で、葦が一面に繁っていた。その葦の葉は狐色に、穂は白く移り変わり、無風の中で微動だにしなかった。水面は鏡のように平らで、漣一つなかった。朝靄の中にキシキシという櫓を漕ぐ音が聞こえてきた。ほどなく対岸から一漕の小舟が現われた。小舟には尼僧一人と船頭が乗っていた。岸辺から突き出た粗末な桟橋に舟が着くと船頭が飛び降り、綱を舫うと尼僧を下ろした。
「船頭さん、ありがとう。これは舟賃じゃ」尼僧は落ち着いた声で言った。
「尼様。めざす寺はあの小高い丘の下だ。気を付けて行きなされ」
舟賃を受け取った船頭が心配そうに言った。尼僧は頷き、靄に霞む丘への道を歩き始めた。頭を頭巾で包み、その上に女ものの編笠を被り、手には杖と数珠、小さな布包みを背負っていた。露がしっとりと路傍の草を濡らしていた。稲刈りが終わり、野良に出ている農民にもほとんど出会わずに、めざす寺の山門の前に来た。山門の前では、修行の小僧が散り敷く落ち葉を掃き清めていた。小僧は、靄の中から現われた尼僧に驚いた。尼僧は、地元の農民や漁師の妻達とは全く違う上品な物腰で案内を請うた。
「私は都から参ったものです。和尚様のところへ案内しておくれ」
小僧は、美しい声にさらに驚きながら、ようやく応えた。
「和尚様は本堂で朝のおつとめの声明を上げておられます。どうぞ、こちらへ」
尼僧は小僧に案内され、境内へ入った。鐘楼や庫裏の奥に本堂があった。本堂に近づくにつれ、木魚の音と読経の声が聞こえてきた。本堂の中では本尊の観世音菩薩像を前に、一心に観音経を唱える住職の姿があった。観世音菩薩像は小さいながら、慈悲深い柔和な微笑を浮かべ、本堂の奥に祀られていた。小僧と尼僧は膝まづき、読経が終わるのを待った。尼僧は、翡翠の数珠を手にして合掌し瞑目した。
「世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名為観世音 具足妙曹尊 偈答無盡意 
汝聴観音行 善応諸方所 弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願
我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦 假使興害意 推落大火坑
・・・・・・ 
爾時持地菩薩 即従座起 前白佛言 世尊 若有衆生 聞是観世音菩薩品
自在之業 普門示現 神通力者 当知是人 功徳不少佛説是普門品時衆中
八萬四千衆生 皆発無等等 阿耨多羅三藐三菩提心」
長い読経が終わり、小僧が声をかけた。
「和尚様にお目にかかりたいという尼様が、訪ねて参られました」
和尚は静かに振り返り、朝の光に照らされた尼僧の顔を見た。初めて見る顔だったが、穏やかな美しい微笑を浮かべたその顔は、観世音菩薩のようだった。
「小野小町と申します。都の東寺の僧正様から紹介状を頂いて、諸国の寺を訪ね歩きながら観音様を拝み、土地の人々の情に触れる旅をしております。常陸国ではまず、板久の長泉寺の玄祥和尚様をお訪ねするように勧められました」
「東寺の僧正様からとな。その紹介状を見せていただきましょうか」
玄祥は落ち着いた声で言った。小町は包みを解いて、巻物を差し出した。
玄祥は慣れた手つきで巻物を広げた。
「僧正様の書状に間違いない。小野小町様と言えば都では並ぶ者がない歌人と、常陸国まで伝わっております。その小野様がこの寺をお訪ねくださったことは光栄の至りじゃ」
玄祥は巻物を巻き取り、小町に返しながら言った。
「小野様が詠まれた歌は、拙僧さえいくつか諳んじているほどじゃ。たとえば、
思いつつ寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
うたたねに 恋しき人を見てしより 夢てふものは 頼みそめてき
かぎりなき おもひのままに 夜も来む 夢路をさへに 人はとがめじ」
「恐れ入ります。私の歌を口ずさんでいただけることは、歌詠みとしてこの上ない喜びでございます」
「小野様は、聞こえ高い美貌のお方とも伺っておりました。その上品な物腰は、さすがに都の殿上人の間で競い磨かれ、身につけられたものであろう。とはいえ、小野様もお歳を召されたようじゃの。いや、軽口を申しました。仏に仕える身として恥ずかしい。とまれ人は皆老いる。美しき者も力のある者も、やがて老いて若人に譲らねばならぬ。それが世の定め。ところで、近頃の都の様子はいかがかな」
「都では天子様に近い一部の貴族が我が世の春を謳歌しておりますが、庶民は貧しい者が多いのです。農村から仕事を求めて都に出ても結局仕事がなく、飢えた人々が襤褸を着て、羅城門に集まり、乞食する姿は地獄絵図のようです。羅城門の前には、死人が葬られることなく、放置されています。犬や烏の群れが死人の肉をあさることもございます」
玄祥は深い溜息をついて言った。
「悲惨な光景よのう。拙僧にはどうすることもできん。ところで、都から女の一人旅とは難儀であったのう」
「最初は気心が知れた侍女が付いてきてくれていたのですが、長旅の疲れが出て、途中で病を得て罷ってしまいました。その後は目立たぬように、各地の寺々のお世話になりながら一人旅を続けております」
「さようか。しかし女人禁制の寺が少なくない中で、大変でござったのう」
「最初は断わられても、東寺の僧正様の紹介状をお見せして信用していただき、数日間逗留致しました。その次ぎに泊めていただく寺の住職様宛てに紹介状を書いていただいたこともございました」玄祥は頷いた。
「拙僧も書かせていただくとしよう。それまでこの寺で旅の疲れを取られ、ゆるりと過ごされるがよい。これ小僧さん、小野小町様を庫裏の離れの部屋に案内した後、手桶に湯をお持ちしなさい」と、そばに伏して控えていた小僧に言った。
「はい、和尚様。では尼様、こちらへ。御案内いたします」
小町は、玄祥に感謝の言葉を述べ、本堂を辞し、小僧の案内で離れの部屋へ向かった。

☆22

 小町は板久の寺に数日滞在し、旅の疲れを癒した。水辺の風景が心を和ませた。食事に出る珍しい郷土料理を食べ、体力も回復してきた。小町は本堂に和尚を訪ねた。
「和尚様、お陰様で疲れが取れました。次の旅に出発する自信が出てまいりました。実はこの常陸国では次に、新治郡の清滝観音様に詣でたいのでございます」
玄祥和尚は柔和な顔で言った。
「さようか。では清滝寺の和尚殿に紹介状を書いて進ぜよう。あの寺には拙僧も若い時に修行に参ったことがある。静かな山里にあって、落ち着いた寺じゃ」
玄祥はすぐに文机に向かい書状を認めると、小町に手渡した。
「都の誉れ高い歌詠み、小野小町様がこの寺に滞在されたことは記録に残し、長く語り伝えましょう」
「光栄にぞんじます。お名残り惜しゅうございますが、これにて」
「道中、ご無事をお祈りしますぞ。流れ海、霞の浦を舟で筑波山をめざせば、新治の郡には間違いなく着きます。途中天候が荒れるようなことがあれば、無理をなさらないことです。風が出たら、一刻も早く近くの津に避難するがよい。船着き場は船頭が熟知しておるから、そう指示すればよろしい。拙僧からも船頭によく伝えておきましょう」
「重ね々、ご配慮に感謝いたします
小町は板久の津から、和尚が紹介した船頭の舟に乗った。津を出てしばらくすると、前方に筑波山が見えてきた。
小町は思わず、舟の中で立ち上がって言った。「船頭さん。あの山が筑波ですか」
「筑波でございます。尼様、舟の中では立ち上がらないでくだせえ。危のうございます」
純朴そうな船頭が応えた。小町は再び座りながら独り言を言った。
―富士と並び賞される筑波。小野家の伝承によれば、大陸から渡来したわが祖先は蓬莱山をめざしたそうだが、筑波もまた蓬莱山の一つだったのかもしれぬー
船頭が言った。
「常陸国では、そう呼びならわしております。天を突くように聳えているので、つくばと呼ぶのだとか、また、流れ海の波が着くように見えるので着波と呼ぶとも言われております」
「奈良の都の御世に編纂された常陸国風土記にも筑波は出ています。富士の山神が親神様を粗末にしたのに、筑波の山神は親神様を大切にしたので、四季折々に人々が集い賑わう山となったと」
「富士の御山は常陸の流れ海からも遠く望めます。富士にはおらは登ったことはありませぬが、つくばなら幾度か登っております。男女の縁結びの神様でございます。山の頂上からはこの流れ海がよく見えるのでございます」
小町は、朝廷の書庫から借り出して読んだ常陸国風土記の記述を思い出していた。
「常陸国風土記には、常陸は常世の国ではないかとありました。まことに水陸の幸に恵まれた穏やかな土地と見えます。奈良の都から赴いた常陸国司の藤原宇合殿が感じ入って風土記に記したのでしょうか」
船頭は櫓を漕ぎながら、のんびりと応えた。
「おらには難しいことは分かりませぬ。字も読めませぬが、常陸国は暮らしやすく、こんな良いところは他にはありませぬ。夏は涼しく、冬は温かいのでございます。雪は滅多に降りませぬ。ただ冬の筑波おろしは冷たく強い風で、舟は危のうございます。秋に大風が吹き抜ける時は、周りに高い山並がありませぬので、外海と同じくらい高い波となります。その時は舟で沖に出る者はありませぬ」
そんな話をしていると、今まで鏡のようだった水面に漣が立ち始めた。小町も頬に風を感じた。「おや、風が出てきたようじゃ」
船頭は顔を曇らせ、雲の動きを眺めた。
「嵐になりそうだ。あの島が浮島でございますが、和田の津に舟を入れて様子をみます」
船頭は舳先を和田岬に向けた。風は急に強まり、小舟は笹の葉のように波に翻弄され始めた。小町は、船にしがみついた。強い波になれているはずの船頭も顔色を失って、必死で櫓を漕いだ。一刻ほどして舟は和田の入江に入った。波が急に穏やかになった。
「流れ海では急に天気が変わりますので恐ろしゅうございます。特に浮島沖は難所でございます。しかし嵐をやり過ごせば大丈夫です。それまでに陸に上がってお休みくださいまし。そこに馴染みの漁師の家がありますので頼んでみます」
船頭は船着き場の杭に舟を舫いながら言った。岸辺には、萱葺きの家が数軒並んでいた。漁師の家のようだった。そのうちの一軒から、女が出てきた。女は小町らが嵐のために、一時非難で寄港したことはすぐ分かった。
「沖が荒れて大変でございましたね。一時嵐をやり過ごせば大丈夫ですよ。それまで、うちでゆっくりしてください。むさくるしい所ですが、さあ、どうぞ」
小町は頭を低くして丁寧にお礼を述べた。「かたじけのう存じます。ではお言葉に甘えて」
小町が家の中に入ると、漁師の夫が漁網を繕っていた。そのそばでは男の子と女の子が好奇心を満面に表し、目を丸くして小町を見た。
「嵐の時はお互いさまですから。風で体が冷えたでしょう。この囲炉裏の火であったまってください。船頭さんもどうぞ」
小町と船頭は囲炉裏のそばに腰を下して、炎に手をかざした。漁師の主人が言った。
「ここは、暮らすにはいいところでなあ。流れ海は普段は穏やかだから、鯔や鯛や鱸など色々な魚が獲れますだ。獲った魚を浜で干物にして売るんじゃ。蛤や浅利なども獲れますだ。この島は砂地で、雨はすぐ砂に吸い込まれるから田んぼはできないのじゃ。米は対岸の村から運ばれてくる。その米と干物を物々交換する。野菜も同じでのう。だから魚や貝さえ獲れれば、ここの村人は暮らしていけますだ。夏の暑い時は裸で過ごせるから、着る物も要らないのじゃ。冬は寒いけれど、それほどでもない。家の中に入っていれば、何ともないのじゃ。 本当に常世の国じゃ。昔、日本武尊様の父君の天子様がこの島を訪れて、ひと月も滞在されたと語り継がれておりまする」
「常陸は常世の国なのですね。私の祖先が捜し求めた不老長寿の土地こそ、常陸の国かも知れませぬ」
小町は感慨深げにつぶやいた。漁師の主人がたずねた。
「尼様。女一人でこれからどちらに?」「新治の清滝寺です。観音様に詣でたいのです」
「さようでございますか。嵐が過ぎたら、二、三日は良い天気が続きます。流れ海も穏やかになりますから、ゆっくり筑波山をめざせばよいのです。舟は楽じゃて」
二人の子ども達は人見知りして、恥ずかしがっていたが、旅人が珍しくて、好奇心に克てず、いつの間にか小町のそばに来ていた。
「尼様はきれいだね。どこから来たの」年嵩の姉の方が訊いた。
「都から旅して来たのですよ。いく月もかけて」
「へえー。都から。やっぱり、この辺の人とは違うね。都の話いっぱい聞かせて」
「尼様は疲れておいでなのだから、ゆっくりしていただくのが先だぞ」
小町は漁師の父親の心遣いが嬉しかった。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。皆さんに都のことや旅の道中の話をするとまた元気が出てきますから。どんなお話がいいかしら」
「都はにぎやかなのでしょう。都の人はどんな着物を着ているの?」
「都では女たちは、競って美しい着物を着ています。それはきれいですよ。その中でも天子様、つまり帝のおそば近くに勤める人は十二単衣を着るのです。十二単衣はとても重くて、ゆっくり動くしかありませぬ」「尼様も着たの」
「私も得度する前は着ていました。今では、ずっと昔のことのような気がします」
今度は男の子が聞いた。「得度ってなあに」
「得度というのは仏門に入ってお坊様や尼になることです。出家とも言います」
小町は、宮廷で大勢の女官たちと過ごし、競って歌を詠み、貴族の男たちから言い寄られた若き日々を思い出していた。男の子がまた質問した。
「都には、おらたちみたいな子どもはおるのか」
「都ではかわいい子どもたちが大きなお寺の前や大きな路で、たくさん遊んでいますよ。でも貧しい人の子は食べ物がなく、ひもじくて泣いたり、寒さで震えている子も・・・。なかには道行く人に物乞いする子まで」「都は大変だね。ここは食べ物に困ることはないよ」
「本当に、常陸の国は暮らしやすいところですね」
小町は、都では貧富の差が大きいことなどを漁師の家族に話した。

☆23

 業平は小町の返歌を読んでますます恋心を募らせていた。
―小町殿ほどの才色兼備の女御は他にはおらぬ。あのように美しく有能な女性のそばにいるだけでもよい。お互いに和歌を交わして気持ちを確かめ合うことができるなら、地位も何も要らぬ。聞けば小町殿は出家し、東国を経て、故郷の奥州羽後の国へ旅立たれたとか。私もその後を追って、東国へ参ろうー
 業平は矢も盾もたまらず宮廷の要職を辞して、一人の従者とともに東国へ向かった。
 それから数ヶ月、業平と従者は武蔵国と安房国の境に近い浅草寺の観音堂に詣でた。浅草寺の本尊である小さな観音菩薩像は、その昔地元の漁師が宮戸川(後の隅田川)で漁をしている時に、網に入ったと伝えられていた。今、その宮戸川の流れが行く手を阻んでいた。川面には白い水鳥が群れて、浮いたり飛び立ったりしていた。
業平は従者に言った。
「小町殿の噂をたどって武蔵の国まで来た。小町様があちこちの寺の住職を頼りながら旅をしていることは分かった。浅草寺にも詣でたようだが、ここからどこへ行かれたのか。この川の向こうは安房の国じゃ。果たしてこの川を下られたのか溯られたのか。あるいは、対岸へ渡られたのか。とりあえず岸辺の渡し舟の船頭に聞いてみよ」
「こりゃ、そこの船頭。われらは京の都から人を訪ねて参った者じゃ。最近、都から美しい尼御前が来て、この川を渡らなんだか」
「そういえば、あれは去年の春、柳の芽吹きの頃であったか、御伴を連れた尼様が向こう岸の安房の国へ渡してくれぬかと来られたことがございました。今まで見たことがないような、それは気品のある美しい尼様でございました」 
「そなたは尼御前たちを対岸に渡したのか」「さようでございます」
それを聞いた従者は業平に言った。
「業平様、船頭の話では小町様がこの川を渡られたのは間違いございませぬ」
「それを聞いて元気が出た。われらも安房へ渡ろうぞ」
業平と従者は渡し舟の客になった。川はかすかに汐の香りがした。
船頭が言った。「この川は海に繋がっておりますでな。白魚や蜆もよく獲れます」
「さようか、ところで、あの全身が白く嘴と脚が赤い鳥の名は何というのじゃ」
「この辺では都鳥と呼んでおります。白くきれいな鳥でございます」
 業平が肯づいた。
「そうか。久しぶりに歌心が湧いて参った。一首、歌を詠もうぞ。書き留めてくれ。
名にし負わば いざ言問わん 都鳥 わが思う人はありやなしやと
従者はすばやく書き留めた。業平がつぶやいた。
「この歌に込めたわが心が小町様に届けば良いがのう」
 対岸に着いた業平と従者は船頭に礼を述べ、小町が泊まったかもしれない近隣の寺をめざして出立した。

☆24

 小町は、常陸の国、流れ海とも呼ばれた霞の浦の浮島和田岬の津を小舟で出発した。入江の海は鏡のように凪いで、北西の方角に見える筑波山を真っ直ぐにめざした。朝にはくっきりと見えていた筑波山は、昼を過ぎるころには霞がうっすらかかり、紫がかってきた。もう、峰が二つに別れている山容がはっきり見えるほど近づいてきた。
「筑波は本当に美しい姿じゃ」船頭が応えた。
「筑波は、まわりに高い山がないので高く見えます。この霞の浦から見る筑波が、一番常陸国らしい景色でございます」
「できるだけ、あの筑波のふもと近くまで船をつけてくださりませ。新治郡の清滝観音の里に参ります」「かしこまりました」
 船頭は夕日を浴びながら、櫓を漕ぐ腕に力を込めた。夕空が茜色に染まった。筑波山は影絵のように浮かび上がった。小舟は陽が沈むころに小さな津に着いた。半農半漁の村だった。津の周りには砂浜が続き、その奥は一面に狐色の葦が繁っていた。亡羊とした葦原から柳や畔の木の林になり、台地の端へと連続していた。台地のすぐ下に狭い水田や畑があった。津の舟着き場には漁舟が舫っていた。
「ここは大津の郷でございます。今夜は知り合いの漁師の家に泊めてもらって、明日、新治へ向かえばよいでしょう。その家がすぐそこですから、わしが頼んできます」
 船頭は舟着き場からほど近い漁師の家に入り、間もなくその家の主と妻とを連れて来た。まだ若い漁師夫婦だった。
「このお方が旅の尼様だ」「小野小町と申します。一晩泊めていただけるとありがたいのですが」
「こんなむさくるしい所でよければ、どうぞお泊まりください。何もございませんが、今日獲って来たわかさぎでも食べていただきましょう。魚は食べられますか」
「仏に仕える身ゆえ獣の肉はいただきませんが、魚でしたら、少しいただきます」
「それは良うございました。では女房に早速わかさぎを焼かせます。どうぞ、家の中へお入りくだされ」
 小町は漁師夫婦の後について家に入った。家の中はほとんど家具もなく、意外に広く感じた。掘立て柱に萱葺きの家だった。萱は湖畔にいくらでも繁っている葦が材料だった。葦は竈の燃料にもなっていた。漁師の女房が篠竹の串に刺したわかさぎを火で軽く炙ると屋内に香ばしい匂いが広がった。
「さあ、焼けましたよ。尼様、どうぞ召し上がれ。お口に合うとよろしいのですが」
そう言って、女房はほどよく焼けたわかさぎを差し出した。小町は感謝して受け取り、一口食べてみた。「おいしい。あっさりしていて香ばしく、ほのかに甘いのう」
「わかさぎは、身が柔らかくて頭から食べられます。小骨も気になりません。わかさぎは流れ海でよく獲れます。うちのひとがたくさん獲ってきます。生のままでは日保ちしませんので、塩水でさっと茹でて干魚に、また焼きわかさぎにして保存致します」
小町は感心して聞いた。
「そうですか。この魚は都では食したことがありません。都の近くでは獲れないのでしょう」
「尼様は都から遠路はるばる大変でしたね。こちらではどこに参るのですか」
「新治郡の清滝観音様に詣でるつもりです」
「清滝観音様はこの辺では最も古くてありがたい観音様です。ご利益もあると評判ですよ」
「ここからは遠いですか」「女の足でも朝方に出立すれば、夕方には着くでしょう」
小町は、都の話や都から常陸の国までの道中で経験した珍しい話などをして、漁師夫婦の好意に応えた。
次ぎの日の早朝、小町は出立した。漁師の女房が二つの握り飯を持たせてくれた。小町は、漁師の女房が教えてくれた通り、霞ヶ浦に注ぐ桜川の流れに沿って、台地下の道筑波山方向を目指して歩いた。筑波山が近づいてきた。右手に低い山なみが見えた。漁師の女房の話では、清滝観音は、その山の麓にあるという。
小町は新治の山里に入った。秋の陽が暖かかった。周辺の美しい田園風景を眺めながら歩いた。もう稲刈りが終わっている田圃もあった。農民が忙しそうに立ち働いていた。
筑波山への街道筋には、小さな地蔵尊や石の祠が祀られ、その度に小町は手を合わせた。太陽が中天にかかる頃、小町は日差しを避け、杉の大木の根元に腰を下ろし、竹筒の水で喉を潤し、昨夜泊めてくれた漁師の若夫婦の心遣いに感謝しながら、握り飯を広げた。
いつの間にか少年が目の前に現れた。少年は小町を見て、親しげに口を開いた。
「尼様は、どこから来たの」「京の都からですよ。坊やはどこの子」
「おらの家は沢辺だ。すぐ近くの百姓だ。尼様はこれからどこへ行くの?」
「清滝観音様にお参りするのよ。坊やの名は」
「おらはみのり。稲が良く稔るように、おらも頭が良くなるようにって、お父が名付けてくれたんだ」「良い名ですね。お父上の願いが込められていますね」
 少年の腹がぐうと鳴った。小町がくすくす笑って言った。
「お昼はまだのようですね。この残りのおむすび、お食べなさいな。私は一つでお腹一杯になったから」「うん、ありがとう」
 少年は小町が差し出した握り飯に、遠慮なしにかぶりつき、あっという間に平らげた。
「握り飯、うまかったよ。お礼に清滝観音様の近くまで案内するよ。ついておいで」
そう言うと少年は先に立って足早に歩き出した。小町は、疲れを感じながらも遅れないように後を追った。少年の後を追って野道をしばらく歩くと、見晴らしが良い場所に出た。やや低い土地は田圃になり、その間を清流が流れていた。少年は赤蜻蛉をつかまえた。それを藁しべで緩くつないで飛ばした。小さな赤蜻蛉に藁しべは重く、少し飛んだだけで地面に落ちた。「ちえっ、あまり飛んでくれないや」
 少年は藁しべを解いて、赤蜻蛉を放した。赤蜻蛉は秋の空に飛んでいった。少年が小町の方を振り向いて言った。
「この辺は山の荘っていうんだ。向こうの山なみが朝日峠だ。清滝観音様は山のふもとにあるよ。もう少しだよ」
「静かな里ですね。京の都の北山の景色に似ています。筑波もよく見えて、本当にいい眺め」
「橋のところでお別れだ。向こうはとなり村だけど、おらは行ったことがないんだ」
小町と少年は、清流にかかる粗末な木橋のたもとまで来た。
「みのり殿、お陰でここまで来れました。帰りは気を付けてね。ご両親が心配するから、暗くなる前に帰るのですよ」「尼様も元気でね。握り飯、ありがとう」
少年は来た道を戻り、小町はその姿を見えなくなるまで見送った。短い秋の日はそろそろ傾き、小町の影が長く伸びた。

☆25

 少年と別れた後、小町は急に長旅の疲れが出ていた。足がむくんで上がらず、杖を突き、足を引きずるようにして少しずつ歩んだ。顔には隈ができて黒ずみ、吹き出物さえ出ていた。あれほど美しかった小野小町の面影はなかった。清滝寺の山門前にたどりついた時には、短い秋の日はとっぷり暮れていた。小町は山門前で倒れこんだ。その時、顔を地面に打ちつけてしまった。痛みが走った。小町は声を振り絞って、助けを請うた。
「お頼み申します。お助けくださいませー」
小町は何度も叫んだが、声は山門の奥の庫裏や金堂の方には届かないようだった。そこへ、山門の前を野良仕事帰りの地元の若者が通りかかった。山門の方から女性の声が聞こえてきたので不審に思った若者が、山門に近づくと、旅の尼僧が倒れているのを見つけた。
―これは、行き倒れの尼様のようだ。和尚様を訪ねてきたのだろうかー
「尼様、いかが致しましたか」小町は意識がかすむなかで言った。
「私を住職様のところへ連れてたもれ」「分かりました。おらの肩につかまりなされ」
若者は小町を抱え起こし、自分の肩を貸してつかまらせ、山門を入って、庫裏の方へ向かった。庫裏の戸を開けて若者は大声で住職を呼んだ。
「和尚様、和尚様。おられましょうか」やや間があって奥から小僧が出てきた。
「これは弥平殿。いかがなされました」
「旅の尼様が山門の前で倒れておられました」「それは大変。和尚様を呼んでまいります」
まもなく、住職が現われた。
「行き倒れのようじゃな。本山を訪ねて来られたようじゃ。これ尼殿。お気を確かに。拙僧はこの寺の住職、真念じゃ」小町は住職を見上げ、苦しそうな表情で言った。
「この度はご面倒をおかけします。都から参りました小野小町と申します。こちらの観音様にお参りしたく訪ねてまいりました。都の東寺の僧正様と板久の玄祥和尚様の紹介状を携えております」
「大変な道のりを女の足でよう来られましたの。板久の玄祥殿は若い頃、この寺で修行されましたのでよく覚えております。それはそうと、お顔の色がすぐれませんな。疲れがお顔に出ておる。それに擦り傷も。まず、お顔をきれいな水で洗うとよい。ご本尊様を拝んでいただくのは後にして、今夜はこの庫裏でゆっくり休みなされ。山寺ゆえ体に良い食べ物がないが。そうだ、弥平、体に良いものを何か作って届けてくださらぬか」
「かしこまりました。半刻程お待ちくだされ。すぐ作ってまいります」
そう言い残して弥平は、寺を出て夜道を自分の家へと急いだ。 
「おっ母、大変だ。旅の尼様が行き倒れて寺に着いた。だいぶ疲れておるようじゃ。何か精がつくものを持っていってやりたいが」
 弥平の母は老齢で床に伏せっていた。弥平は母と二人暮しだった。村で弥平は、孝行息子として評判だった。
「それは難儀じゃ。では粥に干魚を入れて煮たものが良かろう。作って持っていっておあげ。小骨をよく取るのじゃぞ」
 弥平は、囲炉裏の自在鈎につけたべんけいに刺し、煙で燻していた、はやの干魚を一匹とり、古びた鉄鍋に干飯を入れ一緒に煮た。干飯が柔らかくなったところで、魚の小骨を取り、身をほぐして混ぜた。口直しに梅干を一個入れた。弥平は鉄鍋を自在鈎から下ろし、蓋をして襤褸布で包んで清滝寺へ届けた。
「できましたぞ。干魚入りの粥じゃ」弥平は椀に粥を盛った。
「尼殿に元気になってもらうには、滋養があるものを食べてもらうのが良い。粥が冷めないうちに食べなされ」「かたじけのうございます。ありがたくいただきます」
 小町は粥を一口食べた。「おいしゅうございます。疲れが抜けていくようです」
めまいがするほど疲労と栄養失調が進んでいた小町にとって、干魚入りの粥はことのほか美味に感じられた。小町はゆっくりと時間をかけて一椀の粥を食べた。小町の顔に生気が戻り、ほっとした表情になった。それを見て住職が言った。
「落ち着かれたようじゃ。積もる話は明日聞かせていただくとして、今晩はゆっくりとお休みなされ。これ、小僧さん、奥の間に夜具を敷いておくれ」「はい、和尚様」
「住職様のお心遣いにいたみ入ります。弥平様とやら、おいしい粥をご馳走になりました。ありがとう存じます」小町は合掌して感謝し、安堵して、その晩は死んだように眠った。

☆26

 小町は清滝寺で数日を過ごした。弥平が運ぶ食事を摂って少しずつ体調が回復してきた。小町は本堂で、翡翠の数珠を手に本尊の観音菩薩像を拝んだ。
「観世音菩薩様のご加護により、旅の疲れが取れていくようです。ありがたいことでございます。これからもお導きをいただき私をお守りくださいませ」
住職は護摩を焚き経を詠んだ。ひとしきり経を詠み終わると、小町とともに観音菩薩像の前で合掌し深く頭を垂れた。
「小野様、だいぶ回復されたようじゃな。一安心じゃ。弥平の粥は滋養があって体に良いのじゃろう。しかし、お顔の左目の付近が赤く腫れておる。大事にならなければ良いが」
「ご住職様のお心遣い、いたみ入ります。顔の腫れはこちらに参る途中足元がふらついて転んでしまった時の傷が膿みはじめたものと思います。じきに腫れが引くとは思いますが」
「もうしばらくゆっくりされるのがよかろう」
「重ね々のご配慮に感謝の言葉もございませぬ」
「お互い仏に仕える身じゃ。何の遠慮もいりませぬ。どうぞ、お楽に」
小町は清滝寺にしばらく逗留することにしたが、左目付近の腫れはますますひどくなり、美しい顔が正視に堪えないほど痛々しい様子になった。住職が見かねて声をかけた。
「小野様、お顔の腫れがひどいようじゃ。だいぶ痛むのでは」「疼くように痛みます」
「それは難儀じゃ。何か良い薬はないものか。ここは山寺とて、あまり良い薬はないのじゃ」
そこへ弥平が夕餉の食事を届けに来た。
「弥平。ちょうど良いところへ参った。小野様の顔の病に効きそうな薬は無いかのう」
「そのことでございます。薬はありませぬが、峠を越えた山の向こうに、北向きに建てられた小さな観音堂がありまして、その観音様にお参りして、そばの清い流れで洗うと肌の病は癒えると古くから言い伝えられております」「それは北向観音堂のことじゃのう」
「さようでございます。しかし山越えの峠道はけわしく、女の足ではとても越えられるものではございませぬ」「何とかならぬか」
「おらが尼様を背負って登れば越えられるかもしれません」
「ほかに仕方は無さそうじゃ。小野様、このままでは良くはならぬ。思いきって弥平を頼って北向観音様に詣で、清い流れでお顔を洗われてみてはどうかのう」
小町は藁にもすがる思いで応えた。
「病が良くなるのであれば、その北向観音様を拝んでみたいと存じます。弥平殿、ご厄介をおかけしますが、よろしくお願い申します」
「ご遠慮なく、おらを頼りにしてください。この山は、村の衆が山菜、茸、焚木をとる山で、子どもの頃から山登りは慣れておりますので」
翌日朝早く、小町は弥平に白い布を左目に巻いてもらい、杖を突き、手を引かれながら、北向観音へ向かった。弥平が言った。
「北向観音様への山道は険しいが、昼過ぎには着くじゃろう。ちょうど、紅葉がきれいじゃ。今は良く晴れておりますが、夕方には天気が変わるやも知れませぬ。急ぎましょう」
 細い山道は山腹を巻くように続いていた。しかし急な傾斜の場所もあり、左目を布で覆っている小町は足元がふらついた。その度に弥平は小町を支えた。途中、腰かけるのに丁度良い石があり、暫し休息した。沢筋には小さな清流があり、二人はその水を手ですくって飲み、また持参した竹筒にも満たした。山道は紅葉で燃えるようだった。木漏れ陽が足元で斑模様を作り、それが風に揺れた。陽射しは強かったが、梢を通ってきた光はやさしかった。弥平は美しい尼様と一緒に山道を登ることは嬉しかったが、小町の顔がひどく腫れて足元がおぼつかないことに心が痛んだ。
「尼様。だいぶ高く登ってまいりました。峠までもう少しです。お疲れのようですから、ここからはおらが背負って登ります。どうぞ遠慮せずに」
そう言うと弥平はうずくまり、小町に背を向けた。
「よろしいのですか。女の身とはいえ、人を背負って登るのは難儀ですよ」
「大丈夫です。おらは重い焚き木の束を背負って山道を登り降りいたしますから、足腰が鍛えられております」
「それでは、お言葉に甘えて」小町は弥平に背負われた。
「腕をおらの首に回して、しっかりとしがみついてくだされ。その方が背負い易いのでございます」
小町は腕を弥平の首に回し、体を弥平の背中に預けた。弥平は小町を背負い、思いきって揺すって小町の体を安定させた。小町の体が弥平の背中に密着した。男の汗の臭いが小町の鼻腔を刺激した。小町が男の体をこんなに身近に感じたのは初めてだった。野生動物のような男の臭いに頭がくらくらし、全身の力が抜けるようだった。
「尼様、大丈夫でございますか」
「少しめまいが。でも大丈夫です。ところでこれからは小町とお呼びください」
「はい小町様。間もなく峠でございます。私どもは朝日峠と呼んでおります。それは眺めが良いところです。きっと気が晴れます」
弥平は小町に話かけながら紅葉の山道を一歩一歩、踏みしめながら登った。
間もなく視界が急に開けた。弥平は足を幾分速めた。朝日峠に着くと弥平は、小町を眺めがよい草地に下ろした。峠は気持ちよい風が吹いていた。
「小町様。ご覧くださいまし。下に海が見えます」
弥平が手拭いで汗を拭きながら眼下を指差した。そこには、うすく靄がかかりながら、はっきりと広大な光る水面が見えた。
「近江の淡海のよう。常陸にもこのような眺めが良い場所があるとは」
「あれが常陸の流れ海にございます。霞んでいることが多いので霞の浦とも呼びます。後ろをご覧ください。筑波のお山です」
「先日、流れ海から見た筑波がこんなに近くに見ることができるとは。峰が分かれておるところがおもしろいのう」
「右が女体山、左が男体山でございます。近くに居りながら、なかなか一緒にはなれない男女のように見えますが、二つの峰の下の方はつながっておりますから、すでに願いが叶って一緒になっている幸せな男女のようにも見えまする」
「おや、弥平殿も粋なことを」小町は久しぶりに微笑んだ。
「滅相もございませぬ。これからは弥平と呼び捨てにしてくださりませ」
小町と弥平は峠道の脇に並んで腰を下ろし、風に吹かれながら息を整えた。弥平が立ち上がった。
「さあ小町様。参りましょう。長く休むとかえって体が冷えて、足が動かなくなってしまいます。まだ大日様は中天にはかかりませぬ。なるべく早く北向観音様に着いて昼飯にいたしましょう。さあ、またおらの背に」「かたじけない」小町は感謝して再び弥平に背負われた。
朝日峠から北向観音への道は下り坂で北向きだった。羊歯が生い茂るひんやりとした山道をゆっくりと一歩一歩、弥平は下った。半刻ほど下ると山間に畑が見えてきた。
「こんな山の中でも畑を作る人があるのですね」
「この辺は北向きですから日が当たり難く、作物はよく育たず、村人は苦労して耕しております」「人が暮らしていくのはどこでも楽ではないのう」
さらに山道を降りると水田があった。稲を刈り取った後の水田だった。
「里人が山の絞れ水を引いて田んぼを作っております」
「きれいな田んぼですね。たくさん米が穫れるのでしょう」
「ところが、この辺りはやはり日当たりが悪く、田に引く沢水が冷たく、あまり米が穫れませぬ」
小町は農家の苦労を思いやった。田んぼの間を清流が流れていた。弥平は小町を背負いながら清流に沿った道を歩いた。やがて山裾に小さなお堂が見えてきた。
「小町様。あれが北向観音様でございます」
 弥平は道を急いだ。小さな清流にかかる粗末な橋を渡ると、山裾に急な石段があった。その階段を息せき切って登ると小さなお堂があった。二人は、お堂の前に膝まづいた。弥平がお堂の扉を開けると、小さな観音菩薩の木像に光が照射した。観音菩薩が一瞬微笑んだように見えた。
小町は、翡翠の数珠を手にして合掌し祈った。
―顔の病が早く癒えますように。そしてこれからの道中、何とか歩き通せますように、観音菩薩様、私をお守りくださいー
 弥平も小町の後ろで手を合わせた。弥平が言った。
「ここで一休みしながら握り飯を食べましょう。おらが握ったものです」
「弥平さんの握り飯、ありがたくいただきます」
そう言って小町は握り飯を頬張った。醤をつけて香ばしく焼いた握り飯だった。
「そこの流れから水を汲んできます」
弥平は竹筒に水を汲んで小町に差し出した。一口飲んだ小町は言った。
「生き返るようです。まさに命の水です」「ここの水は特別です。観音様の水ですから」
弥平は小町の顔に精気が戻ってきたのを感じた。
「そこの流れに生えている菖蒲が膚の病に良いと言われております。まず清い流れでお顔を洗い菖蒲を揉んで、その汁を付けると良いそうです。それを数回繰り返すのだそうです。また、また干した菖蒲を煎じて、その煎じ汁を顔に塗れば、より効果があるそうです。おらの母親が言っておりました。母も若い頃、北向観音様のそばの流れで顔や手足を洗って膚の病を治したことがあるそうです」
 小町は流れの水を手で掬い、顔を洗い、菖蒲の汁を腫れた患部に擦り込んだ。
「冷たくて気持ちが良い。菖蒲の香りも良い」
 小町は教えられたとおり数度繰り返した。弥平は野生の菖蒲の葉を、用意してきた白い布に挟みこみ、それを小町の左目の付近に巻いた。小町は菖蒲の香りを嗅いで言った。
「菖蒲の香りが清々しいのう。これはきっと膿んだ傷にも効くであろう」
「ここには菖蒲がたくさんありますから、少しいただいて干して、煎じ薬を作ることに、いたしましょう。風呂にも入れてみましょう」
弥平はそう言うと、菖蒲を懐から取り出した小刀で切り束ねた。
「菖蒲が効くと良いのですが。さあ、あとは戻るだけです」
小町はまた、弥平のがっしりとした背に身を預けた。

☆27

 小町は北向観音堂から戻った後も、清浄な水で顔を洗い、菖蒲の煎じ汁を腫れた部分に塗布することを続けた。数日経ち、住職が小町を見て言った。
「だいぶ腫れが引いたようじゃ。これならもう大丈夫じゃ」
「痛みはもうありませぬ。これも弥平さんや和尚様のお陰です。ありがとう存じます」
「いやいや、観音様のご加護というものじゃ。病が完全に平癒するまで当山でゆっくりなさるがよい」「重ね々のお心遣いに感謝致します」
「なんの。ところで、弥平は、今日はどうしたかのう」「まだ、お見えにならないようです」
「弥平は老いた母御の世話をしておる。田畑や山の仕事もあり、あれでなかなか難儀じゃ。このへんでは、孝行息子で評判じゃ。気持ちがやさしい男じゃ」
そんな話をしているうちに庫裏に弥平が現れた。
「和尚様。今日はまた良いお天気で、何よりでございます。おや小町様もご一緒でしたか。お具合の方はいかがですか」
「お蔭様で随分良くなりました。この分では間もなく布が取れましょう」
「それはようございました。小町様のご信心が観音様に通じたのでございましょう」
「弥平さんが私を背負って、北向観音様まで詣でたからこそです。ご恩は一生忘れませぬ」
「おらの方こそ、小町様のお役に立ち、この上ない喜びでございます。母も良いことをしたと誉めてくれます」 
「母上様にもお礼を申したいのですが、近いうちに弥平さんのお家に伺いたく存じます」
「むさくるしいところですが、小町様にお出でいただければ、母も喜びましょう」
数日後、弥平は小町を家に案内した。その小さな家は萱で葺かれていた。家の周囲は、きれいに草が抜かれていた。弥平が出迎えた。「どうぞ、中へ」
小町が中に入ると、中は暗く目が慣れるまでしばらくかかった。
「おっ母、小町様をお連れしたぞ。体を起こしてやるからな」
弥平は奥の方で寝ていた老女の体を起こした。
「小野小町と申します。和尚様や弥平さんのお世話になり、清滝寺に逗留させていただいております」
「弥平の母でございます。このままで失礼致します。このような鄙びたところへ、ようこそお出くださいました。小町様のことは聞いております。弥平がいろいろ語ってくれますでな。弥平は嬉しそうに話してくれます。遠い都から来られて奥州をめざしておるそうな。難儀なことで。こんな草深い村にお越しくださり、お会いできるのは観音様のお引き合わせでございましょう」
弥平の母は丁寧に挨拶の言葉を述べると咳き込んだ。小町が言った。 
「どうぞ横になってください。お楽に」弥平が母の体を横にして夜具をかけた。
「お体はいかがですか」「弥平が良くしてくれるので何とか生き長らえております」
「どうぞご無理なさらずに。私は弥平さんのお陰で先日、北向観音様に詣で、顔の腫れが引いて良くなりました。本当に感謝しております」
「弥平から聞いております。本当にようございました。顔は女の命でございますから。それにしても小町様は美しいお方じゃ。私も長く生きてきたが、これほど美しい方には初めてお会いしました。まるで観音菩薩様のようじゃ」
 「畏れ入ります。しかし私にも老いが迫っております。変わらぬものは何もございません。仏の教えのとおりでございます」
「まことでございますね。人は誰でも老います。私ももう長くはありませぬが、生きているうちに小町様にお会いできましたことは冥土の土産話になります」
「長話は体に障る。話はそれくらいにしてゆっくり休みなされ。これは白湯じゃ」
弥平は母に一口、白湯を飲ませて夜具を首のところまで掛けた。
弥平と小町は家の外に出て清滝寺へ向かった。小町が言った。
「私は近々に常陸国の府中にある尼寺に移りたいとぞんじます。実は都を発つ時に時間がなく、仏の修行をせぬまま出家してしまったのです。奥州に参る途中、どこかの尼寺で半年ほども修行したいと考えておりました。常陸の国は気候も良く、弥平さんはじめ皆様も親切にしてくれますので、これから春まで国分尼寺で修行したいと和尚様に相談いたしましたら紹介状を書いてくださいました。それを携えて近々に府中に向けて出立したいと思います」
小町はここまで言って弥平の顔を見た。弥平は平静に聞いていたが、やや寂しげな表情を見せて言った。
「小町様にとって何よりです。仏の教えを学ぶことは大切なことでございます。和尚様も私どもによく説教を聞かせてくださいますが、それを聞きますと心が洗われるようでございます。ただ小町様のお体はまだ十分に回復してはいないようです。せめてもう少し養生なされてから出立なされては」
「お心遣い、うれしく存じます。しかし、それに甘えてのんびりしていると寒くなってしまいます。暖かい秋の日が続くうちに出立したいのです。明日、寺の小僧さんの案内で府中に向かいます。府中までは五里ほどだそうですね。朝早く発てば夕方には着くでしょう」
「そうですか。無理をなさらないでください」
「途中お世話になる郡司様の家も和尚様から紹介していただきました。もし日が暮れるのが早ければそこに一泊することにしております」
「それならようございますが。小町様。来年の春、修行が終わりましたら、奥州に発つ前にもう一度この里にお帰りください。このままお別れでは、あまりに名残惜しゅうございます」
「来年の春、暖かくなって菜の花が咲く頃、もう一度、新治の里にご挨拶に伺います」
「小町様、お約束ですよ。おらは待っております」「はい、必ず」
二人は清滝寺の山門前に来た。弥平は堪えきれず小町の肩をそっと抱きしめようとした。
「仏に仕える身ゆえ」
それだけ言って小町は、弥平に合掌し目を伏せた。小町は踵を返して山門の中に入り、そのまま奥に消えていった。弥平は小町の後姿を呆然と見送った。

☆28

 小町が新治の里を去って半年、また春が巡ってきた。筑波山やそれに連なる低山は新緑と山桜や辛夷の花に彩られ、暖かい陽光に照らされ、山全体が上機嫌に笑っているようだった。よく見ると新緑の色は樹種ごとに微妙に違って、十二単の裾模様のように美しかった。畑には菜の花が盛りであった。山裾の道に小町の姿があった。小町は来た時と同じように笠を被り、手には杖を持ち翡翠の数珠を握りしめていた。時々立ち止まっては美しい新緑を見上げた。小町は山裾の道をたどりながら都の宮中での暮らしを思い出していた。
―都は懐かしい。内裏では歌を詠みながら暮らした。よい歌ができると皆が賞賛してくれた。時には男女の気持ちを、歌を通じて伝えあった。図書寮にある内外の書物で得た知識を披露して、お互いに切磋琢磨して刺激しあった。父上は私を見ては、この娘が男だったら良かったのにと何度も仰っていた。その度に私は、女でも仕事ができれば評価される世の中になれば良いと思ったもの。それも今は昔。女としては良く頑張ったけれど、男たちの中で男に負けずに仕事を続けるには少し疲れた。それに男たちは女を仕事の同僚とは見ず恋の対象と見ていた。これでは女は思い切って仕事ができない。いつになれば女が仕事しやすい時代になるのだろうか。今はただ故郷の奥州へ帰って静かに余生を送りたい。その前に弥平さんや清滝寺の和尚様にご挨拶せねばー
 小町は清滝寺の前に来た。小町は笠を手に山門を入った。小僧が小町の姿を見とめた。
「よくお戻りくださいました。只今、和尚様を呼んで参ります」
小僧が庫裏の奥に入り、ほどなく住職が現れた。真念は穏やかな笑顔を見せて言った。
「これは小野様。半年ぶりです。お元気でございましたか」
「和尚様もお変りなく何よりでございます」
「国分尼寺での修行はいかがでしたか」
「とても厳しい修行でございました。朝が早く、掃除、読経が終わってから食事でございました。しかし規則正しい生活で健康を取り戻しました」「冬は寒かったであろう」
「はい、でも京の都の底冷えするような寒さに比べれば、なんとかしのげました」
「常陸は温暖でございますからね。さあ、積もる話は庫裏でじっくりと伺いましょう。これ、小僧さん。弥平殿を呼んできなさい」「はい。和尚様」
小僧が転げるように山門を出て行った。ほどなく弥平が息せき切って現れた。
「小町様。よくお戻りくださりました。首を長くしてお待ち申し上げておりました」
「弥平さん、ご無沙汰いたしました。約束どおりご挨拶に伺いました」
弥平は少し悲しそうに見えた。「いかがなされました。お顔の色がすぐれぬようじゃが」
「実はこの冬に母が風邪をこじらせて亡くなりました」
「あのお優しい母上様が。それはお辛いことでございましょう」
真念が弥平に替わって言った。
「弥平の母御は体が弱っておったのじゃ。あっという間だった。亡くなる前、弥平を独り残して逝くことを気にかけておった。弥平に感謝しながら、眠るようにあの世に旅立たれた。静かな最後であったのう」
「昨年秋にお目にかかった時には、私のことも心配していただきました。ちょうど顔の腫れ物ができていた時です」
「そうでしたな。弥平の母御の墓は裏手にあります。後でお参りなさるとよい」
「お参りさせていただきます」弥平が言った。
「小町様、国分尼寺ではいかがでございましたか」
「その話を庫裏の奥の間で伺おう。これ、小僧さんも後学のためじゃ。一緒に聞くように」
「はい、和尚様」小僧もうれしそうに答えた。
国分尼寺での修行生活を皆に語った小町は、弥平とともに寺の裏手にある墓地に向かった。墓地は山裾の斜面に、小さな五輪塔や素朴な墓石や卒塔婆が立っているだけだった。その一隅にある新しく土盛りした墓の前で弥平が言った。
「これが母の墓でございます」
小町はその墓の前に膝まづき、野の花を供え、翡翠の数珠を手にして合掌し頭を垂れた。そして般若心経を唱え、死者の冥福を祈った。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 昭見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 
・・・・・・
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦   波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経」
小町はゆっくりと立ち上がり、再度合掌した。
「小町様から回向のお経をあげていただき、きっと母も喜んでおります」
「覚えたてのお経が役に立ちました。仏になられた母上様に届くとよいのですが」
小町に続いて弥平も改めて墓参りをした。
「今も毎日のように墓参りをしております。最初のうちはなかなか母の死が信じられず、ここへ来れば母に会えるような気がしました。でも、三月ほど経ち、漸く母が亡くなったことを受け入れる気持ちになりました」
「お気持ちはよく分かります。身近な人の死はなかなか受け入れられないものです」
二人は墓地を離れ、寺の方へ戻りかけた。小町が言った。
「人は最愛の人の死を乗り越え、前を向いて生きなければなりませぬ。亡くなった母上様もそれを望んでいるはず」
弥平はその言葉を聞いて意を決して、言った。
「実は、小町様が戻られましたら、きっと申し上げるつもりでおりました。おらは、母亡き後、孤独の身となりました。淋しゅうございます。いつまでも悲しんで田畑の仕事が手につかないようではいけないと自分でも思います。仰るように前向きに行きたいと願っております。それにつきまして、思い切って申します。小町様、奥州へ行かずに、ここでお暮らしになってはいかがでしょうか。おらは田舎者で、小町様とは不釣り合いであることは十分承知しております。しかし小町様と一緒に北向観音様に詣でて以来、小町様のことが頭から離れませぬ。ここで小町様とともに暮らしていけるなら、これ以上の幸せはございませぬ」
小町は驚きながらも冷静に聞いた。
「それは夫婦になるということですか」「はい・・・」
「私は仏門にある身ゆえ、夫婦になることはできませぬ」
 それでも弥平は、誠意を込めて言った。
「ここでお引止めしなければ、小町様は一人で奥州に向かわれるでしょう。その道中は遠く険しく、数多の災難が待ち受けております。無事に羽後の国に到着出来るとは思われませぬ。そのような危険な旅をせずとも、この新治の里でお暮らしになっては如何ですか。ここは米も野菜も果物も、魚や獣もとれます。温暖で暮らし易い土地です。ここは小町様の御体にとっても良い筈です。私は一生かけて小町様をお守りいたします。どうか、よくお考えいただけないでしょうか」
 小町は当惑しながらも、弥平の思いつめた表情に心が動かされた。
「弥平さんのお気持ち、よく分かりました。もうしばしの間、考えさせてくださいまし。和尚様にも相談したいと存じます」
弥平は小町の言葉を聞いて、少しほっとした気持ちでその場を後にした。
小町はその晩、庫裏の囲炉裏端で住職の言葉に耳を傾けた。
「なるほど。弥平にしては思いきったものじゃ。弥平は心優しい若者じゃ。いや若者と呼ぶほど若くないかもしれぬ。たしか三十路を少し過ぎた齢のはずじゃ。弥平なりによく考え抜いたのじゃろう。拙僧は、一理あると思う。小野様の弥平に対する気持ちを聞く前に、小野様は尼僧になったことをどのように考えておられるかのう。都で色々あったようじゃが、そこから逃れるように得度して奥州をめざしておる。その気持ちの持ちようは前向きとは言えぬのではないかな」
 小町は心の中を見透かされ、少し動揺して言った。
「私は幼い頃、今は亡き父上から漢文の手解きを受けました。成長してからは、宮中に出仕して漢文を読み、様々な律令を清書し、史実を書き留めたりする仕事が好きでございました。その合間に歌会で歌を詠み、素直な気持ちを言葉にのせて表現することに生きがいを感じておりました。
しかし公達の方々の傍で仕事をするのに、次第に息苦しさを感じるようになり、同時に、もう若くはないという思いに囚われて、それ以上都に留まることができず、出奔するように旅に出ました。旅の途中、美しい山河や海を眺め、色々な出会いがあり、気持ちが紛れ、楽しいことが多く、後悔はしておりませぬ。もし都に留まっていたら、このように晴れ晴れとした気持ちにはなれませぬ。都を出て良かったと思うております」
住職は囲炉裏の灰を、火箸で掻き均らした。
「自ら都落ちしたことは現実からの逃避だったかもしれぬが、結果としては良かったということじゃな。そして常陸の新治の里で弥平と出会うたわけじゃが、弥平のことはどう思うておられるのか」
「弥平さんには大変お世話になりました。私が疲労困憊でこちらにたどり着いた時に、滋養がある粥を作っていただきました。また北向観音様まで案内していただき、お蔭様で顔の病が癒えました。感謝しても感謝しきれぬくらいでございます」
「男としてはどうじゃな」
小町は、北向観音に詣でた時に弥平に背負われ、男の体臭に女の本能が呼び覚まされたことを思い出し、頬をやや紅潮させた。
「優しく、男らしく逞しい方だと」「頼りがいのある男ということかの」「・・・はい」
「どうじゃろう。仏に仕える拙僧が言うのもおかしいが、還俗して弥平と夫婦になって、この里で末長く幸せに暮らしては・・・。故郷の奥州に帰りたいという気持ちは察するが、女の一人旅は危険じゃ。たとえ追剥などに遭わなくとも体力が持たないのではないか。常陸まで来られるのに精一杯だったのじゃから」
「体が弱ってきていることは自覚しております。奥州までたどりつく力が残っているかどうか。不安はございます。かといって弥平さんを助けて畑仕事をできるものかどうか。都で長く過ごしましたから力仕事などはしたことがございませぬ」
「体と相談しながら少しずつ馴れればよいことじゃ。それに最初から野良仕事をすることもあるまい。弥平が力仕事を全て引き受けるじゃろう。小町殿は家の中の細々とした仕事や家まわりの草取りから始めればよいのじゃ」
 真念は囲炉裏の火に薪をくべた。火花が散った。
「今までは出家の身じゃから、粗末な食事で済ますことが多かったであろうが、還俗すれば精がつく食物を摂ればよい。魚、野鳥、猪肉など、なまぐさは体に力をつける。いや、ここだけの話じゃが、拙僧も時々、弥平になまぐさを届けさせておる。弥平は魚捕りも狩りも名人じゃ。色々なものを食べなければ、ある程度の長生きはできん。般若湯も少しは嗜む。このことは近隣の里人はみな知っていることじゃ。鄙びた寺の和尚じゃから大目にみて貰っておるのじゃ。あっはっは」真念は愉快そうに笑った。小町もつられて笑った。
「和尚様のお陰で、胸のつかえが取れました。このことは私なりにもう少しよく考えてみたいと存じます。それまで、こちらに逗留させていただければと存じます」
「納得するまで考えなされ。遠慮は要らぬ」「ありがとう存じます」
小町は頭を垂れて庫裏を辞した。

☆29

小町と弥平は間もなく祝言を上げた。信念が善は急げとせかしたのだった。祝言とはいえ、集落の人々が駆けつけただけの、ささやかなものだった。集落の長が言った。
「弥平は冬に母御を亡くされて間もないが、落胆ぶりを見ていると気の毒なほどじゃった。これで弥平も落ち着いて山仕事や畑仕事に精が出るだろう。嫁御の小町様は無学な百姓の女房にしてはできすぎたお方じゃが、弥平を助けて立派に切り盛りしてくれるじゃろう。とにかくめでたいことじゃ。のう皆の衆」
「全くだ。亡くなられた母御も喜んでおられるじゃろう」
「弥平、良かったな」「弥平、おめでとう」「小町様、お幸せに」
集落の隣人たちが口々に祝いの言葉を述べた。
 小町と弥平は、次の日から村の衆と一緒に様々な仕事をした。力仕事は弥平がやったが、田畑の草取りは小町も手伝った。時には弥平や村の童達と共に近くの川に入って、わいわいと騒ぎながら魚獲りを手伝った。弥平が手作りした網に魚が入ると、小町は素手で捕まえて歓声をあげた。
「きゃ、大きな魚。元気がいいこと。お腹が赤くて綺麗ですね。羽後で過ごした童の時分、里の川で、皆で魚獲りをしたことを思い出します」
「この魚は、はやじゃ。流れ海から卵を産みに遡って来る。はやは塩焼きがいい。囲炉裏で焼いて食べると上手い。たくさん獲って煙で燻しておけば冬までもちます。それにしても、小町様は魚獲りが好きじゃのう。この頃、村の者は、この川を尼の川と呼ぶようになりました。尼様が楽しそうに魚獲りをされる川じゃからと」
「もう尼ではありませぬが、皆様がそう呼ばれるなら、尼の川でもよいかもしれませぬ」
小町はそう応えて、岸辺から小町と弥平を眺めている村の衆に、笑顔で手を振った。村の衆も笑って手を振った。
小町は日中よく働き、夜はぐっすり眠った。弥平が魚、鳥、百合根、山の芋など滋養があるものを食べさせるので、みるみる顔色がよくなり、皮膚にはつやと張りが戻ってきた。還俗して剃髪を止めたので髪が次第に伸び、夏の終わり頃には耳が隠れるまでになった。
涼しくなったある晩、それぞれの夜具にくるまり、秋の虫の声を聴きながら、小町は弥平に恥ずかしそうに小声で言った。
「弥平さん。今まで体に自信がないと、弥平さんのお求めを断っておりましたが、実はこの間、久しぶりに月のものがありました。出家して旅を続けていた頃は粗末な食事の上、体が疲れていたためか、月のものがなかったのです。でも、弥平さんと夫婦になって、今まで食べたことがない、おいしいものをいただいて、体が若返ったような気が致します。これなら弥平さんのお求めを受けてみたいと・・・」
それを聞いて弥平が応えた。
「小町様。弥平はこの時を待っておりました。北向観音様に詣でた時からずうっと。小町様に早く元気になってもらい、夫婦の契りを結べたらと願っておりました。今その願いがかないます。観音様と筑波の神様のお導きでございます」
弥平は小町の夜具に移って小町を愛した。小町の髪を愛しそうに弥平は撫ぜた。二人は小窓から差し込む冴え冴えとした月の光に照らされた。小町は女の幸せを感じた。都にいた頃、あまたの公達の求婚を拒んだ小町であった。公達たちは、いつも室内で執務するせいか皆青白い顔で、小町は魅力を感じなかった。もともと田舎育ちの小町には馴染めなかった。都で暮らしていた時は、自分はなぜ男に魅力を感じないのか、よく考えたことはなかった。しかし弥平に抱かれて、小町は自分が望んでいたものが分ったような気がした。
―日に焼けた逞しい男がいい。男らしい男がー
「ああ、弥平さん。私は幸せでございます」
小町は大胆に自分の白い足を弥平の腰に絡め、腕を弥平の首に回して悩ましい声を上げ、弥平に感謝した。
よく晴れた秋日和に集落総出で稲刈りが行われた。よく実った稲を男も女も器用に手際よく刈り取って束にしていった。小町は、稲刈りはまだ慣れないので、稲束を運び、稲架に架けて乾かす仕事を手伝った。賑やかに行われる収穫作業の中で少し日焼けした小町の顔は汗ばみ、喜びに輝いていた。秋が深まり、脱穀、俵詰め、倉入れまで一連の農作業が終わると急に仕事が減り、集落では平穏な雰囲気が漂った。男達は暖かい日中は萱刈り、薪取りなどの山仕事をした。時には罠で野鳥を捕らえ、あけびや茸取りに興じる者もいた。夜は女達と共に、囲炉裏のそばで世間話や昔話をしながら藁で筵や草鞋を編んだ。女達は、日中は萱刈りを手伝う者もいたが、小町は団栗拾いや茸取りを楽しんだ。夜は囲炉裏の明かりで衣類を繕いながら、弥平に奥州で過ごした童の頃の話をして過ごすこともあった。
冬が来た。集落がある里は山裾ながら南向きで、筑波山に連なる低い山々が強い北風を防いでいるため暖かだったが、夜は冷えた。小町の髪が伸び、既に肩のあたりまで達していた。ある晩、小町が弥平に言った。
「弥平さん。実は月のものが止まってしまったのです。もしかしたら、やや子が出来たのかも知れませぬ」「小町様、まことでございますか」
「まだ判りませぬが、悪阻のような気もします」
「小町様とおらの子だ。ありがたいことじゃ。おらは父親になるのか。信じられぬ。小町様、明日から体を休めて丈夫な子を産む準備を」
「弥平さんは気が早いのう。まだはっきりせぬのに」
「間違いなさそうじゃ。そうじゃ。小町様にもっと滋養があるものを食べてもらわねば」
次の日、弥平は村の力自慢の男達と大きな深い穴を山麓に掘り、その上に篠竹を数十本渡し、朴葉を幾枚も敷き、土を薄く被せて猪用の罠を作った。この山里では稲や畑の野菜が猪に襲われることが多く、毎年秋から冬にかけて猪狩を行っていた。数日後、勢子と犬に追われた大きな猪が罠にかかった。男達は長柄の槍で猪を絶命させた後、肉を切り分けた。弥平は竹の皮に包んだ猪肉を持ち帰って小町に見せた。
「小町様、猪じゃ。丈夫な子を産むように精がつくものを食べてくだされ。今夜は猪鍋じゃ」
小町は肉を見て顔を背けた。
「弥平さん。御気持ちはありがたいのですが、猪肉は食べられませぬ。一度は出家した身じゃ。それに都でも獣肉を食べることは無かったのです」
「童の頃、奥州では獣肉を食べたことがあるのじゃろう」
「それは何も知らなかった昔のこと。今は怖ろしゅうて食べられませぬ」
「大丈夫じゃ。魚が食べられるのじゃから獣肉も食べられる。食わず嫌いというものじゃ」
その晩、弥平は、自分で猪鍋を作った。畑の野菜をたっぷり入れて、できるだけ臭いを消し、醤で味を調えた。弥平は椀に肉汁を入れて小町に勧めた。
「一口でも食べてはどうか?」「無理じゃ。体が受け付けませぬ」
「困ったのう。そうじゃ、和尚様から教えてもらった、大蒜を使おう」
弥平は軒先に干してあった大蒜を取り、卸金で卸して小皿に盛った。
「小町様、大蒜を肉に少し付けて召し上がってみなされ。これは和尚様から教わった食べ方じゃ。大蒜は、その昔、遣隋使や遣唐使が持ち帰ったものではないかと和尚様が仰っておりました。寺では大蒜は精がつくので食してはならぬと言われておるそうじゃが、実は和尚様は時々こっそりと食べておられる」
思いがけず、弥平の口から遣隋使という言葉が出たので、小町は驚いた。
「遣隋使とな。我が先祖の小野妹子様が隋から持ち帰った野菜や穀類の種の中に大蒜があったのかもしれませぬ。これも何かの縁であろう。弥平さん、思い切って食べてみましょうぞ」
小町は箸で椀の中の肉片をつまみ、擦り降ろした大蒜をつけて、怖る怖る口に入れ、舌で味わってみた。肉の旨みが口の中に広がった。小町は弥平に言った。
「猪肉とは思いのほかおいしいものじゃ。臭みも大蒜で消えて気にならぬ。それに、体に力が湧いてくるような気がします」
「疲れている時に食せば、猪肉は薬のように疲れを取ってくれます。これから時々は猪肉を食するのが良いかと」
小町はその晩、肉汁を二杯食べた。三杯目を所望して弥平に止められた。
「急に猪肉を沢山食べると、食当たりするかもしれませぬ。大事な体ゆえ、これまでに止めておいた方が」「さようじゃのう。ほほほ」
小町は照れ隠しのように笑った。小町は、時々肉も食べるようになって、ますます顔に艶が出て生き生きとしてきた。冬が過ぎ、田の畦草の緑が鮮やかになってきた頃、小町が子を孕んだことは誰の目にも明らかだった。集落の女たちは口々に祝福し、喜んだ。
「小町様、おめでとうございます。でも初産では不安でございましょう。おらは七人子を産みましたから、何でも聞いてくださいまし」
「村には産婆もおりますし、出産の時はおら達も手伝いますから何の心配もいりませぬ」
小町は女達の心遣いに感謝して言った。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
辛夷の花が終わって間もなく山桜が散り、菜の花が満開になった。春がゆっくりと過ぎ、野山の緑が濃くなった。この年も田植えの季節を迎え、里人は農作業にいそしんだ。童達も水田に駆り出され、苗運びを手伝った。田楽を担当する者達が、賑やかに笛や鉦、太鼓を奏でると、早乙女たちが歌いながら一列に並んで腰を振りながら苗を植えていった。
お腹が大きい小町は畦に座って、長閑な田植風景を眺めていた。弥平は田楽を担当する一員で笛を吹いていた。小町はその音色にうっとりと聞き入った。弥平は笛を吹きながら、時々小町の方を見た。小町はほほえみながら手を振った。間もなく新治の里は梅雨入りし、蛙が鳴く水田では稲の株がどんどん茎を増やし、丈が膝の高さくらいまで成長した。白鷺が蛙や田螺を探して、稲の株の間をゆっくりと歩き回った。とっぷり日が暮れると、水田一面に蛍が、光りを点滅させながら飛び交った。その幻想的な光景を、小町は弥平とともにうっとりと眺めた。

☆30

梅雨が明ける頃、小町は臨月になった。小町は陣痛を感じた。
「弥平さん、どうやら産まれそうです」
弥平は急いで産婆を呼んだ。産婆は小町を一目見て言った。
「皆の衆、何をしておる。湯を沸かせ。間もなく生まれるぞ。きれいな布を用意したか。男衆は外に出よ。出産は女の戦場じゃ。男は役に立たぬ」
 床に横になっていた小町は激痛に耐えていた。
「小町様。大丈夫じゃ。この婆につかまって、うんと力んで」
小町の額には玉の汗が浮かび、美しい顔が痛みで歪んだ。一刻ほど過ぎたが、なかなか生まれなかった。
「少し遅れているようじゃ。小町様がもう少し若ければ、こんな難産にはならなかったかもしれぬ」
「御婆様。私はどうなってもよいのです。子だけは助けてくだされ」
「この婆がついておる。大丈夫じゃ。おらは、何十人も子を取り上げておるのじゃ」
 手伝いの女達は手を胸の前で結んで神仏に祈った。戸外の男達も、家の中のただならぬ気配を感じて落ち着かなかった。その時、家の中から「おぎゃー」という元気が良い産声が聞こえた。男達は顔を見合わせ、不安顔が喜びの顔に変わった。
女の一人が外に走り出て男たちに告げた。
「生まれたぞ。元気な女童じゃ」「弥平、やったな。おめでとう」
弥平は小町が心配だった。
「小町様はどうじゃ」「小町様もお元気じゃ。良かったのう、弥平」
それを聞いた弥平は喜びがこみ上げてきた。弥平は拳を突き上げ、跳び上がって叫んだ。「小町様。やったぞ。おらたちの子だ」
一刻ほどして、産婆が外へ出てきて、弥平に言った。
「さあ、もう良かろう。小町様とお子の顔を見ておいでなされ」
 弥平は小走りに家の中に入った。
「小町様。よくがんばったのう。難儀じゃったのう。ありがたや、ありがたや」
 小町は桃色に上気した顔で言った。
「私こそ、お礼を申します。弥平さんは私にまた、幸せを授けてくださいました。ご覧くださいまし。この子を」
生まれて間もない子は白い布に包まれ、小さなあくびをした。
「おお、おらたちの宝物じゃ。父親になった実感が少しずつ湧いてまいりました。二人で、丈夫な子に育てましょうぞ」
小町はほほえんで無言でうなずいた。眼には涙が光っていた。弥平が小町と嬰児をいとおしそうに見て言った。
「この子の名じゃが、ちょうど、山百合が咲く夏の初めに生まれたので、さゆりではいかがでございましょう」
「さゆり、美しい名ですね。きっと美しい娘に育ってくれるでしょう。そういえば、万葉集に、筑波山の山百合を歌ったお歌がありました。
筑波嶺の さゆるの花の夜床にも 愛しけ妹ぞ 昼もかなしけ
という歌でしたね」
「よし、決めましょう。さゆり、お前の名はさゆりじゃ。筑波嶺の山百合のようにすくすくとたくましく、そして美しく育つのじゃ」
しかし、出産から数日して難題が持ち上がった。小町の母乳の出が悪かった。
「お乳の出が良くないのです。さゆりがひもじいと泣いております。このままでは、育ってくれるのか心配です」
「せっかく授かった子じゃ。何とかせねば。産婆殿は何と」
「滋養のあるもの、魚などを多く食するようにと」
「分かった。魚も獣も鳥もたくさん捕ってこよう」
弥平は仲間の男たちとともに川で魚を捕り、山では鳥を捕った。しかし鹿や猪を獲ることは難しかった。
「小町様、今日捕れた魚と野の鳥じゃ。塩で味付けして囲炉裏の火で焼いたから食べてみなされ」
小町は串に刺した魚と鳥を交互に食べた。
「おいしゅうございます。でも私は猪肉のおいしさが忘れられませぬ」
「今の季節、猪は山の奥に入って、里には出て来ぬのじゃ。むずかしいが何とか、がんばってみよう」
 翌日、弥平は小さな陶製の壺を持ってきた。
「小町様、やはり夏に猪は獲れぬ。そこで和尚様に相談したところ、これを奨められた。これは清滝寺に伝わる秘薬で、諸々の病に効くそうじゃ。寺の境内で育てた桂皮、筑波山の麓の橘の実の皮、清い渓流に棲む銀色の美しい山椒魚の黒焼きを薬研で粉にしたものを加えたそうな。これを試してみるようにとの仰せじゃ」
「そうですか。さゆりのためじゃ。試してみよう」
 小町は、木さじで粉をすくい、口に入れた。
「苦い薬ですね。でも良薬、口に苦しと言いますから、よく効きそうな気がしてきました」
 小町はほどなく乳の出が良くなり、さゆりは小町の乳房に吸い付いた。小町は母親となった喜びと幸せを感じた。

☆31

ひと月が過ぎ、さゆりは可愛い元気な赤子に成長した。小町はさゆりを抱いて、外に出ることができるようになった。夏の昼下がり、遠くで郭公が鳴いた。小町がさゆりを抱きながら、庭の橘の木陰で涼んでいると、汗を拭きながら旅姿の二人の男が訪ねてきた。一人は背が高く、日焼けした髭面だが上品な顔立ちだった。その衣服は土埃で汚れていたが、目は涼しく小町をじっと見つめた。もう一人は従者だった。その顔をひと目見た小町が驚いた。
「あなた様はもしや、業平様。どうしてここへ」
「やはり、小野小町様でございましたか。ようやくお会いできました。小町様の後を追って、都から参りました。お目にかかることを信じて、三年の月日が経ってしまいました」
「よくぞまあ、ここまで」小町は絶句した。
「小町様、拝見すれば、都におられた頃よりもお元気そうに見えまする。何よりでございます。今はどのようにお暮らしですか。都を出られた時は出家されたと耳にしましたが」
小町はためらいがちに答えた。
「私は出家して旅に出ました。奥州へ向かう途中、常陸にたどり着き、皆様に親切にしていただいて還俗しました。そして、この新治の里人と夫婦になりました」
「すると、そのお子は・・・」「夫との間にできた子で、生まれてひと月になります」
今度は業平が絶句した。
「都では殿方をことごとく斥けた小町様がお子を。信じられませぬ」
「私は変わりました。もう歌詠みの小野小町はおりませぬ。今はこの里の百姓、弥平の女房、小町でございます」
「小町様の歌詠みの才は、埋もれるには余りに惜しゅうござる。もう一度都に戻って歌を詠み合うことは叶わぬか?」
「もう無理でございます。今では都のことを思い出すこともありませぬ。ここで夫と一緒にこの子を育てることで十分幸せでございます」「さようか」
業平は深く嘆息した。業平は橘の白い花に気が付き、その香を嗅いだ。
「ならばやむを得ない。小町様と再会できたことに感謝して、潔く引き下がるとしましょう。私は小町様のお元気な姿を思い出にして都に戻ります。去る前に一首、浮かびました。橘と筑波山を詠んだ万葉集の歌は、
たちばなの 下吹く風のかぐわしき 筑波の山を 恋ひずあらめかも
でございましたね。それにちなんで、私はこう、詠みました」
そう言って業平は、従者が差し出した短冊に即興の歌をしたためた。
さつき待つ 花たちばなの香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする 
業平は、その短冊を小町に渡した。小町はその歌を小声で読み上げ、業平の歌の才にあらためて感嘆した。
「業平様らしい、美しいお歌でございます」「小町様、どうか末長くお幸せに」
業平は意を決し、潔くきびすを返して背を向け、一度も振り返ることなく従者と共に去って行った。小町はその後姿に向かって、さゆりを抱いたまま静かに頭を垂れた。再び頭を上げた小町の目には涙が溢れた。
まもなく、野良仕事から戻ってきた弥平が言った。
「途中、見慣れぬ二人の男とすれ違った。胸騒ぎがして急いで戻ってきた。小町様を訪ねてきた男たちでは?」
「見知らぬ方々です。道を尋ねてすぐ立ち去りました」「ならばよいが」
弥平は小町の腕に抱かれたさゆりを見て相好を崩した。
「ほうほう。さゆりは本当にかわいい赤子じゃ。どれ親父殿にも抱かせてくれ」
「気を付けて抱いてくだされ。まだ首が据わらぬのじゃから」
「分かっておる。おう、いい匂いがする。小町様の乳の匂いじゃ」
小町は顔を紅潮させて言った。「恥ずかしゅうございます」
「恥ずかしいことがあるものか。小町様は立派な母親じゃ」
二人は幸福を改めて感じていた。小町の脳裏から、業平に再会したことは次第に消えていった。

☆32

小町と弥平がさゆりを授かってから三年が過ぎ、山里に萩や女郎花など秋の花が咲き乱れる季節が巡ってきた。幼いさゆりは家の庭を駆け回るまで成長していた。秋の陽光が穏やかに降り注ぐ中で、小町と弥平は庭でさゆりが鶏と一緒に遊んでいるのを眺めながら、さゆりが生まれた時のことを思い出していた。
「あの時は難産だった。ようやく生まれた後も、小町様の乳の出が悪くて大変だったのう」
「ご心配をおかけいたしました。でもお陰様で、その後さゆりも私も何事もなく過ごさせていただいております」
「本当に良かったのう。ところで小町様に話しておかなければならぬことが・・・。いや、いや、止めておこう」
「おや、何でございますか。夫婦の間で隠し事は良くありませぬ」
「いや、やはり言えぬ」「そこまで口に出されたのでは気になります」
弥平は、しばらくためらっていたが、意を決して言った。
「実は、小町様が乳の出が悪かった時に服用した秘薬は、即身仏から作った粉じゃった」
小町は耳を疑った。「弥平さん、今、何と申された」
「あの薬は、行き倒れの行者の即身仏を粉にしたものじゃった」
小町は絶句した。弥平は言葉を口から絞り出すように、言った。
「あの時、夏の初めで猪狩の時季ではなく、猪がなかなか捕れなんだ。小町様の乳の出が悪く、さゆりが死ぬかも知れないと思うたのじゃ。そう思うと、心配で居ても立ってもおられなかった。おらは焦った。それで和尚様に相談した。和尚様は長く思案の末、おっしゃった。『清滝寺に伝わる秘薬を試してみてはどうかの。昔、創建間もない頃、行き倒れの行者が食を断って、即身仏となった。即身仏は奥の院に安置されておる。ある年、この里の子どもが熱病で死にかけたことがあった。藁にもすがる思いで、即身仏の体を削って、粉にして飲ませたところ、不思議なことにすぐ熱が下がって、快癒したのじゃ』と。おらも最初は迷った。じゃが、やむをえぬ、我が子が助かるのじゃからと考えることにした。そして、和尚様からその秘薬をいただいて、薬研で磨り潰した桂皮、陳皮、それに筑波山の銀色の山椒魚を黒焼きした粉を混ぜて・・・」
ここまで聞いた小町が小刻みに震え、顔を両手で覆った
「おお。聞かなければ良かった。即身仏とはいえ、私は人の肉を食してしまったのか。ああ、恐ろしいことじゃ。私は人の道に背いてしまったのではないか・・」
 弥平は、あわてて言った。
「気にすることはないのじゃ。行者を殺めたのではない。行き倒れて寺に運び込まれ、そこで亡くなったのじゃ。そのような旅の行者や風来坊は時々おる。小町様とて行き倒れ同然で清滝寺に参ったのではなかったか。秘薬のお陰で小町様の乳の出が良くなり、さゆりは助かったのじゃ。見よ、さゆりは元気に育って、あのように無邪気に鶏とたわむれておる。これで良かったのじゃ」
「よく分かります。されど、そのことを私にお話にならずに、弥平さんの胸の中にしまっておいていただきとうございました。言葉というものは、時には恐ろしいもの。言葉は人を幸せにも不幸にも致します。とはいえ、敢えて尋ねた私も悪うございました。それが口惜しく、恨めしゅうございます」
小町の悲し気な目を見て、ようやく弥平は愚かにも口外したことを後悔した。
その日、小町はそれきり口を利かず、弥平が話しかけても黙ったままだった。
一夜が過ぎた。朝まだ薄暗いうちに、眠っていた弥平を小町が起こした。
「弥平さん。起きてくだされ」
「どうしました、こんなに朝早く。まだ一番鶏が鳴かぬのに。おや、その姿は」
小町は旅支度をして、弥平の枕元に座っていた。
「一晩寝ずに考えて心を決めました。私は奥州へ旅立ちまする」
「何と、今さら奥州へ、なぜでございますか」
「人の道に背いてしまったからには、人並の幸せを求めたら神仏の罰が下りましょう。この上は奥州へ赴いて、小さな庵で読経を続け、一切衆生の救済を祈りながら余生を過ごす覚悟じゃ」「それは、おらのせいということか」
「いいえ、弥平さんのせいではありませぬ。弥平さんに罪はありませぬ。誰にも罪はありませぬ。もし悪いとすれば、猪肉を食べたいとわがままを申した私です」
「あれは乳の出を良くするために、やむをえなかったのじゃ」
「しかし、私の心が自分を許すことができぬのです」
「おらはどうすればいいのかのう。さゆりは三歳になったばかりじゃ。今がかわいい盛りじゃ。さゆりを残していくというのか。さゆりは母様がいなくなったらどうなるであろうか」
「さゆりは私たちの宝でございます。さゆりのことは後ろ髪を引かれる思いです。しかし、この子が、もの心がつく前に私は行きとうございます。弥平さん、さゆりを頼みまする」
「おらとさゆりはどうすればいいだ」弥平はうめきながら言った。
「お静かに。さゆりが目覚めます。もう大分、明るくなってきました。私はもう旅立ちます。決して後を追おうとなさってはいけませぬ」
 そう言うと小町は戸の閂を開けて、朝もやの中に立った。弥平もあわてて外へ出た。
「弥平さんと過ごした年月は、一人の女として十分幸せでございました。かわいい子にも恵まれました。感謝の気持ちで一杯です。どうか、お体にお気を付けくださいまし。さゆりとともに、ご息災で・・・」「小町様・・・」
小町は、歩み寄ろうとする弥平を合掌して制し、静かに頭を下げた。その手には、翡翠の数珠が握り締められていた。次の瞬間、小町は朝もやの中に消えていった。弥平は呆然と立ちすくんだ。
 小町が失踪して三日経ち、十日経ち、一月が過ぎた。小町が戻ることはなかった。秋の名残の野菊が霜に枯れずに、庭に咲いていた。弥平とさゆりは手をつないで、小町が去った方向を見ていた。
「父様。母様はまだ帰らぬのですか」「そろそろ、帰ってもよい頃じゃがのう」
弥平は幼いさゆりには詳しく話してはいなかった。
「母様は遠いところへ旅立たれたのじゃ。もしかしたら旅の途中で亡くなったのかもしれぬなあ」「なくなるってなあに」さゆりは無邪気に聞いた。
「亡くなるというのは・・・。ほら、山で捕えて籠で飼っていた目白が、ある朝冷たくなって動かなくなっていたことがあっただろう。あの時さゆりは、小鳥さんがまだ眠っていると言ったのう。でも小鳥は亡くなったのじゃ。さゆりは、庭の隅にめじろを埋めて、小さな石を置いてお墓を作ってあげたのう」
「母様もなくなったの」「そうかもしれぬ」
「では、小鳥さんみたいに母様のお墓を作ってあげましょうか」
「おお、なるほど、そうじゃのう」
弥平は、小町のために尼の川から拾って来ていた、形のよい漬物石を持ち出して、庭の隅の、杉の木の下に置いた。
「さゆり、これを母様のお墓にしよう。ここへ来て、母様のためにお参りしよう」
さゆりは石の前で、小さな掌を合わせて歌うように言った。
「母様。さゆりのところへ、帰って来てくだされ。また歌を歌って、一緒に遊んでくだされ」
弥平はたまらず、さゆりを抱いてその場にうずくまり、肩を震わせて慟哭した。

☆33

 北畠親房は焦っていた。筑波山麓の小田城の城主、守護大名の後裔、小田治久を頼って長逗留し、早や一年が過ぎ、二度目の春を迎えようとしていた。延元三年(一三三八年)九月、東国の南朝方をまとめるべく、伊勢の大湊を船出したが大嵐に遭遇した。親房一行はかろうじて銚子口から常陸の流れ海に入り、神宮寺城、阿波崎城に滞在した。しかし北朝方に与する佐竹氏の配下に攻められ、城を出て舟で霞ヶ浦に逃れ、さらに桜川を遡り、ようやく筑波山の麓、小田城に落ち着いた。
しかし戦乱は収まらず、親房の元には、後醍醐天皇の後継者である後村上天皇方から、早く吉野へ戻るようにとの催促の文が届いていた。親房は小田城に入って以来、南朝方の正統性を記録した書物を著す仕事に没頭していた。その書物を完成させ、広く読まれるようになれば戦乱は次第に収まり平和が回復して、泰平の御世になれば、という願いを抱いていた。
学者の家系に生まれた親房は、古今の文献に通じた博覧強記の碩学であるだけでなく、優れた歌詠みであり、さらに政事にも積極的に助言する立場にあった。親房から見れば、天皇家が二つに割れ、それぞれが正統性を主張しあい、公家や武家も、それぞれについて、日本国が二分し、戦さが絶えない世になっていることに責任を感じ、乱世を終わらせたいと考えていた。親房は城主である小田治久に言った。
「治久殿。私が今著している書物が完成すれば、広く読まれ、戦乱を収めるのに役立つはず。今、八割方できておりますが、文量が多いだけに浄書を助けてくれる者がほしい。誰か適任者はおりませぬか」
「親房殿をこの城にお迎えしてより、およそ一年になるのう。その間、親房殿が寝食を忘れて、一心不乱に執筆されているお姿に感服しておりました。その書物が完成すれば私も真っ先に読ませていただきたい。さて、親房殿のお手伝いができる者は、この城では小野まつ殿をおいて他にはおりませぬ。まつ殿は祐筆として、小田家の様々な文書の浄書を担当してくれている女御でござる。対外的な文書だけでなく、歴代の小田家の記録も任せておる。漢文にも堪能で鄙には稀な才女でござる。善は急げじゃ。これ、誰かある。まつ殿を呼べ」
ほどなく衣擦れの音が聞こえ、涼しげな女の声が聞こえた。
「まつでございます。お呼びでしょうか」「おお、まつ殿。待っておったぞ。さあ入られよ」
襖戸を開けて入ってきた女は、平伏して一礼した。
「親房殿。小田家の祐筆、小野まつ殿じゃ」「小野まつでございます」
まつは頭を上げて、真っ直ぐ親房を見つめた。その眼は静かな憂いを秘め、しっとりとした美しい容貌であった。親房は、ややたじろぎながら言った。
「北畠親房でござる。治久殿のご好意で長逗留させていただいております」
「お噂は承っております」まつは落ち着いていた。親房が聞いた。
「まつ殿のまつは、松の木のまつでござるか」「はい、筑波嶺の松のまつでございます」
「さようか。お聞きおよびと思うが、私は今、ある書物を書いておる。その仕上げの浄書を手伝うてほしいのだが、いかがか?」
「親房様のお手伝いができますことは願ってもない幸せにございます。ぜひ何なりとお申しつけくださりませ」
「それを聞いて安心いたした。では明日からでも手伝っていただこうか」
「かしこまりました」まつは、親房の部屋を辞した。
翌日から、まつは親房の部屋に日参し、親房が書き留めた資料の整理と本文の浄書に務めた。その仕事ぶりは親房が驚くほど正確で早かった。しかも、まつは歴史に明るく、親房の記憶の小さな間違いを正すほどであった。親房は、まつに対して有能な助手という評価以上の感情が次第に芽生えてくるのを抑えることができなくなっていた。
仕事が一区切りついたところで、親房はまつに語りかけた。
「この書物は、大覚寺統(南朝方)、持明院統(北朝方)を問わず、多くの人に読んで貰わねばならぬ。天皇家の系譜を中心に神国日本の歴史の流れを正しく著して、これ以上の無益な争いを止めねばならぬ。それゆえ達筆過ぎて読めないのでは困る。まつ殿の書は読み易く美しい。都にもこれほどの祐筆はめったにおらぬ。書は誰に師事したのか」
 まつが応えた。
「私の家系は都で代々祐筆を務めた家柄でございました。一門からは小野篁、小野道風などが出ております」
「小野という姓を聞いたときに、もしやと思うたが、まさか小野家に連なる者とは・・・。都では小野家、近衛家、二条家、冷泉家、わが北畠家などが代々祐筆を務めておるわけじゃが、その一つ、名門小野家の出とはのう。これは奇遇じゃ。なにゆえ、常陸の小田家に仕えておるのじゃ」
「話せば長いことになりまするが、私は書の手ほどきを父、良真から受けました」
「良真殿とは、たしか篁殿の御子息で、出羽郡司を務めた良真殿のことか」
「仰せの通りにございます」
「ありえぬことじゃ。参議の篁殿や良真殿は三百五十年ほど前のお人。それに良真殿の娘は小町殿ということになる。清和天皇、仁明天皇あるいは文徳天皇の御世の有名な歌人じゃ」
「私がその小町にございます。常陸の言葉は訛りますゆえ、まつと呼ばれております」
親房は言葉を失った。まつの美貌は、絶世の美女と謳われた小野小町を髣髴とさせるが、小町が生き永らえているはずがなかった。親房がようやく言葉を継いだ。
「信じられぬ。ゆえあっていつわりを申しておるか、あるいは、まつ殿の気がふれているとも思えぬが、自らそのように信じ込んでおるのか」まつは親房をまっすぐに見て言った。
「まことなのでございます。実は、昔、行倒れの行者の即身仏の御身から作られた秘薬を偶々喫することがございました。それは人肉を食したものと、同然でございました。それで不思議なことに、この世に永らえることができるようになりました。その後も、百年に一度は、人肉を食してまいりました。このことは他言したことはなかったのですが、当代一の学者と称えられる親房様が僥倖にも小田城においでになり、お傍でお役に立てる機会を賜り、親房様ならば信じていただけるかと・・・」親房は一瞬背筋が冷えるのを感じた。
「そのことは、治久殿はじめ、小田家の方々にも口外しておらぬということか。真偽はさておき、いずれにせよ、小野小町殿が目の前におられるとは、私の方が夢か幻を見ているのであろうか。まさか、小町殿の幽霊ではござらぬな。なぜ常陸におられるのか」
「それはやはり長いお話になりまする。いくら述べたとて、にわかには信じてはいただけぬでしょう。それゆえ、小野小町によく似た女が、常陸の小田城で親房様のお仕事をお手伝いさせていただいたということでよいではございませぬか」
そう言ってまつは親房の傍に寄って手を取った。親房はあわてて手を引いた。
「私は出家の身じゃ。宗玄という法名もいただいておる。女御に近づくことはできぬ」
「親房様は二条流派の歌人としても高名なお方でございます。ぜひ私と歌合わせをお願いしとうございます。久しぶりに歌心が湧いてまいりました」
親房はやや安堵して言った。
「歌合わせならいずれお相手致そう。今日のところは、私も心が乱れておるゆえ、仕事はこれまでにいたそう」「承知いたしました。では次の機会に・・・・」
そう言って、呆然としている親房を残して、まつは静かに辞した。

☆34

 まつの助けを受けながら半年ほどが過ぎ、親房の著作の仕事が捗り、最後の仕上げに入っていた。野山には尾花の穂がなびいて朝夕が冷え込む中秋の候を迎えていた。その頃、北朝軍を指揮する高師冬の軍勢が小田城を見下ろす宝筐山に陣取り、今にも小田城を攻め落とそうと勝機を窺がっていた。夜の帳が降りる頃、小田城の周りの山々を眺めようと庭に出た親房は、まつに言った。
「師冬の狙いは南朝軍の軍師である私の首だ。私がここにいては、城は襲撃される。このままでは治久殿に迷惑がかかる。私が城を出れば、治久殿は北朝軍と和儀を結び、小田城と城下の民を守ることができる。私は早くこの城を出て、とりあえず関城に入ることにしよう。幸い、まつ殿が助けてくれたので私の著作は、ほぼ完成した。書名は神皇正統記としよう」
「私は親房様のお傍で、歴史に残る書物を完成させるお手伝いができましたことを、ことのほか嬉しく、また誇りに存じます。本当に久しぶりに私の祖父や父と同じ、学問に生きる殿方にご奉仕できました」
「そういえば、まつ殿は小野小町殿の末裔とか伺いましたな」
「末裔ではなく、まつは小町なのでございます」
「それは作り話としても、よくできた話じゃ。小町殿ならば、約束どおり歌合わせに興じてくださらぬか。まもなく私は小田城を去って、筑波山の西方の関城に移ることになろう。小町殿との歌合わせを常陸での思い出にしたいのじゃ」
「心得ました。では私から。ちょうど中秋の名月が昇りましたので、月に因んで、
山里に あれたる宿をてらしつつ いくよへぬらん 秋の月影
と詠んでみました。私は、筑波の小田の里で、何百年も秋の月を眺めてきました」
親房は感服して言った。
「なかなか、手馴れた達者な歌じゃ。では私の番じゃ。
いく里の月に心をつくすらん 都の秋を見ずなりしより
続いて詠んでみよう。おお、今まさしく雁の群れが流れ海の方角へ飛んでいく。
かぎりなく とほくきぬらし 秋霧の 空にしほれて 雁もなくなり
今でこそ静かな心で、まつ殿と歌を詠み合えるが、私のこれまでの人生は波乱万丈であった。隠岐島から脱出された帝、つまり後醍醐天皇様を奉じて吉野山に朝廷を開き、奥羽に息子の顕家とともに赴いたこともあった。しかし帝も顕家も、今は亡い。顕家はわずか二十一歳で、討ち死にしてしまった。親ばかといわれようが、顕家は期待の息子であった。  
今私は、この常陸で流浪の身だ。天下泰平であれば、帝に仕える学者として穏やかな人生をおくることができたであろうが、乱世ではかなわぬ夢じゃ」
まつは、悲し気に親房を見つめた。
「世に永らえば、悲しきことが多くなりまする。私も、父の任地が奥羽でございましたから、幼き頃は家人や里人に囲まれて幸せでしたが、都に上ってからは他の女官方との競争や嫉妬が渦巻く中で気配りに疲れました。その頃のことは思い出したくありませぬが、次はその頃に詠んだ歌でございます。
秋の月 いかなるものぞ 我がこころ 何ともなきに いねがてにする
私には、お慕いするお方もおりました。かつて、お仕えした菅原道真様です。道真様はじめ学者の皆様が編纂された日本三代実録を清書させていただきました。道真様は、もう唐国に学ぶものはないと、遣唐使廃止を建議いたしました。それがもとで大宰府に左遷された道真様を想うて、
人には逢はむ 月のなきには 思ひおきて胸はしり 火に心やけおり
と詠んだものでございます」親房は感嘆した。
「まさに小町殿の歌じゃな。情熱的な女心がよく詠みこまれておる。小野小町殿が道真公を想うておられたとは興味深い。似合いのご両人じゃ。次はまた私の番じゃ。
露にぬれ 霧にしほれて 足引の 山分衣 ほすひまもなし
さきだてし 心もよしや なかなかに 憂き世のことを 思ひ忘れて
この二首は我が心の歌でござる。先立った息子や帝のことを想うと、涙が乾く暇が無かったのでござる。この半年は、まつ殿とともに仕事ができて、まことに楽しく充実しておりました。しかし独りになると、今は亡き人々のことを思い出して涙にくれております」
「親房様、お名残り惜しゅうございます。都に帰られても、私、まつを、いえ小野小町を思い出していただきとう存じます」親房は少しほほえみながら言った。
「常陸で小野小町殿に遭ったという話は、土産話として都人におおいに受けそうでござる。まつ殿が小野小町殿であろうとなかろうと、私にとっては一緒に神皇正統記を完成させた同僚じゃ。ところで、まつ殿はこれからどうなさるおつもりかな」
「高師冬の軍勢が城攻めにかかる前に城を脱け出し、新治郡高岡の法雲寺に身を寄せたいと思っております。法雲寺は治久様縁の復庵宗己様が、これから正式に開山される禅寺です。聞くところによりますと、復庵様は唐国(元)の天目山に五年の間留学して修行を積み、帰国された高名な導師です。それに高師冬の軍勢とて、敢えて禅寺は襲いますまい」
「それなら、良いが・・・」
「もし、寺が攻められても覚悟はできております。これまで十分に長く生きて参りました。私は、いつ死んでも良いと思うております。実は小野家の先祖より伝わった、この翡翠の数珠を、常に身につけております。辞世の歌も用意しております。
我死なば 焼くな埋むな 野に晒せ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ
というものでございます」
「仏陀の御心に通ずる見事なお覚悟じゃ。感服仕る。このような女御が常陸におるとは今でも信じられぬ」
宝筐山に陣取る高師冬軍の篝火と月を見比べながら親房は穏やかに言った。
「月が中天にかかる。秋の夜は冷える。そろそろ館に入ろう」
親房は先に立って屋内に戻り、まつが続いた。

☆35

「浦賀沖に亜米利加の黒船が四艘も来たそうじゃ。江戸の知人が便りで知らせて来た。瓦版の読み売りによると、ペルリという鬼のような形相をした提督が、浦賀奉行に開国を迫ったそうじゃ。江戸は、御上から八百八町の下々まで大騒ぎじゃ。太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず、という狂歌が評判になっておるそうじゃ」
嘉永六年(一八五三年)初夏、常陸の土浦城下、琴平神社の境内で寺子屋天章堂を主宰する沼尻墨僊は、江戸で発行された瓦版を拡げて、男子組を教えている息子、墨潭と女子組の師匠を務める小野まつに言った。
「幕府は大変じゃ。老中首座の阿部正弘様を中心に善後策を協議しておるそうじゃが、水戸の斉昭公はじめ、開国に慎重な諸侯は多い。尊皇攘夷という言葉が独り歩きしておる。しかし、分かりやすい言葉には注意が必要じゃ。世界地理や天文や究理の学問を研究してきた私は、諸外国の力がいかに大きいものか分っておる。黒船を無理に打ち払えば、たちまち外国の軍隊に攻め込まれる口実になってしまう。近年は常陸沖にも露西亜船が頻繁に出没しておるし、清国が阿片戦争に敗れて、英吉利に香港を割譲されたことも伝わっておる」
「父上は開国すべきとお考えですか」墨潭は、身を乗り出すようにして訊いた。
「いずれは開国せねばならんじゃろう。西洋の進んだ文明を取り入れ、わが国も近代化しなければ、遅れた国になって、清国の二の舞になりかねぬ。問題は、わが国の体面を保ちつつ、いつ、どのように開国するかじゃ。難題じゃのう」
「国同士の外交は慎重にすべきです。失敗すれば取り返しがつかないことになりまする」
「無論じゃ。阿部様はじめ、老中方は賢明な方々ばかりじゃから、国の舵取りを誤ることはなかろうがのう。土浦藩も譜代大名として幕府を支えていくことになるじゃろう。土屋寅直公は今、大坂城代を勤めておられるが、優秀なお方じゃ」墨潭は、父の意見に頷いた。
「では、私どもは何をしたらよろしいでしょうか」
「今まで通り、塾生に学問を教え続けるのみじゃ。これからますます学問は大切になる。侍だけでなく、百姓、職人、商人にも、読み書き、算盤はもちろん、世界の国々の地理や外国事情、外国語、それに究理の学問が必要になる。学問を修めたものが次の若い人を教える。そのような人が多くなれば日本は西洋諸国に肩を並べて行ける。 
それには、この土浦の天章堂からも有為の人材を送り出さねばならぬ。この私でさえ、今からでも長崎に遊学して本格的に蘭学を学びたいものじゃ。そうじゃ、大坂で近頃評判の適塾で緒方洪庵先生の教えを受けてみたいものじゃな」「父上の向学心には頭が下がります」
「そなたも安閑としてはおられんぞ。新しい学問を学ぶに齢は不問じゃ」
それまで静かに聞いていた、まつが言った。
「先生。私はこれまで通り、女子組の塾生に読み書きを教えて参りとう存じます」
「これからは女子にも学問が必要じゃから、この天章堂にも女子の塾生を受け入れておる。商家の子女はもちろん、農家の娘も読み書きを学ぶべきじゃからのう。大店なら番頭が帳簿をつけて算盤を弾くが、小店でも商人の女房が帳簿や通帳をつけるようになれば、主人が助かるというものじゃ。農家の嫁も手紙の読み書きができるにこしたことはない。
そのような実用的なことだけでなく、自分の考えを書面に書くことによって表現し、心を整理するのは誠に素晴らしいことじゃ。まつ殿が指導されている百人一首や万葉集、古今和歌集の歌の道も、教養としてとても大切じゃ。日本が開国すれば子弟の教育はますます重要になる。身分が平等になり、学問さえ積めば誰でも役人や医者や学者にもなれる世の中になるやもしれぬ。子どもたちに西洋の進んだ学問を教え、広い世界に目を向けさせねばならぬ。子どもは国の宝じゃ。新しい時代の日本国を背負うのは子どもたちじゃ。まつ殿、これから寺子屋の役割は益々増していくであろう。これからも女子組の教育をよろしく頼みますぞ」
「承知いたしました」「授業開始時間じゃ。塾生達が待っておるぞ」
まつは立ち上がり、廊下を抜けて女子組の教室へ向かった。そこには、六名の女子塾生がそれぞれの文机の前で正座していた。まつも正面に正座し、お辞儀した。
「皆さん、おはようございます」「お師匠様、おはようございます」
六名の女子塾生は八歳から十二歳までの年齢で、桃割れを結い、向学心で瞳が輝いていた。
「良い季節になりましたね。本当に清々しい朝です。今朝こちらに向かう途中、堀端の枝垂れ柳の間をつばくろが飛ぶのを見ましたよ。とても気持ちよさそうに飛んでいましたね。
皆さんの家にはつばくろが巣をかけていますか」
町一番の大店である大国屋の娘、しのが一番に手を上げた。「はい、おしのちゃん」
「うちの軒先には、毎年つばくろが巣をかけます。今年もやって来て、二羽で巣作りして雛鳥を育てています」
「つばくろは何を食べますか」「虫を食べます」
「そのとおり。つばくろは田んぼの虫などを食べてくれるので、大事にしましょうね。親鳥が、薮蚊とか蜻蛉などを、雛鳥に与えているところを、私も見たことがあります。雛鳥は大きな口を開けて餌をねだっていました。とてもほほえましいですね。つばくろの親も雛鳥が大きくなるのを楽しみにして、食べ物を運んで育てているのでしょうね。
きっと、皆さんの親御さんも同じですよ。大切な娘がよく勉強して賢くなるように、天章堂に皆さんを通わせているのよ。ですから今日もしっかりと勉強しましょうね」
「はーい」六名の女子塾生は声をそろえて言った。
「今日は百人一首から、今の季節にふさわしい御歌を勉強しましょう。
春すぎて 夏来にけらし白妙の 衣干すてふ 天の香具山
まつは、大きな半紙に黒々と書いた歌を二度詠み上げた。
「これは持統天皇様の御歌です。万葉集から録られています。万葉集の元歌では、
春すぎて 夏来たるらし白妙の 衣干したり 天の香具山
となっています。では、皆さんも声を揃えて読んでください。
女子塾生たちは、大きな声で唱和した。
「よろしい。では、どんな様子を詠われたお歌か、分かりますか」
「はい」と、歳かさの塾生が手を上げた。生薬屋の娘、きくだった。
「新緑が美しい初夏の山裾で、洗濯したばかりの白妙の衣が干されていますが、その白い色が緑に映えて、とても美しいという様子です」
「よくできました。干すてふというのは、干したり、という意味ですが、万葉集の元歌よりも、音の響きを整えるために、干すてふとしているのでしょうね。ところで香具山という山はどこにありますか」今度は誰も手を上げなかった。
「香具山は奈良にあります。奈良は京の都の少し南の方角にある古い都です。大和と呼ばれることもあります。香具山は、その奈良を囲む大和三山の一つです。あとの二つは、耳成山と畝傍山です。覚えておいてね。天の・・・は、香具山にかかる枕詞です。
この歌をお詠みになられた持統天皇様は女の天皇様です。初夏の季節に白妙の衣が緑に映える景色がとても好ましく、すがすがしいと、女の細やかな気持ちを、万葉時代の御歌らしくおおらかでゆったりと表現したのですね。
それに、当時の壬申の乱という戦さが止んで天下が泰平になって、ほっとした気持ちも読み込まれているのでしょうね。夫の天武天皇様、息子の草壁皇子様が相次いで亡くなられた後、ようやく藤原京という都の造営が始まって、これから新しい国造りに頑張っていかなければという、持統天皇様のお気持ちと、美しい景色が目に見えるような見事な御歌ですね。私が大好きな御歌です。皆さんはどうですか」塾生たちは、大きく肯いた。
「では、この御歌をお手本にして手習いの稽古をしましょう。筆と硯の用意をしてください」「はーい」女子塾生たちは風呂敷包みから手習いの道具を出して、墨を磨り始めた。
磨り上がった塾生がまつから手本をもらい、習字に取り組んだ。
「おゆみちゃん、春と言う字は左右のつり合いが大事ですよ」「はい、お師匠様」
「おせんちゃん、妙という字はむずかしいわね。お手本をよく見てね」「はい、お師匠様」
「そう、そう、その調子。上手よ。あら、おたまちゃん、墨がお顔に付いちゃったわね。ほほほ、おかしいわ。後でお顔をよく洗ってね」
女子塾生たちはまつ師匠が大好きだった。いつも明るく、どんなことでも丁寧に分かりやすく教えてくれるまつ師匠は、塾生たちの憧れの的でもあった。
「まつ殿は女子塾生に慕われておるのう」
墨僊は、まつが授業を終えて自宅に帰る姿を見送っていた。彼は時々、まつの授業を参観し、いきいきとした教え方に感心していた。墨僊の言葉に墨潭が応じた。
「男の師匠では、なかなか女子塾生の心をつかむことはできませぬ。私は男の塾生には厳しい態度で接していますが、女子塾生の前では上がってしまって、よく教えることができないのです。あまり厳しくすることもできませぬ。男子と女子では行儀作法が異なります。まつ殿が来てくれて本当に助かっています」
「まつ殿は、沼尻家の養母上様の実家、小野家からの推薦で紹介されたのじゃ。遠縁の親戚筋に学問に秀でた女がおると。口頭試問を兼ねて会うてみたら、これが驚くほどの美人で才女じゃ。どこであれほどの学問を身に付けたのか不思議なことじゃ。いい年増なので身元が気になったが、何でも新治の小野荘の出ということじゃった。今は城北の龍泉寺近くに住む大工の女房じゃそうな。人に聞いたところでは、互いに惚れ合うて祝言を挙げたとか。なかなか似合いの夫婦というではないか。ただ、私にとっては少々残念じゃな」
「残念とは」墨潭は訝しげに訊いた。
「まつ殿がもう少し早く来てくれていたら、そなたの嫁にぴったりであったのにということじゃ。私も寄る歳波で、年長組の塾生に教えるのは気疲れじゃ。お前がまつ殿と一緒になって跡を継ぎ天章堂の塾頭になってくれれば、私は楽隠居して、悠々自適で暮らせたのに、残念なのじゃ。はっはっは」「おそれ入ります」墨潭は当惑して言った。
 まつは龍泉寺近くの長屋に帰宅して、戸を開け放って家の内外を掃除し、それが終わると夕餉の支度を始めていた。初夏の長い一日が終わり、陽が翳って涼風が吹き始めた。霞ヶ浦湖畔の土浦の城下は掘割が縦横に掘られ、水辺が多いので夏でも過ごしやすかった。掘割に架かる橋を渡り、大工道具を入れた木箱を肩に掛け、夕陽を背にして、藍染の股引と半纏姿の常吉が帰ってきた。がっしりとした体つきで背が高く、丁髷を粋に結った、いなせな男前の若者だった。
「おまつ、今帰ったよ」「おまえさん。お帰りなさい。お仕事ご苦労様。さあ大工道具を下ろして、この桶で足を洗っておくれ」
「おう、いつもありがとうよ。大工の仕事場は土埃や泥濘が多くて足が汚れるんだ。冷てえ綺麗な井戸水で顔を洗い、手足も洗うと、ほっとするぜ」
「夕餉の支度はできています。今ご飯が炊き上がったばかり。お味噌汁を作ればおしまいよ」
「炊き立ての飯は何よりだ。おかずは何だい。鯉のあらいかい。俺の好物だ。酢味噌で食うとうまいんだ。こいつは豪勢だぜ」
「東崎の漁師さんが、常吉さんに食べてもらいたいって届けてくれたのよ。今朝霞ヶ浦で獲れたばかりだって」
「東崎の漁師てえと、甚助か。あいつは餓鬼の頃からの友達だ。今度礼を言っとくぜ」
「それにお酒もつけといたよ。今日寺子屋のお給金が出たのよ」
「そうかい。俺は幸せもんだぜ。こんないい女房をもらってよ」
「あら、あたしだって、お前さんに負けないくらいとても幸せよ」
「へへっ。夫婦で誉め合うつうのは、照れるな。飯にしようぜ」
その晩、短い夏の夜に、常吉とまつは愛し合った。
「アアー、あんた、うれしい」「まつ、まつ。もっと、もっと幸せにするぞ。まつー」
悩ましげな声を長屋の隣人に聞かれないように押し殺しながらも、二人は声を上げずにはいられなかった。

☆36

「水が出たぞー。逆水だ。見よ、霞ヶ浦が膨らんだようだ。掘割の水嵩も上がって来た」
土浦の町では、人々が岸辺に集まって霞ヶ浦を指差して言った。ペルリ来航から数年後の秋、土浦の城下は洪水で水浸しになった。二階がある家は家財道具、衣類、畳、米や味噌などの食糧、水に濡らしてはならない証文や帳簿、その他さまざまな文書類を二階に運び、水が引くのを待った。常吉とまつのように平屋の長屋住まいの者は、知り合いの家を頼って暫く厄介になるしかなかった。幸い大工仲間の棟梁が二階の一部屋を貸してくれた。常吉がまつに言った。
「参ったなー。水が引かなきゃ、仕事に出られねえ。普請場も水を被ってどう仕様もねえ」
「本当に困ったわね。棟梁がこの部屋を貸してくれて助かったけど、この大水で寺子屋でも手習いができないし、塾生も通えないから、水が引くまでお暇をいただいちゃった」
「違えねえ。土浦は毎年のように大水が出る。何とかできねえものか」まつが言った。
「天章堂の墨僊先生のところに、よく碁を打ちに来られる長島尉信先生や色川三中先生は、霞ヶ浦の洪水の研究もなさっているの。何でも利根川と霞ヶ浦はつながっているから、利根川の洪水が霞ヶ浦に流れ込むんだって。そうすると、土浦辺りの雨が少なくても霞ヶ浦の水嵩が上がって、この辺も水浸しになるそうよ」
「利根川の水か。そうすると、よほど大きな堤を作らない限り、洪水を防ぐことはできそうにないなあ。洪水になると一番困るのは霞ヶ浦べりで田んぼを作っている百姓だ。この度の出水でも稲刈り前の稲が水浸しで芽を出してしまい、収穫できないところもあるそうだ」
「田舟を出して稲の穂だけ刈ることもあるそうよ」
まつは心配そうに言った。
「土浦は、霞ヶ浦と利根川の舟運で江戸や銚子とつながっているから栄えているんだが、こう洪水が多いと帳消しだぜ」「ほんとうにそうですね」
 天章堂の二階の部屋では、暇を持て余した沼尻墨僊、長島尉信、色川三中が集まっていた。二階からは筑波山が良く見えた。三人は傘式地球儀を囲んでいた。尉信が言った。
「墨僊先生が考案された傘式地球儀はよくできておりますな。軽いから携帯に便利だし、値も手頃じゃ」
「本格的な地球儀は値が高くて庶民には手が出ません。寺子屋で教えるには、これで十分じゃ。塾生は傘式地球儀でも地球が丸いことを理解して、目を丸くしてくれますでな」
三中も応じた。「量産されておるそうですが、注文は来ておりますか」
「そこじゃ。評判を聞きつけて全国の藩から注文が来て、すぐには応じきれんほどじゃ。少し待っていただいております。また水戸の斉昭公に献上したところ、褒状をいただいて恐縮しております」
「我が藩の山村才助先生の地理学も素晴らしいものでした。山村先生は若くしてお亡くなりになられ、まことに残念でしたが、墨僊先生の傘式地球儀も、地理学の土浦の名を全国に広めて立派なものです」
「少しでも世界地理の学問が広がるように願うて、お手伝いしておるだけじゃ」
「教育者として、墨僊先生のお志の高さには頭が下がります」
長島尉信と色川三中は改めて頭を垂れた。
「いやいや、恐縮じゃ。ところで此度の逆水は長引くのう。もう一月近く水が引かぬ」
長島尉信は筑波山麓の小田村の名主だったが、測量術を学び、田制と検地の研究をして、土浦藩に認められ、士分として苗字帯刀を許されていた。さらに尉信は、土浦が洪水被害を蒙った歴史を詳しく記述した『土浦洪水記』を著していた。尉信が言った。
「潮来から来た高瀬船の船頭に聞くと、潮来や佐原も同じような状況で困っておるそうです。何しろ利根川の水が鹿島灘に流れずに滞留しておるのです。徳川家光公の頃、利根本川の川筋を付け替えて、常総に流れるように、大きな川普請を行いましたな。
それに加えて、天明三年の浅間山の大噴火後、火山灰や土砂が利根川に流れ込んで川底を浅くしておりますので、益々、利根川の水が銚子口の海に吐けなくなっている理屈です。そのため霞ヶ浦では、利根川の水が溢れて、二、三年を置かずに洪水が起きます」
墨僊が応じた。
「道理じゃ。利根川の瀬替えで、江戸の町は水害が減ったが、お陰でこちらは大迷惑じゃ。此度は秋じゃが、梅雨時の洪水も困りものじゃ。植えたばかりの稲の苗が水を被ったり、浮き上がってしまったりする。どうにかならんものかのう」
今度は、土浦城下で薬種商と醤油醸造業を営む色川三中が言った。
「霞ヶ浦沿岸全体の農地を水害から守ることは今の普請の技ではなかなか難しゅうございます。これまでも牛堀や潮来の前の川が土砂で栓塞していることが根本的な原因として、洲浚いやまこも流し、すなわち水行直しをして、洪水を早く下流に流す案を、地元の有力名主たちが幕府に願い出たことが何度もございました。
幕府は、自普請ならと許可を出したのじゃが、費用と人足が不足して、村々の大きな負担となり、結局頓挫してしまいましたなあ。霞ヶ浦沿岸の洪水を抜本的に改善することは、今の普請の技ではとても無理でしょうが、土浦の町を守る方法はございます」
「ぜひ伺いたいものじゃ」尉信は身を乗り出し、三中の次の言葉を待った。
「それは土浦の町と霞ヶ浦の湖岸の谷原との間に高い堤を築くことです。堤があれば、町を洪水から守ることができるはずです」
三中は自信満々の顔をして答えた。しかし、墨僊は慎重だった。
「良い案だが大普請になるのう。谷原は地盤が弱いので大量の石や土が必要になろう。その費用も巨額なものになろう。どのように普請費用を工面するかじゃ。今の藩財政ではまず無理よのう」尉信は重要な点を指摘した。
「仮にそのような大普請ができたとしても、土浦には桜川や川口川が流れております。湖岸に堤を築いても洪水は川を遡るであろうから、川沿いにも強固な堤を築くか、河口近くに鉄製の頑丈な水門を設置しなければならぬ。それは今のわが国の技では無理じゃ」
「それは私も考えました。今は不可能でも、開国して西洋の技を導入すれば、いつかは可能になると信じます。実は土浦の洪水を防ぐための方策を記した書物を弟の美蔭とともに今まとめております。題名も決めてあります。『逆水防議』というものです」
墨僊は相好を崩し穏やかな表情を見せて言った。
「それは楽しみじゃ。今は技術的に不可能でも、それを読んだ後世の人が実現してくれるかも知れぬのう。脱稿したら真っ先に読ませていただこう。のう、尉信殿」
「まったくでございます、墨僊先生。土浦は人材が多いですな」
墨僊と尉信、そして三中はさらに話の花を咲かせ、お互いに認識を深め合った。話に疲れると碁盤を囲んだ。

☆37

さらに十日ほどして水が引き始めた。掘割の水位が下がり、水没していた町屋の一階の床が現れると、人々は急いで床に溜まった泥や芥を洗い出した。泥が乾いてから掃除をするのでは、埃が舞って難儀な作業になる。度重なる水害の経験から学んだことだった。窪地には鯉や鮒が溜まっているので簡単に獲ることができた。これは洪水後の楽しみだった。洪水が引いて徐々に乾いてきた土地を人々は久しぶりに歩いた。天章堂が再開され、塾生たちがまた通いだした。まつも女子塾生たちを迎えて洪水時の避難の話で盛り上がった。
まつと常吉は、出水前に住んでいた長屋に戻った。常吉は、町外れの普請場で大工仕事に精を出した。常吉の普請場が再開して一月半ほど過ぎ、年の暮れの上棟式の日となった。上棟式では、お祝いに集まった近隣の人々に小餅や小銭を屋根から撒くのが慣わしだった。
常吉は、まつを上棟式に呼んだ。神主の祝詞の後、棟梁が榊の玉串を奉納し、施主と大工一同が一礼し、御神酒を杯一杯いただいて上棟式は終了した。大工一同が二階家の屋根に登り、四方八方に小餅や小銭が威勢良く撒かれた。子どもたちはじめ、集まった人々は歓声を上げて、撒かれた餅などを競って拾った。まつは遠慮して遠巻きに見ていたが、楽しそうな人々につられて拾おうとしたが、先を越されてなかなか拾えなかった。まつは大声で叫んだ。
「あんたー、こっちにも撒いてよう」
その声に気付いた常吉が振り返った一瞬、足が滑り、体の平衡を崩して逆さになって転落した。運悪く常吉の頭が庭石用に搬入してあった岩に当たった。人々は一瞬息を呑んだ。
次の瞬間、まつの絶叫が響いた。「きゃあー、あんたあー」
まつは常吉に駆け寄り、上半身を抱えてなおも呼びかけた。頭から血を流した常吉はうっすらと目を開け、意識が遠ざかりながら微かな声で言った。
「・・・俺としたことが油断したぜ。・・・ちょっとお神酒を飲み過ぎたかな。・・・猿も木から落ちるとは、このことだ。・・・どうもお終えのようだ・・・」
「何を言ってんだい。あんたあ、しっかりしておくれよー」
「お医者様だ。辻先生を呼べ」「よーし、おいらが呼んでくる」
若い衆の一人がそう応えて、町医者で土浦藩の侍医も務める辻元順の診療所に走った。辻玄順は、紀州の華岡青洲に最新医学を学び、名医の誉れ高かった。
「お医者が来たぞー。道を空けろ」
辻医師は常吉の容態を一目見て言った。「これはいかん」
それでも辻医師は常吉の脈を取り、目を調べたが、頭をゆっくりと振った。
「残念じゃが、私にもどうすることもできぬ」それを聞いたまつは、また泣き崩れた。
「おまつ・・・、お前を残して・・・先に逝くのは悔しいが、これも定めだ・・・。短けえ間だったが・・・、おいらは・・・幸せだったぜ、・・・ありがとうよ」
常吉は虫の息で、かすかに言ってこと切れた。
「あんたあ、あたしを残して逝かないでおくれよう。あたしが声さえ掛けなければこんなことにならなかったのにー。あんたあ、あんたあー」
まつの慟哭の声が、初冬の夕闇が迫る中で響いた。
常吉の遺体は大工仲間の手で戸板に載せられ、長屋へ運ばれた。その夜は蝋燭が灯され、通夜になった。親戚縁者、大工仲間、近隣住民、幼馴染等、誰にも好かれ、人気があった常吉の突然の死を悼んで、深夜まで弔問者が絶えなかった。天章堂からの供花も供えられ、墨僊、墨潭父子も弔問に訪れた。常吉の遺体は部屋の奥に布団を敷いて安置され、顔は白布で覆われたが、常吉の老いた両親が駆けつけた時には白布が取られ、息子の死顔と対面した。
「常吉―、年寄りを置いて先に逝くなんて、あんまりだ・・・。自慢の息子だったのに・・・、ああ、神も仏もないのかー」両親は慟哭し、その涙が常吉の頬を濡らした。
翌日、葬儀が営まれた。常吉の遺体は白装束に包まれ、額には白い三角の布が巻かれ、丸い棺桶に納められた。龍泉寺の住職が般若心経を読み上げた。読経の声が静まりかえった長屋中に厳かに響き、改めて会葬の人々の悲しみを誘った。常吉の死を悼む人々の中には、部屋に入れずに長屋の外で合掌する人もいた。
まつの教え子の女子塾生も小さな両の掌を合わせていた。喪服を着たまつは、涙が涸れ果てたように悄然としていた。ほとんど言葉を発せず、線香を上げる会葬者に小さく頭を下げるだけだった。その手には、翡翠の数珠が握りしめられていた。
常吉の棺桶は縄を掛けられ丸太が通されて、大工仲間が両端を担いだ。夕刻、葬儀の列は、住職を先頭に龍泉寺の墓地にゆっくりと向かった。墓地の外れに新しく掘られた穴に棺桶が下された。洪水が引いて間もないため、地下水位が高く、穴の底には泥水が溜まっていた。近親者の代表として、まつが最初に土塊を入れると、それを待っていたように近親者が続き、さらに寺男たちが棺桶に次々に土を被せた。小さな塚が築かれ、真新しい卒塔婆が立てられた。葬儀が終わり、会葬者が帰り始めた。墨僊がまつに声をかけた。
「まつ殿。この度は無念なことであったが、気をしっかり持つことじゃ。塾の方はしばらく休み、気が落ち着いたらまた女子組を担当してもらえればありがたい。まつ殿は女子組の子どもたちに慕われておるからのう」
「お心遣い、まことにありがとうございます」まつは小さな声で応じた。
その晩、気落ちしたまつを心配した親戚が話し合って、常吉の妹のさえをまつに添わせた。
「お義姉様。兄様は遠くへ旅立ってしまったけれど、私にたくさん思い出を残してくれました。掘割で一緒に魚釣りをして、鰻を釣ったこと、近所の意地悪の悪童たちから守ってくれたこと、それは優しい兄様でした」
まつは、さえの話を聞きながら、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「常吉さんは男らしく気風が良くて、誰にでも頼られる、本当に優しい人でしたねえ。私にもこの上なく優しくしてくれて・・・。あの人が、今帰えったよって、また戻って来てくれるような気がするの」
「無理もありません。兄様とお義姉様は本当にお似合いの夫婦でしたもの」
「あの新しい卒塔婆は、あの人のものとは信じられなかったわ。でも現実なんですね。棺桶を下した穴の底に、冷たい泥水が溜まっているのを見た時はぞっとしたの。常吉さんをあんな冷たい暗い穴に埋めなくてはならないなんて気が狂いそうだった」
「お義姉様、あまり深く考えないようにしましょう。昨日からほとんど寝ておられないでしょう。今晩はこれまでにして休みましょう」
「ありがとう。そうするわ」二人は灯明が灯る部屋に布団を敷いて横になった。
次の日、さえは葬儀の後片付けを終日手伝った。夕方、まつが言った。
「お陰で随分片付いたわ。おさえちゃんも疲れたでしょう。今晩は私一人でも大丈夫よ」
「そうですか。お義姉様、まだ無理をなさらないで、気を強く持ってくださいね」
「ありがとう。でも大丈夫よ、だいぶ気分が落ち着いたみたい」
その言葉を聞いて、さえは少し安心して実家へ戻った。
その晩、丑の刻、まつは意を決し、身支度して戸を開け、長屋を失踪した。
翌朝、墓地を見回った寺男は新仏の墓の異変に気づいた。すぐに本堂に駆けつけ、朝の御勤め中の住職に伝えた。
「和尚様、大変です。大工の常吉の墓が荒らされております。野良犬かもしれませぬ」
「何と常吉の墓が。すぐ参ろう」住職は現場を視て、寺男に言った。
「やむをえぬ。常吉の遺体がどうなっておるか、掘り返してみよ」「へえ、和尚様」
寺男は鍬を持ってきて急いで墓を掘った。
住職は、ほどなく現れた棺桶の蓋を開けさせ、合掌した後、常吉の遺体を確かめた。
「常吉は眠っておるような安らかな顔じゃ。特に異常はないようじゃが」
「あっ、和尚様。ご覧くだせえ、常吉の肩の肉が切り取られたような跡が・・・」
「そのようじゃの。いったい誰がこのような仕業を・・・。不思議なことじゃ。じゃが、ここで騒ぎ立てるのは得策ではなかろう。とりあえずこのことは内密にしておく方が良さそうじゃ。よいか、このことは他言するでないぞ」「へえ、承知しました」
「うむ。ではまた埋め戻して、表からわからぬように」
住職は寺男にそう命じて合掌し、本堂に向かった。
天章堂では、女子組師匠のまつが行方不明となってから、やむを得ず墨潭が女子組を担当したが、まつのように女子塾生の心を捉えて教えることができず、困り果てることが度々だった。墨潭は嘆息しながら言った。
「まつ殿が戻って来てくれれば良いのだが、いったい何処へ行かれたのか。余程、夫の死が心の傷になったのかのう」
一年後、墨僊は惜しまれながら亡くなり、墨潭が後を継いだ。天章堂はその後、明治五年まで続いたが、学制発布で土浦小学校が開校すると、城下町で庶民教育に永く大きな貢献をした寺子屋天章堂は役割を終え、廃校になった。

☆38

西暦二〇一X年五月、茨城県土浦市霞ヶ浦湖畔。爽やかな風が広い湖と葦原の上を吹き抜けていた。しかし葦原はわずかに残っているだけだった。数十年前コンクリート堤防が建設される前は、幅広い葦原によしきりが渡って来て、うるさいほど囀っていたが、今はこの鳥の鳴き声も少ない。かつて長雨が続く増水時には、葦原が水に浸って、夥しい魚たちが押し寄せ産卵した。まもなく孵化した稚魚は、餌が多い葦原近くの浅瀬で成長した。鯰のような大きな肉食の魚から、密に林立する葦の茎が稚魚を守ってくれた。
葦原には増水時に大量の流木、植物断片、プランクトン類など有機質の残査が遺され、ゆっくりと分解され、養分となって葦を成長させた。葦原が霞ヶ浦の心臓部であり、浄化器官であり、生殖器官でもあった。葦原を潰してしまったことによって霞ヶ浦の野生や自浄作用が失われてしまったが、住民も行政職員も、それに全く気が付いていなかった。
茨城県立霞ヶ浦研究所の若手研究員である永作龍平は、霞ヶ浦の水質を改善するプロジェクトをどのように立ち上げたらよいか研究していた。数年にわたる調査の結果、葦原の重要性に着目するようになったが、霞ヶ浦がコンクリート堤防に囲まれてしまった現状を見ると、葦原を増やすことがいかに困難かを痛感し、壁に突き当たったような気持ちになっていた。
この日は休日で、龍平は気分転換に釣りを楽しむことにした。研究所から近いコンクリート堤防から釣り糸を垂れると、アメリカナマズが釣れた。四十センチメートルほどのサイズだった。釣り針から外そうとすると魚が暴れ、胸びれの鋭い刺で、指を刺してしまった。少し出血した指先を舐めて辛うじて止血すると、用意してきたバケツに魚を入れた。気を取り直してまた釣り糸を垂らすと、ほどなく当たりがあり、またアメリカナマズが釣れた。
―またアメリカナマズか。入れ食いになってきたな。やっぱり増えているんだなー
龍平は簡単に二匹釣ったところで、用意してきたテルモスのコーヒーをカップに注いだ。背後に人の気配を感じて振り向くと、白い日傘をかざした女が、白いワンピース姿で、にこやかに立っていた。
「こんにちは。お魚釣り、お上手なんですね。このお魚は見たことがないわね。何というお魚なの」耳に心地好いアルトの声で、女は話しかけてきた。
「アメリカナマズです。アメリカではチャネル・キャットフィッシュと呼ばれます。養殖していたものが逃げて霞ヶ浦で増えたんです。外来魚の一種ですね」
龍平はそう答えて、あらためて女を見た。女は良平のそばにしゃがみこんだ。彼女は上村松園の美人画から抜け出したような整った顔立ちながら、涼やかで愛嬌がある眼で、肩まで長い髪をたらし、透き通るような白くきめ細かい肌をしていた。これまで龍平は、これほどの美女と話をしたことがなかった。しかし、彼女は人懐こく微笑し、不思議な親しみを感じさせた。女が言った。「昔から霞ヶ浦にいる鯰は、今もいるのかしら」
「日本鯰ですね。産卵する場所が少なくなったりして、霞ヶ浦では日本鯰は激減しています」
「まあ、残念だわ。日本は戦争だけでなく、鯰の世界でもアメリカに負けたのかしら」
「おもしろい発想ですね。でも、戦争と鯰は直接の関係はないでしょうね」
「それはそうね。ごめんなさい、へんなこと言って。うふふ」
彼女との会話がつながったので、龍平はうれしくなった。
「釣ったお魚はどうするの」女は、また、アメリカナマズに興味を示した。
「一匹は持ち帰って調理して食べます。残りは霞ヶ浦に戻します」「お味はどうなの」
「おいしいですよ。アメリカのルイジアナ州では、名物のケイジャン料理で食べるそうです」
「そうなの。あたし、一匹いただいていいかしら。試してみたいの・・・」
「ぜひどうぞ。後でビニール袋に入れますよ」「ありがとう。どう料理すればいいの」
「川魚ですが、それほど泥臭くありません。頭を落として血抜きし、内臓を取ってから薄い切り身にして、油でから揚げするか、衣をつけて天婦羅にするのが一般的ですね。サクサクしてクセがなく食べやすいですよ」
「それなら、お手のものよ。すぐトライしてみるわね。実はあたし、土浦の桜町で小さなお店やってるの。一度いらしてくださいな。鯰料理、おいしくできたら食べていただきたいわ」
そう言うと、女は名刺を取り出して龍平に手渡した。龍平が角を丸くした小ぶりの女ものの名刺を見ると、『バー真知子』と印刷してあった。
「バーのママさんか。名前は真知子さんでいいですか」
「そうよ、いつもお客さんを待ってるから、まちこよ。きっと、いらしてくださいね」
真知子は悪戯っぽく笑った。
「なるほど、分かりやすい名前ですね。じゃあ、今日は仕事も休みで、夜は予定がないから、今晩行ってみます」「うれしい。お待ちしてるわね」
「ちょっと待ってください。魚をビニール袋に入れますから。その前に刺が危ないから、切っておきますよ」
そう言って龍平はバケツからアメリカナマズを取りだし、胸びれと背びれの刺をニッパーで切ってから厚手のビニール袋に入れた。魚を受け取った女は、微笑んで会釈し、ビニール袋を下げて、堤防の上に止めてあった自転車で土浦の街の方向へ走り去った。白いワンピースの裾と長い黒髪が風になびいた。龍平は真昼の霞ヶ浦湖畔で、天女に遭ったような面持ちで呆然と見送った。

☆39

 その晩、龍平は名刺の番地を頼りに、桜町の『バー真知子』を探した。表通りから入った小路の奥に、そのバーはあった。ドアの上に小さなネオン看板が掲げてあり、女郎蜘蛛のエンブレムが妖しく光っていた。龍平がドアをそっと開けて中をのぞくと、カウンター席が七つばかりある細長い間取りで、先客が一人いた。中は薄暗く、カウンターテーブルだけが、やや明るく照明してあった。襟を立てた青いブラウスに黒のタイトスカートの真知子はカウンター内で一人の客の相手をしていた。真知子は首に翡翠の頸飾をつけていた。   
龍平は、ちょっと躊躇したが店内に入り、カウンターに近づいて挨拶した。
「今晩は、昼間はどうも」
真知子は誰が入ってきたか、わからない様子だったが、カウンターの明かりで龍平の顔を見て言った。
「あら、いらっしゃい。あなただったの。よく来てくださったわね。この店、わかりにくかったかしら」「名刺の番地をみて来たから、すぐわかったよ」
「来てくださって、うれしいわ。あれから戻って、すぐ鯰を捌いて、から揚げにしてみたの。付き出し替わりに食べてみて」
そう言うと真知子は、から揚げを三切れほど小皿に盛りつけて、カウンターに出した。
「レモンを絞るといいわね」
龍平は言われたとおりに、半分にカットしたレモンを手でギュッと絞ってかけた。箸で食べてみると、柔らかくあっさりして癖がなく、おいしかった。
「なかなかおいしいよ。いけるね」
「お刺身も食べてみて。薬味はにんにく、生姜、お好みで。ポン酢もいいわよ」
「にんにくで食べてみよう。おー、アメリカナマズの刺身、いけるね。うまい」
「でしょう。あたし、新鮮なお魚はお刺身にしてみるの。加熱してないから栄養素が壊れてないのよ。うちの名物料理にしようかしら。お魚の刺身をにんにくや生姜で食べると多少の臭みは気にならないでしょう。それに、にんにくにはアリシン、生姜にはショーガオールとかジンゲロールという成分があって、食べると元気が出るのよ」
真知子は楽しそうに応じた。その会話を聞いていた先客がいらいらした調子で言った。
「おい、真知子。そんな若僧、ほっとけ。こっちでお酌してくれよ」
「はいはい。ちょっと待ってね。こちらのお兄さんに、お酒を差し上げてからね。お兄さん、お酒は何がいいかしら?」
龍平は、ずらりと酒瓶が並んだ棚を眺めながら言った。
「そうだなあ。バーボンは何を置いているの」
「一通りそろえているわ。ワイルド・ターキー、ジャック・ダニエル、ジム・ビーム」
「じゃあ、ワイルド・ターキー。ツーフィンガー。ロックでね」「オーケー」
慣れた手つきで真知子はウィスキーグラスにバーボンを注ぎ、氷を入れてタンブラーで軽くかき混ぜた。「はい、どうぞ」
「何がバーボンだ。何がツーフィンガーだ。気取りやがって。おい、真知子。こいつはどこの馬の骨だ。どこに転がってやがった」
先客の男がからんできた。すでにかなり酒が入っているらしく、体が大きく揺れ、呂律が回らないようだ。
「馬の骨なんて失礼よ。こちら、今日の昼間、霞ヶ浦の堤防でお会いしたばかりなの。釣った鯰をいただいたのよ」
「ついでに若い男も釣り上げたってわけか。いや、女郎蜘蛛の真知子さんが蜘蛛の巣に獲物をひっかけたのか。相変わらずだな」
「本当に口が悪いわね。それとも、ジェラシーかな。こちらのお兄さんに妬いてんのね」  それを聞いて、初老の酔漢は逆上した。
「うるせえ。その生意気な口をふさいでやる。若造、ついでにお前もだ」
と、先に龍平に殴りかかってきた。
とっさに男の拳をかわした龍平は、その腕を取って後ろに回り、強力にねじり上げた。
「痛たた。止めろ。離せ。腕が折れる」
「今夜は大人しく帰ってください。でないと警察を呼びますよ。先に殴りかかってきたのは、お父さんの方ですからね」「お前にお父さんと呼ばれる筋合いはない」
「それなら先輩。いい加減にして、静かに帰ってくれませんか」
龍平はさらに力を込めて言った。男はうめきながら言った。
「うー、痛い。分かった。済まなかった。今日は日が悪かった。謝る。帰る。約束するから、腕をはなしてくれ」龍平が腕をはなした。
「あー、痛え。馬鹿力だ。見かけによらず、とんでもねえ野郎だ。おい、ママ。帰るぞ。いくらだ」「一万円に負けてあげるわ」
「酒一杯で一万円か。ここは、ぼったくりの暴力バーか。この兄ちゃんは用心棒か」
「人聞きが悪いわね。気取って、レミー・マルタンのエックス・オーなんかオーダーするからよ。最高級ブランデーだし、おつまみもついて一万円なら安いわよ。それに、あたしの美貌を拝んだのだから当然よ」
「しょってるな。もっとも、真知子ほどの美人ママは、桜町の飲み屋街じゃ、他にはいねえよ。違えねえ。また来るからな。今度は観音様を拝ましてくれよ。じゃあな」
酔漢は一万札をカウンターに叩きつけるように置いて、捨てぜりふを吐いて出ていった。
「ふん。二度と来るな、助平親父。いやらしいったらないわ。お塩でも撒こうかしら」
真知子はドアに向かって、アッカンベーをして言った。彼女の気風の良さに、龍平が驚いた顔をしているのを見て、あわてて言った。
「あら、恥ずかしいところをお見せしてしまったわね。はしたない言葉を使ってしまったりして。本当は淑やかなのよ。とても怖かったの。ほら、まだ体が震えてる」
真知子は龍平の手を取って、自分の胸に当てた。龍平は、形よく盛り上がった真知子の胸に触れて、あわてて手を引っ込めた。
「うふふ。純情ね。でも見かけによらず、お兄さんは強いのね。見直しちゃったわ」
「学生時代に、合気道をちょっと習ったんだ」
「そうなの。頼りになるわね。あの酔っ払いが言ったとおり、用心棒に雇いたいくらいだわ」
「勘弁してくれよ。これでも公務員で、霞ヶ浦の水質を研究しているんだ」
「あら、お堅い仕事ね。ところで験直しに、あたしもお酒いただきたいわ」「何でもどうぞ」
「そうね、カクテルにしようかしら。バーテンダーの勉強もしたからカクテルも作れるの。あまりレパートリーは多くないわ」
そう言って真知子はカウンターにカクテルグラスを二つ置き、シェーカーにリキュール類を入れて、慣れた手つきでリズミカルに振って青色のカクテルを作った。
「まだお兄さんのお名前を聞いていなかったわ」真知子は龍平の眼を真っ直ぐ見て言った。
「僕は永作龍平です」「そう、龍平君ね。どうぞ」
龍平と真知子はグラスの縁をそっと合わせ、目と目で乾杯し、カクテルを味わった。爽やかで、口あたりが良い柔らかい味がした。「見た目より、飲みやすいカクテルだね」
「エメラルド・ラグーンよ。あたしのオリジナル・カクテルなの。ベースにしたブルー・ラグーンというカクテルは、ウオッカ、ブルーキュラソー、レモンジュースで作るんだけど、少しアルコール度が高くて硬い感じなの。それでウオッカの量を減らして、関東灘と云われる石岡の蔵元の日本酒を加えると、和風で柔らかい味になるの」
「それがエメラルド・ラグーンか。エメラルド色の珊瑚礁という意味だよね」
「ラグーンというのは、本当は浅い潟湖という意味でしょ。大昔、霞ヶ浦は波静かな入江で浅い潟湖、つまりラグーンなのよ。ラグーンと言えば、久しぶりに、ハリー・ジェームス楽団の『スリーピー・ラグーン』を聴きたくなったわ」
 真知子は、レコード・ラックから、『スリーピー・ラグーン』のジャケットを探し出して、ステレオ装置に掛けた。
「へえー、今時、レコードなんて、珍しいね」「あたしのバーでは、レトロが似合うのよ」
 甘いメロディーが流れ始めた。
「この曲は、一九四二年、つまり日本とアメリカが戦争を始めた翌年、アメリカで大ヒットした名曲よ。ハリー・ジェームスのトランペットの音色が素敵ね。アメリカ人はこの曲を聴きながら、日本やドイツと戦争していたんだから、随分余裕あるわよね。そんな国に戦争を仕掛けるなんて、あの頃の日本の指導者は馬鹿みたい。日本が勝てるわけがないわ。
『鬼畜米英。欲しがりません、勝つまでは』なんて言いながら耐乏生活をしてたんだから。あたしは、戦後、ラジオのFENでこの曲を聴いて、感激して夢中になってしまったの。霞ヶ浦にぴったりの曲だと思ったわ」
真知子は遠くを見るような目をして話し続けた。
「昔、奈良時代の霞ヶ浦は入り江で、水が澄んでいて、文字通りエメラルド色に輝くラグーンだったの・・・。海水が入ってきて、鯛、鱸、鰊、河豚、鯔のような色とりどりの綺麗なお魚達が泳いでいた。小型の鮫や海亀もいた。蛤、浅利、帆立、牡蠣、赤貝・・・、貝もたくさん獲れたの。広い砂浜があちこちにあって、夏が来るのを待ちきれない子ども達が泳いでいたの。災害も少なくて、海の幸、山の幸が豊富で飢える人もなく、温暖で暮らしやすい理想郷のような地方だった。その時代の常陸国風土記には、常陸は常世の国と書かれているわね。その頃は霞ヶ浦とはまだ呼ばれてなくて、常陸の流れ海と呼ばれていたの」
「見てきたように言うんだね」
「あたしの家では、代々そういう話が伝わっているのよ。まあ、見てきたようなものと言ってもいいわね」
龍平はあらためて真知子を見た。瞳の奥に吸い込まれそうな眼をしていた。
「このカクテルを時々作るの。気持ちが落ち込んだ時は気が晴れて、元気が出るわ」
真知子と龍平は、カクテルを飲みながら霞ヶ浦について話した。龍平が言った。
「霞ヶ浦って、広いから心が晴れるんだ。回りに高い山がないから開放的で、開けっ広げという感じがする。それが山に囲まれた湖とは違う印象だね。周りではたくさんの住民が暮らし、田圃やハス田や畑を作っている農地だから、そこから生活排水や肥料分が流れ出て霞ヶ浦が汚れてしまうんだ。その量が適度なら、霞ヶ浦の生き物を育て、豊かにしてくれるんだ。
霞ヶ浦は、縄文時代から周りにたくさんの人が住んできた人間くさい湖だね。それが霞ヶ浦の長所であり,同時に短所でもある。矛盾に満ちた湖なんだ」
「そうね。栄養分が流れこむから、本来豊かな湖なんだけど、栄養分が多過ぎるようになったのね」「ほう、勉強しているね」
「茨城県のパンフレットで読んだのよ。私も県民の一人ですもの。霞ヶ浦の恵みをもらいながら、霞ヶ浦を汚しながら暮らしているのよね。私も矛盾した存在だわ」
真知子は嘆息した。龍平が続けた。
「人間なんて、いつの時代も、どこで暮らしても、矛盾した存在かも知れないなあ。自然と人間の関係なんてそんなものかな。自然との共存とか共生というのは、現実的にはどこかで折り合いをつけて生活することに過ぎないと思うな。自然保護と簡単に言うけれど、人間が自然を守るなんておこがましいのかもしれないなあ。自然保護と言いさえすればマスコミが取り上げる。自然保護が絶対正義とか、逆に、開発が絶対悪とか、簡単には言えないよなあ」「ふーん。公務員にしては、よく分かっているわね」
「公務員だからこそ、分かるんだよ。いつも住民の利益と自然保護と霞ヶ浦の水質保全との間で板挟みさ」真知子は、カクテルを飲み干して言った。
「ねえ、龍平君。この後、あたしの部屋で飲み直さない? 霞ヶ浦のそばのマンションよ」
「え、いいのかい」「いいわよ。ちょっと待って。タクシー呼ぶから」
真知子は電話でタクシーを呼んだ。
「もしもし。桜町の真知子です。一台お願いね。十分くらいね。はい、よろしく」
真知子は慌しく店を片付け、戸締りすると、龍平と表通りに出た。そこで待っていたタクシーに乗り込んだ。「港町のマリナーズマンションへお願い」
タクシーはJR常磐線にかかるガード下を抜けて霞ヶ浦側に出た。湖畔に黒々と立つマンションの前に着いた。各階に小さな照明が規則的に点灯し、近未来の建築物のようだ。タクシーを降りた二人は、真知子の認証カードで入り口のドアを開け、エレベーターで七階に上がった。七階の奥が真知子の部屋だった。「さあ、着いたわ。どうぞ」
真知子の部屋はすっきりと片付いていた。照明だけでなく、カーテン、ソファ、カーペット、ベッドカバーも青で統一されていた。部屋の隅に大きな水槽があり、青色のライトの中で一匹の黒く光る鰻が飼われていた。「海の中にいるみたいだね」
「霞ヶ浦の中よ。霞ヶ浦は昔、海だったから、海の中でもいいけどね。今の霞ヶ浦は濁っているけど、いつかは青い霞ヶ浦を取り戻せたらと思って、部屋のインテリアの色調を青に統一してるの。とても心が落ち着くわ」二人は鰻の水槽の前に立った。
「鰻のクロちゃんよ。恋人替わりなの」「女性が鰻を飼うなんて、なんだかエロチックだね」
「男性って、すぐ妄想し始めるのね」龍平は真知子の目を真っ直ぐ見て言った。
「鰻と僕とどっちがいいか。試してみないか」真知子の瞳が潤んだ。
二人は抱き合い、唇を求め、ベッドの上に倒れこんだ。衣服を脱ぎ散らしながらお互いを貪るように求め、青い湖水の底で交わる鰻の雌雄のように体を合わせた。青色の柔らかいライトに照らされて、真知子の白い肌は青いバラの花弁のように染まった。真知子の首には、翡翠の首飾りがかけられていた。振動を感じたのか、水槽の鰻もゆっくりと動き回った。
どれくらい時間が経ったのか。龍平と真知子はベッドから出て、裸のまま窓のカーテンを開けた。窓の下には霞ヶ浦の湖水が見えた。風が少し出てきたようだ。縮緬のような漣が中天に達した月の光を反射して輝いていた。二人は無言で湖面を見つめた。

☆40

 龍平は、真知子の部屋で過ごした一夜が現実とは思えなかった。思い出そうとしても細部は記憶になく、ただ深い青い海の底のような部屋で、やはり青く妖しくうごめく軟体動物のような真知子の肢体の感覚だけが、自分の体のいたるところに滑らかな皮膚の温もりとして残っていた。
―あれは夢だったのかー
龍平は、霞ヶ浦研究所で白衣を着て、分析機器を前に嘆息していた。水質分析の仕事が手につかず、実験台の前でボーッとして数日間を過ごした。目を閉じると真知子の顔と体が交互に浮かんできた。
―真知子にもう一度会いたいー
龍平は一週間目の夜、桜町へ向かった。『バー真知子』は、狭い小路の隅にあり、ドアの女郎蜘蛛のエンブレムが妖しく光っていた。龍平はドアを押した。今度は二人の先客がいた。初老の紳士だった。二人はカウンターで飲みながら、上機嫌で真知子と談笑していた。
「あら、龍平君。いらっしゃい。ちょうど良かった。ご紹介させていただくわね。こちらは、常陸大学医学部付属病院の岩瀬教授、老年医学がご専門なの。そしてこちらが中条病院の中条先生、診療のかたわら農村医学を研究されているの」
「はじめまして、永作龍平と申します。茨城県の霞ヶ浦研究所で水質を調べています」
「専門家がそろったわね。私は管理栄養士の資格を持っているの。学校給食や老人ホームの栄養士も務めたことがあるのよ」
「ママの栄養学の知識には医者も敵わないな。私らと対等に議論するのだからたいしたものだ」岩瀬と紹介された医師が言った。
「ここのママはただの美人じゃない。美人は世の中に掃いて捨てるほどいるが、インテリ美人は捨てがたい」もう一人の中条医師も肯いた。真知子が言った。
「インテリだなんておそれ入ります。でも先生方は、いつも掃いて捨てる程の美人看護師に囲まれているんですか。世の男性達がうらやましがるわよ。うふふ」中条が慌てて言った。
「一応、うちの病院の看護師さんたちに敬意を表しておくよ。後で怖いからね」
真知子が微笑しながら続けた。
「先生方、今宵はゆっくりやりましょうね。まだ宵の口なんですから。夜は長いのよ。まず、かけつけ三杯ね。龍平君、ワイルド・ターキー。ロックでいいかしら。ツーフィンガーで」
「今日はストレートで。ストレート・ノーチェイサー、ツーフィンガー」
「おお、バーボンだね。ストレート・ノーチェイサー、ツーフィンガー。実にいい音の響きだね。セロニアス・モンクのスタンダード・ナンバーだ。若い頃は、ジャズを聴きながら飲んだな。ハンフリー・ボガートを気取ってな」真知子がすかさず応じた。
「セロニアス・モンクね。今、レコードをかけるわ」
 真知子がレコード・ラックから、一枚の古いレコードを取り出し、ステレオ・コンポにかけた。部屋に、ジャズの心地よいリズムが流れ始めた。中条が、相好を崩して言った。
「若い頃を思い出すな。ジャズを聴きながら、浴びるほど飲んだこともある。懐かしいな。今じゃ酒量が落ちたよ。もっぱらスコッチだ。スコッチは奥が深い」
中条は上機嫌で続けた。
「昔、開業したての頃、ヤクザの親分の刀傷を治療したことがあった。その親分が治療費替わりにくれたのがシーバス・リーガルだった。貧乏医学生の頃は安酒しか飲んだことがなかった。医者になって飲むようになったのがバーボンや角瓶だ。飲んだくれの医者には角が合うんだね。そこへいきなりシーバスだ。あの芳香、滑らかな喉ごし・・・。口の中で薔薇の花が開いたような気がした。それからスコッチに目覚め、ブレンドに飽き足らず、シングル・モルトにたどりついた。今はザ・マッカランやグレンフィディックに入れ込んでいる。若い時に比べると酒は進化したが、体は老化したね。残念ながら若さは取り返せない。若さは貴重だ。思えば学生時代、仲間と安酒で語り明かした頃がなつかしい。あの頃に戻りたいなあ。なあ、岩瀬先生」
「私も同感だね。今晩のように教授会の帰りに、真知子ママのところで、スコッチをすこっち、いただきながら、管まくのが楽しみだよ。やはり老化現象かな」
「うふふ、王道のようなダジャレね。良かったけど、平凡ね。でも、お固いお医者様としては上出来かな」「ママに褒められると、嬉しいね」
「はい、付き出しをどうぞ。白身魚の刺身よ。おいしいわよ」
そう言いながら真知子は、小皿に刺身を盛りつけて出した。
「白身魚か。何の魚かな。平目みたいだけど、うまいね」「ふふ、後で教えてあげるわ」
真知子にからかわれて、岩瀬はうれしそうに相好を崩したが、すぐに真顔になった。
「ところで先ほどの話を続けよう。今日のテーマは不老長寿だ。人類永遠のテーマだ。健康を保ちながら長生きすることが課題だね。高齢化社会が進めば、多くの老人を若い世代が支えることになる。だから老人は健康で、自分のことはできるだけ自分でするようにして生活することが肝心だね。
そのためには生活習慣が大事だ。特に食生活だね。どんな物を食べるか。その蓄積が年齢を重ねた時に体に現われてくる。つまり老いは急に来るものではなく、三十代、四十代での暮らしぶりにかかっているんだね。前はよく生活習慣病と言われたが、最近はメタボリック・シンドロームとも言うようになった。高血圧、高脂血症、高血糖の併発だね。皮下脂肪より脂肪肝や内臓周囲の脂肪の蓄積が指標になる」
「岩瀬先生は大丈夫なの?」真知子が岩瀬の腹のあたりを見て言った。
「ウェストが九十五センチだから立派なメタボだよ。開き直るようだが、医学部の教授というのは激務だよ。学生の指導、患者の診察、大学の会議、政府の審議会の委員、その合間に専門研究。エネルギーを消耗するから、栄養を十分に摂る必要がある。一方、運動する時間はなかなか取れない。太り始めるわけだ。私の場合は四十歳を過ぎた頃から体重が少しずつ増えてしまった。医者の不養生の典型かな」
「それじゃ、患者さんに示しがつかないでしょう」
「美人に痛いところを突かれると弱いな。これを機に本気で減量に取り組むかな」
 中条が続けた。
「何事もきっかけは大切だよ。真知子ママに言われたら、男は誰でもぐっと来る。岩瀬先生がダイエットに成功したら、乾杯しましょう。ところで、私のライフワークは農村の住民の健康管理だね。茨城県は常陸国風土記に書かれているように、古来温暖で食糧が豊か。ここは恵まれた土地だ。その恵みの一つは霞ヶ浦だね。
霞ヶ浦が近くにあるので寒暖の差が少ないし、良質な蛋白源として魚もたくさん獲れた。霞ヶ浦の湖水のお陰で米や野菜も安定して穫れる。しかし、昨今は水質が悪くて魚があまり獲れない上に、水道水源としても安心できない。霞ヶ浦に頼る生活は不安になってしまった。霞ヶ浦の水質改善が、農村医学や衛生学からみても優先課題だな」
中条は、スコッチをチビリと飲みながら続けた。
「茨城県の高齢者は、若い時にはワカサギ、シラウオ、ハゼ類の佃煮など霞ヶ浦の魚からカルシウムをたくさん摂取しているから、歯と骨が丈夫だね。齢をとっても骨密度が高いから骨粗鬆症が少ない。だから丈夫で自分の足で歩ける。寝たきり老人になりにくい。しかし今の若い人は柔らかい食品ばかり食べるから、歳取った時のことが心配になるね」
真知子は、医師二人の話を受けて言った。
「そうなの。魚を食べることは栄養学的にとてもいいことよね。肉食では骨まで食べることはあまりないけど、小魚なら骨まで食べられるんですもの。だからカルシウムを摂るには刺身より小魚の方がいいわね。それにタウリンが魚には多いのよ。タウリンは交換神経をリラックスさせて、血圧を下げる効果があるの。それに心拍数が減るから長生きにつながるんじゃないかしら」
「心拍数が多い小動物ほど代謝が速くて体温が高く、寿命が短い傾向がある。これは生物学的にも言えるね。例えばネズミがそうだ」岩瀬が応じ、真知子が続けた。
「イワシやサバのような青い魚とワカサギには、DHAとEPAが多く含まれているわね。両方とも血液中の中性脂肪を下げる作用があるでしょう。中性脂肪が多いと高脂血症になりやすいのよ。それにEPAは脳の働きを活発にする。魚にはアスタキサンチンというカロテノイド系の色素が多いんだけど、抗酸化作用がビタミンEの百倍も強いのよ。つまり老化の原因物質の一つといわれる活性酸素の働きを抑えるの」「さすが栄養士」と龍平が言った。
「こんなの常識でしょ。ところで、できれば新鮮な魚は、時々は生で食べるのがいいわよ。加熱すると、DHAもEPAも酸化してしまうのよ。鰯や秋刀魚の刺身は理想的よ。霞ヶ浦の鯉のあらいもいいわね」龍平がまた口を挟んだ。
「三杯酢で霞ヶ浦の生白魚を食べると、新鮮でうまいよ」
「獲れたての生シラウオは乙な味ね。私も好きよ。昔の人の智恵ってたいしたものだわ。煮たり焼いたりして加熱すると、消化は良くなるけど、熱に弱い微量栄養素が壊れてしまっているかもしれないもの。日本人が長命なのは新鮮な刺身やお鮨を食べる習慣があるからかもしれないわね。好んで生魚を食べるのは、世界中で日本人くらいのものよ」中条が言った。
「日本列島は四方を海に囲まれているから、新鮮な魚が採れる。日本列島から流れ出した窒素やリンのような栄養塩がプランクトンと魚を育てるんだね。日本人は地理的条件にも感謝すべきだな。最近は世界中で日本食ブームだからね。先日、国際医学会で行ったニューヨークでは、たくさん日本食レストランができていたな。鮪はアメリカでも人気だね」
岩瀬が続けた。
「最近発表された農水省の水産白書について、新聞記事を読んだ。1960年には全世界で約3000万トンの魚を消費していたものが、2020年には一億トン前後だよ。米国やEUは、一・四倍くらいの増加だけど、中国がすごい。四百万トンが四千万トン近くに伸びている。実に十倍だ」
龍平が聞いた。「日本はどのくらいなのですか」
「日本は五00万トンから七00万トンに一時増えたが、最近は低下傾向だね。中国は、経済発展と冷凍食品の普及、それに健康ブームで、ますます魚の消費は伸びるだろう。そうなると魚資源の奪い合いだ」中条が続けた。
「先日テレビで見たのだが、鮪は地中海でも養殖していて、主に日本向けに輸出していたんだが、最近は中国や台湾でも人気だね」それを聞いて、龍平が言った。
「不老長寿は、世界中どこの国でも憧れですから、魚が健康にいいとなれば、食べる人が多くなるのは当然ですね」
「特に中国人は伝統的に神仙思想だから、長寿には関心が高い。多くの中国人が裕福になれば高級魚を買い求めるだろう」龍平はさらに言った。
「魚の養殖も盛んになりますね。中国では昔から四大家魚といって、ハクレン、ソウギョ、コクレン、アオウオを養殖していました。魚は長寿にいいんですね。霞ヶ浦のアメリカナマズ養殖も見直されるかも知れませんね。先日、真知子ママが、僕が釣ったアメリカナマズを調理して、刺身で食べさせてくれたんです」
「おいしかったでしょ。私も初めて食べたのよ。ちょっとした人体実験ね」
「人体実験とは聞き捨てならんね」
「あら、先生方が召し上がっているのが、そのアメリカナマズよ」
「この白身魚の刺身って、アメリカナマズか。確かにうまいよ。知らなければ、平目か河豚の刺身みたいだね」真知子が続けた。
「アメリカの鮨屋では、ティラピアを鯛と言って鮨ダネにするそうよ。ティラピアの味は鯛に近いので、国内でも近鯛と呼んで流通しているの。ところで龍平さん、霞ヶ浦の水質はどうなの。アメリカナマズは霞ヶ浦の水で養殖されているんでしょう。汚染が心配だわ」
「今の霞ヶ浦の透明度は低いのですが、基本的には、それほど心配無いですよ。確かに現代の分析技術は進歩しているので、湖水から農薬などの成分が微量に検出されることはあります。でも健康基準値以下ですから心配無いですね。それに浄水場の高度技術でさらにきれいになるので、水道水は全く問題ありません。農薬は栽培の段階で使用せざるを得ないですから、成分が農産物に微量に残留することはありますが、やはり基準値以下です」
「なるほど、湖水は川の水が集まって希釈されているから、農薬が薄くなるのは分かるがね。川では高い濃度になることはないのかね」農村医学が専門の中条が指摘した。
「確かに農薬散布後、急に夕立があったりすれば、分解する間もなく河川に流入することは考えられます。そのため農家には、夕立が予想される時には散布を控えるようにという指導が行われていますよ」
「しかし、天気予報が当たらず、急な豪雨の時もあるだろう」
「そうですね。でも今の農薬は魚毒性が低いので、魚が死んで浮くことはあまり聞かなくなりました。前は死魚が浮く水質事故がありましたが、今はないですよ」
「科学は実証が一番重要だ。思い込みではなく、本当なのかと疑ってみることが、デカルト的科学精神というものだ。安全だからと胡座をかいて座視するのではなく、常に監視していくことが研究者の取るべき態度だよ」岩瀬は大学教授らしく、若い研究者に助言した。
「はい、胆に銘じておきます」
真知子は、三人のグラスが空になりかけているのに気がついて、カウンターの中に入った。
「議論に熱が入ってきたわね。喉が渇いたでしょ。先生方、お酒おつくりしましょう」 

☆41

 真知子のバーでは議論が続いた。話題は人間の寿命に移った。岩瀬教授が言った。
「ところで日本人の寿命はほぼ世界一になったね。女性の平均寿命は八十代後半、男性はやや下まわるがそれに近い。この要因はいろいろあるが、まず乳幼児死亡率が劇的に下がったこと、結核等の重篤な感染症での死亡率が下がったこと、日本人の栄養状態が改善されたこと、医薬品や医療技術の発達を含め、医療環境が向上したことが大きいね」
農村医学が専門の中条医師が続けた。  
「それに、女性の産後のケアが進歩した。昔は産後の栄養状態や衛生状態が悪く、亡くなる女性が少なくなかった。また、農村女性の生活環境が改善されたね。昔の農村女性は大変だった。朝は家族の誰よりも早く起き、洗濯や食事の支度、農作業は男性と同じに頑張り、夕方は食事の準備、夜は夜なべ仕事。それに育児。中腰での作業が多いから、初老の五十歳代でもう腰が曲がってしまっている女性が珍しくなかった。手の指は野球のグローブのように大きく太いんだ。私のところに来る農家の高齢女性は皆、そうだ。昔の農村女性の労働は尊い。頭が下がる。今は農作業の機械化、家事労働の電化が進んで、女性は楽になったね」
「本当にそうよ。私も昔のような暮らしはいやだわ」
 真知子は合鎚を打った。中条医師は農村事情にくわしく、さらに続けた。
「現代では農村の生活改善や家電製品の普及で、台所仕事や洗濯は便利になった。それでも農村の嫁は大変だというイメージが定着しているから、なかなか嫁が来ない。いい歳をしてまだ独身の農村男性が多い。みんな真面目で素朴ないい連中なんだが。
それに有機農業とか減農薬などに取り組んでいる農家も多い。そうして付加価値をつけても、都会の消費者は高い農産物を買ってくれない。そういう取り組みはエコファーマーと呼ぶようにして、霞ヶ浦の湖水汚染を防ぐ上でも消費者や行政が支援していくべきだな」
龍平も霞ヶ浦の話題を受けて話を続けた。
「首都圏住民に、茨城の安全・安心な農産物や畜産物を高く買ってもらい、利益の一部を霞ヶ浦浄化に使う仕組みが必要ですね。一種の環境税です。しかし、公平な課税にしないと実現は難しいですね。もう一つは、農業技術の工夫です。例えば、アイガモの雛や鯉の稚魚を水田に放して雑草を食べさせて、除草剤を使わない農法を試みている農家を知っています」
「私も聞いたことがあるよ。しかしアイガモも鯉も世話が大変らしく、多くの農家が採用するまでにいかないな。今は専業農家が少なく兼業が多いから、田植え機で苗を植えたら除草剤を散布し、後は水管理だけで、手をかけない方が楽なんだね」
中条医師は腕組みし、むずかしい顔をして言った。
真知子は先ほどから話に加わりたくて、うずうずしていた。
「ところで、日本人の栄養状態が戦後、びっくりするほど改善されたでしょう。まず蛋白質の摂取量がすごく増えましたね。それにお魚から摂る蛋白質が多いのよね。日本人が、お魚を食べる量は世界一よ。お鮨やお刺身で新鮮なお魚を加熱しないで食べることが本当にいいのでしょうね。ビタミン類の中には、加熱すると壊れてしまうものもあるわね」
龍平が付け加えた。「植物性の蛋白質も体にいいよ」
「そうよ。特に大豆蛋白ね。大豆って健康にいい成分がたくさん含まれていて、健康食品の王様ね。大豆イソフラボンは女性にとってありがたいわ。分子構造が女性ホルモンに似ているので更年期障害を軽くする作用があるんですって。骨粗鬆症の予防や改善にも効果があるんですもの。大豆サポニンは余分の活性酸素を除く効果があるそうよ。アンチ・エイジングね。それから大豆レシチンは肥満や動脈硬化を予防するのよね」
龍平が相槌を打った。
「へー。大豆は万能だね。ところで沖縄の島豆腐は凄いよ。固くて縄で縛って運べるんだ」
岩瀬教授が続けた。
「島豆腐は私も食べたことがあるけれど、歯応えがあるね。栄養がびっしり詰まっている感じだね。沖縄では長寿の人が多いのも肯けるね。沖縄では豚肉の消費も多いんだ。ラフテーのように豚肉をよく煮て、柔らかくして余分な脂を落として食べるんだね。だから悪玉コレステロールが増えない」得意な話題になって、真知子がさらに言った。
「沖縄料理はおいしいし、ヘルシーだから好きよ。例えばゴーヤはビタミンCとポリフェノールがすごく多いのよ。豚のミミガーやテビチはコラーゲンやヒアルロン酸をたくさん含んでいるからお肌や膝関節にもいいのよね」中条も続けた。
「それに沖縄では三世代同居が普通で、お年寄りが大事にされるからストレスが少ない。そして意外に塩分の摂取量が少ない。塩分を摂りすぎると高血圧になりやすいからね。高血圧は脳出血や脳梗塞を誘発しやすい。」龍平は、頷きながら言った。
「僕の祖父母は霞ヶ浦のそばの村に住んでいたのですが、佃煮など塩辛いものが好きでした。塩っぱくないとご飯がすすまないと言うくらいでした。祖父は脳卒中で既に亡くなりました。祖母は老人ホームに入所したのですが、食事の味が薄いと注文をつけるので、栄養士さんや調理師さんは困るそうです」
「そうなのよ。老人ホームではずいぶん塩分を少なくして食事を提供するわね」
中条は続けた。
「沖縄県民はコンブなどの海草をよく食べるね。泡盛を適度に呑むことも交感神経をリラックスさせる。沖縄民謡で踊り、高齢になっても体を動かして働いている人が多い。体を動かすと血液の循環が良くなって、抹消の血管まで酸素や栄養分がゆきわたる。血管の弾力性も保たれる。それは長寿にすごく大事なことだね。海が近いから魚もよく食べる。沖縄には長寿の要因がそろっているね」真知子も応じた。
「コンブを使ったクーブイリチーはミネラルが豊富よね。黒豚の肉は塩漬で保存するけど、調理の時に弱火で長時間煮るから、脂分だけでなく塩分も抜けるのよね。それにサトウキビの絞り汁からできる黒糖もたくさんミネラルを含んでいるわ。ミネラルといえば、島豆腐は、海水の苦りで固めるでしょ。本土の豆腐に比べて、ずっと固くてミネラルが多いのよね。ゴーヤと島豆腐のチャンプルーは栄養万点ね」
「さすが真知子ママ、詳しいねえ。たしか沖縄では百歳以上の高齢者の割合が日本一だったこともありますね。台風以外は気候がいいこと、ストレスが少ないこと、栄養のバランスがいいことが要因というわけですね。僕も将来は沖縄で暮らそうかな」
と龍平が言った。真知子も真顔で応じた。
「そうなると本土から移住する人が多くなってしまうので制限する自治体もあるそうよ。沖縄は失業率が高いのよ」
「それでも沖縄は暮らしやすいのだから、よほど豊かなのかな。医者は歓迎されるから、大学の同期のなかで沖縄に移住した友人がいるよ」
 中条はグラスを飲み干しながら言った。岩瀬は老年医学の専門家らしく話をまとめた。
「さて、だいぶ話が弾んだな。結論としては、長生きするには栄養のバランス、ストレスを溜めない、そして生活改善や衛生学もふくめた予防医学が大事ってことだな。病気になってから治療に取り組めば、本人も苦しむ。医療費もかさんで国の財政を圧迫する。ということは若い人の負担が増えてしまうわけだから、高齢化社会は文明社会の難問だな。さて、また明日も患者さんが待っている。中条先生、今晩はこんなところでいかがですか」
「そうだね、そろそろ引き上げようか。永作君、次は、霞ヶ浦の話の続きを聞かせてほしいな。また一緒に飲もう」「こちらこそ。ご一緒させてください」
「ママ。タクシー、呼んでくれる?」
 ほどなく、到着したタクシーで二人の医師は帰っていった。うなぎの寝床のような狭いバーの中に、真知子と龍平が残った。真知子が龍平に妖しい視線を送った。
「もうお客様は来そうにないわね。お店を閉めるからまた私のマンションに来て」
龍平は視線を合わせて肯いた。「はい、決まり。タクシー、もう一台呼ぶわね」

☆42

 龍平は真知子の部屋で軽く飲みなおしていた。統一されたブルーの色彩や照明の中で、お互いの顔も青みがかっていた。
「真知子ママは栄養士だったそうだけど、何で辞めたの?」
「身上調査ってわけね。栄養士だったじゃなくて、今も管理栄養士よ。資格はあるんだから」
「何か謎めいているよね。ママは」「あたしの部屋ではママはやめてね。真知子って呼んで」
真知子は龍平のそばに座りなおした。
「前はね。霞ヶ浦に面したある町の教育委員会に採用されて、そこの学校給食センターで管理栄養士をやっていたの。五年くらい、がんばったわね。子どもたちが給食を全部食べて、おいしかったよって言ってくれるのがうれしかったわ。やり甲斐を感じていたのよ」
「給食は子どもを健康に育てる基本だしね」真知子は相槌を打った。
「メニューを工夫したわ。地元の食材を使うようにしたの。食育という意味もあるし、地域経済にも良い効果があるのね。たとえば霞ヶ浦で獲れたハゼ類やエビの佃煮も出したわね。カルシウムが多いので骨が丈夫になるのよ。それから養殖鯉の旨煮も最初は好評だったわ。親たちも子どもたちに川魚の味を憶えさせるのは良いことだ、地場産品の消費拡大に繋がるっていう期待感もあったわね」
「霞ヶ浦の魚料理は、茨城県南の水郷の伝統的な食文化だからなあ」
「その通りよ。ところがコイヘルペスウィルスが養殖鯉に感染して大量に死ぬことがあったでしょう。コイヘルペスウィルスは人間には感染しないし、加熱するから大丈夫なのよ。でも保護者は心配なのね。鯉の旨煮をメニューから外すように要望があったの」
「親の気持ちとしてはわかるけどね」
「風評被害を防ぐためにも、私は反対したのよ。鯉の旨煮を食べても大丈夫だって説明したんだけど、教育委員会が保護者の要望を受け入れたの。私は科学的じゃないと抗議したけど、受けいれられなかった。地元がそんな認識だから、風評被害で霞ヶ浦の鯉が売れなくなるのは当然よ。私も感情的になって、辞表を叩きつけて辞めちゃったのよ。今はちょっと早まったかなと思っているけど、あの時は引っ込みがつかなかったのよ」
龍平は頷きながら言った。
「真知子は典型的な茨城女かなあ。短気で正義感が強いんだね」
「茨城女は短気かもしれないけど、いつまでも根にもたないわ、忘れっぽいのも茨城女ね」
「茨城男もそうかもしれない。それからどうしたの」
「それからね。栄養士をして貯めたお金をもとにして、土浦でこのお店を始めたってわけよ。お医者様とか商店街の旦那衆とかが贔屓にしてくれるので、何とかやっていけるのよ」
「なるほどね。ところで、真知子は何歳なの。前から聞こうと思っていたのだけどさ」
「あら、失礼ね。それはベッドの中で話しましょう。少し体が冷えてきたから、温めて」
真知子が先にベッドに入った。龍平もベッドに入ると二人は唇を重ねた。龍平は彼女の体を抱き寄せた。
「ああ、温かい。この匂い。女を安心させる匂いね。やっぱり男の体はいいわ」
「えーっ、まだ風呂に入ってないから汗くさいかな」
「私はね、動物的なのよ。女は花の香りや香水が好きでしょう。匂いに敏感な女って多いと思うわ。それに私は男が好きになると食べてしまいたくなるの。若い男の体はエネルギッシュで、栄養がいっぱいって感じね」
真知子はキラキラした眼をして、龍平の胸をなぜた。龍平は少しぞっとして言った。
「まさか、冗談だろ」真知子は謎めいた微笑を浮かべた。
「ふふ、少しは本気よ。よく言うじゃない。食べたいほどかわいいとか、食べたいほど愛しているって。食べたくなるのは究極の愛かもね」
「冗談はそのくらいにして、さっきの質問・・・。何歳なの、真知子は」
「うーん。しょうがないなあ。レディに歳を聞くなんて紳士じゃないわよ。じゃ当ててみて。いくつに見える」
龍平は、青い光の中で彼女の顔をじーっと見た。翡翠の首飾りが、青い光に溶け込んだ。
「女盛りってところだけど、肌の張りから見ると、三十五歳くらいかな」
「あら、また失礼な発言だわ。肌の張りだなんて。本当はね。千年以上も生きているの。信じる、信じないは勝手だけど」「また冗談だね」真知子は真顔で答えた。
「人を食って生きてきたの。人を食うと長生きできるのよ。人の肉が一番栄養になるの。昔、八百比丘尼の伝説になったこともあるのね。特に乱世は戦さが絶えず、死体が打ち捨てられているのは珍しくなかった。その死人から肉を少しいただくだけなの。少なくとも百年に一回は人肉を食べないと、急に歳を取って死んでしまうのよ。これが本当に人をくった話」
「あはは、なーんだ。よくできた冗談だね。じゃ冗談に合わせて話を作ってみようよ。千年前に生まれたころは平安時代だね」
「そうよ、私は京の都で菅原道真様に仕えながら、時には帝のご機嫌伺いに内裏に参内することもあったわ」「その調子。それで、仕事は何をしていたの」
「その頃は平安時代の初めだから、万葉がなはあったけれど、かな文字はまだ使われていなかった。それで男の役人と同じように漢文の書物を読んだり、歌を詠んで漢字で歌を書きとめたりしていたの。まだ漢字を読める女官は少なかった。
ちょうど菅原道真様が頭角を現した頃よ。道真様は優秀過ぎて藤原様の反感を買って、大宰府に左遷されてしまったのよ。かな交じり文を使って紫式部様や清少納言様が活躍するのはその後のことね。私は漢文を読んだので、父上は私が男だったら良かったのにって,口癖のようにおっしゃったものよ」「歌を詠んで暮らしていけたの」
「歌を詠むだけでは暮らしていけないわ。律令の清書、記録文書の作成を手伝ったの。道真様達が編纂した日本三代実録を清書する仕事も任せられたわ。日本三代実録には、清和天皇様の御世に、陸奥の多賀城が大津波に襲われて、千人もの人が亡くなったって書かれているのよ。その大津波から一千年以上経つから、また大津波に襲われるかもしれないわよ。地震や津波を研究している現代の学者は、この貞観十一年の津波の研究をして、世の中に警鐘を鳴らすべきだわ。ところで、父上が出羽の郡司を務めた知識人だったのね。私の家系は渡来人を先祖に持っている学者の家系として尊敬されていたの。遣隋使の小野妹子様も先祖の一人よ。参議の小野篁様は私のお祖父様。それから祐筆で有名な小野道風様も親戚なの」
「ふーん。すごいね。ところでどんな歌を詠んだの」
「古今和歌集や小倉百人一首に収められている歌も詠んだわね」
「えーっ。じゃ有名人じゃないか。小野家というと、もしかすると小野小町かい」
「ようやく気づいてくれたわね。そうよ、私が小野小町なの。私の姉上が小野町で、私は妹だから小町と呼ばれたのよ」
「まさか。そんな話信じられないけど、大人のお伽話としては断然おもしろいね。SF歴史ファンタジーみたいだ。時空間を超えて今は茨城で暮らしているわけだ。茨城に来たのはいつ?」「それはいつかお話するとして、ねえ、もっと温かくなろうよ」
真知子は龍平に体を寄せた。すでに龍平の体は熱くなっていた。
「男の体って正直ね。年増女を温めてね。」「温めるのはいいけど、僕を食べないで。小町様」
「うふふふ、その調子よ。お芝居がうまいわね。鳥肌が立つくらいスリルがあるわよ・・・。覚悟しなさい」
脱いだ下着類がベッドのそばに散らかった。二人は青い光の中で、水中の鰻の雌雄のように絡まり、求めあった。

☆43

次の週、『バー真知子』では、岩瀬教授が同僚を連れてきて飲み始めていた。
「ママ。今日は老化生物学の先生を連れてきたよ。常陸大学理学部の西澤教授だ」
「いらっしゃいませ」
「今晩は、西澤です。岩瀬先生からおもしろい話が聞けるママさんがいると聞いて来ました」
「あら、おもしろいお話をしてくださるのは先生方だわ。あたしはそれを拝聴して勉強しているだけなの。社会人大学の講義を無料で聴講させていただいているのよ。ここでは講義をする方がお金を払ってくださるのよ。うふふ」岩瀬が相好を崩して言った。
「美人ママに話を聞いてもらえるのなら、喜んでお金を払って話をするよな、西澤先生」
「そうですね。近頃の学生に講義をしても、張り合いがない。お地蔵さんを相手に講義しているようだ」「それを言うなら真知子ママは観音菩薩様だ。たんとご利益があるぞ」
岩瀬は、軽口を叩いた。
「いやね、岩瀬先生ったら。あたしは生身の人間よ。ご利益なんて、なーんにもありません」
「生きている観音様なら、なおさらすばらしいよ」
冗談を言い合っているうちに、店のドアが開き、中条医師が入ってきた。
「すっかり遅れてしまった。今日の午後は患者さんが多くて、夕方まで診察にかかりきりだった。それでも、ここの談論風発が楽しみでね。それにママのお顔も拝めるしな」
「中条先生も同じことをおっしゃいますな。あっはっは。ところでこちらは常陸大学の西澤先生。老化生物学がご専門です。」「西澤です。どうぞよろしく」
「茨城県は多士済々の人材がおりますな。ところで霞ヶ浦の青年はどうしましたか」
「龍平さんは遅れているようね」「彼も間もなく来るでしょうからな。私はビールにしよう」
中条は柔和な顔でうまそうに喉を鳴らしてビールを飲んだ。
「いやー。仕事の後のビールは最高だね。今日は暑かったしね。ビールがうまい季節到来だ。ところで西澤先生はどんなご研究をなさっておられますか」
「私は多細胞生物の老化の仕組みを調べています」
「ほう、それはおもしろい。人間も多細胞生物ですからね。基礎生物学をやっておられる方の意見をぜひお聞きしたい。医学者の立場では細胞レベルの老化、器官や組織のレベルの老化、そして全身の老化があると思いますが・・・」
「その通りです。身近な例では老化は目や足から来ると言われます。一方、体全体も徐々
に老化しています。これはどなたも実感していることですね」岩瀬も言った。 
「体が元気でも脳が老化すれば、認知症になりやすいわけだからね」真知子も話に加わった。
「女性の場合は深刻よ。卵巣が老化して排卵が止まってしまうと、ホルモンバランスが崩れて、更年期障害になるの」西澤は、大きく頷きながら言った。
「皆さんがおっしゃる通りです。単細胞生物が進化して多細胞生物になる。そして器官や組織が分化し、体のシステムが複雑になるほど、器官や組織の間での情報交換や調節の仕組みも複雑になっていきました。その役割を果たすのが神経系、内分泌系、免疫系です。ところが厄介なことに、そうした情報伝達や調節の役割を果たす器官自体も老化を免れることはできません。システム自体が老化してしまうのですね」岩瀬が身を乗り出した。
「その一例は糖尿病だろうね。糖尿病の発症メカニズムは複雑だが、ある種の糖尿病では若い時から過食の習慣がある人、あるいはカロリー摂取量に対して運動不足の人は、歳を取ると肥満が進行し、血糖値を調節するホルモンであるインスリンを分泌する細胞が働きすぎて、早く老化してしまい、インスリンを出さなくなる。また、肥満によってインスリンが効かなくなる。そうすると糖尿病になる。 
また甲状腺機能亢進症患者は、体全体の代謝が促進されるので、老化のスピードが速くなりやすいね。内分泌器官が老化に大きく関わっているよ。さらに重要なのは血管の老化だね。老化に肥満が加わると血管が硬くなる。そうすると高血圧症になり、脳梗塞、心筋梗塞を発症しやすくなる。人は血管とともに老いると言うね。高血圧症の原因はいろいろだが、その予防には、塩分摂取をひかえめにすること、脂肪が多い食事を変えて、野菜を多く食べること、良質の蛋白質を摂ること、精神的ストレスを減らすこと、それに適度の運動をすることが基本だね」中条も臨床医として言いたくなった。
「私は若い頃、病理学教室に出入りしていた。病理学的にみると癌と老化はおおいに関係があるんだな。器官を作っている細胞はそれぞれ機能があるわけだ。その機能を果たすために構造がある。筋肉細胞は筋繊維を持っている。分泌腺は、ホルモンや消化酵素を作る。肝細胞は化学工場に例えられる機能がある。それらの機能を果たすには、分裂して増殖する余裕はない。だから大人になれば、多くの器官の細胞は分裂しなくなる。脳細胞はその典型だね。ところがまれに秩序を乱して分裂を再開し、異常に増殖し始める細胞がある。それが腫瘍細胞だ。そうなると増殖が止まらない。悪性腫瘍、つまり癌の場合、命に関わるようになる。その人を死に至らしめる。 
癌細胞からすれば、他の細胞といっしょに老化して死にたくないために、勝手に増殖を始めたとも言える。しかし、癌は個体としての死を招いてしまう。そこに矛盾が生じる。細胞の癌化という現象は、細胞が反乱を起こして先祖帰りをしたようなものだね。
癌化の原因は化学物質、放射線、物理的刺激、遺伝、ウイルス、加齢など様々だね。近年はさらに研究が進んで、活性酸素が癌細胞化の有力な要因に挙げられるようになった。放射線や化学物質によって水分子が励起されると活性酸素が生じて、DNAの損傷を起す。 
その損傷は多くの場合、酵素によって修復されるが、修復が間に合わない、あるいは修復できないほど損傷が著しい場合は、細胞の正常な増殖が阻害され、癌化してしまう。癌化した細胞は、若い時は免疫細胞によって監視され、攻撃されるから、癌組織は大きくなりにくい。しかし、免疫系も老化してしまうと、癌細胞の増殖を許してしまう。高齢になると癌を発症してしまうわけだね。高齢者が多くなったので、統計的には日本人の死因の約三割は癌ということになってしまった」中条は一息ついた。西澤がその後を引き取った。
「おっしゃる通りですね。大腸菌のような単細胞生物は、条件さえ良ければどんどん分裂して増殖します。条件が悪い場合とは低温、乾燥、熱などです。そういう場合は死んでしまう細胞もあります。でも単細胞生物は、多細胞生物のような、個体としての必然的で不可避の死はないわけです。
多細胞動物の場合では個体としての寿命はありますが、血液細胞、消化管の上皮細胞、皮膚の表皮細胞、繊維芽細胞などはかなり増殖が活発ですね。そうした組織から細胞を取り出してガラス器で培養すると、最初は活発に増殖しますが、次第に分裂しなくなります。ところが癌化した細胞はガラス器内で分裂を繰り返します。多細胞生物を構成する個々の正常な細胞の寿命は、遺伝情報によってかなり厳密にプログラムされていると言ってよいのです。
皮膚の細胞、血管内皮細胞、血液細胞としての様々な血球、リンパ球などの免疫細胞などは増殖能力が高いわけですが、中には自殺するべく運命づけられている細胞もあります」
「ふーん。おもしろいわね。例えばどんな細胞かしら」
真知子は、興味津々という顔で言った。西澤が続けた。
「例えばオタマジャクシの尾の細胞は、カエルになり陸に上がる時に、甲状腺ホルモンが分泌され、それが作用すると細胞がもともと持っているオートファジーという機能が働き、自死して吸収されてしまいます。皮膚の細胞や血球等の細胞は、もともと死んでいくようにプログラムされているんです。さらに精子についてみると、何十億という精子が作られても、卵子にたどりついて受精に至るのは、たった一個です。他の精子は全て死んでいく運命です。
卵子の場合も、たくさんの卵原細胞、卵母細胞から選抜されて卵子になれる細胞は限られ、残りは死んでしまいます。また卵母細胞に栄養を送るたくさんの保育細胞、正確には濾胞細胞といいますが、それらが卵母細胞を囲んでいますが、排卵した後、役目を終わって死んでしまいます。しかし妊娠すれば、黄体を構成する細胞に替わります。黄体は妊娠を維持するのに必要なホルモンを作りますが、分娩後は黄体も縮小し消滅してしまいます。結局、生殖細胞である一個の卵子と一個の精子以外は死んでいきます。
オタマジャクシの尾はわかりやすい例ですが、同じように生殖細胞以外の体細胞と呼ばれる細胞群は、器官や組織を作りますが、全て死にゆく細胞です。われわれが目で見ている動物、植物、そして人間の体は体細胞です。生殖細胞は普通、体の奥にありますから、外側からは見えません。ただし、魚類や両生類は水中で受精するので、産卵された卵子を観察できます。精子も精液として見えます。サケの産卵シーンを思い浮かべてください。
体細胞から構成される皆さんの体が、そして私の体も老化して死ぬのです。老化生物学的には何の不思議もないのです。これは厳然たる真理ですね。こうして多細胞動物は、死に行く細胞を敢えてたくさん作って、壮大な無駄をやっているように見えますが、けっして無駄ではなく、全て子孫を残すための見事な戦略なのですね。その戦略は、長い進化の過程を経て練り上げられたものです。われわれの体は、生殖細胞を次世代に守り伝えるために保護する革袋にすぎません。生殖細胞は古い革袋から抜け出し、新しい革袋を作って、それに守られますが、それもやがて捨てられるのです。新しき酒は新しき革袋に、というわけです。多細胞生物では基本的に生殖細胞だけが生命の糸をつないできたのです」
「壮大な生命のドラマね」真知子は感嘆した。
そこまで話が進んだ時にまたドアが開いて、龍平が顔を出した。
「今晩は。遅くなりました」「いらっしゃい。皆さんお待ちかねよ。遅かったわね」
「梅雨明けで急に暑くなったので、霞ヶ浦にアオコが出始めたんです。今日は調査船を出して、同僚と一緒に全域でアオコの発生状況を調査しました」
「お疲れ様。大変だったわね。アオコはどうだったの。霞ヶ浦全体で発生しているの?」
「今のところは土浦入、高浜入、それに北浦の一部ですね。今後暑い日が続いて水温が上がれば、アオコがさらに増える可能性はありますよ」
「そう。アオコは毒素を作るから心配ね。ところで飲み物は?」
「今日は喉が渇いたから、取りあえず僕もビールを」「はい、かしこまりました」
真知子は龍平にだけ分かるウインクをして言った。西澤が続けた。
「アオコは藍藻類ですから大腸菌に近いですね。アオコも大腸菌も、条件がいいと細胞分裂してどんどん増える。あ、申し遅れました。私は西澤と言います。常陸大学で老化生物学を研究しています。」
「はじめまして、永作龍平です。県職員です。水質の分析が仕事です」
「アオコも研究しているのかね」
「直接,研究対象にしているわけではありませんが、アオコが増える水質的な条件を調べています」真知子が言った。
「一般人はアオコを毛嫌いするけど、アオコは水中の窒素やリンを吸収して湖水を浄化している側面もあるでしょう」
「そうです。ただし、大発生したアオコをそのままにしておくと、腐って悪臭を放ちながら分解し、再度、窒素やリンを水中に放出してしまうので、腐る前にいかに効率よく回収するかが一つの鍵ですね。アオコが発生すると国交省ではアオコ回収船を出動させていますね」
「あれはいい方法だね。アオコを風や波浪が吹き寄せてくれるからその方法が使えるわけだ。本来、湖岸が砂浜ならそこにアオコが打ち上げられて、水中から除去されて、湖水が浄化される。他方で砂浜は汚れて窒素、リンが溜まり、栄養源になって葦群落が進出して葦原に遷移していく。だから、もともとの砂浜が葦原に変わった場所も相当あると思うよ。霞ヶ浦の富栄養化が元の砂浜を葦原に変えたのだろうね」龍平は、西澤が本質を突いたことに驚いた。
「そこなんですよ。今、自然保護団体などは、水位上昇と波浪による葦原の減少を問題にしていますが、場所によってはこの三十年間で増えたところもあるはずです。最も重要なことは、われわれ人間社会が食糧増産と水害防止を名目に、本来は浅瀬や洲浜だった湿地を干拓し、そこを水害から守るために高い堤防を作ったことをどう評価するかです。
洲浜は湖水にとって自然浄化作用を発揮しています。その結果として葦や浅瀬の沈水植物が繁茂しました。湖水の水質が悪化したのは安易に干拓と築堤を行ってしまったことが一因です。一方、実は堤防のお陰で、干拓地に入植した農家は毎年安定した収穫が得られるし、われわれ消費者は米やレンコンを食べられる。これは本当にありがたいことです。築堤はプラス面もあるがマイナス面もあります。公平に評価すべきです」西澤が相槌を打った。
「自然を守りたいという素朴な善意は否定しないが、大衆の思い込みが必ずしも正しいとは限らない。そもそも、どの状態が自然なのか、簡単に答えは出ない」
そのやりとりを興味深げに聞いていた中条と岩瀬が言った。
「その通りだね。科学的に理解することは決して簡単ではない。大衆やマスコミが思い描く分かりやすいイメージは科学的でないことが少なくない。老化現象もそうだ。老化という問題について一般人が抱くイメージは、素朴で単純すぎるね」
「何が一番大切なのかしらね」真知子が聞いた。中条が応えた。
「そこだよ。単に寿命が延びればいいというものではないね。一番大切なことは、いかに健康を保ちながら老いるかだね。一人ひとりの健康管理には、自制も医療技術も必要だ。さらに言えば、現役で仕事をしている時には、後悔しないように十分に思いきり仕事をすることだよ。家事や子育ても同じだ。趣味を楽しむこともいいね。十分に生きたという満足感を持てれば後悔しないから、老後も安らかに過ごせるし、死ぬことも怖くはない」
「中条先生の持論ですね。私も同感だな」岩瀬も言った。西澤が続けた。
「基礎生物学の視点からも同じ結論に達しますね。生命そのものは寿命がないどころか、死もない。DNAの塩基配列として刻まれた遺伝情報があるだけです。生命には死は無いからこそ、地球上に生命が誕生して以来、たくさんの種に分化しながら三十数億年も連綿と生命の糸は続いています。寿命があるのは多細胞生物である個体であって、生命そのものに老化も死もないのです。我々、現世人類の祖先は約二十万年前にアフリカを出発し、各大陸の気候風土に適応放散して現在の各民族に分かれたのです。生命がDNA情報としてつながっている証拠です。生命は永遠です」
岩瀬がスコッチのグラスを傾け、一口含んだ後、静かに言った。
「生命には老化、死がないが、個人には老化も死もあるということか。一人ひとりの人生はかけがえがないから、凡人は死を怖れるね。医師が病人を救う理由もそこにある。生物学と医学の違いだね」西澤は動じなかった。
「個体の中には老化しない細胞があります。それが生殖細胞です。つまり卵子と精子ですね。生殖細胞を包んで守っているのが体細胞です。体細胞は様々に分化し機能を果たしています。しかし、体細胞は使い捨てされます。生殖細胞は老化した体から脱出し、体の外で卵子と精子が出会い、受精が行われます。
哺乳類では雄と雌が交尾し、精子が送り込まれ、輸卵管の中で受精が行われ、子宮に着床します。受精によって新しい遺伝子の組み合わせが生まれ、環境の変化に対応して進化する原動力になったと考えられます。子宮内は実は体外なんです。胎児は胎盤と臍帯を通じて母体から栄養を貰います。そして妊娠期間が満ちれば、新生児は今度こそ完全に体外に出されます。つまり分娩ですね。このように考えると、子は親の体から脱け出した新しい生命体です。親はいずれ死んでいきますが、生命の糸、つまり遺伝情報は子に継承されています。親は子のためなら自分の命を投げ出すことがあるでしょう。つまり子が自分の命を受け継いでいることを本能的に自覚しているのです」真知子が頷いた。
「卵子自体も老化するわ。高齢出産だと卵子の染色体異常が起きやすく、それが子どもに現われてしまうのよね。私はもう、子どもを産む勇気はないの」
「女性の体は男と違うのは確かだね」「中条先生は、まだまだ現役でしょう?」
中条は頭を振った。「いやいや、男としてはお払い箱かな」
「あら、先生、淋しいこと言わないで。元気出してくださいな。まだまだ、これからよ。男の人生は長いのよ。ところで、話は替わるけど、近頃、自分の子を殺してしまう親がいるんですものね。とんでもないわ。自己中心主義の極みよ」
「子どもは、単なる性欲の結果、望まれずに生まれた邪魔者という意識なのかな。現代の人間は自分の子をかわいがる野生動物の素朴な心を失っているね」
岩瀬が医学者らしく、付け加えた。
「性欲が単純に悪いとは言えない。生命からすれば何とか生きのびたいからこそ、中枢神経系や内分泌系を動員し自分の体に働きかけて性的な行動を引き起こすとも言える。そうして子どもが生まれ、ようやく生命の糸がつながったのに、親がそれを絶ち切ってしまうのだから大いなる矛盾だね」
そう言って岩瀬は深刻な表情をして、グラスのスコッチを一気に飲み干した。
西澤が続けた。
「結局、親世代はむやみに死を怖れることはないのです。個体の死は必然です。個体が死んで世代交代しなければ、この世は老化した古い個体であふれかえり、食糧や水などの資源を奪い合って憎しみがつのり、結局戦争と呼ばれる殺し合いを始めてしまいます。人間の歴史は戦争のくりかえしですね。資源は有限ですから、例えば食料資源が支える人口、つまり生物学でいう個体数は限られます」中条が嘆息した。
「それは達観だね。人間誰しも高い見識に達することができれば、もっと穏やかな社会になるんだろうがね。でも死ぬことが怖くなければ医者にかかる者がいなくなるから、われわれは商売、上がったりかな」真知子が続けた。
「普通の人はそこまで悟れないわ。悟りを開くことができないからこの世はおもしろいのよ。とにかく懸命に生きること、生き抜くことよ。人生は試行錯誤の連続よ。せっかく生まれてきたんだから、生きることを楽しみたいわ。それが私の人生哲学よ」中条が応じた。
「そうだね。さすがは真知子ママだ。この歳になると、私は正月が来るたび、
門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
という一休禅師の歌をかみしめる。長く人生を生きてきた者の実感だよ。還暦を過ぎれば、こう感じる人が多くなるのではないかね。 
正月といえば、元日の夜に、NHKがウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートを中継してくれるのを楽しみにしているんだ。ヨハン・シュトラウスのワルツやポルカは新年にふさわしいね。それに一流の指揮者がタクトを振る姿は見事だね。今年一年良い年でありますように、がんばろうという気になってくるんだ。そして来年また、ニュー・イヤー・コンサートを聴きたいと思う。名曲の力は偉大だね」岩瀬が頷いて言った。
「それで思い出したけれど、イタリアの金言に『メメント・モリ』というのがあるね。これは『死を想え』という意味だね。つまり死を忘れたり、敬遠したり、あえて考えないようにするのではなく、いずれ誰にも死は訪れるのだから、冷静に、死を意識しておくべきだ。そのことから逆に、今生きていることに感謝して、生きることを楽しむことにつながる」
真知子も肯いて言った。
「だからイタリア人はカンツオーネを歌い、お洒落して、素敵なデザインの靴を履き、スマートな車に乗って、恋して美味しいものを食べて、陽気に人生を謳歌する人が多いのね」
「ラテン気質はカトリックの死生観からくるものだろうね。死は終わりではなく、復活への旅立ちなのだね。だからカトリックでは死者を火葬にしない。来世でも肉体は必要と考えるからだ」岩瀬に続いて、中条も言った。
「あの国は古代ローマ以来の歴史があるからね。古代遺跡がローマ市内だけでなく、アッピア街道沿いに現存するから、権力をふるった皇帝たちもいずれは死んでいったことを身近に感じているんだろう。仏教文化に培われた我々の無常観にも通じるものがあるね」
「でもイタリア男の陽気さはまねできないな。女と見れば誰にでもお世辞を言う」
「あら、日本男子も見習ってほしいわ。日本の男ってシャイで、愛情表現が苦手な人が多いわね」中条が破顔一笑した。
「勘弁してくれよ。もっともママみたいに美人で頭が良くて、気立てが良ければ、男は誰でも放っとかないよ。私も二十歳若ければママを口説くんだけどな」
すかさず、岩瀬が言った。「中条先生、抜け駆けはいけませんぞ」
「早速、にわかイタリア男の出現。男の自信挽回ね。光栄だわ。でも奥様のお耳に入ったら大変よ」
「せっかくのほろ酔いがさめるよ。山の神を思い出しちゃったよ。くわばら、くわばら。そろそろ汐時だ。亭主ご帰館といくか」
中条が首をすくめながら言った。岩瀬も応じた。「そうだね。ママ、タクシー呼んで」
「意気地がない日本男子ね。侍精神はどこに行っちゃったのかしら」
「どうせ、われわれは軟弱なインテリに過ぎんよ。酒の力を借りて、管巻くのが関の山だ」
「そうやって、おじ様たちは拗ねるのね。でも、拗ねたところがまたかわいいわ」
「ママにはかなわんね。ではごきげんよう」
「ごきげんようは美しい日本語の典型だね。では永作君、ママ、ごきげんよう」
「先生方も、ごきげんよう」真知子と龍平は、中条らを見送った。
 真知子と龍平が店に二人きりになった。
「ねえ、龍平君。今度、あたしの先祖に縁がある場所に案内するわ。車で連れてってよ」
真知子はグラスや食器を片付けながら言った。
「いいよ。少しずつ、ママの秘密のベールが剥がれていくわけだね」
「真知子って呼んでって言ったでしょう。次ぎの休みはいつ?」
「今度の日曜日だよ」「オーケー。朝、迎えに来てね」

☆44

 次ぎの日曜日、龍平は真知子のマンションに迎えに行った。ドアフォンを鳴らすと真知子が出て来た。念入りに化粧していた。「おはよう。今日は一段ときれいだね」
「ありがとう。うれしいわ。いい男の前では、女はきれいにしていたいの」
「そういう気持ちは真知子らしいよね」
「女は誰でもそうよ。君も女心が分かると、もっといい男になるんだけどな・・・」
 車が発進した。車の中で真知子は話し続けた。
「この歳になると、お化粧でごまかさなくちゃね。若い人のお肌にはかなわないわ。今日は陽射しが強いから紫外線がこわい。ファンデーションもしっかり塗ったのよ」
「紫外線も皮膚の細胞にとって脅威になるよね。シミ、ソバカスの原因になるし、皮膚ガンを起こすからこわいね」
「歳を取るほど、紫外線にさらされた時間が長くなるってことね。お肌の老化は紫外線と関係があるわ。女優さんたちはそれをよく分かっているから、お肌を日焼けから守るために気を使うようね。だから歳を取っても女優さんは肌がきれいなのよね」
「農家の女性たちも農作業で大きな帽子をかぶり、手の甲の日焼けを防ぐ覆いをしてるね」
「ええ、でも適度の日焼けで、体にビタミンⅮが形成されるの。ビタミンⅮは、骨がカルシウムを取り込み時に必要なの。日焼けを恐れて、高齢になった女性が骨粗しょう症になりやすいのは理由があるのよ。佃煮の小魚や煮干しを食べるのも大事ね」
「なるほど。さすが栄養士」車は土浦市街地を抜けた。「さて、今日はどこへ行くのかな」
「新治の小野の里よ。朝日峠の方ね。筑波山へ向かうパープルラインの入り口よ」
「小町伝説の里だね」「龍平君は行ったことはあるの」「まだ行ったことはないよ」
「じゃ今日が初めてなのね。案内するから、とりあえずこの道をまっすぐね。筑波山の手前の山、宝筺山のふもとの方向に向かってね」
車は紅葉の山の方に向かった。山は落葉広葉樹の紅葉と針葉樹の緑がパッチワークのようになって彩られていた。
「どう、すばらしいでしょう。綾錦とはこのことだわね」「奥日光の紅葉にも負けないね」」
山が近づくと、柿や柚子がたわわに実る山里の集落に入った。パープルラインへの上り口から脇道に入った。静かな里の秋の雰囲気があった。山裾の道を走らせると『小町の里』の案内標識が目に入った。
「ここよ。そこの駐車場に車を停めましょう」
外に出た真知子は深呼吸した。遠くから百舌の高鳴がよく聞こえてきた。
「静かね。空気もおいしいわね。あたしはここが好きなの」
「土浦にもこんなところがあるんだね。奥座敷っていう感じだね」
駐車場のそばに立つ銀杏の樹が金色に輝き、水車小屋の水車が静かにまわっていた。
『小町の館』への導入路の脇には、土浦市が毎年募集している『小町の里文学賞』に入賞した俳句や短歌の作品をきざんだ石碑がならんでいた。「あたしはこの歌が好きなの」
 真知子が指差した石碑には、第一回小野小町文芸賞短歌大賞入選作が刻まれていた。
真知子が声に出して読んだ。
「新しき 命を両の 腕に抱き これから君の母さんになる」
真知子は遠くを見た。目にうっすらと涙が浮かんでいた。龍平が怪訝な顔をしたので、真知子はあわてて、「この俳句も好きだわ」と言った。そこには第三回入選作が刻まれていた。
「稲刈りを 見にゆく杖の 短かかり」真知子はまた声に出して読んだ。
「きっと農家のおばあちゃんの様子を詠んだ句ね。おばあちゃんの人生への感謝と優しさが感じ取れるわね」
『小町の館』には、小町伝説に関わる資料が展示されていた。真知子と龍平は展示品を見た。
「小町は京の都を離れて故郷の奥羽へ向かう途中、ここに立ち寄ったの。都ではたくさんの男性に言い寄られたりして、いろいろあったから、静かに残りの人生を過ごしたかったのよ。でも本当は死に場所を求めてさまよったすえ、ここに来たの」
「しんみり話されると、真に迫って聞こえるね」
「本当なのよ。私の家ではそう言いつたえているの」
「小野小町の子孫がいるなんて、世間に知れたら大騒ぎになるよ」
「大丈夫よ。あなたがリークしなければね」
「それにしても、それが本当なら千年以上も伝えられて来たことになるよ。何か古文書の記録はないのかな」「ないわ。口伝でつたえることになっているの」
 龍平は真顔になって言った。
「大事なことに気がついたよ。子孫がいるとしたら、小町はここで子どもを産んだことになるよ。小町は生涯独身だったはずでは」
「そこが肝心ね。小町はここに住み、地元の男と夫婦になったのよ。そして子どもが生まれた。その子孫があたし。信じられる?」 
「それが本当だとしたら、まさにミステリーだ」
「信じる,信じないは君の勝手よ。もっと大事なことは、君は秘密を知ってしまったことね。秘密を知った者は消されるのよ。つまり、あたしに食べられるの」
真知子も、真顔で言った。
「きれいな顔で恐ろしいことを言うのは,やめてくれよ」
「そんなうれしいことを言われると考え直してもいいわ」
「冗談はそれくらいにしてくれよ。ぞっとしたらお腹が空いてきたよ」
「あら、あたしはいつも男を食っているから、お腹は空いていないけど・・・。うふふ。冗談よ。でも、ここのお蕎麦ならつきあってもいいわ。さあ、あちらでお蕎麦、いただきましょう。この辺は蕎麦畑が多いのよ。夏に種を撒くと秋に真っ白い花が咲くの。淡雪が降ったみたいに。山が紅葉する今頃が収穫時ね」
 館内の小さな蕎麦屋は古民家風の内装で、黒光りした梁と柱の座敷になっていた。既に満席に近かったが、奥に空席を見つけた。真知子と龍平は座敷に上がりこんで座り、もり蕎麦を注文した。十分ほどで、もり蕎麦が運ばれてきた。真知子が言った。
「常陸秋蕎麦の新蕎麦よ。穫れたてで打ちたて。この季節、この土地ならではの贅沢ね。蕎麦の香りがいっぱい。いただきましょう」
龍平は豪快に、真知子は慎み深く蕎麦をすすりこんだ。
「この新蕎麦の高貴な香りと味わい。こんなに洗練された食べ物はめったにないわ。まさに仙人の食べ物よ」「蕎麦は健康にもいいんだろう」
「そうよ。お蕎麦に含まれるルチンは毛細血管を丈夫にして血液をサラサラにするわ。だから高血圧や脳卒中の予防にもいいのよ。それから必須アミノ酸のリジン、アルギニン、ヒスチジン、トリプトファンは白米より多いのよね。日本人は白米が美味しいからと言って食べ過ぎる傾向があるわね。白米は玄米を精米して作るけれど、その時に栄養がある胚芽や糠を捨ててしまうでしょう。白米は米粒の胚乳の部分だけなのよ」
「さすが栄養士」龍平が茶化した。真知子はかまわず続けた。
「白米だけだと栄養が不足するから、他の副食物を食べなくてはならないの。副食物を用意するためにさらに農地やお金が必要になるのよ。最近は健康志向の人が多くなったので、玄米食が見直されているけどね。
昔、山間部の農村では蕎麦を主食にしていた地方もあったわね。豊かな食生活ではなかったけれど、自然環境と調和した暮らしがあったと思うわ。蕎麦にはビタミB群も多いのよ。ただし、ルチンやビタミンB群は水に溶けやすいのね。
だから、お蕎麦を茹でると大事な栄養がお湯に溶け出てしまうので、蕎麦湯を飲むといいわ。昔は、せいろで蒸したの。それで今でも、お年寄りや蕎麦通の人は、ざる蕎麦をせいろと呼ぶ人がいるわね」「よく蕎麦通の人は蕎麦を肴に酒を飲むよね」
「そうね。あたしもお蕎麦屋さんで日本酒を一合だけ、いただくのが好き。お酒の味が良く分かるのよ」「真知子は酒豪だからな」「うふふ、一合くらいでほろ酔いがいいのよ」
二人は蕎麦湯を飲んだ。
「蕎麦湯は、口の中に残った濃い蕎麦つゆの味を除いてくれる効果もあるね。ところで、ちょっともの足りないなあ。大盛りを頼めばよかったかな」
「あたしにはちょうどいいけど、男の人には足りなかったかな。でも健康には腹八分目がいいわ」「これからどうする?」
「朝日峠に登ってみましょう。車ならすぐだけど、先祖が登ったように歩いてみましょう。ゆっくり登っても一時間半くらいよ」「腹ごなしにちょうどいいね。行こう」

☆45

二人は『小町の館』を出て裏手の山道に向かった。細い山道に沿って杉や檜の林が続き、渓流が流れていた。渓流のそばに、腰かけるのに格好の岩があった。
「これが小町の腰かけ石よ。山道で疲れた小町がここに座ったのよ」
そう言って真知子はその石に座った。木漏れ陽を浴びたその姿は美しかった。
「横顔がきれいだね。小町がよみがえったようだ」
「私が小町の子孫ということ、もう疑っていないでしょ」 
「そういうことにしておいた方が、ロマンがあるね」
「本当なのよ。信じられないのも無理ないけど」「まあ、いいや。先を急ごう」
 龍平は真知子をうながして山道を登った。山道は渓流から離れて広葉樹の森に入った。赤や黄に紅葉した葉が散り敷いていた。沢沿いには木道が整備されていた。沢には砂防ダムが設置されていた。中腹に東屋があり、その前に石の道祖神が置いてあった。男神と女神が寄り添うように彫られていた。その前で龍平が言った。
「真知子。道祖神にあやかって、二人でここに立ってみようよ」
真知子は龍平のそばに立って道祖神に手を合わせた。遠くでかけすの声がした。
龍平は真知子の肩に触れ、背中に手をまわして体を引き寄せ、目を見つめた。
「だめよ。誰かが来るわ」
龍平は答えず真知子の唇を求めた。二人は強く抱き合った。道祖神だけが二人を見つめていた。紅葉が二人に散りかかった。かけすが近くに来て鋭く啼いた。二人はわれにかえってその方向を見た。かけすは、再び啼いて飛び去った。翼の青い模様が鮮やかだった。
「さあ、もう少しよ。朝日峠まで」
二人はさらに山道を登った。急に視界が開けた。峠にある公園の芝生地に到着した。さらに芝生の傾斜地を登ると、大きなパラシュートを背に垂らした人が立っていた、顔にはゴーグルとヘルメットを被っていた。山にはおよそ不似合いな姿をしていた。
気がつくと周りには見物人たちが十数人いた。リーダーらしき人が合図をすると、パラシュートの人物は意を決したように斜面を一気に駆け降り、パラシュートが三日月型に膨らみ、体が宙に浮いた。
「パラグライダークラブの人たちよ。朝日峠はパラグライダーの基地になっているのよ」
 パラグライダーは山肌を吹き上がる上昇気流に乗ってゆっくりと峠を離れ、麓に向かって飛んだ。パラグライダーが飛んだ方向に、鏡のように水平に光るものが見えた。雲の切れ目から太陽光が斜めに入射していた。
「光っているのが霞ヶ浦。平安時代に小町も眺めた霞ヶ浦よ。そのころは流れ海とか霞の浦と呼ばれる内海だったけどね」
霞ヶ浦は南東の方角に日の光を反射しながら輝いていた。湖上では風が吹いて、漣が立っているようだ。霞ヶ浦のそばには土浦の市街地が見えた。さまざまな高さのビルがジオラマのように建っていた。龍平と真知子は芝生の斜面に腰を下ろした。パラグライダーはリーダーの合図で、約十分間隔で次々に飛び立っていった。
真知子はスカーフを取り出して頭を覆った。大きな花柄のスカーフは白い肌によく似合った。真知子はさらにサングラスを掛けた。
「少し風が出てきたみたいだ。そろそろ戻ろうか」「そうね。秋は日が短いわね。気温が下がる前におりましょう」
 二人は登ってきた道の方に歩き始めた。山道を小一時間ほど下ると、また小町の館の前に出た。隣接する産地直売所で真知子は福来蜜柑を一袋買った。
「福来蜜柑は縁起がいいのよ。種が多いしあまり甘くはないけれど、素朴な酸っぱさと香りがあるから、あたしは好き。この季節になると食べたくなる。品種改良されていない柑橘類の原種みたいのものじゃないかしら」「小野小町も食べたかな」
福来蜜柑の小さな房を口に入れながら龍平が言った。
「食べたわよ。筑波山周辺の山麓は気温の逆転層が出来て暖かいから、昔から柑橘類ができるのね。万葉集にこういう歌があるわ。
橘の 下吹く風の かぐわしき 筑波の山を 恋ひずあらめかも
橘のかぐわしい香りを運ぶ風が吹く筑波の山が恋しくてたまらない、という歌よ。これは、常陸国から防人に派遣された占部廣方という人の望郷の歌なの」
「その頃から、筑波山麓の福来蜜柑は有名だったんだね」 
「今もお土産用の他に、七味唐辛子の材料として細々と需要があるのよ。福来蜜柑の皮は陳皮として、業者が買い付けに来るそうよ」「詳しいね」
「私はこの辺で生まれて育ったのよ。何でも聞いて。さあ、小町のお墓まで行ってみましょう。ここからちょっと離れたところにあるの」
 二人は福来蜜柑や柚子や柿が実る畑のそばの道を歩いた。さらに歩くと旧家の前に出た。
「こちらの家の隣りに小町のお墓があるの」
 二人は整備された脇道を入った。大きな杉の木の下に古びた五輪塔があった。小菊の花が一輪挿しに挿してあった。
「これが小町のお墓。お参りしましょう」二人は小町の墓の前で手を合わせた。
「昔は美人にあやかりたい若い娘がよくお参りに来たの。お墓はこの集落の人達に、代々守られて来たの。小町伝説を語り伝えながらね」「小町伝説は日本各地にあるんだろう?」
「ええ、小町は都を出た後、各地を旅してふるさとの奥羽に向かったのよ。行く先々で人々の話題になったでしょうね。でも私は、ここに私の先祖が眠っていると信じているの。小町のDNAは私の体に受け継がれているのよ。だから小町のようにもっと美しくなりたいわ」「十分に美しいと思うけれどね。今のままでも」
「あら、ありがとう。でも容色は自然に衰えるわ。自然の老化に任せていられない。女はいつまでも美しくありたいと思うのよ。美しさは若さの象徴。つまり永遠の命あってこそよ」
「美の追求と老化は矛盾する。だから女性は老化とも闘っているわけだね」
「老いは女の敵。私は独身だから今もそう思えるけれど、結婚して家庭に入り、子育てが始まると、諦めて老化を受け入れてしまう人が多いわね」
「それは子どもに自分を託すからかな。自分の命が子どもに移り、その意味では命の再生を実感して、それで満足してしまうのかな」
「それは説得力があるわ。でも子どもがいないあたしとしては、自分を大切にするしかないのよ」「今からでも遅くないよ。子どもを産んだら?」「今からでは高齢出産よ」
「医学の進歩で三十代後半でも出産する人は少なくないよ。まだ間に合うよ」
「女は一人じゃ妊娠できないのよ。マリア様じゃないから」
「俺が協力するよ」「それはどういう意味?」龍平は真知子を見つめ、意を決して言った。
「俺たち、結婚しよう。昔から年上の女房は鉄のわらじを履いてでも探せといわれているよ。絶対に幸せにする」「古い言葉を知っているのね。でも、嬉しい」
龍平と真知子は小町の墓の前でそっと抱き合い、唇を重ねた。

☆46

 バー『真知子』では中条医師ら飲み仲間が集まっていた。常連の岩瀬、龍平、それに真知子がそろっていた。岩瀬教授が新しいゲストを連れて来ていた。
「前回は、新鮮な魚を加熱しないで食べることが健康に良いという説が有力だったね。今晩はそれについて議論を深めよう。この話題にはうってつけの専門家をお連れした。常陸大学理学部の気鋭の動物学者、松井准教授だ」
「はじめまして、松井です。岩瀬先生から面白いバーがあると聞いて、同行させていただきました」岩瀬が続けた。
「さて松井先生。動物が生肉を食べることはどういう意味があるのだろう」
「肉食動物は獲物を生で食べますね。狼もライオンも。植物を特に食べなくとも栄養が偏ることはありません。必要な栄養は生肉に全て含まれていると考えられます」
中条が口をはさんだ。
「しかし、野生の肉食動物は特に長命というわけではないね」
「それにはいろいろ理由が考えられます。まず肉食動物は、いつでも楽に餌になる動物を捕らえているわけではないのです。ライオンでさえ、狩の成功率は低く、捕らえることが出来るのは老いた動物、傷ついた動物、幼い動物、たまたま群れを離れた動物などです。
チーターの狩りをテレビで見たことがあると思いますが、全速力で餌の動物を追跡する時には、かなりのエネルギーを費やすので消耗も激しいのです。肉食動物が高齢になって、視力が衰えたら、餌の草食動物を発見できません。筋力が衰えたら、早く走れませんから、やはり餌を捕らえることができないので飢えて死んでしまいます。高齢になるまで生存することは、肉食動物にとってもむずかしいのです」ここまで聞いていた真知子が言った。
「そうよね、人間社会ならお年寄りに年金を支給するとか、介護福祉制度、老人ホームへの入所など、若い世代が老人のお世話をし、社会的に老人を大切にする制度が、まがりなりにもあるわよね。でも動物の世界では、子や孫が老いた親の世話をする例ってあるのかしら」
松井がすかさず応えた。
「基本的にはないですね。なぜなら野生の環境では食料が限られていますから、老いた親世代は早く死に、若い世代が生存できるように、冷徹な戦略ができているように見えます。親の役割は生殖行動を行い、子孫を残すことです。それに成功すれば、後は身を引くことですね。サケは海から川を遡り、上流で雄と雌が放卵、放精し、卵が受精すれば、親は死んでしまいますね。野生動物の世界では、親世代が死ななければ、生きていく上での生息環境、餌資源が不足してしまい、結局奪い合いが起きてしまうでしょう。親の死はそうした闘争を回避するシステムなのです」中条が言った。
「親の遺伝子は次世代に伝わっているわけだ。大事なことは、親が亡くなっても、生命がとぎれているわけではなく、つながっているということだね」松井が頷いた。
「生物学的には全くそのとおりですね。しかし人間の場合はお年寄りの知恵が文化、文明を作ってきました。例えば食べ物になる山菜、薬草の知識、穀物の栽培方法、狩猟や漁労の技術、寒さを防ぐ衣服の織り方、住居の建築など、知識や技は旧世代から次世代に伝達されてきました。伝達の度に新知識、新技術が加わって蓄積され、文字が生まれてからは、その蓄積量が飛躍的に加速され、科学技術文明を築き上げるまでに至ったわけです」
岩瀬は老年医学者らしく付け加えた。
「人間の場合は長寿者のお陰で生存と繁栄が保証されたことになるね。しかし現代では、老人がパソコンやスマホを使いこなせなかったりしている。科学技術の進歩が早すぎて、老人がついていけない状況が生まれているね。老人の知恵が役に立たない時代になった。老人は若者から疎外されてしまい、生き甲斐を見出しにくい。こんな状況になったのは人類の歴史始まって以来ではないだろうか」中条がしんみりと続けた。
「若い世代には、それぞれ仕事など都合があるからね。個々の家庭の事情に立ち入るつもりはないが、老人介護で一番負担を背負うのは嫁や娘なんだね。女性たちは子育てが終わって、やれやれ、これからは自分の時間が持てると思った矢先に、実の両親や夫の両親の介護が始まり、精神的、身体的に参ってしまう例はよくある。夫や男の兄弟の協力がないと、女性は本当にストレスが溜まってしまい、最悪の事態になるケースも少なくないね」
 真知子が真顔で頷いた。岩瀬が続けた。
「他人事ではないね。高齢化社会を生きる上で、これまでにはなかった倫理観や価値観が必要になると思う。若い時には仕事や家事、育児を通して人間社会に直接、間接に貢献したのだから、老後は大きな顔をして堂々と生きられる制度や社会的合意が必要だ。若い世代の負担にはできるだけなりたくない。だから高齢者福祉制度を充実させるべきだ。
老後の福祉制度が充実し、若い時の収入に左右されないものなら、北欧のように税金が高くても納得して納税するよ。北欧は寒いけれど自然災害が少ないから、大規模工事を伴う公共事業に予算を使わずに、福祉の充実に税金を回せるという事情もある。日本では老後に備えて生活費を削り、趣味や教養のために金を使わず、旅行を楽しむこともせず、ひたすら貯蓄する人生は楽しくない。でも日本ではそうせざるをえない人がとても多い」
松井はビールのグラスが空になったことも気づかず、熱弁を奮った。
「本題に戻って、生肉には加熱すると失われてしまう栄養素を含むというメリットをもう少し考えてみましょう。肉食動物は、肉だけを食べると考えられがちですが、実際は内臓も食べるのです。草食動物の内臓を食べることで、消化管の内容物である消化されかけた植物も食べています。植物が持っているビタミン類をはじめ、ミネラルなども摂取しています。全体として栄養のバランスがいいわけですね」
真知子が松井のグラスにビールを注ぎながら言った。
「イヌイットの人は生肉ばかり食べていたけど、問題ないでしょう?」
「北極圏では新鮮な野菜は手に入りにくいので、イヌイットは専ら、狩をして動物の肉を主食にした。薪のような、肉を加熱する燃料も乏しかった。結果的に生肉を食べるしかなかったのでしょうが、生肉からビタミン類は摂取できますね。でも生肉を食べるから長寿というわけではないようです。寄生虫の心配もあります」真知子が付け加えた。
「加熱しないで寄生虫の危険を除いて、旨みを引き出す方法があるわ」
龍平が驚いた。「そんなうまい方法があるの?」
「そうよ、しかも味も良くなるの。日本人は伝統的にその方法を使っているわ。それは発酵を利用する方法よ。例えば熟鮨ね。特に鮒鮨は長く保存するから、塩分や酸で寄生虫や病原菌などはほとんど死んでしまうでしょ。それから、酢のものやマリネにすると、酢で雑菌を殺せるわね。加熱しないから壊れやすい栄養素も残るのよ。鯖のような青魚に含まれるDHAやEPAのことを話題にしたじゃない?しめ鯖には、そういう栄養素がたくさんあるの」
「発酵を利用するのは人間の知恵だね。特に東アジアでは、発酵食品が多い。それを中国や韓国の発酵食品文化とのつながりで、照葉樹林文化の範疇に入ると言う民族学者や文化人類学者がいたね」
「日本料理では、生、煮る、焼く、蒸す、揚げる。さらに発酵食品をうまく使う。多彩よね。それらを素材に合わせて、上手く組み合せて調理する。海の幸、川や湖の幸、山の幸、里の幸。日本料理ほど、食材も調理法も多彩な料理は、他にはないかもね」
中条が思い出したように言った。
「ところで、伝統的な中華料理は全て加熱するもので、刺身やサラダは無いのじゃないかな。何かの本で読んだのだが、現在でも中国の農村で下肥を使うそうだ」
「下肥って何ですか?」龍平が聞いた。
「ああ、若い人には分からないか。下肥とは屎尿を肥料にしたものだよ。昔は日本でも便所は汲み取り式で、糞尿を溜めて、それを肥桶に汲んで畑で肥料にしたんだ」中条が続けた。
「下肥は究極のリサイクルだ。現代人より、昔の人の方がリサイクルをよく理解し、実践していたんだね。当時は誰も下肥を汚いなんて思わなかった。野菜を作る大事な肥料だったからね。下肥が完熟していないと、大便に含まれる寄生虫卵が生きていて、野菜に付着する。回虫とか条虫などだ。その野菜をサラダや一夜漬で食べると寄生されてしまう」
龍平が口を挟んだ。
「今は化学肥料ですね。化学肥料は速効性があって野菜はよく育つけれど、雨で流出して河川を通じて霞ヶ浦に入り、湖水中の窒素やリンの濃度が高くなって富栄養化の原因の一つになっています」中条は酒が入って、饒舌になっていた。
「私は農村医学が専門だから、農村の生活改善と霞ヶ浦の富栄養化の問題には関心を持ってきたよ。あまり行政が言わないのは、水洗トイレの普及が霞ヶ浦に影響していることだね。汲み取り式便所は確かに不衛生で寄生虫の懸念もあったが、汲み取って下肥として畑に還元した。人間の排泄物に含まれる窒素やリンが大地に戻され、野菜の肥料になる。完璧な物質循環システムだから水を汚すことはなかった。ところが水洗トイレの普及で、相当量の窒素やリンがトイレの排水を通じて霞ヶ浦に入る。浄化槽や下水処理場で一部は回収されるが、完全ではないから、霞ヶ浦が汚れないわけがない」真知子が言った。
「でも汲取式トイレは今の子どもたちにとってはこわいのよ。暗い穴に落ちそうだし、臭いし、ポットンと落とすと、はねて、お尻にお釣りが付いちゃうでしょ。若いお嫁さんも嫌がるしね。それで農家では浄化槽式のトイレに改造したのよ。そうしないと息子のお嫁さんも来ないし、孫にも嫌われるのよ」龍平が続けた。
「農家が当時、応急的に取りつけた水洗トイレは単独浄化槽です。今は単独浄化槽から、台所や洗濯、風呂の排水などの生活雑排水も含めて、より効率的に窒素やリンが取れる高機能型合併浄化槽への転換を茨城県では呼びかけています。しかし補助金の予算は限られているので、短期間に全戸の転換というわけにはいかないのが実状です。それに合併浄化槽を設置しても、定期的に検査を受けて維持管理をしないと十分に性能を発揮できないのです」
「水洗トイレの普及は文明のバロメーターと言われたね。しかしそれが霞ヶ浦の水質悪化の一因になり、霞ヶ浦は水道水源だから、浄水場で処理はするが、霞ヶ浦の水をわれわれは水道水として飲まざるをえない。文明のおおいなる矛盾だね」中条が嘆息した。
「寄生虫の話に戻らせてもらうよ。戦後日本に米軍人とその家族が進駐してきた。彼らは新鮮な野菜をサラダにして食べるのが好きだ。ところが日本の生野菜は寄生虫卵がついているから危険だということになって、彼らは基地内でレタスの水耕栽培をやったんだね。そうして清浄野菜を作って食べた。それが日本における水耕栽培の始まり。生野菜をサラダで食べる習慣も日本人の食生活に定着した。中華料理の話に戻るが、中国人は生野菜を食べない。十分に加熱する。野菜に寄生虫卵が付着していても、加熱すれば心配ないから合理的ですが、ビタミン類など熱に弱い栄養素を壊してしまっているね」真知子が続けた。
「中華料理は脂っこいというイメージがあるでしょう。でも点心類は蒸したものが多いわね。最近では都市部で暮らす成功者は、健康に良ければ高価な食材でも買って食べているそうよ。たとえば有機栽培の清浄野菜は、スーパーの特別コーナーに置かれて、値段が高くてもよく売れるそうなの」岩瀬がスコッチの水割りを飲み干し、口をはさんだ。
「そうすると、いずれ中国も長寿の人が多くなって、今の日本のような高齢化社会が来るだろうね。その意味では秦の始皇帝の夢が二千年以上かけて実現するわけだ」松井が言った。
「秦の始皇帝で思い出しました。私の大学で東アジアの古代史を研究している学者の話を紹介しましょう。日本の三千年、四千年前は縄文時代で、勿論文字がありませんから、縄文土器や貝塚からの出土品、竪穴式住居跡の調査などで当時の様子を明らかにするわけです。
縄文土器は素晴らしい造形力で作られており、縄文文化の誇るべき象徴ですが、同時期、中国大陸では、夏や殷という古代国家が成立し、祭祀用の精巧な青銅器や鉄製の製品をすでに製造していました。漢字の原型にあたる文字も使用していました。さすがに世界四大古代文明発祥地の一つですから、当時の日本列島にくらべれば驚くほどの先進国だったのです。
その後大陸では、春秋戦国時代をへて、二千二百年ほど前に秦が成立し、始皇帝が即位します。その時代は日本では弥生時代です。始皇帝は不老不死薬の探索を計画して、徐福一行を日本に向けて船出させます。そのことは前漢時代の司馬遷の史書に記録されています。実際中国では徐福一行が船出した港があり、徐福一族の子孫と名乗る人々が住む村落もあるそうです」真知子が興味津々という表情を浮かべた。「へえー、そうなの。面白いわね」
松井が続けた。
「一方日本では、徐福一行が漂着したという伝説が残る場所が複数あるそうです。福岡県の有明海沿岸、和歌山県の田辺、富士山麓、下北半島などです。地元では神社を祀るなどしているのです。筑波山麓にも、養蚕技術を伝えた姫を祭る神社があります。弥生時代の日本に、大陸の進歩した文明をもたらしたのは徐福一行だった可能性がありますね。
さらに想像を逞しくすれば、古墳時代を経て徐福一行の子孫が日本で王となり、古代国家を形成したのかもしれません。邪馬台国の女王卑弥呼や現在の天皇家の先祖とのつながりも考えられます。ただし、日本では当時の経緯を記録した文字史料が無く、口承の神話しかありませんから、古代史のロマンとして扱うしかないわけです。ともかく、国を治める権力者が考えることは共通していますね。自分の一族を神聖化し、権威化し、国を安定させ、自分はもちろん、国民も長生きして豊かな国を作り、維持したいということです。それは現代の日本や中国にも引き継がれているのではないでしょうか」中条が続けた。
「経済が発展して国民が健康で文化的な生活を享受できるように、どの国の指導者もめざしているわけだが、もともと人口が多い中国がそうなれば、いろいろ課題もあるだろうね」
松井が、皆を見まわしながら言った。
「動物社会学的には、高齢個体の割合はあまり多くないほうが、若い世代の負担を大きくしないために重要ですが、人間の場合はどうなのか。特にお年寄りを敬う儒教文化を根底に持つ中国社会はどうなっていくのか。世界中が注目するでしょう。中国の指導者は現代の皇帝のような存在ですが、大変な仕事でしょうね」
「中国が超大国になったら、アメリカとの間で日本は大揺れに揺れるかもしれないな」
岩瀬が腕組みをすると、グラスの氷を回転させながら中条が言った。
「中国は経済発展がすごいから、富裕層はもっと子どもがほしいと思うだろうね」
松井が続けた
「でも結局、人口増加に対して中国政府は先手を打つしかないと思います。人口を支える各種の資源は有限だし、大気や水質の汚染など環境破壊を引き起す元です。先進国は軒並み人口が減少傾向だから、いずれ中国もそうなるでしょうね」
「先生方、議論に熱が入ってグラスが空ね。ごめんなさい、気がつかなくて。水割りお作りしましょう」中条が言った。
「いや、だいぶ夜が更けたから今夜はこれくらいにしよう。明日はまた、患者が押し寄せる。医者の不養生では患者を診る資格がない。医者は己の健康に人一倍気を使うべきだ。現代医療では多くの医療スタッフに支えられて医者は仕事をしているから、医者が倒れたのでは皆に迷惑がかかる」「その通りですね。ではお開きとしましょうか」「ママ、ご馳走様。お勘定」
中条医師らは、名残惜しそうに引き上げた。

☆47

二週間後の夜、『バー真知子』では、龍平と中条医師が真知子を相手に飲み始めていた。
中条は例によってスコッチを水割りで、龍平はバーボンをロックで、乾いた喉に少しずつ流しこんだ。喉が鳴った。
「何とも言えないうまさだ。よくぞ男に生まれけりだ。なあ、永作君」
「はい。男にしか分からない味ですね」
「女だってウイスキーをたしなむ人はいるわよ。あたしの友達はご主人とホームバーで、一緒にウイスキーをいただくのを楽しみにしているわ。専らハイボールのようね。ハイボールの細かな泡を見ながらいろいろ語り合うそうよ。うらやましいわね。今日はあたしもいただこうかしら。シーバスをハイボールで」
真知子は自分でグラスを取って、シーバスのハイボールを作った。
「シーバスのハイボールか。ぜいたくだね」「さあ、乾杯しましょう」「ママに乾杯」
真知子はハイボールを一口飲んで、意味有り気に男二人に微笑した。中条が言った。
「いいね、その謎の微笑。まるでモナリザだ」
「モナリザだなんて。先生もお世辞がうまくなったわ。でも光栄ね」
「お世辞じゃないぞ。美人のママとうまい酒が本音を言わせるのだ。酒なくて何の人生ぞ。酒乱の医者はいただけないが、適量の飲酒は体にいいんだ。酒は議論を進め、叡智を引き出す。だから坊主は酒を般若湯と言う。般若とは知恵のことなんだよ。それに適量の酒は寿命を延ばす。酒は交感神経をリラックスさせる。酒は百薬の長だ」
 そんな話をしかけたところに、岩瀬がもう一人の紳士を伴って現れた。
「やあ今晩は。今日は常陸大学医学部の良心と言われる斎藤教授をお連れしたよ。斎藤先生のご専門は生命倫理と生命哲学。医学部では医学原論の講義を担当しておられる」
「はじめまして、斎藤です。教授会の後で岩瀬先生に強引に誘われてうかがいました」
「生命哲学か。われわれの議論に新風と深みを与えてくれそうだね。あ、申し遅れました。中条です。土浦市内で開業しています」龍平も自己紹介した。
「僕は県職員で永作龍平と申します。霞ヶ浦の水質を研究しています」
「真知子です。先生方のお話を聞いて耳学問しているの」斎藤が言った。
「耳学問か。いい言葉ですね。古代ギリシアの哲学者たちは互いに議論しながら認識を深め合ったのです。現代でも意見交換は重要ですね。聴衆がいることは民主主義の原点です。聴衆も同時に認識を深めることができます」
「ここでは聴衆はあたしよ。一人では物足りないかしら」中条がすかさず言った。
「一人でも手強い聴衆だよ。ママを納得させるにはソクラテスの哲学とアリストテレスの博識が必要だ」「ほめ過ぎよ、中条先生。あたしをほめ殺しして、どうするつもり。うふふ」
 中条はどぎまぎした。真知子は微笑した。「岩瀬先生、斎藤先生。お飲み物は何を」
「とりあえずビールを。教授会で発言しすぎて喉がカラカラだ」
「では私もビールをいただきます」「瓶ビールしかないけど、いいわね」
真知子は慣れた手つきでビール瓶の栓を抜き、二つのグラスに注いだ。
二人はうまそうに、喉を鳴らして最初の一杯を空にした。真知子はビールを注ぎ足しながら聞いた。「斎藤先生、医学原論ではどんな講義をなさるのですか」
「医学原論では、医学とは何か、医療とは何か、医療スタッフの役割とは何かを、学生とともに改めて考えます」
「あら、そんなこと、医学部に入学する学生さんなら、みんな考えてくることじゃないの」
「ところが、高校を卒業し、医学部にすぐ入学してくる学生の中には、医学生としての勉強が始まってから悩みだす例が珍しくないですね。入学試験の成績が良いから、医師になれば社会的ステータスが高いから、あるいは収入が良さそうだからという理由で医学部に入ってくる学生ほど挫折しやすい。医学部の勉強は、とにかく量が多い。講義や実習に出席し、分厚い医学専門書を一ヶ月に何冊も読んで理解し、レポートを書き、試験を受けなければならない。
解剖実習は最初の関門の一つで、ここでつまずく学生もいる。続いて病理学、血液学、生理学、生化学などと基礎医学の講義と実習が続く。息つくひまがない。基礎医学を修めると、続いて臨床医学だ。外科学、内科学をはじめ、最近では細かく専門分野が分かれている。医局の先輩医師について徹底的に学ぶ。
こうしたハードな勉強を経て、国家試験に合格し医者になっても、若い研修医は薄給で、救急医療センターの夜勤などにまわされて、十分な睡眠時間さえとれず、重症の患者さんを担当することが続くと精神的に参ってしまうことがある。それだけ人命を扱う医者の仕事は過酷だ。よほど肝が据わっていないと、医者自身が心身の病気になりかねない。そうならないように、われわれが、医者の卵の心のケアを含めて、あらためて医者の仕事とは何かを一緒に考えてあげるわけだね」岩瀬が続けた。
「アメリカの場合は普通の大学で他の分野の勉強をして、卒業してから医学部に入学してくるので心構えがしっかりしている。社会人として数年仕事をしてから改めて医師をめざす人もいる。アメリカでは医学部というよりもメディカル・スクールと言うね。昔の医学専門学校のイメージかな」
「岩瀬先生は若い頃、アメリカ東部の名門医科大学に留学されてるんだよ」
「そうでしたの。中条先生、水割り、お作りしましょうね」斎藤が話を続けた。
「例を上げると、末期癌患者のターミナル・ケアの問題があります。脳死で植物状態の患者の例もあります。当然、多額の医療費や家族の精神的、経済的負担の問題もある。医療技術の進歩で人間は簡単に死ななくなった。集中治療室の延命治療で、機械で生かされているケースもある。そのような患者をどうするか。大きな問題だ。一人の医師の独断で人工呼吸器を外せば殺人罪で告訴されてしまう。実際にそういう例があったね。ママはどう思う」
「あたしは、その方が充実した人生を十分生きて、後悔していないならば、自分の最後は自分で決めるようにしたらいいと思うわ」
「それはしっかりした人の決断ということだね。しかし、実際は家族も医師も迷って逡巡する。脳死状態になってしまえば本人は判断できない」中条が続けた。
「オランダなどでは尊厳死や安楽死が法律で認められている。もう回復する見込みが無いとわかると、患者本人が安楽死を選ぶことができる。家族に見守られ手を握られて、生命維持装置を外してもらう。冷静に死を迎える。オランダ人はその意味では、世界一合理的な国民だね」斎藤が引き取った。
「日本では、家族も担当医師もできるだけ長く生きてもらうように努力する。奇跡的に回復するかもしれないという一縷の望みにかける。しかし見方を変えれば、医療技術がここまで発達する前はすでに亡くなっているケースもある。オランダ人は、延命治療は医療福祉の予算を圧迫し、家族や医師の負担を大きくすると合理的に考えるのだが、日本人はそこまで割り切れないね。医学原論を担当する立場として言いたいのは、そうした難しい判断を迫られるのが医者だからこそ、知識や技術だけでなく、人間としても多くのことを学び、大きく成長していかなくてはならないということだね」岩瀬が頷いた。
「それだけ、医者というのは,やり甲斐のある仕事なんだ。医学生はそれを肝に銘じて立派な医師になってもらいたいものだね」
龍平は、斎藤や岩瀬の言葉を噛み締めるようにじっと聞いた。中条が嘆息して言った。
「医学の発達で人間の寿命は飛躍的に延びたね。日本人は今や、男も女もほぼ世界一長生きになった。しかも、六十五歳以上の高齢化率は世界でもトップクラスだ。健康保険や年金はあるが、高齢者の医療費、介護費は若い世代に重くのしかかってくる。大きな矛盾だ。
だが医学や医師の仕事に限らず、人間世界には矛盾することが多い。矛盾があるからこそ人生はおもしろい。矛盾の存在を認めるのが大人だよ。若い人は人生経験が少なく、その矛盾を実感したことが無いから、すぐ解決できるように錯覚し、自分たちが変革の先頭に立とう、旧世代には任せておけないという幻想を持ってしまう。今考えると我々が医学生の頃、学生運動に走った連中は、そういう幻想に走っていたように思う」
岩瀬が遠くを見るような視線で言った。中条が付け加えた。
「何か意味があったとしたら、挫折した若い人たちが現実に戻って、団塊の世代のエネルギーで猛烈社員に変身し、その後の日本の経済成長を支えたことじゃないかな。良くも悪くもマスプロ教育、知識偏重の詰め込み教育、競争主義の影響があったのだろう。ベビーブームで子どもの数が多かったからね」
 やや重苦しい雰囲気が漂った。それを破るように真知子が言った。
「お医者様というより、文化人類学者の講義を聴いているみたいだわ」
龍平が思い切って言った。
「実は、霞ヶ浦にも多くの矛盾が存在しています。例えば、周辺湿原の干拓や埋め立てで農地や宅地を造成し、コンクリート堤防で湖水を完全に囲いこんでしまったことですね。湿原や浅瀬を農地に替えて食糧を生産するようになりました。堤防で洪水被害を完璧に防いでいますから、農家は稲やレンコンを安定して生産できます。勿論、消費者もその恩恵を受けています。水害に苦しめられた祖父母の世代が、子孫には苦労をかけたくない、安定した稲作を実現して食糧事情を良くしたいと願って努力してくれたお陰なのです。そのお陰で茨城県は飛躍的に経済発展しました」中条らは耳を傾けた。龍平が続けた。
「しかし、それによって霞ヶ浦の自然浄化機能が失われてしまいました。防潮水門によって海水の逆流を防ぎ、塩害を防止し、そのお陰で湖水は淡水化され、水資源として高度に利用されています。塩害は戦後の河川改修の結果、河口部近くの川幅が広くなり、もともと海抜高度が低い霞ヶ浦に海水が一時期逆流したからです。つまり霞ヶ浦が昔の海のような状況に戻りかけたのです。それでは農業用水、工業用水、上水道水に使えなくなるので、逆水門と呼ぶ防潮水門を作らざるを得なかった。しかし一方では霞ヶ浦の閉鎖性が強くなって水質悪化を招いたのです。それらは二者択一的な考え方では解決できない。大きな矛盾です。
ところが一部のエコロジストは防潮水門を開けろと主張します。分かりやすい極論が若い人を惹きつけます。さらに霞ヶ浦の歴史をよく知らない一部の学者がバックについています。行政も、市民運動側も学者の権威を利用することがあります。メディアは分かりやすい極論に飛びつきます。判官びいきで正義の味方を応援したくなるのか、大衆にこびるのか、自然保護という文脈だけですぐ記事にします。これは大きな矛盾ではないでしょうか」
「そうよ。霞ヶ浦の環境問題はじっくりと取り組まなくてはならないのよ。拙速では解決できないわ。ある植物が霞ヶ浦で絶滅の危機に瀕しているから守れという運動があって、新聞に紹介されるけど、きれいな花が人を惹きつけるからって、シンボルにして利用し、運動を正当化するなんて疑問を感じるわ。霞ヶ浦の水がきれいだった昔は砂浜があって泳げたけど、その植物は少なかったわ。霞ヶ浦が富栄養化したから増えたのよ」
真知子が応じてくれたので龍平はさらに勢いづいて言った。
「科学的に考えれば霞ヶ浦で植物が繁茂するのは、湖水の栄養塩類濃度が高くなったからです。水生植物が増えたら刈り取るべきです。昔の霞ヶ浦では農家が刈り取って堆肥にしていました。現在の霞ヶ浦は植物プランクトンが多すぎて透明度が低く太陽光が届かないから、水中の植物は生えにくいのです。
そこで、生活排水対策をはじめ、水質改善を最優先させることが大切です。窒素とリンの濃度が低下し、植物プランクトンが減り、透明度が上がり、底質が改善されれば自然に沈水植物も繁茂するはずです。沈水植物が増えたら刈り取れば水質改善がさらに進みます。
自然保護運動の中で、特定の生物をシンボル化して利用する運動は、若い世代に単純な幻想と暗示を与えているのではないでしょうか。自然保護運動は無条件に善だと、すぐ記事にする新聞記者も同様です。きれいな花を咲かせる植物が霞ヶ浦で増えれば霞ヶ浦がきれいになるというのは幻想です。霞ヶ浦の環境問題は単純ではないのです」
「批判はおおいに結構よ。ただし、目立つ行動をして大衆の関心を集め、正確な情報や科学的な考え方が身についていない一般人と新聞を身方につける短絡的な運動には断固反対ね」
真知子も息巻いた。中条が二人を制した。
「盛り上がって来たね。私も例を出そう。永作君も言っていた農薬問題だ。私は農村医学をライフワークにしてきたから、農薬は悩ましい問題だった。農家では農薬を使わなければ、作物が害虫や病気にやられ、除草などの農作業も大変だ。農薬の中には作物に残留し、流出して川や湖の水を汚染するものがある。霞ヶ浦の水は飲料水の原水だし、魚貝類も生息している。魚貝類は人間の口に入る。実際、昔は農薬が水を汚染して魚が死ぬ事故もあった。農村医学の観点からは農薬問題はジレンマだった。
しかし、次第に農薬の研究が進んできた。今使われている農薬は分解が早く、魚毒性が低い。昔のように魚が死んで浮くということがなくなったのは幸いだね。やはり現実の矛盾に対してはじっくりと腰をすえて対応することが大事だね」斎藤が身を乗り出した。
「医学に戻って、もう一つ問題提起しましょう。臓器移植問題です。現代の最先端医療では、臓器移植がしばしば行われるようになりました。しかし患者の腎臓の移植、外国人の腎臓の売買など、新聞を賑わす問題も起きています。単純に考えると臓器移植は機械の部品交換のように思われがちです。現実に、脳死の患者の健康な腎臓を、重篤な腎不全で回復の見込みがない患者に移植することが行われます。提供を受けた患者は拒絶反応さえ出なければ長く生きることが出来ます。
臓器移植は是か非か。さらに脳死段階での臓器摘出は是か非か。是としたら、どこまで可能なのか。これらの問題に対しては臓器移植学会があり、その勧告を基に臓器移植法が成立しています。医学生にとって、臓器移植は避けて通れない問題ですから、医学原論でも扱います。私は学生同士のディベートをすすめています。議論のプロセスが大切です。悩んでいるのは自分一人ではないという連帯感が生まれます。医学生時代に議論した経験が、医師になってから、気持ちの余裕と自信をもたらします」
「それはデカルト哲学の立場だね。コギト・エルゴ・スム。吾思うゆえに、吾ありだ」
岩瀬が指摘した。
「そうです。デカルトは精神と物体の二元論を展開し、近代科学の哲学的基礎を確立しました。精神と物体はそれぞれ独立しているが、その相互作用によって真実に近づくということです。ただし、真実に到達する保証はありません。デカルト哲学では全てを疑ってかかります。疑ってかかる時の立脚点こそ、考える自己です。すなわち、科学的な修練を積んだ専門家の役割を重視することにつながっていくわけです。科学的な修練とは、徹底して繰り返される実験的な手法によって身につくものです。実験で再現できないものは科学の対象にはなりえません。例えば、幽霊は科学の対象ではありませんね。これがカントの考え方です。彼によれば科学者という存在は、測定機器またはその延長のようなものです。職人的な要素も当然持っています。技術が未熟なため、あるいは機器の性能が不十分なために、測定できない現象は科学の対象として扱えないことになります。人間の心の動き、文化や芸術は科学の対象にはなりにくい。ところが最近では脳科学の発達によって心の領域にまで科学が侵入しているのです」
中条が思い出したように言った。
「女性は子どもを産む機械と発言して批判された厚労大臣がいたね。この発言は単なる言葉足らずだね。大臣も心底そう思い込んでいるわけではないと思うよ。ところが言葉尻を捕らえる野党議員やマスコミに咬みつかれた。彼らの目的は与党や内閣にダメージを与えて揺さぶりをかけ、大臣を辞任に追い込み、政局を流動化することだ」斎藤が冷静に応じた。
「マスコミが騒ぐと視聴率が上がってスポンサーが悦び、新聞や雑誌が売れます。しかし残念ながら本質的な議論になりがたいのです。こうした問題では医学者や生命科学者が発言すべきです。昔から生命哲学では生命機械論があります。生命は自己増殖する精巧な機械であるという考え方です。
一方、人間は機械ではないという考え方も根強い。人間には喜怒哀楽の感情がある。高等数学の難問を解く人もいる。壮大な交響曲を作曲する人もいる。コンピュータがいくら進化しても人間の頭脳には及ばない、とする立場ですね。実際はヘーゲルのアウフヘーベンを通して生命現象を説明していくしかないのです。アウフヘーベンというのは、議論を通して真実に近づくことだね。しかし一般人には難しい。マスコミが怖くて専門家は発言をひかえてしまう。マスコミの議論に付き合うほど、プロは暇じゃない。専門家には自明なことでも、しろうとに理解してもらうには、大変な時間と労力がかかる。専門家には社会的な説明責任があるとしても、その手間暇はかけられない。そこにジレンマがある。だから、医学や科学分野の新聞記事のレベルは低い。科学ジャーナリズムが未熟なんだね」中条が応じた。
「今の斎藤先生の説明は明快だね。要するに単純な二者択一ではないのだね。人間は機械以上のものだと信じたい」真知子が少しきびしい口調で言った。
「あの厚労大臣の発言は女性を大事にしていないわ。女性に対するリスペクトが感じられないから女たちは怒ったのよ。先生方がおっしゃるほど、むずかしい問題じゃないわ」
「ママの気持ちは分かるが、厚労大臣という立場で少子高齢化、人口減少という現代日本が抱える政策的課題に取り組んでいるから、統計学的な配慮もあって、ああいう発言になったのじゃないかな。日本の国力が人口減少によって弱体化しないように女性にもっと子どもを産んでもらいたいという本音が裏にあるのだろう」
「あら、中条先生は女性の気持ちをもっと分かってほしいわ。子どもを産んでも短い出産休暇、育児休暇の後、女性が仕事に復帰しても安心して働き続けられる職場はまだ少ないのよ。だから自分の仕事を大事にしたい女性は結婚しない。結婚しても子どもを作らないという選択肢を選ぶことになってしまうのよ。女性に子どもを産んでもらいたいなら、出産しても、職場復帰できる労働環境を整備して保育所をたくさん設置すること、安心して子育てできる社会を実現することが先ね。
かつてバース・コントロールという英語を日本では産児制限と訳したけれど、誤訳ね。それでは人工妊娠中絶を勧めていると誤解する人が出てくるでしょう。バース・コントロールを提唱したアメリカのサンガー夫人は、女性が多産を期待され、実際に子どもが多く、出産と育児のくりかえしで自分の人生を持てず、貧困に苦しむ例が多いことに心を痛めたのよ。出産で命を落とす女性も少なくなかった。決して中絶を勧めたわけじゃないのにね。だから正確には受胎調節と訳すべきだったの。
産児制限という訳語には女性の体、母体を大切にする気持ちが感じられないのよ。女は妊娠したら、せっかく授かった命だし、わが子だから産みたいものなの。人工妊娠中絶させられる女性の悲しみを考えてみてよ。産児制限と訳した人が誰か知らないけれど、権力的な冷たさと認識不足が現れている気がするわね」真知子の迫力と説得力に男たちは圧倒された。
斎藤が議論を引き取った。
「生命は精巧な機械に過ぎないのか、それ以上のものなのか。そんな議論の前に、まず生命が宿ったなら、あるいは生まれてきたなら、まず何がなんでも生きようとする。そのしたたかさこそが生命だという立場ですね。小さな魚は大きな魚に襲われたら必死で逃げる。アフリカの草原で、ライオンに襲われたトムソンガゼルは逃れようと懸命に走る。自分が生まれた川に帰ってきたサケは産卵した後に、体力が尽きて死ぬが、命は次の世代に引き継がれる。その姿を映像で見たわれわれは、そこに生命の原点を見た気がして感動します。
生命は単なる精密機械以上のものだとして、デカルトやカントの哲学を批判し、超えることで現代につながる認識論を展開したのがショーペンハウエルやベルクソンです。彼らは生命体を、生きようとする意思であると考えたのです。目標はないし、完成もないが、懸命に生き抜く努力を形にしたものが、ダイナミズムとしての生命体だというのです。
特にベルクソンは、ダーウィンの進化論を読みこなして、生きようとする活力が進化を生むと考えていたようです。それはまさにママさんが言ったことの本質を表しています。女性は命を産み育て、命を繋ぐ。母性は強い」岩瀬は、その通りというように頷いた。
「生命の基である遺伝子、つまりDNAの二重螺旋に記録されている遺伝情報は、四種の塩基の配列で決まる暗号のようなものだから、単純な機械とも言える。しかし、それが組み合わされて無限の遺伝情報が紡ぎ出される。ちょうど二十六文字のアルファベットから、シェークスピアの傑作が生み出されるようなものだね。
DNAに意思はないが、それが組み合わされた遺伝情報が形として表れた生命体は、何がなんでも環境の変化に負けることなく生きぬこうとして、あるいは変化した環境に自らを適応させて、様々な種に分かれて生物は進化してきた。デカルト、カント、ヘーゲル、ショーペンハウエル、ベルクソンと続く弁証法的認識論が、生命現象を対象にすると良く理解できるような気がするね」斎藤が、付け加えた。
「ただし、戦後は、サルトルやカミュの実存主義哲学が一定の共感を得たのです。いわゆる『実存は本質に先立つ』ですね。現実に生きている個々の人間存在を大事にする実存主義は、科学や宗教に対し、一定の不信感を示しました。科学技術が発達するほど、人間の日常にある小さな幸福や素朴な安心感が損なわれる。生きていること自体が不安になってしまう。例えば核兵器開発と原子力の平和利用との間のアンビバレンスが根底にあります。しかし、最近は実存主義からの問題提起が忘れられ、プラグマチズムの延長線上で、また科学への過信が世の中に蔓延し始めているような気がします。しかし、科学への信頼感の根拠は実は薄弱なのです」中条が溜め息まじりに言った。
「若い頃は、医者として独り立ちするために、経験を積むことが第一だった。臨床医とは、患者の病気を治療する職人のようなものだ。決して評論家や哲学者になれないし、なってはだめだね。食物連鎖とか物質循環などと達観していられない。実際、開業してからは患者の診察、治療、病院経営に忙しく深く考える余裕がなかったなあ。臨床医は患者様第一だから、結果的に実存主義的なんだろうね。この歳になって斎藤先生や岩瀬先生の解説で、デカルト、カント、ショーペンハウエル、サルトルが分った気がするよ」
高齢患者を診察することが多い農村医学者として中条は続けた。
「そこに年齢を重ねることの意味がある。歳をとるのも悪くはない。若い時には生きることに何の意味があるかと悩みながらも社会の歯車の一つとして組み込まれてしまう。人間社会という壮大なオーケストラの中で一つの楽器を担当しているようなものだ。未熟な不協和音を発してはならないという緊張感の中で、社会人、職業人としての責任を自覚しながら、いつの間に時が過ぎていく。しかし歳を取れば分ることもある。だから人生はおもしろい。永作君、あせることはないぞ。地道に努力すれば霞ヶ浦もいつか、きっとよみがえるよ」
中条は静かに聴いていた龍平の肩を強く叩いた。ようやく龍平が口を開いた。
「環境問題は人間の独善と認識不足が招いたことですから、改善には、法令の整備や環境教育を始めとして、多くの人の理解が深まるまでの時間が必要ですね。一朝一夕に、魔法のように解決するわけではないんですね。それにママが言ったように、女性が仕事しやすい職場環境を整えることも少しずつ進めるべきですね。北欧のように男性の育児休暇がもっと認められればいいのですが。そうすれば出産後の女性の職場復帰が早まります」
気を取り直した真知子が龍平に言った。「県職員はどうなの」
「先輩達は子どもができても、仕事が忙しくてなかなか有給休暇もとれないですね。男の育児休暇制度がまだ不十分です。これは職員組合の要求課題になってはいるんですが」
「あたしたちに子どもができたら、育児休暇を取ってくれるの?」
「勤務規定で決められた期間一杯まで、休暇を取るよ」それを聞いた中条たちは驚いた。
「おい、おい。君たち。聞き捨てならん。それはどういう意味だね」
「実は僕たち、結婚することにしました」「彼の情熱に負けたの。私も幸せになりたいの」
中条が両腕を広げた。
「これは驚いた。実に似合いのカップルだ。祝福するよ。なあ、岩瀬先生、斎藤先生」
「全くだ。おめでとう」「よし、グラスに酒を満たそう。乾杯だ。ママ、酒だ」
真知子は頬を紅潮させながら、それぞれのグラスに酒を満たした。中条が立ち上がった。
「ママ。永作君。お二人の幸せを祈って、乾杯」「ブラボー」
狭い店内に歓声が上がった。「結婚式はいつだね」「まだ決めていません」
「できるだけ早い方がいいな。結婚式にはわれわれも招んでくれよ」
「もちろんです。僕たちは人生の先輩でもある先生方に見守られて再出発するのですから」
「楽しみだね。どんな結婚式だろう。とにかくうまい酒が飲めそうだ」
「やっぱり、お酒につながるのね」「ママは何でもお見通しだ。あっはっは」
 中条らは大笑いしながら、さらにグラスを傾けた。

☆48

次の日曜日の夜、龍平は真知子の部屋にいた。二人は結婚式の日取りについて相談した。龍平は早く結婚式を挙げたいと提案した。しかし真知子は、焦らなくともいいと、煮え切らない返事をした。
「しばらく、このままでもいいわよ。平安時代のように、男性の方が時々通ってくるのよ。通い婚で事実婚ということにしましょう」
「うちの親たちは、僕たちの気持ちが確かなら早く式を挙げて、世間に認めてもらうのがいいという考えなんだ。僕もそう思う」
「分かったわ。それならご両親に安心していただくように、入籍しましょう。明日、二人で市役所に行って婚姻届けを出せばいいわね」
「ああ、そうだね。とりあえず婚姻届を出してから、後で皆を招いて結婚式を挙げるやり方もあるよね」「そうよ。そうしましょう。そうと決まったら今夜は泊まっていってね」
真知子は台所へ立った。「たまにはワインもいいでしょう」
真知子は食器棚からワイングラスを取り出してテーブルに置いた。冷蔵庫から赤ワインのボトルと生ハムを出した。テーブルにはフランスパンとチェダーチーズ、それにビターチョコレートがあった。
「今夜は生ハムとフランスパンで赤ワインを飲みたいわ。赤ワインとチョコレートはポリフェノールをたくさん含んでいるから体にいいわね」
グラスに赤ワインを注いだ。龍平が言った。
「では、僕たちの幸せに」「乾杯」二人は、赤ワインを飲んだ。
「いいね。このフルーティで芳醇な味と香り。真っ赤な血のような色だ」
「龍平君の体に流れている血もこのワインのような色だわ。赤は生命と再生の象徴よ」
真知子の瞳が妖しく光った。
「カトリックでは、パンと赤ワインはキリストの体と血の象徴なのね。最後の晩餐で、キリストと十二人の使徒たちが食べた聖餐はパンと赤ワインだった。キリストはその席で、使徒の裏切りを予言するの」「僕は決して真知子を裏切らないよ」
「あら、うれしいわ。永遠に私を愛して」「うん、約束する」
二人は見つめ合い、杯を重ね、フランスパンを食べた。生ハムを肴にボトルを空けた。
「さあ、後はベッドで過ごしましょう」
二人はベッドに倒れこんだ。真知子は龍平の衣服を脱がせた。龍平の肩や胸を撫で、その温かさに、うっとりとした。真知子は、龍平の肩の筋肉に歯を立てた。
「うわっ。真知子、ちょっと痛いよ」「ごめんなさい。おいしそうだから、食べてみたくなったの」龍平の肩に、真知子の歯型が赤く浮き上がった。
「今度は僕が」龍平は真知子の乳房にそっと触れ、乳首を口に含んだ。
「あっ。そこ、感じる」
 二人は、互いに体中に唇を当てた。そして、ひとしきり愛し合うと深い眠りに落ちた。
翌朝、真知子は体調不良を訴えた。
「龍平さん、何だか体がだるくて熱っぽいの。風邪を引いたのかもしれない。とても外出は無理だわ。申し訳ないけれど、婚姻届は一人で出してきて」
「無理しないほうがいいね。ゆっくり休むといいよ。手続きは事務的なことだから一人で行ってくるよ。確か印鑑と戸籍謄本が要るよね」
「そうね、住民票と戸籍謄本を取ればいいんだったわね。その後で婚姻届に記入すればいいわ。はい、私の印鑑はこれ。ここの住所はこの紙に書いてあるわ」
龍平は有給休暇を取ることにして、職場に電話で連絡した。オレンジマーマレードを塗ったトースト、ミルクとコーヒーの軽い朝食の後、龍平は車を運転して市役所に向かった。
市民課戸籍係の受付で龍平は担当者に婚姻届を提出することを話し、まず住民票の請求用紙をもらい、必要事項を記入した。担当者は記入された用紙を受け取り、パソコンで確認作業を始めた。しかし、真知子の住民票は、なかなか発行されなかった。担当者が言った。
「この住所に小野真知子さんという方の登録はございませんが」
「そんなはずはありません。現に本人が住んでいるのですから」
「何かのミスかもしれません。本人に確認してみてください」「すぐ電話してみます」
龍平は真知子に電話した。しかし、電話はつながらなかった。龍平は胸騒ぎがした。
「どうも、電話に出ないみたいです。また来ますが、ほかに必要なものは何ですか」
担当者は、事務的に言った。
「婚姻届には、それぞれの両親の名前を記入します。戸籍謄本も必要です。また証人を立てなければなりません。署名捺印してもらってください。用紙はこれです」
龍平は上の空で用紙を受け取り、市役所を出た。
龍平はマンションに急いで戻った。エレベーターのゆっくりとしたスピードがもどかしかった。真知子の部屋に入った。
「真知子、戻ったよ。真知子の住民票はもらえなかったよ。真知子。出かけたの」
真知子の返答はなかった。寝室に入ってみた。整えられたベッドとクローゼット、化粧用の三面鏡があるだけだった。龍平はダイニングルームのテーブルの上に便箋を見つけ、文面を黙読した。そこには美しい筆跡で次のように書かれてあった。
―龍平さん、あなたは私の秘密を知ったでしょう。もう、あなたと暮らすことはできなくなりました。私を愛してくれてありがとう。短い間だったけどとても幸せでした。
私は行かなくてはなりません。私を探さないで。私は遠くに行きます。
遠くといっても、あの世ではありません。私は死にません。死ねないのです。ただ、消えるだけです。そのほうが、あなたのためです。何年か、何十年か後に、また、あなたの前に現れるかもしれません。それまで、楽しい思い出を大切にしましょう。
龍平さんは新しい幸せを見つけて霞ヶ浦の研究を続けてください。お元気で 真知子―
龍平の頭の中を様々な考えがよぎった。しかし、頭は混乱するばかりだった。真知子をすぐに探したいが、どこを探せばよいのか。
―そうだ。小町の里に行ってみよう。真知子はあの小野地区の集落で生まれ育ったと言っていた。本籍はそこにあるのだろうか。小野地区で聞けば何か分かるかもしれないー
龍平は車を運転して小野地区へ向かった。
『小町の館』の駐車場に車を停めた龍平は、真知子について近隣の住民に聞きまわった。『小野』という表札を掲げた民家をまず訪ねた。玄関の呼び鈴ボタンを押すと、その家の主婦らしい老婦人が出てきた。
「突然で大変失礼ですが、小野真知子という三十代くらいの女性をごぞんじでしょうか」
「さあ、この辺では小野姓が多いけれど、真知子という名前の人は心当たりがないねえ」
「そうですか、彼女はこの地区で生まれたと言っていたのですが」
「私はここで何十年も暮らしているけれど、知りません」
龍平は礼を述べて、この家を辞した。龍平は、『小野』姓の別の家を訪ねた。
「はーい。新聞ならお断りよ」若い女性が出てきて言った。
「いえ、新聞ではありません。実は教えていただきたいことがあります。この地区出身の小野真知子という女性をごぞんじでしょうか」
「さあ、あたしはここへお嫁に来たのよ。よく分からないわ」「失礼しました」 
龍平は立派な造りの旧家の前に来た。その家も『小野』の表札を掲げていた。
「ごめんください」「はい、どなたかな」
家の奥から長い白髭の老人が出てきた。この家の主人らしい穏やかな物腰だった。
「私は永作龍平という者です。ちょっとお尋ねしたいことがありまして」
「何でしょうか。私で分かることなら」
「小野真知子という女性のことをお聞きになったことはありませんか。三十代くらいで、この地区で生まれ育ったと言っていたのですが」
老人の表情が変わったように龍平には見えた。老人が言った。
「玄関で立ち話もなんだから、上がってください。応接間で話を聞きましょう」
老人は龍平を招き入れ応接間に通した。ソファに座って老人が言った。
「小野まちこと言ったかな。どんな字を書くのかね」「真実の真に、知るという字です」
「その女性が何か」
「はい、数ヶ月前知り合った女性なのですが、連絡がとれなくなってしまったのです。こちらの小野様は何かごぞんじでしょうか」
「この地区には小野小町伝説が残っておる。だから住民は畏れ多くて娘にまちこという名前をつけることはないのう」「分かりました。ありがとうございました」
帰りかけた龍平を老人は引きとめた。
「せっかく来られたのだ。さしつかえなければ、真知子という女性のことを少し話してみてくださらんか。どんな様子の人だったのかね」
「とても美しい女性で魅力的な人でしたが、謎めいたところもありました。土浦の桜町でバーのママをしていたのです。学校の管理栄養士をしていたこともあったとか・・・」
「永作さんは、なぜ、その女性をそれほどまで探しておられるのかな」
「実は結婚を約束していたのですが、婚姻届けを出そうとしたら急にいなくなったのです」
老人は一瞬、興味津々という表情をしたが、口から出た言葉は素っ気なかった。
「何か力になれればよいが、あいにく心当たりがありません」
「分かりました。突然お伺いしまして失礼しました」
そう言って龍平は立ち上がり、老人宅を辞した。龍平が玄関の戸を閉めて帰ると、老人はゆっくりと応接間に戻り、縁側から庭を眺めながらつぶやいた。
―小町様。久し振りに消息をお聞きました。お元気なご様子でほっとしましたが、この爺にあまり心配をかけないで下さりませ―
龍平は、水田の傍の道を途方に暮れて歩いた。
―真知子、いったいどこへ行ったんだ。ここで生まれ育ったというのは嘘だったのか。いったい何を信じたらいいのだ―その時、
「はなのいろは うつりにけりないたずらに わがみよにふる ながめせしまに」と、ゆっくり歌う声が聞こえて来た。龍平がその声の方を振り返ると、着物姿で長い髪の童女が一人で路傍の花を摘みながら歌っていた。龍平は童女の傍に近づいて立ち止まり、腰を屈めて低い視線でその童女に声をかけた。
「お嬢ちゃん。きれいな歌だね。その歌は誰に教えてもらったの」
童女が振り返った。雛人形のように美しい顔立ちだった。真知子にどことなく似ていた。
童女はほほえんで言った。「母様が教えてくれたの」「お母さんはどこにいるの」
「母様は遠くに行っちゃったの」「遠くってどこ」「知らない。父様がそう言ったの」
「お嬢ちゃんの名前は」「あたしはさゆり」さゆりは野菊の花束を龍平に差し出した。
「このお花、あげるわ」「あ、ありがとう」龍平は、小さな花束を受け取った。
「さゆり、帰る。父様が待ってるの」
さゆりは、振り返ると田圃の農道を集落の方へ駆けて行った。龍平は花束の臭いを一瞬嗅いでみた。かすかに野菊の花の匂いを感じた。龍平はさゆりが駆けて行った方向を再び見た。そこにさゆりの姿はなかった。龍平は驚いて立ち上がった。
さゆりが消えた方向には古い集落とその背後に、筑波山に連なる朝日峠の紅葉の山並みがあるだけだった。山並みは夕日に映えて燃えるように輝いていた。山裾の集落では、すでにかげりが降り始めていた。

☆49

龍平はバー『真知子』に来ていた。龍平から、真知子が失踪したという連絡を受けた中条、岩瀬、西澤も顔をそろえていた。龍平が言った。
「真知子が残した鍵でこの店を開けたんです。今も彼女がいなくなったとは信じられません。カウンターにいつものように真知子がいて、ほほえんでバーボンのロックを作ってくれるような気がします」中条は当惑して言った。
「永作君から連絡を受けて、びっくりして岩瀬先生、西澤先生にも来てもらったのだが、どういうことなのかね」「ママは謎めいたところがあったが、まさか失踪するとは。永作君と婚約して幸せそうだったのに」
西澤が続けた。「彼女は、永作君には何と言っていたのかね」
「この謎のような手紙を残していなくなりました」手紙に目を通した中条が頭を振った。
「確かに不思議な手紙だ。特に『死にません、いえ死ねないのです』とは奇妙な言葉だ」
「そのことですが、真知子は不思議なことを言うことがありました。自分は小野小町だと」
「どういうことかね」
「人の肉を食べることで永遠の若さと美しさを保っていると私に話しました。それを聞いた時はぞっとしましたが、人をくった冗談として聞き流していたのです」
中条が腑に落ちないという顔をした。
「平安時代の小野小町は、自分の容色の衰えを気にしていただろうね。それを有名な歌に詠んでいるくらいだから」岩瀬が首を振った。
「小野小町とカニバリズムを結びつけるのは短絡的じゃないかね。まして真知子ママが小野小町とは考えられない。小町は千年以上も前の人だ」しかし、西澤は、興味津々だった。
「永作君の話は、老化生物学の研究者にはとても興味深いね。動物は、飢えると共食いすることはよくある。昔、未開民族の中には食人を習慣とする種族があったという話は聞いたことがあるだろう。文明化以前、食人は珍しいことではなかったのかもしれない。
普段は食人の習慣はなくとも、激しい戦闘後の異常な興奮状態で、捕虜にした敵将を殺し、その勇猛さを我が物にしようと彼の心臓を食べたというような類の話を伝承として伝えている部族があるらしい。日本でも、戦国時代の籠城戦のような極限の飢餓状況では、先に死んだ者の死体を食べたこともあったかもしれない。八百比久尼伝説も有名だ。人魚を食べた尼さんが千年も生き永らえる生命力を得たという伝説だね。海辺に近い集落の寺にその伝説が伝わっていたりする」
「八百比久尼伝説のことは真知子も言っていました。でも信じる、信じないは僕次第だと」
龍平は、肩を落として言った。西澤が続けた。
「しかし、人肉を食べたからと言って、不老不死の体を得るということは現実的にはありえない。人肉でも獣肉でも、食べれば消化されて、蛋白質はアミノ酸まで分解され、腸管から吸収されるだけだね。人肉に特別な成分があるとは考えられない。あるとすれば、現代科学では解明されていない未知の成分だろうね。ところが、その成分を誰もが持っているとするなら、人間は死なずにすむだろう。だから、人肉にそうした成分があるということは論理矛盾だね」
「なるほど、それもそうだ」岩瀬が肯いて言った。龍平が思い出した。
「そういえば真知子は僕の体を見て、おいしそうと、眼をきらきらさせて言っていました」
「背筋がぞくっとするね。とはいえ、ママが小野小町だとは信じられないし、ありえないことだ。ただし子孫である可能性はあるよ。人間の一世代を約二十五年として計算すれば、千年前は四十世代前ということになる。四十世代も遡れば日本人は皆、親戚のようなものだ。DNAの遺伝情報はつながっていることになる」
中条がカウンターの方を見て続けた。
「それにしてもママはいい女だった。今ごろ、どこで何をしているのかね。もう会えないのか。淋しいね。諸君、今夜は飲もう。ママが残してくれた酒は、その棚にたくさんあるのだからな」岩瀬が冷静に言った。
「中条先生、やけ酒はいけませんぞ。しかし私も少し飲みたい気分だ。永作君、われわれに何か、作ってくれないか」「かしこまりました。何がよろしいですか」
「うむ、こんな時は静かにスコッチかな。シーバスを皆で飲もう」
「はい、水割りでよろしいですね」
龍平はカウンターに入り、グラスを四つそろえて氷を入れ、シーバスを注ぎ、ミネラルウオーターを加えてタンブラーで軽くかき回した。「できました。先生方、どうぞ」
「ありがとう。しかし、真知子ママらしいな。忽然とわれわれの前から消えるとは」
「美人はいつのまにかいなくなる。往年の名女優、原節子もそうだ」
「原節子か。確かに『東京物語』や『麦秋』の原節子は良かった。私はマリリン・モンローだね。ビビアン・リー、グレース・ケリーもよかった。フランス映画ではカトリーヌ・ドヌーブ。西澤先生はいかがですか」
「青春時代の思い出の映画女優は、イングリッド・バーグマンだね。あの知的な美貌に憧れたものだ。『カサブランカ』でハンフリー・ボガートと共演した時の美しさは、大輪の白い花のようだった」
「昔の映画女優には美人がいたな。真知子ママの神秘的でコケティッシュな美貌は有名女優に負けない。本当に小野小町そのものかもしれないなあ」
西澤がまた老化生物学の議論を展開し始めた。
「小町自身が何かの拍子で永遠の命を得ることは生物学的にはありえないが、前にも言ったように、多細胞生物としての個体には寿命があるが、生命そのものには老化も死もなく、世代交代によって再生される。だから小町の遺伝子が何らかの形で現代に継承されていても不思議はないですよ。それについては、私は人間キノコ論というものを提唱しているのです」
「ほう、人間キノコ論か。おもしろそうだね」
「秋になると、森林のあちこちにキノコが生えてきますね。あのキノコは生物学的には子実体と呼ばれるもので、胞子を形成し散布するための、言わば生殖器官です。それ以外の季節では、菌糸がネットワークを作って殖えています。落葉が積もった下では、腐葉土の養分を吸収して菌糸が白いネットワークで増えていますが、人間は普段は気がつきません。この菌糸のネットワークをDNAの二重らせんの糸になぞらえてみてください。つまり、生命の実体はDNAの遺伝子情報に過ぎないとも言えます。僅か四種の塩基の配列、すなわち遺伝子コードのつながりです。遺伝子コードは眼には見えません。
多細胞生物の個体はキノコの子実体同様、子孫を残すための生殖体そのものなのです。生殖体ではありますが、高等な動物では目鼻がある顔が種ごとの個性を発揮し、人間のようにさらに高等になると、その顔が喜怒哀楽の表情を見せ、それぞれ人生で培った経験が個性をますます際立たせます。個性があるからこそ個体は識別されますね。それに動物ですから、その生殖体としての肉体は動き回り、口があって、他の生物を食べ、捕食者からは逃げます。また配偶者と交配し、雌雄の両方から遺伝情報を受け継いだ子孫を残します。だから動物体は動き回るキノコと言えなくもないのです。
ところで個体は二つと同じものはありません。遺伝子コードはわずかずつ違っています。個体としての生命は唯一無二でかけがえがないものなので、死ねば取り返しがつきません。命を尊重する論理がここから生まれます。とりわけ人間の命は大切と考えられています。人間の個性の輝きはすばらしいものです。実存主義哲学に通じます。
人をなぜ殺してはいけないのか。それは自分の命と同様に他人の命も個性的ですから、その人の人生はかけがえのないものです。失われれば二度と蘇ることがないのです。その人が身近な人を愛し、愛されることで絆が生まれます。その絆は人間だからこそ深まるのです。その人の命が失われれば、絆が深いからこそ、残された人の悲しみ、喪失感は例えようがありません」
「全く、その通りだ。医者は人の命を救うために懸命になり、人の死に立ち会うことが多いから同感するね」中条は、西澤の話に聞き入った。
「人間キノコ論に戻ると、人間一人ひとりはキノコのようなもので、キノコ同士は地下で目には容易に見えない菌糸でつながっているのです。親子や兄弟姉妹は別々の生命のように見えますが、目には見えない遺伝子コードの糸でしっかりとつながっています。祖父母、曽祖父母、伯父、伯母、従兄弟とも網の目のようにつながっています。何十代も前の祖先ともつながっているのですから、千年以上前の小野小町ともつながっていると考えて何の不思議もありません」じっと聞いていた岩瀬が、一口、シーバスを含んで言った。
「なるほど、SF的でシュールな感覚だね」中条が、難しい顔で言った。
「町の開業医としては、患者さんがキノコに見えてきたら困るね。しかし、科学的にはそんなものかも知れないな。以前ここで生命哲学の斎藤先生がデカルト哲学の解説をしてくれた。物体と精神の二元論だったね。デカルト哲学を応用すれば、目に見える物体がキノコで、目に見えない精神は菌糸ということかな。だから臨床医学では、精神つまり心を持った患者さんは、その人の人生の軌跡があるから、単なる機械や物体ではないということだ」
 岩瀬が話を引き取った。
「それは現代物理学で説明できるね。理論物理学者はエネルギーが凝縮して形を成したものが物質だというね。物質は質量を持っている。エネルギーは宇宙空間にあまねく満ちているが目には見えない。すなわち知覚出来ない。しかし、きっかけができると、星雲のように渦巻きながら凝縮して物質になる。核分裂反応によって、もとのエネルギーに戻ることもある。原子核の中の陽子、中性子、周りを回る電子、中間子、ニュートリノ、ミュー粒子といったさまざまな粒子や素粒子を強力な電子顕微鏡で観測しようとしても、一個一個は観測できないそうだ。なぜなら、それらは波動性を持ったエネルギーに過ぎないからだ。ハイゼンベルクの不確定性原理だね。エネルギーであり、波動でもある電子線の束を照射しても、エネルギーそのものは捕捉できないということだね」岩瀬が続けた。
「キノコ説も般若心経も、デカルトも現代物理学も、それぞれ興味深いが、それほど、つきつめて考えることもないかも知れない。要するにわれわれはお迎えが来て天に召されるその日まで、この世に生まれてきた者として、与えられた立場でその使命を果たすべくがんばるしかない。人事を尽くして天命を待つということだ。それが実存主義でいうアンガージュマンやプロジェというものかもしれない。永遠の命など望んではならない。秦の始皇帝は権力者として、小野小町は美貌の才女として、老いて死ぬことを受け容れがたかったのかもしれないが、凡人としては充実した人生を全うしたなら死ぬことに悔いはない。少なくとも私は、そう達観しながら死ねるようにしたいね」
「岩瀬先生は現実的な人格者だね。日本人の大半は勤勉な農民か実直な職人や商人の末裔だから、哲学的な難しいことを考えなくても、米作り、物作りは出来るし、継続が何より重要なんだな。師匠から弟子へ。親から子へ技が伝わる。医療も同じだ」
そう言って中条はグラスを飲み干した。
それまで黙って聞いていた龍平が、ようやく口を開いた。
「僕はこれから、どうすればいいんでしょうか。僕の愛が足りなかったのでしょうか」
一瞬の沈黙の後、中条が言った。
「愛にはアガペーとエロスがある。アガペーは至上の愛、エロスは性愛だ。永作君の愛はどちらかね」「僕にはよく分かりません」
「うむ。若いから無理もない。アガペーとエロスの間で揺れ動くのが現実の愛というものかもしれない。アガペーとエロスは一枚のコインの裏表のようなものだ。愛とは何かをテーマにする、フランスのパトリス・ルコント監督の映画「イヴォンヌの香り」に、『愛が足りないか、愛し過ぎてしまうのが人間だ』という台詞があったね。それは人生の晩年に分かることだ。その時々は夢中だから分からない。純粋な人ほど愛にのめりこみ、まわりが見えなくなる。それがいい方向に行けば、アンドレ・モーロワが言った愛の結晶作用となり、素晴らしい芸術作品が生まれることもある。しかし悪い方向に行けば破滅だ。それは紙一重なのだね」龍平の頬に涙が流れた。
「真知子に全てを捧げるべきだったなら、命を投げ出すほどの覚悟を見せなければならなかったのでしょうか」今度は岩瀬が口を挟んだ。
「適度の愛などというものがあればいいのだろうが、自分のことを考えると、若いうちは、なかなかそうはいかない。ある種の錯覚で恋に落ち、結婚して、落ち着いてくると相手の欠点が見えてきて熱が冷める。そこで後戻りはできない。子どもができればなおさらだ。
だから互いに寛容になって、目をつむって相手の欠点を見ないようにする。自分だってそんな立派な人間じゃない。自分や相手を追い詰めないのも、長年連れ添う夫婦の生活の知恵みたいなものだ。あえて言えば、それが適度の愛かな。こう言っても、若い永作君には慰めにもならないだろうね」
「推測だが、ママは永作君の純粋さを怖れたのではないかな。そのままいけば愛に溺れて、霞ヶ浦研究という大きな仕事を成就できないと思ったのかも知れない。だから君の前から姿を消したのかもしれないね」
西澤の冷静な言葉を、龍平は呆然と聞いた。中条が嘆息して言った。
「ママが小野小町その人とは思えないが、小町の子孫ということはありえるよ。ママのあの知的な美貌は小町のDNAであり、時空を超えて男を魅了するのかもしれない。今、一番気がかりなのは、あの美貌ゆえに何かの事件に巻きこまれたのではないかということだ。警察に捜索願いを出すか」
「僕もそう思いましたが、真知子の戸籍や住民登録がないことが分かったんです。警察は信じてくれないかも知れません」
「では、どうやって、この店やマンションの部屋を借りたんだろうか」
「それは僕にも分かりません」「ママはデカルト哲学を超えた存在だったのかな」
一同はぞっとして沈黙した。

☆50

 半世紀が過ぎ、二〇五X年になった。真知子が去って後、永作龍平は、茨城県立霞ヶ浦研究所で霞ヶ浦の水質や水生生物、さらに湿原の研究に没頭し、広く浅い湖について湖沼学上の業績を次々と発表し、世界的な湖沼学者となり、定年後も再任用で残り、最後は所長として花道を飾り、退職しようとしていた。研究者としての人生で、龍平は、いつか真知子に再会したいという願いを忘れたことはなかった。一方で霞ヶ浦の研究課題は多く、また極めて複雑で困難であり、寸暇を惜しんで霞ヶ浦浄化の方策を探り続けた。
平野に位置し、汚濁の要因が多く、富栄養化した広く浅い湖沼の浄化法として、葦原や砂浜を主体とする湿原を復元して、その自然浄化力を復活させる道筋を示した「ナガサク・セオリー」は、時間と費用こそかかるものの、自然の理に適ったオーソドックスな方法として世界中の湖沼学者から認められていた。
それを霞ヶ浦に適用するための計画づくりが現実に進捗しつつあった。すでに部分的ではあるが、沿岸の蓮根農家の理解を得て蓮田を買い上げ、広い砂浜や葦原を自然の自律的再生力を借りて復元し、百メートル以上も陸側に引いた位置に堤防が作り直された。その業績に対して茨城県知事から茨城県栄誉賞が授与された。三月、所長退任を前にして記念講演会が行われた。
「私は、これまで独身を通して来ましたが、実際は霞ヶ浦と結婚したようなものです。霞ヶ浦は女性と同じくらい神秘的でむずかしい存在です。そっとしておけば問題はないのかもしれませんが、女性も霞ヶ浦も、そっとしておくことはかないません。『放っておかないで、構ってほしい、構って頂戴』と迫ってくるのです」
聴衆から笑声が起きた。堅くなっていた場が和んだ。龍平は続けた。
「私の愛の対象は霞ヶ浦でした。愛は全てであり不滅です。宇宙も、霞ヶ浦も、男女の関係も愛によって成立しています。この歳になって、そう思えるようになりました。全身全霊を込めて霞ヶ浦を愛したのに、その愛に全てを奪い尽くされてしまい、抜け殻のようになったのが私です。
しかし、霞ヶ浦も私を愛してくれました。霞ヶ浦の秘密を、少しずつ私に教えてくれたのです。霞ヶ浦に取り組んだ時間は長かったのですが、濃密で充実しておりました。霞ヶ浦再生の最大の鍵は洲浜すなわち沿岸湿地帯、湿原の回復です。湿原は一般人にとって足を踏み入れたくない泥濘、ぬかるみです」
スクリーンに、初夏の、霞ヶ浦沿岸の葦原の写真が映し出された。薄緑色の葦原が、水辺に広がっていた。
「これまで、いろいろな機会に何度も申し上げたように、霞ヶ浦は宝の湖です。先ず、流域から河川水が運搬してきた栄養塩類が霞ヶ浦に流入し、植物プランクトンを育てます。つまり生産活動が行われます。それは太陽光線をエネルギー源にして、人間社会のお金を使うことなく行われます。次に植物プランクトンは動物プランクトンに食べられ、さらに食物連鎖によって魚貝類を育て、やがて漁師に漁獲されて、私たち陸上に暮らす人間に消費されます。
私たちが賢明に霞ヶ浦を管理さえすれば、霞ヶ浦は持続的に恩恵をもたらしてくれるのです。しかしその管理は難しく、今現在でも成功しているとはいえません。霞ヶ浦を適切に管理し蘇らせるには、湿原の再生が大きな課題になります。ここで湿原の重要さについて確認しておきましょう。
なぜ、湿原は泥濘、ぬかるみなのか。有機物の分解が行われているからです。有機物とは、河川の水流や湖水の波浪によって沿岸帯に運搬されてきた流木、葦の断片、流れ藻、死魚、そして容易に目には見えない大量のプランクトン類です。量的にはプランクトン類が最も多いのです。分解とは一般的な言葉では腐敗、すなわち腐ることです。有機物が分解すると形が崩れ、どろどろになります。同時に窒素、メタン、硫化水素などのガスが発生します。ガスの発生は、湿地から物質が除去され、浄化されたことを意味します。
一方、湿地では低分子に還元された栄養塩類が残ります。それが葦などの水生植物を育てます。その過程においても浄化作用が機能します。ただし繁茂した水生植物を刈り取ることが必要です。こうした物質循環現象が起きている状態が湿地、湿原なのです。
湿原は一般人にとって、役に立たない土地です。しかしぬかるみの沿岸湿原が存在しなかったらどうなるでしょうか。人間が湿原を埋め立てれば、自然は別の場所に同様の分解の場所を作るのです。なぜなら湖沼に流入する河川が、絶え間なく有機物や栄養塩類を運び、霞ヶ浦の湖水を富栄養化させます。また栄養塩類濃度が高い湖水では、植物プランクトンをはじめとする生物類が増えます。生物の体は有機物です。湖内で有機物が再生産されるわけです。それまで水質が良かった湖水が汚れ、浅くなり、湿原化していきます。それが霞ヶ浦のように過度に富栄養化した広く浅い湖沼が、堤防によって囲いこまれ、湿原が失われ、湿原が持つ自然浄化作用を失った姿なのです。すなわち、湖水域自体がぬかるみの湿原に自然に復元されるのです。
湖水の水質を良好に保ちたければ、本来の沿岸湿地帯こそ保全しなければなりません。堤防の位置を後退させて湿地帯を取り戻すか、それが困難ならば、堤防の前に十分な広さの湿原、つまり砂浜や葦原を人工的であっても作ることが必要なのです。そのための材料となる砂や泥は湖内から供給すれば、湖容積を減らさずに済みます。分解の場である沿岸湿地帯は、季節が変わって春となれば、合成のフェーズに転じます。葦の新芽が一斉に伸び始めます。低分子から高分子が合成されるわけです。それは動的な奇跡であり、美しい光景です。
分解と合成、異化と同化は表裏の関係にあります。生物体の分解は死の結果ですが、その過程では細菌類が活躍します。生態系では高等生物の死と下等生物の活動は表裏の関係にあります。分解が無ければ合成もなく、死が無ければ生もありません。全ては循環の中にあります」
龍平は聴衆を見回して、一息ついて、さらに続けた。
「繰り返して申します。分解無くば合成も無く、死無くば生も無し。全ては循環の中にあり。この言葉を肝に銘じてください。古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスは『万物は流転する』と言いました。仏教の『諸行無常』に通じます。キリスト教では『一粒の麦、もし死なずば』です。つまり変化しないものはないのです。実は有名な仏教経典である般若心経の中にそれを表現した一節があります。スクリーンに、その一節が投影された。
 不生不滅 不垢不浄 不増不減
「仏教哲学の解釈では、宇宙の真理とは、生じることもなく滅することもなく、汚れてもおらず清らかでもなく、増えることもなく減ることもない、ということです。これは熱力学第一法則、第二法則そのものなのです。熱力学第一法則とはエネルギー不滅の法則とも呼ばれます、エネルギーは形を変えるが総量としては変わらない。エネルギーは物質そのものなのです。有機物は分解されて、肉眼では捉えられなくなっても消えてなくなるわけではなく、低分子として存在し、次のフェーズでは再び有機物として組み立てられる。
すなわち合成されるということです。汚れていた水が澄んで浄化されたように見えても、低分子になって目に見えなくなり、拡散しているに過ぎないのです。これが熱力学第二法則です。それはエントロピー増大の法則と呼ばれます。エントロピーとは無秩序のことで、秩序ある生命体が死ねば体は分解され、無秩序の低分子に戻ります。分りやすく言えば死んで土に還るということです。ですから熱力学的に理解すると、自然界では、汚れているとか、清らかという言葉は意味をなさないのです。人間が、感覚的に汚いとか、きれいとか表現しているにすぎません。驚くべきことは、仏教の経典、般若心経に物理学の真髄が表現されていたということです」龍平は、般若心経全文をスクリーンに映した。
「般若心経は約二千年前に成立し、六世紀に三蔵法師玄奘が苦難の旅を重ねて天竺から持ち帰った経典群の一部で、玄奘によって漢訳され、それが遣唐使によって日本に伝わったようです。今も漢訳の般若心経が暗誦されています。写経の対象として人気があるのも般若心経です。私は霞ヶ浦を半世紀にわたって研究してきましたが、その末に辿り着いた真理は、熱力学の数式や般若心経にすでに表現されていたのです。
われわれがそのことを理解しないまま、霞ヶ浦の環境問題に取り組んできたために、その改善は、難しい課題として残っています。しかし、もともと環境問題は簡単ではないのです。人間社会と自然の係わりは最初から矛盾に満ちています。現代で初めて顕在化したものではありません。
霞ヶ浦開発事業とは、霞ヶ浦が自然に遷移することを強引に止めて、人間社会に都合よく利用することです。流出河川の拡幅や浚渫、築堤や沿岸湿地帯の干拓、埋め立て、潮止め水門による淡水の開発、資源としての湖水利用はその最たるものです。それは、子孫に苦労させたくないと願った先人たちの努力の軌跡でもあります。私達、人間が霞ヶ浦を改変してきた歴史を客観的に認識しなくてはなりません。徳川光圀が大日本史を編纂するために水戸藩に設立した修史局が彰考館です。これは中国の古典にある『彰往考来』から取ったもので、過去を明らかにし、未来を考えるという意味です」スクリーンに『彰往考来』の四文字が大きく映し出された。
「霞ヶ浦の未来を考えるには、彰考館の精神すなわち過去の歴史に学ぶことが必要不可欠です。それを怠れば必ず失敗します。霞ヶ浦に対して人間が行ってきた開発の多くは、歴史や自然の法則に学ばずに場当たり的に行われました。それによって治水、利水に成功し、稲作や日常生活が安定し、経済発展に貢献しましたが、それは人間の側からみた評価です。
私が申し上げる歴史とは、単に人間社会の歴史だけではありません。地質学、陸水学的知見を含めた湖沼学的な歴史です。それぞれの湖には固有の歴史があります。先に述べたように、湿原、すなわち沿岸湿地帯が果たして来た機能の歴史に気付かずに、湿地帯先端部の砂浜や葦原の位置に、いわゆる沖出しで築堤してしまったことは、失敗の典型例です。湿地を潰して出来るだけ農地を作ろうという人間の欲が前面に出てしまったのですね。
霞ヶ浦は内陸に遺された海跡湖ですから、その開発にあたっては、デリケートで壊れやすい湖として、ていねいに扱うべきでした。私が霞ヶ浦の環境問題に取り組み始めた五十年ほど前は、湿原の重要さを指摘した専門家は皆無でした。これは、霞ヶ浦の成り立ちの歴史についての理解が不足していたからです。ここで私は、平成二十三年に起きた東日本大震災を思い出します。大地震、大津波、被災した原子力発電所の崩壊に引き続く放射能汚染という三重苦が発生しました」
スクリーンに、東日本大震災時の津波の動画が投影された。
「当時私は若手研究者でしたが、この大震災を契機に、人間の科学技術はこれでいいのかと真剣に考えるようになりました。当時、津波や地震の研究者、原子力発電の専門家、電力会社の技術者の大部分は、想定外の災害であると言いました。人智の限界を超えた自然災害であると。自然の猛威の前に人間は無力であると。彼らはそう言って責任逃れをしました。
専門性は、特定分野の専門雑誌に論文を発表する時には役立ちますが、総合的な課題に取り組む時には、専門や時間を超えた総合的な認識力が必要です。津波のような自然災害や霞ヶ浦問題のような環境問題に対応するには、専門の垣根を取り払わなければなりません。総合科学の育成が重要ですが、大学でも研究機関でも、その視点は弱く、制度化もされていません。
ここで、霞ヶ浦に戻りましょう。実は霞ヶ浦も原子力発電所も極端に人工化されている点では同じなのです。人間は霞ヶ浦を徹底的に開発しつくしてしまいました。もう元には戻れません。原子力発電は科学技術の最たるものであり、電気を大量に消費する現代文明を続ける限り、それを容易に手放すことはできないというジレンマがあります。
東日本大震災で、原子力発電所の重大事故を経験して以来、原子炉が大地震で自動停止し、続く想定外の大津波に襲われても、それをブロックする強大な防波堤を築き、複数の副電源を確保して安全装置としての何重もの冷却装置を機能させ、炉心がメルトダウンしない技術が求められました。そのアナロジーは霞ヶ浦開発に驚くほど符合します。
私達は、水資源開発のために霞ヶ浦の自然性を奪い、手なづけたわけです。ペット化と言えるかもしれません。あなたの家でペットを飼い始めたら、ずっと飼い続けるしかない。同じように人間社会すなわち地域社会は霞ヶ浦を、子孫に良かれと人工化したのですから、今後も適切に管理し続けるしかありません。『霞ヶ浦を自然に戻せ』と、自然保護運動家が、大衆受け、マスコミ受けを狙って扇動したことがありましたが、それは管理放棄することです。それは最早やできません。流入負荷量の調節、底泥浚渫、プランクトン、魚類、植物など湖内生物の管理、水位管理など、苦しく難しいことを敢えて続けるしかないのです。
それは、生命の跳躍的進化を提唱したベルクソン的な認識ではなく、堅実な姿勢です。人間社会がそれを要求しています」龍平は水差しからコップに水を注ぎ、喉を潤して講演を続けた。
「いつの時代でも観念論や理想論を掲げ、メタファーやシンボルを旗印にして大衆を扇動する勢力があり、分かりやすいので大衆の一部に支持されます。彼等は幻想をふりまき、結果的に世の中を欺いています。シニカルに政権や権威を批判し、大衆受けを狙う無責任論者もいます。残念ながら現実の人間社会では、不平等、差別、偏見から来る被害者心理的なコンプレックスがなくなりません。そのコンプレックスが彼らの深層心理にあります。フロイトやフロムによればコンプレックスは多少とも誰にでもあります。そのコンプレックスを冷静に自覚し、自分の心の成長の糧にできるかどうかが重要なのです。霞ヶ浦を自然に返せと言うスローガンは実にわかりやすいので、初心者や若人には受けます。しかし、わかりやすい言葉で語られる独善的な観念論や理想論は危険な甘い罠です。霞ヶ浦の人工管理が困難であるからといって、それを放擲して安易な方向に行ってはなりません。あくまで客観的で謙虚な、現実的で科学的な態度が求められるのです」
スクリーンに曼荼羅図が投影された。
「本来の霞ヶ浦は人間の手が加わる前は、調和が保たれた密教的曼荼羅世界のようなものです。昔、アメリカ・イリノイ大学のフォーブスは、『湖は小宇宙である』という名言を遺しました。フォーブスは、スイス・ローザンヌ大学のフォーレルとともに湖沼学の開祖です。フォーレルはレマン湖の研究をライフワークとし、著書で『湖は流域の状況を反映する』と書きました。曼荼羅的世界であれ、小宇宙であれ、人間が手を加えてしまった霞ヶ浦は、叡智を集めて適切な管理を続けていかなくてはならないのです。それが地域社会に生きる我々の務めです。
その仕事は、此岸と彼岸の境にあるという三途の川の、賽の河原の石積みのような、いつ果てるともしれない苦しみに満ちた営みなのです。霞ヶ浦で漁をした古老たちは霞ヶ浦をカワと呼びました。漁に出ることを、カワに行ってくると言ったのです。霞ヶ浦の岸辺は賽の河原のようなものです。向こう岸は彼岸です。霞ヶ浦が此岸と彼岸を分けている川なのです。
親に先立つという不孝をした幼子は成仏できずに、賽の河原で、『一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため』と唱えながら石積みをするといいますが、やがて鬼がやって来て無慈悲にその石積みを突き崩します。幼子は泣きながらまた石を積み始めます。鬼はまたそれを崩します。それを幾度もくりかえすのです。何とむごい光景でしょう」
スクリーンの映像が変わり、地蔵菩薩の写真が映し出された。龍平が話を続けた。
「そこにお地蔵様が現れ、幼子達をその衣で包んで抱きしめるのです。お地蔵様は赤い涎掛けをしていますね。涎掛けには、お母さんの乳の匂いが沁みついています。お地蔵様がその涎掛けをしていることで、お母さんの乳の匂いを嗅いだ小さな子ども達が安心するのですね。
お地蔵様とは地蔵菩薩のことです。柔和な優しいお顔をして、衆生を苦しみから救済するという素朴な信仰を集める菩薩です。畏れ多いことですが、私は地蔵菩薩の役割を果たすことをめざして、微力ながら、がんばってきたような気もしますが、結局成就することはできなかったようです。その仕事を若い皆さんに受け継いでもらいたいのです」
スクリーンに般若の能面が映し出された。
「皆さん、般若の能面をよくご覧ください。般若とは、サンスクリット語で、真理を悟る智慧のことです。般若の面は鬼女の怒りと悲しみを表現しています。彼女はなぜ鬼女にならざるを得なかったのか。人生の軌跡の中では心を鬼にして苦しみながら、何事かを悟り、一心に努めて、成し遂げねばならないことがあります。
私の場合は、霞ヶ浦の本質を知り、それと格闘することこそ、鬼になることでした。霞ヶ浦と人間社会の関係性において、矛盾の存在を知れば知るほど、鬼にならざるをえませんでした。般若の表情は、人間社会の矛盾を知ってしまった者の怒りと悲しみを表しています。一人の人間が真理を突き詰め、自らの平穏な暮らしや小さな幸せや生きるための仕事が持つ本質的な矛盾や空しさに気付いた時、さらにその空しさにも意味があると気付いた時、鬼にも菩薩にもなります。それは紙一重です。できれば、鬼ではなく菩薩になって、霞ヶ浦と人間の関係を肯定的にとらえていきたいものです。
私は霞ヶ浦研究の現役から退きますが、後に続く皆さんは困難にひるんではなりません。努力を怠らず、霞ヶ浦の全体像を、時空を超えて把握する道をめざしてください。そして自ら理解したことを市民に伝えてください。それを怠ってはなりません。科学的な真理をわかりやすく市民に伝えることは、研究者が社会に向かって説明責任を果たすことです。さらに市民による時間をかけた検証を経て、民主主義社会が成熟していくのです。それが私の最後の言葉です。しかし遺言ではありません」
スクリーンに、英語の一節が映し出された。龍平は流暢な発音でそれを読み上げた。
「オールド・ソルジャー・ネバー・ダイ。ジャスト・フェイド・アウェイ。ダグラス・マッカーサー。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。この時、老兵とは使命を全うした実務家のことです。太平洋戦争後、日本を占領し、戦後処理を担当したマッカーサーが、離任する時の言葉です。私も今、同じ心境です。自分は英雄ではありません。実務家です。皆さんが仕事を引き継いで下されば、その使命は消えることなく、生き続けるのです。私をこれまで導き、支えていただいた諸先生、同僚の方々、後輩の皆さん、ありがとうございました」
龍平の講演が終わった。聴衆は全員拍手し、賞賛した。拍手はなかなか鳴りやまなかった。

☆51

 龍平は霞ヶ浦研究所名誉所長として尊敬され、晩年は平穏に執筆や後進への助言等に当たっていたが、寄る歳波には勝てず、体が弱ってきたおりから土浦市高齢福祉課の図らいで、霞ヶ浦湖畔の老人福祉施設に入居して数年が経ち、最近は訪問者もほとんどなくなっていた。頭髪は真っ白になり、顔には深い皺が刻まれてはいたが、知的な人生を過ごしてきた者として好奇心を失っていなかったが、認知症が進行していた。
 ある日、霞ヶ浦を望む居室で、車椅子に座って、光る湖面を眺めていた龍平は、新任看護師の女性を紹介された。穏やかな表情で施設長が言った。
「永作さん。御気分はいかがですか。こちらが今度、永作さんのお世話を担当することになった小野真知子さんです。小野さんは看護師と介護福祉士と管理栄養士の資格も持っている優秀な方ですよ。何でも小野さんに任せて、安心してお過ごしくださいね」
 紹介された女性は三十代半ばと見えた。彼女は龍平の前で腰を下ろし、龍平の視線に真っ直ぐに自分の視線を合わせて言った。
「小野真知子と申します。これからよろしくお願いいたします」
龍平は静かにゆっくりと応じた。
「永作です・・・。ご面倒をおかけすると思いますが・・・、よろしくお願いします・・・」
「永作さんはとてもしっかりしていらっしゃるのよ。車椅子で、自分でトイレにも食堂にも行けるし、本もたくさん読まれるわね。今の趣味はボタニカルアートね。じゃ、小野さん。頼みましたよ」そう言って、施設長は部屋を出ていった。
 真知子は龍平と二人きりになると、もう一度龍平に呼びかけた。
「龍平さん。あたしをよく見て・・・。あたしが誰か、分かりますか」
「小野さん・・・でしたね。きれいな方だ・・・。昔、あなたに良く似た女性に会ったことがある。真知子という女性でした・・・」真知子は目を輝かせた。
「龍平さん。私が真知子です」龍平は窓から霞ヶ浦を見て言った。
「私は真知子と別れました。真知子が私の前からいなくなった・・・。真知子のことは今でも覚えています。歳を取ると、昔のことばかり思い出されます・・・」
「私も、龍平さんを忘れたことはなかったわ」
「真知子は遠くへ行ったのです。今生きていれば、私より少し年上だったからおばあちゃんになっているでしょう・・・。あるいは、もうこの世の人ではないかもしれない・・・」
真知子の目には涙が溢れてきた。
「信じられないのは無理ないけど、真知子がここにいるのよ。真知子は私」
「真知子の思い出は、私の人生で一番大切なものです・・・。そういえば真知子は、おもしろいことを言っていました。自分は小野小町だと・・・。千年以上も生きているのだと・・・。
あはは・・・、ありえないことですよね。人は誰でも、老いて死んでいくのですからね。・・・おや、あなたは泣いているね・・・。女性の涙は私のような老人でも心が動く・・・。私は何か、失礼なことを申し上げてしまったのかもしれない・・・」
「いいえ大丈夫です。お疲れではありませんか」
「そういえば少し疲れたね・・・。ベッドに横になりたい・・・。お願いします」
「はい、龍平さん。お手伝いします」
真知子は龍平がベッドに入って間もなく、軽い寝息を立てたのを確認して、部屋を出た。
真知子は老人ホームの職員用の独身寮に住み込み、龍平の世話をした。龍平も心を開き、真知子にできるだけいつも傍にいてくれるように頼んだ。
老人ホームの屋上での日光浴、近くの公園での散策、鉢植えの植物のボタニカルアート、入浴や食事の世話。夜は龍平が眠るまで、真知子は本や詩集を読み聞かせ、経験したおもしろい物語を「千一夜物語」のシエラザードのように話した。
「龍平さんと別れてから、私はどうしたと思う? あれから、私は沖縄の石垣島に行ったの。珊瑚礁のエメラルド・ラグーンで泳いだり、老人ホームでお年寄りの介護をしながら数年過ごした後、漁船の船長に頼んで台湾に密航したの。スリルがあったわ。台湾では富豪と結婚して、中国語を学んで何年か待ち、お金を用意して台湾人になりすまし、中国へ行ったの。中国政府は、台湾のお金持ちには特別にビザを発給してくれたわ。
中国では先ず、徐福の出身地に行ったわ。黄海に面した江蘇省の村よ。今は連雲港市の一部ね。中国の経済発展で、連雲港市は高層建築が建ち並ぶ大都会になっているの。 
小野家の先祖は渡来人なのね。徐福一行の誰かが小野家の先祖だったかもしれないの。当時、まだ文字がなかった日本では、徐福は伝説の人だけど、中国の歴史では、秦の始皇帝から不老不死の仙薬の探索を命じられて、日本に向けて出航した実在の人物よ。徐福一行は結局帰ってこなかった。
残った徐一族は始皇帝の処罰を恐れ、改名して生き延びたそうよ。徐福一行の出航から間もなく、始皇帝は行幸の途中、病気で亡くなった。そのことは司馬遷の史記に記録されているの。だから実際は、特に処罰はなかったようね。でも、改名して二千年以上も世代を重ねてきたけれど、最近になって、中国の学者の調査で、その人たちがひっそりと暮らす村が、徐一族の村であることが判ったの。あたしはそのことを聞いていたので、ぜひ徐一族に会いたいと思った。それでその村に行って、村長様に会い、日本に渡った徐福一行の子孫があたしかもしれないって話したら、向こうはびっくりするやら、感激するやらで、村人衆が集まって盛大な歓迎会を開いてくれたの。私も、とてもうれしかった。
徐福村には立派な徐福廟があったわ。村人達は密かに二千年以上も徐福を祀って来たのね。村長様は徐福から続く長い系図も見せてくれた。私は小野家の系譜を話したの。村人達はとても興味深く聞いてくれたわ。それから、小野家に伝わる翡翠と虎目石の首飾りを見せたら驚いていたわね。中国では、翡翠は永遠の命を授けてくれると信じられているのよ。私は村の人たちと交流するうちに、この村人たちとDNAでつながっていると思うと、親しみが湧いてきたわね。徐一族の村には一週間ほど滞在して、長老たちや子どもたちとも交流したわ。中国人は血縁をとても大事にするの。とても安らかな気持ちで過ごせた。その後、村人たちとの別れを惜しみながら台湾に戻ったの。
台湾では、夫が高齢で亡くなったので遺産の一部を相続し、石垣島に帰ったの。沖縄の人はおおらかで、私が誰なのか、どこから来たかとか、全然気にしない。泡盛を飲み交わし、沖縄料理を食べ、三線を弾き、沖縄民謡を歌って、夜ふけまでカチャーシーを踊ったわ。毎日、楽しかった。まるで、龍宮城で過ごした浦島太郎みたいにね。
琉球、つまり沖縄は、日本、朝鮮、中国、台湾、フィリピンに近く、万国の架け橋になっているので、民族的な偏見が全くなかったわね。沖縄ではとても気持ちよく過ごせた。結局、石垣島で何年も暮らしたけれど、一番長く過ごして、思い出がたくさんある常陸の国、筑波山と霞ヶ浦がある茨城県が懐かしくなって戻って来たの。どう、龍平さん。わかってもらえたかしら?」
「あなたの話はおもしろい・・・。まるで本当の話のようだ」
「本当の話よ、龍平さん。茨城に戻ったら、龍平さんが霞ヶ浦の研究を立派に果たして、今は高齢者施設で暮らしていることがわかったので、看護師兼介護士として採用してもらい、こうしてまた会えたのよ」
「私は、霞ヶ浦の岸辺で真知子と会いました・・・。真知子はいい女でした・・・。真知子と過ごしたのは短い間でしたが幸せでした・・・。真知子は、緑色の首飾りをしていました・・・。きれいな首飾りでした・・・。でも真知子はいなくなったのです・・・。私の真知子はどこに行ったのでしょう・・・」「龍平さん。その翡翠の首飾りはこれよ」
真知子は、龍平の手を導いて、首飾りに触らせた。しかし、龍平は無表情で言った。
「小野さんの首飾りもきれいだね・・・。真知子の首飾りみたいだ・・・。でも私の真知子は、どこへいったのでしょう・・・」「あたしはもうどこにも行かないわ」
龍平は人生の最後の日々を再び真知子と過ごした。困難な課題が多い霞ヶ浦に取り組んだ一生がようやく終わろうとしていた。死期を悟った龍平は真知子に手を差し出した。
「小野さん、ありがとう・・・。最後にあなたと出会えて幸せだ・・・。さようなら・・・」
龍平は眠るように目を閉じた。真知子は龍平の手を握り、そっと口づけした。龍平は真知子に看取られて逝った。
「龍平さん。あなたは、私が真知子だっていうことを最後までわからなかったわね。それに私に甘えてばかり。男は皆、女に癒しを求める。いつもそうだわ。男って自分勝手よ。女の気持ちも知らないで。皆、先に逝く。女は強くても一人残されるのはさびしいのよ。でも今度は、私も、間もなくこの世を去る。そして先に逝った男たちのところへ行く。もう長い間、人を食べていないの。昔は戦さや行倒れで、亡くなった人の体を少しだけいただいたけれど、平和な世ではできないわ。平和な世こそ尊いわね。小町はずっと生きてきたけれど、もう死ぬのはこわくないの。だって人間だけでなく、この世に生を享けた生き物は皆、老いて次の世代に譲るのが自然の掟ね。私が愛した男たちに、あの世で逢えるのよ。私はすばらしい男たちを愛し、男たちに愛されたいから、ずっと生きてきた。愛とは人を想う気持ち。愛こそ永遠。愛は永遠でも人生には終わりがある。終わりがあるから人生は美しいのね。でも、ようやく、旅を終えるわ。とうとう私にも、お迎えが来たみたい。ああ、魂が体から離れて、上っていく感覚だわ。龍平さん、霞ヶ浦に捧げたあなたの人生は美しかったわ。龍平さんは霞ヶ浦と私の両方を愛していたのね。でも、私が去った後は、霞ヶ浦だけを愛するしかなかった。本当にごめんなさい。ああ、気が遠くなってきた。魂がぬけるって眠りにつくみたい。龍平さん。今度こそ、来世で一緒になれるわね。うれしい」  
真知子の眼から一筋の涙が零れ、頬を伝った。真知子は龍平の手を握り、椅子に座ったまま瞑ったようだ。いつの間にか、真知子の髪は真っ白になり、深い皺が刻まれた気品のある老女の顔に変わっていった。一夜が明け、真知子から朝の報告がないのを不審に思った同僚が、龍平の部屋のドアを開けて二人を発見し、慌てて施設長と嘱託医を呼んだ。駆けつけた医師が、龍平と真知子の脈を取り、瞳孔を調べた。
「永作さんは、昨夜、老衰で亡くなられたようです。安らかな最後だったと思います・・・。しかし、そばで亡くなっておられる、こちらのご老女は?」
「昨夜は小野看護師が担当でした。小野さんはどこに行ったのかしら。こちらのご老女は、どうしてここに。観音様みたいなきれいなお顔ですね。それに翡翠の首飾り。あら、制服の名札は小野真知子に・・・」施設長と医師は互いに顔を見合わせた。
完  (400字詰原稿用紙500枚)

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