―ぼくは、霞ヶ浦の近くの、広いハス田の中の水路でくらしている。大きさは、人間のものさしでいうと、4センチメートルくらいだ。
生まれた場所は、よくおぼえていない。たぶん霞ヶ浦の浅瀬で、杭があったり、アシも生えているような、淀んだところかもしれない。気がついた時には、ほかの魚の子どもたちといっしょに少し濁った水の中を泳いでいた。
夢中で泳いでいるうちに、ハス田の水路に入り込んだ。ここはあまり流れがないから、そんなにがんばって泳がなくてもいい。それにぼくらを食べる大きな魚もいない。
卵からかえった時のことはよくおぼえていない。まだ、ずっと小さかったころは、ワムシやミジンコなんかを食べていた。
今は、少し大きくなったから、ケンミジンコや他の魚の卵や泥の表面に顔を出しているアカムシやイトミミズなんかを食べている。アカムシはピクピク動き回って、新鮮でおいしい。
ハス田では生き物が多いんだ。他の魚や、亀、ザリガニ、タニシ、オタマジャクシもいっしょにくらしている。
ぼくは、去年の夏に生まれた。すぐ、秋から冬になった。冬の水路の水は冷たくて、じっとしていることが多かった。
春になって、水温が上がってきたので、ゆっくり泳ぐようになったけれど、あまり勢いよく泳いで、目立つと、こわいサギに見つかって、食べられてしまうんだ。
サギは白くて、水の中から見ると、空の明るい色にまぎれてしまうので、近づいてきても、気がつかない。サギは、ぼくらを見つけると、ものすごい速さで首をのばして、するどいくちばしで、ぼくらをつまんで、そのままのみこんでしまうんだ。
サギに食べられてしまった仲間は多いよ。ぼくらがもう少し大きくなれば、背びれのとげを立てて、食べられないようになるので、サギでものみこめないよ。
それまで用心して、くらしていくんだ。早く大きくなりたいな。
今日は天気がいい。こんな日は水の中も明るくて、食べ物をさがすのにちょうどいい。人間たちの時計では、午前十時ごろだな。
ところで、水路のそばの土手の上に人間たちが何人か来たようだ。足音でわかる。何やら話し声もする。
あれは、人間の大人の声だー
「ハス田の水路には、いろいろな、小さな生き物たちが住んでいます。それをタモ網ですくって、観察します。
では、タモ網を配りますから、すくってみてください」
―観察会という集まりらしい。自然を観察するのはよいことだけど・・・、ぼくらにとってはちょっとめいわくだ。
元気がいい足音は人間の子どもたちだな。あ、近づいてきた。水面の上の空が、人間の影で暗くなった。
ぼくが、草の間に逃げこんでかくれようと思ったら、ザブンと音がして、すぐ近くの水中にタモ網が差し込まれ、ぼくの方に近づいてきた。
ぼくは、泳いで逃げようと思ったけれど、間に合わなくて、タモ網ですくわれてしまったー
「やった。先生、何か小さな魚がとれました」
タモ網を持った男の子が、うれしそうに言った。
「どれどれ、ああ、これはブルーギルの子どもだよ。外国から来た魚だね。外来種だよ」
先生と呼ばれた大人が落ち着いた声で答えた。
「青いシマもようがあります」
「そうだね。もっと大きくなると、えらぶたのところが、濃い青色になるので、ブルーギル、つまり青えらと呼ばれるんだね。ブルーは青色、ギルはえらという意味なんだ」
―え、ぼくらは、人間たちにブルーギルと呼ばれているのか。初めてわかった。
先生はもの知りらしく、説明を続けたー
「ブルーギルはアメリカから来た魚なんだね」
―ぼくのご先祖様はアメリカから来たんだって。アメリカってどこだろう。それにどうやって来たのかな。それも気になるけど、タモ網ですくわれたから、体が乾いてきて苦しいよー
「では、よく観察できるように、観察用のアクリル水槽に移しましょう」
―そうそう、早く水の中に戻してくれよ。あ、先生の手がぼくをつかんだ。なれているらしく、あまり力を入れていないけど、人間のあたたかい手でさわられるのは気持ちが悪い。
透明なアクリルでできた、幅がせまい水槽に入れられた。ほっとしたけど、狭くてあまり身動きできないよー。
「さあ、これで横からじっくり観察できますね」
「かわいい」
女の子がニコニコしながら言ってくれた。
男の子が質問した。
「どうしてアメリカからきたんですか」
―そこだね。ぼくも知りたいよー
「この魚は、もともと、アメリカの湖や川に住んでいる魚なんだ。
ところが、五十年くらい前、今は上皇様になっている平成天皇が皇太子の時、アメリカの五大湖のそばにあるシカゴの水族館を訪問した時に、市長さんから贈られたんだね。皇太子殿下は魚類学者だから、良い記念の贈り物と考えられたんだね。ブルーギルの肉は白身でおいしい魚なんだ。でも小骨が多くて、食べるのには少し不便だよね。
それで、日本に持ち帰って、水産試験場で飼育されていたんだね。その後、神奈川県の小さな湖に移されたんだよ。だけど、そのうちに他の湖でも、見られるようになってしまったんだね」
―ふーん。当時の皇太子様、つまり今の上皇様が持ち帰ったんだ。そうだよね。ぼくらは、真水の魚なんだから、御先祖様が太平洋の海を泳いで日本にきたんじゃないよね。
それを聞いていた男の子がまた質問した。熱心な子だねー
「どうして、霞ヶ浦まで来たんですか」
「実は、淡水真珠の養殖をしている人たちが、真珠を育てる二枚貝を増やそうとしたんだね。二枚貝の幼生、わかりやすく言うと、貝の赤ちゃんなんだけど、その幼生は小魚のひれに着いて、あちこち運ばれるんだね。
それで、ブルーギルのひれに、貝の幼生が着いて、遠くへ運ばれて、貝が増えていくように、その人たちが霞ヶ浦や牛久沼に、ブルーギルを放流したらしい」
「ふーん。ブルーギルが自分で泳いで、霞ヶ浦まで来たわけではないんですね」
「そういうことだね」
男の子は、納得していない顔をした。
「先生、外来魚って、いろいろな害をするんでしょう?」
先生は、やさしい顔で答えた。
「そうだね。ブルーギルは、ほかの魚の卵を食べたりするからね。もともと日本の湖や池では、他の魚の卵を食べたりする種類の魚はあまりいなかったんだよ」
―そう言われてもなあ。ぼくらだって、他の魚の卵を食べてでも生きていきたいんだ。せっかく生まれたんだから、生きる権利があるよ。権利って難しい言葉を使っちゃったー
先生はまた続けた。
「環境省では、ブルーギルを特定外来種に指定して、他の湖や川に移さないように、呼びかけているよ。
体型は海のタイに似ているね。海にはいろいろな魚がいて、生存競争がはげしいので、背びれのとげで、自分を守っているんでしょうね。でも日本の淡水魚では、あまり近いものはありませんね」
男の子の父親らしい男性が言った。
「そうですよね。特に背びれのとげがすごいですね。もう少し大きくなれば、大きな魚や水鳥からも食べられなくなるでしょうね」
男の子は気になっていることを思い切って聞いた。
「つかまえたブルーギルは殺してしまうんですか」
―えー、それはないよ。殺される方の身になってみろよ。ぼくは何も悪いことをしてないようー。ぼくはまだ死にたくないよー
先生がおだやかに言った。
「いや、ブルーギルもいっしょうけんめい生きているんだよ。広い霞ヶ浦で、気持ちよさそうに泳いでいるんだね。ブルーギルが悪いわけじゃないんだよ。せっかく霞ヶ浦で生まれて、ここまで大きくなった命だからね。じっくり観察したら、水の中に戻してあげようね」
―先生のことばを聞いた男の子も女の子も、ほっとした顔になったよ。子どもたちと先生のやりとりを聴いていた大人たちも、笑顔になったよ。
何より、ぼくがほっとしたよ。人間のタモ網にすくわれて、ジロジロみられて、最後は土手の上に放り出されて、日干しにされたり、野良猫の餌になってしまうのかと思ったけれど、やさしい人間たちでよかったー
「じゃ、みんな、よくブルーギルを観察したね。では、ブルーギルさん、ありがとう、って感謝して、水路に戻そうね」
―そう言って、先生は水槽を傾けて、水路の中にぼくをもどしてくれた。
ぼくは、もとの、少し濁った、あたたかい水の中で、また元気よく泳ぎだしたんだ。
先生は説明を続けたよ。先生は説明するのが上手みたいだ。でも、ぼくは、もう聞いていない。こわい思いをしたから、しばらく水草のかげでかくれていようー
「ハス田は、小さな生き物たちにとって、くらしやすい場所なんだよ。他に、どんな生き物がいるか、もう少し、タモ網を使って、生き物をつかまえてみよう」
こどもたちは、またタモ網を水路やハス田の水に入れて、生き物を探した。夢中になって、タモ網を使っているうちに、ハス田の泥が顔にはねて、黒いほくろがついたようになって、他の友だちから笑われている子もいたよ。
「生き物がとれたら、バケツの水に入れておこうね」
―十分くらい、人間の子どもたちは、夢中で生き物をタモ網でつかまえては、バケツに入れていた。人間の子どもは、生き物をさがして、つかまえるのが大好きみたいだー
先生が子どもたちに声をかけた。
「じゃ、だいぶ、生き物がとれたようだね。では、こっちに集まって。みんなで、どんな生き物がとれたか観察してみよう」
そう言って、先生は子どもたちをバケツのまわりに集めて、生き物を一匹ずつ、四角のお皿のようなプラスチックのバットに移して説明し始めた。
「さあ、まず、この、頭が大きくて、尾が生えている生き物は何かな」
男の子が手を上げて言った。
「はい、オタマジャクシです」
「そうだね、オタマジャクシはカエルの子だね。ではハス田ではどんなカエルがいるかというと、まず、ウシガエルだね。夜になると、大きな声でウシみたいに、モーモーと鳴くよ。食用にしたこともあるから、ショクヨウガエルとも呼ぶんだね。ウシガエルもアメリカからやってきた外来種だね。このオタマジャクシはウシガエルのオタマジャクシだね。カエルの仲間では、カントウダルマガエルやアカガエルもハス田には住んでいるよ。
他には何がいるかな。あ、これは何だろう?エビみたいだけど。知ってる子はいるかなあ」
生き物好きの女の子が答えた。
「ザリガニです」
「ぼくも前にザリガニを捕ったことがあるよ」
男の子が目を輝かせて言った。
「そう、アメリカザリガニだね。アメリカザリガニもウシガエルの餌として持ち込まれたんだよ」
「アメリカザリガニって、赤くてかっこいい」
「そうだね。子どもたちに人気があるよね。大きなはさみを持っていて、バルタン星人みたいだね。他には?」
「えーと、ヤゴもいます」
「そうだね、いろんなトンボやイトトンボのヤゴもいるよね。それから、泥の中には、イトミミズやユスリカの幼虫のアカムシもたくさんいるんだよ。泥の表面ではタニシがゆっくり動き回っているよ。
では質問。どうしてハス田には小さな生き物がたくさん住んでいるのかな?」
今度は別の女の子が、少し考えて、自信なさそうに答えた。
「ええと、水があるから?」
「ピンポーン。そうだね。そこが一番大事なところだよ。どんな生き物にも水は必要だね。ハス田の水が一年中あるのはとても大事なんだよ。
お米を作る水田にも水があるけど、今の水田は、秋から春にかけて、水を抜いてしまうよね。だから田んぼが乾いてしまって、水中の小さな生き物は生きていけないからね。他には?」
子どもたちは、考えこんだ。
子どもたちの答えがなかなか出ないので、先生が続けた。
「ハス田では、草を枯らす、除草剤のような農薬をあまり使わないんだよ。春にレンコンを植え付けた後、どんどん成長して、大きな葉がたくさんできて、下から見ると空が見えないくらいになるよ。つまり日陰になるね。そうすると雑草が生えにくいので、除草剤は使わなくてもすむんだよね。
雑草が少ないと虫も少ないんだよ。ハスの葉を食べる害虫が少ないから殺虫剤もあまり使わなくて済むんだ。農薬を減らせるので、ハス田では小さな生き物が生きていけるんだね。ちょっと難しかったかな」
男の子が首を振って言った。
「よくわかりました」
「よかった。ハス田に小さな生き物が多いので、それを食べるサギの仲間やバンの仲間のような鳥もやってくるね。ハス田は生き物の宝庫なんだよ」
「ハス田ってすごい」
女の子が感心して言った。
先生は、少し心配そうな顔をした。
「でもハス田では、レンコンがよく成長するように、肥料もたくさん使うんだね。肥料分が霞ヶ浦に流れだして汚してしまうこともあるので、農家では肥料を使い過ぎないようにしてるんだよ。
それから、さっき、ハス田では殺虫剤をあまり使わないと言っちゃったけど、レンコンを食べる小さなセンチュウがいるので、ちかごろではセンチュウに効く農薬を使うようになったんだね。その農薬が他の生き物に影響しているかもしれないので、専門家の人たちが、いろいろ調べているよ。
ハスは、他の植物にはない特徴があるんだね。
ハス田では、夏になると、ピンクや白のきれいで大きなハスの花がたくさん咲くんだよ。それは、それは美しい景色になるよ。夏になったら、また、ここに来てみるといいね。
さあ、今日は、ハス田の自然について、たくさん勉強したね。ハス田のことがよくわかった人は?」
「はーい」
子どもたちは元気よく手を上げた。
先生がニコニコして、うなずいた。
「では、まだ少し時間があるから、タモ網で他の生き物を見つけてみよう」
「わーい」
子どもたちの歓声が響いた。子どもたちは、またタモ網を使って、水路やハス田の生き物をさがし始めた。
「先生、これは、ドジョウですか」
「おお、よく見つけたね。ドジョウだね。みんなにも見せてあげてね」
「先生、タニシよりも細長い貝を見つけました」
「どれどれ、これはカワニナだよ。カワニナはホタルの幼虫の餌になんるんだ。ハス田の水路にもがいるんだね」
「先生、この魚は何ですか。フナにしては、平べったいんですけど」
「おお、これはボラの子どもだよ。小ブナくらいのサイズだね。ハス田の水路でボラの子が見つかるとは、すごいね。大発見だね。みんなにも見せてあげてね」
ハス田のそばで、子どもたちは、お昼になってお腹が空くまで、生き物さがしに夢中になっていた。
―人間の子どもたちは元気がいいね。ちょっとうるさかったけど、子どもって、あのくらい元気な方がいいよねー
―ぼくたち、ブルーギルも、人間の子どもたちの遊び相手や勉強なら、おつきあいしてもいいかな。外来種だからって、あまり、きらわないでほしいんだ。外来種っていうけど、もともとは人間が外国から運んできたんだよ。
ぼくらは、ここで生まれて、生きて、大きくなって、暮らしていきたいだけなんだ。それは人間も同じだよねー
ブルーギルの子どもは、水草のかげから出てきて、ゆっくりと泳ぎ始めた。まわりには、アメリカザリガニの子や、ヤゴ、ドジョウ、タニシがいて、動きまわっていた。
泥の中からはアカムシやイトミミズが顔をだして、息をしたり、ゆらゆら動いたりしていた。ブルーギルの子は、アカムシにそっと近づいて、小さな口で食べてしまった。
終わり

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