アース星の友へ

 アルファ・ケンタウリ恒星系の第5惑星であるイプシロン星は、母星のアルファ・ケンタウリ恒星から遠く、地球の数十倍の直径と数百倍の質量を持つ巨大な星である。母なるアルファ・ケンタウリ恒星は、はるかに遠く小さく見え、弱い光をイプシロン星に送っていた。

イプシロン星の大部分は山岳や荒野で、海はない。わずかに水はあるが、川の流れは細く、荒野の小さな湖沼に流入するだけだ。植物は川と湖沼が点在する湿地に繁茂していた。重力が強いため、樹高は低く、貧弱な灌木帯が水辺に広がっていた。湿地で、わずかに作物が栽培されていた。耕作地のまわりは放牧地で、強い重力のため、足は短く太いが小さな羊のような家畜たちが貧弱な草を食べていた。

赤道近くの荒涼とした砂漠と岩場が広がる土地に、小ぢんまりと建築物が数十棟建っていた。運動場、体育館、講堂、講義棟、図書館、研究実験棟、学寮、病院などがあった。

 敷地内では、たくさんのイプシロン星人の若い学生たちが、講義棟から講義棟へ移動し、運動場では体育の授業を受けていた。小柄な学生たちは、少し尖った頭で、眼はやや吊り上がっていた。眼の色は赤、緑、オレンジ、青などいろいろだった。鼻は概ね高く、顔色は青白かった。

彼らは、地味で単色の、体にぴったりした衣服を身に着け、イプシロン星の強い重力に耐える丈夫な体で、足は太く、発達した筋肉に包まれていた。

整地された場所に、格納庫らしき建物が一棟建っていた。その建物から時折、ラグビーボール型の細長い飛行体がキャリアに載せられて引き出され、整地された広場から空中に飛び立っていった。

 建築物群の中で一番高い管理棟の一室で、イプシロン大学科学部の教授会が開かれていた。円卓の正面に座った、小柄だが太り気味で長めの白髪のイプシロン星人がやや甲高い声で、口を開いた。議長を務める学部長だった。学部長は老眼鏡をかけ、時おり資料の書面に目を落としながら、正確さを期するように説明し始めた。

「只今から会議を開きます。本日の議題のうち、最も重要な第一議題から審議していただきます。先月、イプシロン議会で、ここから四・二光年離れた太陽系の第3惑星、すなわちアース星とも呼んでいる惑星への移住を前提に、綿密な事前学術調査を実施することが可決され、わが大学の科学部にその事業が委託されることになりました。

 わが大学は政府が設立した国立大学ですから、その事業を受託することは当然です。調査方法は、わが大学に委任されています。幸い、われわれは、何年も前から、この第3惑星に注目して部分的な調査を継続してきました。その実績が国会で認められ、今回の事業委託につながったものと考えています。

この移住事業にはイプシロン星人の将来がかかっていますから、調査経費は、ある程度潤沢に使えます。とはいえ、無駄や濫費を避けて、計画的、効率的に調査を実施しなければならないことは、言うまでもありません。

 各先生方は、ご自分の専門性を生かして、今後ともアース星の調査に積極的に取り組んでいただきたい。ここまで、ご質問は?」

 対面に座った、やや長身でがっしりとした体格の教授が手を挙げた。

「ランダー先生、どうぞ」

「その調査の開始時期は?」

「今学期は、すでに下半期に入って、学生・院生への講義、実験・実習、卒業論文や学位論文の指導で、お忙しいと思います。国会を通過した予算の執行は来期からなので、今期は調査計画の立案にあたっていただければ結構です」

 ランダー教授の隣のほっそりとした教授が、続いて手を挙げた。

「ユンカー先生、どうぞ」

「調査のテーマというか、項目というか、どのような分野の調査を、今後実施すればいいのかね?確認しておきたいんだ」

 学部長が、当然の質問というように頷いた。

「物理、地史、地学、地殻の構造、気候、大気や海洋を構成する物質などは、わが学部のこれまでの調査で、ある程度明らかです。これからの詳細調査の主要テーマは、配布したお手元の資料にあるように、生物・生態系、医学、それに第3惑星人の文明の歴史と現状になると思います。

 第3惑星の時間は、イプシロン星のおよそ150倍の速さで経過することが分かっています。第3惑星人、つまりアース星人の文明は、石器を使う原始的な狩猟採集時代から、一部の地域では青銅や鉄器が生産され、農作物の栽培が開始され、人口が増えて、大型の墳墓などの構造物を築く段階まで達しています」

「アース星人の気質や心理なども調べておいたほうがいいね」

気難しそうな、落ち着いた声で、学者然としたアンカー教授が助言した。教授は額に皺を寄せ、神経質そうな表情だった。

「アンカー先生、ありがとうございます。いずれアース星人たちは、すごい速度で文明を発達させ、国家を組織し、国家どうしの戦争を始める可能性もあります。原子核エネルギー兵器で戦争を始めたら最悪です。

そうなる前に、彼らの考え方、政治形態、歴史、哲学、法律、思想、産業、経済、宗教、教育、医療、福祉、文化、芸術、そして民族間や国家間の対立なども、重要な調査項目になるでしょう。それらの分野では、本学の政経学部、人文学部、医学部の先生方も参加することになります」

 ランダー教授が手を少し上げて言った。

「私は地理学と気象学が専門ですから、第3惑星の特定の地域に着目して、その自然の変化や住民の文明化の過程に関心を持って、これまでも調査してきました。その地域は、最も大きな大陸の東端に位置する列島です。この列島はまだ呼び名はありませんが、大陸から地殻変動で別れて、かなりの時間が経ちました。この後の変化に注目しています。

この列島には、大陸や南方諸島から移り住んだ人々が暮らしています。季節がはっきりしていて、森林がもたらす食糧が豊かです。農業も始まりました。沿岸の海ではいろいろな魚や貝が獲れますから、ここに住む第3惑星人は、飢えることがないようです。

この列島は、第3惑星の中でも、特徴的な地域であり、地震や台風や火山の被害は大きいようです。このように、自然科学的アプローチを主体として、地域学の視点で調査・研究してもよろしいですか?」

 学部長が鷹揚に頷いた。彼は進化生物学が専門だった。

「もちろんです。研究の自由、学問の自由は、アカデミズムの原則ですから、ぜひ、その方向でお進めください。他の先生方も、ご自分の専門分野から調査研究を進展させてください。 

第3惑星には大陸が五つあります。それぞれの大陸の状況変化も興味がありますね。平野部だけでなく高山や極地の研究も必要です。それに島嶼部は大陸から海洋によって切り離され、生息する生物が種分化し、独自の生態系が成立していますから、遺伝子資源の保全という視点からの研究も重要です。

第3惑星は水の惑星です。広大な海洋には植物プランクトンが多く、陸上には植物がたくさん繁茂し、光合成によって水分子が分解され、有機物が蓄積し、酸素が放出され、大気中の酸素濃度は21パーセントに達しています。イプシロン星では酸素濃度は約7パーセントですから、われわれの体にとって、第三惑星の酸素濃度は3倍で、高すぎます。酸素が多いと体の細胞の代謝速度が速くなります。

ゆえに、われわれは、この第3惑星、すなわちアース星では、高山の頂きのような、大気が薄い場所が住みやすいのです。ただし山頂は狭いですから、居住するには標高が高い高原部が最も適しています。もちろん酸素濃度が高い平野部でも生きていけますが、体の代謝が活発化して、呼吸数や心拍数が多くなり、体温が上がり、早く老化する可能性があります。すなわち平均寿命が短縮する可能性があります。

しかし、人生時間が短くなっても、酸素が多い温暖な平地で快適に過ごせればよいとも言えます。温暖な平野部は食糧生産が容易ですから、第3惑星人と軋轢が生じるかもしれません。

そのような医学生理学的な分野もふくめて、広範な観点から研究を進めてください。この教授会で、成果を定期的に報告していただき、報告書の閲覧で、互いに不足の点を指摘し合い、補完することにします。有益な助言をいただき、方向性の軌道修正をお願いすることがあるかもしれません。

 アース星の調査報告の完了、すなわち政府と国会への調査報告書の提出は、約十年後を目標にします。この星の時間では、約1500年後になります。

 この件に関し、他にご質問は? ご質問が無ければ、次ぎの議題に移ります」

 学部長はせっかちに、次ぎの資料に目を通すように、出席者に促した。

                    *

 ヒタチノクニ、イバラキのコオリ、後の時代に霞ヶ浦となる、ナガレウミと呼ばれる浅い内海のそばのタカハマに近い水田。アサやカラムシの繊維を織りこんだ白い貫頭衣を着て、腰布を巻いたサオトメたちが一列になってサナエを植えていた。サオトメたちは長い髪の毛をアケビやクズの繊維で束ねていた。

子どもたちはアゼ道を行ったり来たりして、ナエ運びを手伝った。子どもたちも貴重な働き手だった。

この日は、サツキ(田植え)の最終日で、水田にはサナエが初夏の風を受けて、美しく輝いていた。一陣の風が吹くとサナエの葉先が一勢に揺らぎ、それとわかった。植え終わった水田では、白サギがサナエの間をゆっくりと歩き、メダカ、ドジョウ、タニシ、オタマジャクシ、ミズカマキリやゲンゴロウなどを探していた。

日輪が中天にかかり、農作業を早めに終えると、サオトメたち、オトコたち、それにムラオサは、水田を見渡す小高くなった場所に座って、ほっとしてお互いの労働をねぎらった。その場所には、ネムノキが枝葉を皆の上にさしかけ、ほどよい日蔭を作っていた。その下には、ヤマブキが黄色の花をたくさん咲かせていた。アゼ道にはタンポポ、スミレ、アザミなどが足の踏み場もないほど咲いていた。

ムラオサが満足気なようすで、穏やかな声で言った。

「今年も皆ががんばってくれたおかげで、サツキが終わった。今日はサナブリ(田植え終了のお祝いを兼ねた慰労会)だ。皆への感謝の気持ちをこめて、ヤマのサチ、ウミのサチのごちそうを用意させてもらった。ドブロクもある。さあ、遠慮しないで、食べて飲んで、疲れを癒してくれ」

 サオトメたち、オトコたちは、いっせいに手を叩き、歓声を上げ、次々に食物に手を伸ばした。山のサチは、前年の秋に山で掘り起こしたヤマノイモ、ユリ根、皆で拾ったヤマグルミやヤマグリ、キジやシカの燻製肉。海のサチは、ハマグリやアサリの潮汁、浅瀬でオトコたちが網で獲ったボラやスズキの焼き魚。それにサトのサチであるサトイモの煮っ転がし、前年収穫したコメを蒸したメシだった。

 サオトメたち、オトコたちは、ごちそうにあずかり、皆で喜びあうことが楽しみで、つらい農作業に耐えてきたのだった。サオトメたちは、サツキの時期は、朝から日暮れまで、ナワシロで育てたサナエを、長時間、腰をエビのように曲げて水田の泥に植えてきた。

オトコたちは、サツキの前に、木製の鍬で水田の堅い土を耕し、水路から導いた水を張って土を柔らかくして、丈夫な板にナワをかけ、人力で泥土の上を引き、サナエを植えやすいように鏡のように平らにした。シロカキの作業だった。オトコたちの作業も重労働だった。

 オトコもオンナも、重労働からようやく解放され、食物でお腹が満ち、コメから醸したドブロクを飲んで、気持ちが緩んだ。酔ったオトコの一人が隣りのオンナをからかった。

「サツキの時の、ナー(おまえ)の腰は大きくて、丈夫なアカゴを産めそうだなあ、ヨメの貰い手は、あるのか?」

 オンナも負けずに言いかえした。

「ワー(わたし)は、ナーのような、オンナの尻を追いかけるしか、できねえオトコはきらいだ」

「オラは力があるぞ。鍬で田起こしする時は他のオトコには負けねえ。オラはナーのことが好きだ。どうだ、いっしょにならねえか?」

「いやだ。はずかしい。みんなの前で」

 オンナは真っ赤になって、両手で顔をかくした。皆は大きな口を開けて笑い、はやし立てた。

 歳かさのオンナが見かねて、眉をつりあげた。

「こら、オオボラフキ。ムスメをからかうもんでねえ。バチアタリが」

 オオボラフキと呼ばれたオトコは、背を丸めて、頭をかいた。それを見て、皆はまた笑った。

 時間はゆっくりと流れた。ツバクロが気持ちよさそうに、水田の上を飛んでいた。空気が湿ってきたのがわかった。ひと雨、来そうだった。

 ムラオサが立ち上がった。

「今年のツユは、アメがよく降ってくれる。ツユが明ければ、タノクサトリで忙しくなるぞ。ナツに暑くなってイネがよく育ち、アキに稔ってくれるといいのだが。アキのオオカゼが吹く前に、皆でイネ刈りをする。三年前のナツはヒデリで、二年前は寒いナツで冷たいアメが続いて、イネがよく実らなかった。昨年は、よく実ってくれた。皆が食べているコメは昨年獲れたものだ。

 今年はどうだろうか。サー(イネ)の神様とワカ(ミズ)の神様に祈って、よく実ってくれるように、皆でお願いしよう」

 ムラオサとムラビトたちは、サナエを植えたばかりの水田の方に向かって手を合わせ、目を閉じ、頭を垂れて、アキの豊作を祈った。

 一人のオトコが、細い竹で作った横笛をフトコロから出し、おもむろに唇に当てて、ゆっくりと吹いた。笛の音は、風に乗ってさわやかに水田のサナエの上を渡っていった。ムラビトたちはうっとりと聴き入った。やがて笛の調べが、浮き立つような賑やかなものに変わった。

 オトコたち、オンナたち、そして子どもたちも立ちあがり、サケの酔いもあって、めいめいが手を振り、踊り始めた。子どもたちは、うれしくなって、オトナたちの間を跳ねまわりながら、踊りをまねた。

 ムラオサが満足気につぶやいた。

「サノボリ(サナブリ)だ。イネの神様が天上に昇っていかれるのを皆でお祝いし、賑やかにお送りするのだ。イネの神様もさぞや、お喜びのことだろう」

 ひとしきり、ムラビトたちが踊り、少し疲れて座り込むのを見はからって、ムラオサが皆に言った。

「こうして、サツキが無事終わり、サノボリを祝うことができるのも、先代のクニノミヤツコのツクシトネ様のおかげだ。ツクシトネ様は先年、惜しまれながら亡くなられ、皆でヒタチのクニで一番大きなツカを造って、カバネを葬ってさしあげた。そのツクシトネ様の墓のミタマに、サツキが終わったことを昨年同様、おしらせしよう。皆のもの。三日後、日が沈んで新月が出た頃、オオツカに集まってくれ。コメのダンゴ、イモやサカナ、そしてドブロクもお供えするのだ」

 ムラビトの中で、年配者が応じた。

「わかりました。私どもは、ツクシトネ様には今も深く感謝しております。ツクシトネ様は、私どもに、ヤマトの国から伝わったイネの作り方をていねいに教えてくださいました。おかげで、ヒタチのクニでもコメがよく稔るようになりました」

「そのとおりです。ツクシトネ様には、感謝してもしきれません」

ムラビトたちは口々にツクシトネの功績を讃えた。

                   *

三日後、夕闇が迫るころ、西の空に新月が現れた。新月のそばには、宵の明星が光っていた。ムラビトたちは、ムラのはずれにあるオオツカのふもとに集まった。ムラオサが昨年収穫したコメのメシを擦り潰して丸めたダンゴを盛った高坏を、さらにオンナたち数人が須恵器の壺に入れたドブロクと様々な料理のお供えを盛り付けた皿を捧げ持って、ゆっくりとオオツカに登った。

ムラオサは白髪混じりの長い髪を整え、顔の両脇でみずらに結っていた。その、穏やかな顔には、入れ墨が彫られていた。

 オオツカは二つの小高い山のかたちをしていた。ムラオサたちは、山の頂きが四角に整地されたツカに登り、そこでひざまずき、他方の丸いかたちのツカの方を向いて、拝礼した。丸いかたちのツカには、ツクシトネのかばねが石棺に埋葬されていた。ムラオサが、オオツカのふもとに集まったムラビトたちにも聞こえるように大きな声で、奏上した。

「ツクシトネ様。おかげで、今年もとどこおりなく、サツキ、サナブリを終えることができました。後は、ツクシトネ様から、ヤマトから伝わったやり方を教えていただいたとおり、谷津から水を引き、田の水を切らさないようにします。

ムラビト総出で田の草をとり、虫を取り、イナホが出たアキには水を落として田を乾かし、オオカゼが吹く前に刈り取りをするつもりでおります。刈り取ったイネは、乾かして、冬の間、たくわえておきます。 

また、ツクシトネ様は、このナガレウミでの舟の操り方や手配のやり方、サカナの獲り方を我らに教えてくださりました。おかげで、我らは他の土地の者たちと、ウミのサチ、ヤマのサチの取り引きをして、今ではタカハマはとても豊かなハマとなりました。

これからも、ツクシトネ様には、ぜひ我らのムラのイヤサカをお守りいただき、アキにはコメをはじめ、サトのもの、ヤマのものが豊かに実りますように、たくさんサカナが捕れますように、お導きいただきたいと存じます。ムラビトは皆、ツクシトネ様に深く感謝しております。

つきましては、サナブリのお供えを用意しましたのでお召し上がりください」

 ムラオサと従者は、供えものをその場に置き、また頭を低くして拝礼した。

 その時、オオツカの真上に白い発光体が現れた。闇夜の中で発光体は輝きながら、オオツカの丸い方のツカのいただきに音もなく、静かに降りようとしていた。

「おお、ツクシトネ様のミタマじゃ。ヨミノクニからツクシトネ様が帰ってこられたのじゃ」ムラオサが叫ぶように言うと、ムラビトたちは、いっせいに手を合わせ、平伏した。

                    *

 発光飛行体の中には、二人のイプシロン星人が搭乗していた。二人は飛行体の内部で、ボタン、スイッチ、モニターがたくさん付いた複雑な操縦装置を操作していた。

「パパ、アース星の人たちに見つかってしまったよ。ちょうど、みんなでお祈りをしていたみたいだ。みんな、驚いてこっちを見上げているよ」

「ああ、そうだな。あ、透明化装置をOFFにしていた。うっかりしていた。この星の人たちを怖がらせてしまったかな。では、装置をONにして、いったんここから遠ざかろう。宇宙船の着陸には、この場所は目印になってちょうどいいんだが、しかたがない。どこか砂浜のような場所を探そう」

「パパは夢中になると、ときどき、うっかりミスをするんだよね」

「ははは、さすがに老化現象かな。この星の人たちを驚かせてしまったようだな」

 パパと呼ばれたイプシロン星人は、透明化装置のボタンを押してONにした。

 白い発光体は、ゆっくりと上昇しながら闇の中に消えた。

                     *

 「おお、ツクシトネ様のミタマがイネの神様とともに降りてきて、またヨミノクニに戻られた。我らの感謝の気持ちが伝わったようじゃ。今年のアキの豊かな実りを約束していただいたようじゃ」

 ムラオサが叫ぶように言うと、おおぜいのムラビトは、オトコもオンナも手を取り合って喜び合った。

                   *

「ねえ、パパ。あそこの浅い海に突き出した洲が広い砂浜になっているよ。着陸するのにちょうどいいよ」

「おお、トビーは目がいいな。パパは宇宙探査旅行で、あちこちの恒星の光を浴びているから、最近目がしょぼしょぼしてかなわん。アース星の太陽光は強いけれど、イプシロン星では、アルファ・ケンタウリから届く光は弱いからなあ。ところで、あの広い砂洲ならちょうどよさそうだ。そこへ着陸するとしよう」

 この星で栽培されるウリのような形をした白く細長い宇宙船は、砂州の上に音もなく着陸した。

 ほどなく、父子のイプシロン星人は宇宙船の外へ出て、闇の中を見渡した。二人の体は人間によく似たところもあったが小柄で、体に密着した緑色の宇宙服を着ていた。小柄な割に体つきは頑丈で下肢は太かった。頭はやや尖り、目は赤く吊り上がっていた。宇宙服は、この星の中世ヨーロッパの騎士の甲冑のような印象だった。腰にはベルトを巻き、様々なボタンが付いていた。

「あー、疲れた。ワープしたので一瞬だったとはいえ、狭い小型宇宙船の中では、同じ姿勢で、体を動かせないから、肩も背中も腰も筋肉が凝って痛い。トビーは大丈夫か」

 パパと呼ばれた方は、屈伸運動をしてこわばった筋肉をほぐした。

「うん、僕は何ともないよ。この星は酸素も水もたくさんあって気持ちがいいね。呼吸が楽だし、重力もイプシロン星に比べたら弱いから、飛び跳ねたくなるよ。明日、この星の恒星が顔を出したら、どんな景色かな。わくわくするよ」

「我々のイプシロン星にはない、美しい景色だよ。パパはもう何度も来ているけれど、この星の朝の景色を見ると、感動する。トビーにとっては明日の朝が楽しみだろうね。じゃ、明るくなるまで、宇宙船の中で仮眠を取ることにしよう」

 二人は、宇宙船に戻り、入り口を閉じて、透明化装置がONになっていることを確認して、座席で少しの間、仮眠した。

                   * 

 朝、外で水音がするので、トビーが目を覚ました。父親はまだ寝ていた。波打ち際で白い波頭が崩れ、キラキラと白く輝いていた。心地よいザー、ザーという音が繰り返された。朝の光が砂浜を照らしていた。対岸の方向の遠くに、紫色に霞む、峰が二つに分かれた山が見えた。トビーがそっと入り口を開けて外へ出ると、この星のオトコの子が水際の浅瀬で、裸になって水浴びしていた。

宇宙船は透明化装置がONになっているので、オトコの子からは見えないはずだ。

 オトコの子が水を手ですくって口を漱ぎ、気持ちよさそうに顔と体を洗い、水を足で跳ね上げて遊んでいるので、トビーは、宇宙服姿のまま、思わず声をかけた。

「ねえ、僕も水遊びしたいな。僕の星にはこんな広い海はないんだ」

 急に現れたトビーを見て、オトコの子は、目を丸くして驚いた。しかしトビーの声がやさしいので、怖くなかった。

「びっくりした。ナーはどこから来たんだ?」

「僕は遠い星から来たよ。この星のことを知りたくて、パパといっしょに来たんだ」

「パパって何?」

「ああ、ごめん。パパはお父さんのことだよ」

「ナーのおっ父のことか。おっ父は、どこに?」

「パパは宇宙船の中でまだ寝ているよ。宇宙船は見えないんだ。それより、海に入って遊ぼうよ。何か生き物がいるの?」

「いるよ。貝なら獲り切れないくらい、いっぱい、いるよ。ハマグリとかアカガイとか。それから、オキシジミ、アサリ、シオフキ、アカニシ、カキも取れるよ。いろいろなカニやエビもいる。それから魚もたくさんいるよ。魚は網がないと獲れないけどね。でもモリがあれば子どもでも浅瀬に寄ってきた魚を突いて獲るんだ。

大きなサメやエイもいる。ボラやスズキはたくさんいる。フグやクロダイやニシンやアジもいるんだ。大きなクジラはいないけど、イルカならいるよ。それから、ウミガメも時々やってくるんだ。お父とおっ母は、海の水を汲んできて、藻塩を作っている。その藻塩や干貝をヤマのサチと交換するんだ」

「じゃ、いっしょに貝を獲ろうよ」

「ああ、いいよ。水は気持ちがいいぞ」

「うわ。冷たい。うちの星には海がないから、僕は生まれて初めて、海の水に入るんだ」

「うちの星? なんのことか、さっぱりわからないけど、まあ、いいか」

 水は透明で、潜って目を開ければ、底の貝がよく見えた。二人は、砂浜から続く浅瀬で、潜りながら貝をたくさん獲って、種類ごとに砂浜に並べた。少しの間に十種類くらいの貝が砂浜に並べられた。

「あ、星みたいなかたちの生き物。これも貝かな?」

「それはヒトデだよ」

「おもしろいかたちだね」

「あまり沖の方に行くと、深くなって背が立たなくなって、溺れてしまうから、気をつけろよ」

「あ、何か飛んでる。あれは何?」

「カモメだよ」

「カモメって?」

「鳥だよ」

「ふ~ん。鳥は、イプシロン星にはいないなあ。大気が薄くて浮力が働かないし、それにもともと重力が強いから、空中に飛ぶ生き物はいないんだ。あ、でも、空にかかっている白いものは何?」

「雲だよ。雲を知らないのかい」

「僕の星では、水が少ないから、水蒸気があまり空気中に出ないので、雲はできないんだよ。それから遠くに見える、あの山の名前は?」

「おらたちは、ツクバって呼んでるよ。このへんでは一番高い山で、よい目印になるんだ」

「いろいろ教えてくれてありがとう。君の名前は?」

「オラはサチヒコだ。九つになるよ。ナーは?」

「僕はトビー・ランダー。九歳。同い年だね。今、学校の夏休みで、パパの宇宙船でこの星を探検しているんだ。パパは、政府の仕事でこの星を調査しているんだ」

「ふーん。ガッコウとか、ウチュウセンとか、よくわからないけど、おもしろそうだなあ」

 その時、砂州の奥の方に建てられた草ぶきの粗末な苫屋の方から、オンナの声がした。苫屋からは白い煙が上がっていた。

「サチヒコー。アサメシだぞ。遊んでねえで、早く食えー」

「あ、おっ母だ」

「サチヒコのママだね。サチヒコにはママがいていいなあ」

「トビーのおっ母は、どこにいるんだ?」

「うん、僕のママはイプシロン星で、小学校の先生をしていたんだけど、このあいだ、エアカーの事故で死んじゃったんだ」

「ふーん。おっ母が死んじゃったのか。かわいそうだな」

「ママが死んで落ち込んでいる僕を、パパが、アース星の調査に連れてきてくれたんだ。アース星はきれいで、暮らしやすくてうらやましいよ。海には生き物がたくさんいて、しかも泳いで遊べるんだもの。いいなあ。

じゃ、僕も宇宙船に戻って、パパを起こして、サプリメントの朝食を食べるよ。水遊び、楽しかった。サチヒコ。貝や魚のことも教えてくれて、ありがとう」

「うん、また遊びにおいで。この次は泳ぎを教えてあげるよ」

 サチヒコはトビーに手を振って、苫屋の方に駆けていった。トビーはそれを見送ると、透明化しておいた宇宙船の入り口を、ベルトのボタンを押して開けると中へ入った。

                    *

 霞ヶ浦に面する茨城県行方(なめがた)市の高須崎公園。令和3年の10月31日午後6時。すでに陽は落ちて、暗闇が迫っていた。強風と豪雨をもたらした台風が一週間前に通過し、霞ヶ浦は静かな湖面を取り戻していた。先ほどまで、湖面の向こうに見えていた紫色の筑波の双峰や遠くに小さく見えていた富士山は、闇の中に消えていた。 

霞ヶ浦の湖上の西の空に、眉のようにスリムな三日月が出ていた。金星も少しずつ輝きを増していた。霞ヶ浦大橋は薄いレモン色の照明で浮かび上がり、橋を通過する車の前照灯が、次々に線になって移動していった。

公園の端に沿って植えられたポプラ並木は、黒い巨大なモンスターのように、小学4年生の菅谷翼と愛犬のケンタを心細くさせた。近くの霞ヶ浦ふれあいランドでは、高さ六十メートルの「虹の塔」がライトアップされ、聳え立っていた。

 翼は、高須崎公園のすぐ近くの手賀地区の古い住宅で、祖父母、両親、小学二年生の妹、愛犬とともに暮らしていた。翼はこの公園で、三歳になる雄の柴犬のケンタと遊ぶのが大好きだった。

公園は広い芝生地で、地元老人クラブのゲートボール大会などのイベント開催時以外は車の進入がなく、安全に遊ぶことができた。この公園で、いつも翼はケンタと戯れ、一緒にボールを追いかけ、芝生に転がり、衣服が芝草まみれになっても気にせず、日暮れまで遊んだ。

 この季節は日暮れが早く、4時頃から遊んでいた翼とケンタは、お互いの顔が分らないほど暗くなっていたことに、ようやく気づき、芝生に座り込んで日が沈んだ霞ヶ浦の方角を眺めていた。霞ヶ浦は、湖水のペールブルーが次第に濃くなりつつあった。他に人はいなかった。

空は青味がかってはいるが、ほとんど漆黒で、三日月と金星の他には、成田空港への着陸待ちの旅客機が次々に霞ヶ浦上空を旋回していくのが眺められた。旅客機は主翼や尾翼の灯りを点滅させながら、数分おきに霞ヶ浦上空を通過していた。翼とケンタにとって、いつも見慣れた光景だった。翼は寝ころんで空を見た。

 翼は、上空の光の中に、明滅せず、小さな灯りのままでゆっくり移動する光源があることに気づいて身体を起した。その光は、次第に近づいてきた。最初は、隣の小美玉市にある茨城空港に着陸する航空機かと思った。しかし、点滅せずに白く輝く飛行体は、さらに高須崎公園の上空に達し、やや高い空中に停止した。

「うわ、UFOだ」

翼はかすれ声でつぶやいた。

飛行体はゆっくり降下し、芝生の上に静かに着陸した。大きさは1・5メートルほどで、ラグビーボールのような縦長の形だった。光が弱くなり、やがて表面の白色がピンク色に変わった。胴体のピンク色が強くなって丸い穴が開き、それが大きくなり、中からヒトに似た姿で、身長1メートルくらいの緑色のヒト型の生き物が飛び出した。翼はまばたきを忘れて見つめた。

「すごい、ETみたいだ」

 ケンタが警戒して「ウー」と唸った。その生き物は頭が少し尖り、手は5本指だが、足は太く、ブーツをはいているようだ。テレビで見たウルトラマンのようだが、ウルトラマンよりは小柄で、体はがっしりとしていた。翼が目を丸くして見守っていると、その生き物が話し出した。

「やあ、びっくりさせて、ごめん。ぼくは、アルファ・ケンタウリのイプシロン星からやってきました。名前は、トビー・ランダー。トビーと呼んでください。アルファ・ケンタウリ大学科学部の四年生です。君たちのアース星、つまり地球に、卒業研究のデータ集めで来ました。アース星は水がたくさんあり、生き物が多く、とてもおもしろくて、研究しがいがあります。君はアルファ・ケンタウリを知っていますか?」

 翼は、頭を横に振って「知らない」とようやく答えた。

 トビーと名乗った緑色のヒト型の生き物は、吊り上がった赤い目を少し横にして、微笑したように見えた。

「アルファ・ケンタウリっていうのは、アース星の天文学者が名付けた名前です。もちろん、僕たちは別の名前で呼んでいます。でも、混乱するから、アース星での呼び方にならうことにします。アルファ・ケンタウリは、君たちのアース星、つまり太陽系第三惑星をふくむ太陽系から、一番近い恒星です。近いと言っても、光の速度で移動しても、アース星の時間では四・二光年かかります。そのアルファ・ケンタウリ恒星系の中にある第五惑星のイプシロンに僕たちが住んでいます。わかりますか?」

翼は、トビーの言葉がわかることに驚きながら、心が落ち着いてきた。

「うん、わかる。僕、SFが大好きなんだ。ドラえもんの漫画に宇宙のことがよく出てくるよ。僕、きっといつか宇宙人に会えると思っていたんだ」

「それはうれしいですね。ところで、君の名は?」

「僕は、翼。小学四年生。それから僕の家で飼っている柴犬のケンタ。僕の遊び相手。とってもおりこうだよ」

「そうか。翼君にケンタですね。偶然ですが、アルファ・ケンタウリの名前の中にケンタが入っているので、親しみを感じます。よろしく。友達になりましょう。僕たち気が合いそうですね」

 ケンタが、翼とトビーが会話しているのを見て安心したらしく、ワンと答えて尾を振った。

「実は、僕は翼君ぐらいの小学生の時に、パパと宇宙船で、アース星に来たことがあるんだよ。それはアース星の時間でいうと、約1500年前なんですね。その宇宙船が着陸した場所が、いま日本と呼ばれているこの国の霞ヶ浦のそばにある、当時できたばかりの大きな古墳です。今は古墳と呼ばれるんですね。つまり盛り土をした大きな塚です。地元で尊敬された偉い人が亡くなって、遺体を埋めたお墓です。 

その大きなお墓の形が、上空から見るとよい目印になって、宇宙船の着陸と離陸に都合がよかったので、ぼくらのイプシロン星の宇宙船はよく利用させてもらっています。それに、霞ヶ浦の形は上空から見ると、特徴的で目立つから、目標にするには、ちょうどいいんですよ」

 翼は、1500年前にトビーが小学生だったことがよく理解できなかった。

「ちょっと待って。1500年前ってどういうこと?」

「ああ、ごめん。アース星では、アース星が太陽の周りを一回転する時間が一年だけど、イプシロン星では、時間がゆっくり流れていて、イプシロン星の1年が、アース星の約150年にあたります。つまり、イプシロン星は、アース星時間の150年をかけて、アルファ・ケンタウリ恒星の周りをまわるんです。

前回、僕がアース星に来たのは、イプシロン星の時間では十年前なので、アース星の時間では、千五百年にあたるんです。翼君は、アース星の有名な理論物理学者、アインシュタイン博士のことを知っていますか」

「アインシュタインなら、名前は知ってるけど」

「アインシュタイン博士は、彼の相対性理論で、質量が大きい物体の近くでは、時間がゆっくり過ぎていくことを示しました。イプシロン星はアース星に比べてとても大きな惑星なんです。それで、時間の経過も遅くなるんです」

「ふーん。そうなんだ」

「それでね。イプシロン星人は、ずいぶん前からお隣の太陽系に興味を持っていて、宇宙船を飛ばして、探査を続けてきています。なかでも、アース星ではアース星人、つまり君たち地球人が進化して、文明を発達させているので、その様子を観察し記録しています。

僕のパパは、イプシロン大学の教授で、アース星の中でも日本列島学の専門家なんです。パパは、もともと気象学者だけど、日本列島に住む日本人の歴史も、日本語も、自然のことも、動植物も、すごく詳しく研究しているんだ」

「それでも、地球に来るのに、光の速さで宇宙船を飛ばしても、四年もかかるんでしょ。たいへんだよね」

「いや、僕らの宇宙船はワープできます。瞬間移動ですね。宇宙空間で座標軸を決めて、その数字に宇宙船のナビゲータを合わせれば、SPS、つまり宇宙位置情報システムを使って一瞬のうちに目的地に行けます」

「すごい。ドラえもんのタイムマシンみたい」

「ははは。ドラえもんの漫画も知っていますよ。日本語の良い教材になるんです。ぼくのパパが手に入れてくれました。僕もドラえもんのファンです。実は、ドラえもんの作者は、イプシロン星人とコンタクトしていて、僕たちの仲間からアイディアをもらっているんです。ここだけの話ですけどね。

イプシロン星人は、アース星人が大好きで、歴史も文化も、地理や自然環境も、よく研究しています。僕も、子どもの頃からパパに連れられて、学校が休みになると、アース星に来て、日本列島以外にも、あちこちを探検してきました。日本列島の霞ヶ浦には十年ぶりで来ました。

アース星にやってくるイプシロン星人は多いです。ほとんどは大学や研究所の研究者です。アフリカが好きな人、ヨーロッパが好きな人、インドが好きな人、南米が好きな人、アメリカやカナダが好きな人、東南アジアや中国が好きな人、南極が好きな人、いろいろです。古代ギリシア、古代ローマ、古代中国などの文明の専門家もいます。

そうそう、南米のナスカの地上絵とか、マチュピチュ遺跡とか、知っていますか。それらは、昔のアース星人が、イプシロン星人の宇宙船と交信した跡なんです」

「知ってる。図書室の本で読んだよ」

 翼が眼を輝かせて言った。

「今でも、僕たちが乗ってきた宇宙船が、あちこちでアース星人に見つかって、UFOだって、騒がれています。僕もパパの影響で日本列島が好きで、あちこち見てきました。琵琶湖、洞爺湖、十和田湖、諏訪湖、浜名湖、サロマ湖にも行きました。京都や江戸、今の東京にも何度も行きました。琉球列島や北海道の自然や文化もおもしろいですね。

 今も、ぼくのパパは、北海道、本州、九州の山岳地域の調査で、いっしょに日本列島に来ています。時々、パパの宇宙船がアース星人に見つかって、UFO騒ぎを起こしているんです。ぼくはパパと別行動で、思い出がある霞ヶ浦に来ました。

常陸の国、つまり今の茨城県では、この霞ヶ浦のかたちがよい目印になるし、近くには大きな前方後円墳がたくさんあるから、ここは着陸に便利なんです」

「じゃあ、今日、ここの高須崎公園に来たのは、どうして?」

「うん。いい質問ですね。実は三日前の新月の夜から霞ヶ浦に来ています。霞ヶ浦大橋を渡った対岸にある、富士見塚古墳を知っていますか」

「知ってる。学校の遠足で、バスで行ったことがあるよ。そばの資料館で、シカの埴輪とかも見学したんだ」

「そうか。日本の小学生は古墳も勉強しているんですね。今回はその富士見塚古墳の上に着陸したんです。そこで休憩した後、あちこち調べてまわりました。霞ヶ浦の近くの古墳はとてもおもしろいです。今日は、天気が好いから、夕方になってから高須崎へ来てみたんです。

ここは、1500年前は砂洲になっていました。その頃、霞ヶ浦は海でした。そこに砂が貯まって洲ができて、漁師の一家が草ぶきの家を建てて暮らしていました。海に突き出した洲がよく目立ったので、パパと宇宙船で着陸してみたんです。

その家にも、翼君くらいの男の子がいて、僕と同じくらいの背丈で、歳も同じくらいだから、一緒に潜って、貝獲りをして遊びました。楽しかったなあ。その男の子は、サチヒコって言っていました。サチヒコと友達になりました。それで、懐かしくなって、また来てみたんです」

「ふーん。トビーは千五百年前のことも知っているんだね。僕の小学校の先生は、大昔の有名な本、常陸国風土記に、行方の沖に洲があると書いてあるので、高須崎がその洲ではないかって言っていたよ。今の高須崎は、土で埋め立てて公園になったんだって。常陸国風土記には千五百年前くらいのことが書かれてあるからおもしろいって先生が言っていたけど、本当のことなんだね」

 トビーは、細長い赤い眼を、親しげにまばたかせて、翼を見た。

「ぼくら、イプシロン星人にとっては、あれから10年だけど、ここに住んでいるアース星人にとっては、1500年も経っていることになりますね。アース星人は1世代約30年とすると、ワーオ、50世代になります。すごいことですね。でも、常陸国風土記に書き留めてくれた人がいたから、記録が残ったんですね」

 その時、公園の端の方から、呼び声が聞こえてきた。

「オーイ。翼。翼はいるか」

「翼。いたら返事して」

 懐中電灯の灯りが見えた。

「あ、お父さんとお母さんだ。僕とケンタを心配して探しに来てくれたんだ」

 ケンタが「ワオーン」と応えた。

「そうですか。親はありがたいですね。じゃ、僕はこれで失礼するね。今度の日曜日。よかったら、この時刻にここでまた会いましょう」

 そう言うと、トビーは、素早く宇宙船に戻り、灯りを消して飛び立っていった。

「お父さーん。お母さーん。僕、ここだよー」

 翼は大きな声で叫ぶと、手を振った。

 懐中電灯の灯りが近づいてきた。

「おう、翼。ここにいたか。よかった。よかった」

「翼。心配したわよ。いったいどうしたの。こんなに暗くなるまで公園にいるなんて」

「お父さん、お母さん、心配かけてごめんなさい。早く帰るつもりだったんだけど、ここで、さっき、アルファ・ケンタウリのイプシロン星人に会ったんだよ。UFOに乗ってきたんだ」

母の瑛子は翼を抱きしめて言った。

「UFOだなんて。こんなところで眠り込んで、夢を見ていたのかしら。とにかく無事でよかったわ」

 父の健一も、翼の頭を撫でながら言った。

「翼は、想像力がすごいからなあ。でも、暗くなる前に、早く家に帰らなければだめだぞ。みんな心配するから」

「ごめんなさい」

「まあ、とにかく家へ戻ろう。詳しい話は家へ帰って、夕食を食べながら聞こう。晩ご飯はクリームシチューだ」

「料理途中で、お鍋の火を消してきたのよ。温めなおさなくちゃね」

「うん、わかった。ケンタもおいで。お母さんのクリームシチュー、僕、大好き」

 翼は、ケンタのリードを手に取って、先に立って歩き出した。両親に怒られるのかと思ったが、心配をかけて申し訳ない気持ちと、ほっとした気持ちで、家路についた。

                   *

 自宅に戻った翼は、玄関先で手をアルコール消毒した。ワクチンの接種が開始されていたが、新型コロナウイルスの蔓延は、まだ終息には至らず、人々は感染予防に気を使っていた。さらに翼は洗面所で手を洗い、うがいをした。もう習慣になっていた。

食卓につくと、翼は手を合わせて「いただきます」と言ったあと、家族と夕食を食べはじめた。湯気が立つクリームシチューをスプーンでおいしそうに食べながら、翼は家族に、トビーと出会ったこと、トビーがウルトラマンに似ていることやラグビーボールのようなUFOの形も話した。そして、トビーがイプシロン星人で、地球の研究に来たことも、早口で話した。

「イプシロン星の十年は地球の千五百年にあたるんだ。地球の時間はとても早く過ぎていくんだって。1500年前にも、ここの高須に来たことがあるんだって。それでね。トビーはイプシロン大学の四年生で、卒業研究で、地球の生物のことを調べているそうなんだ」

 口のまわりをシチューでベトベトにしながら、懸命に話す翼を、家族はあきれたように眺めた。ケンタも家族といっしょに、床に置かれた皿のクリームシチューをおいしそうに食べていた。

「お兄ちゃん。ドラえもんの漫画、読みすぎなんじゃないの。そんなこと、あるわけないでしょ。お兄ちゃんは子どもなんだから」

小学校二年の妹の香里が、あきれたように冷静に言った。 

「なんだよ。香里だって子どもだろ」

 翼は口を尖らせた。

 母の瑛子が心配そうな表情で続けた。

「翼は時々ボーっとしていることがあるって、担任の先生から聞いているのよ。翼は空想が好きなのね。でも、夢と現実をごっちゃにしてはいけないわよ。もっと、学校の勉強のこととか、お友達のこととか、話してちょうだいね。それとも一度、お医者様に診てもらったほうがよいかしらね」

「いや、それほど大げさなことでもないだろう。男の子は夢を持つことが大事だ」

 訳知り顔で、祖父の仁太郎が言った。

「じいじが、翼を甘やかすから、変な子になっちゃうのよ」

 祖母の史子が、仁太郎をチラと見て言った。さらに健一に向かって続けた。

「内孫の男の子なんだから、健一、翼をしっかり育てなければだめだよ」

「お義母さん、今の時代は、男の子だから、女の子だからと区別するのは、よくないんですよ」

 瑛子が義母を咎めた。史子が気丈に反論した。

「そんなこと言ったって、男の子と女の子は大きくなった時に、役割が違うんだよ。男は子どもを産めないし、授乳もできないだろう? 小学校でも高学年になったら、保健の時間は男女別々の授業だろう? 男の子は男らしく。女の子は女らしく育てなくてはね」

「私が言いたいのはそういうことじゃないんです。職場などでは、男と女は平等に、能力を発揮できるようにしていかなくては、ということです。同じ仕事をしているなら、男女は同じ給料であるべきです。政治の世界でも女性議員や女性の市長がもっと出て欲しいんです」

「そんなこと、今の翼には関係がないことでしょ」

 せっかくの和やかな団欒の雰囲気が、嫁姑の意地の張り合いになりかけたので、あわてて父の健一は、翼の肩をポンと掌で軽く叩いた。

「まあまあ、翼の父親は俺だから、これからも翼をしっかり見守っていくよ。大事な跡取り息子だしな。なあ、翼。夢を大事にするのもいいけれど、学校の勉強もしっかりやって、賢い子どもに育ってくれよ」 

「うん。僕、勉強大好きだよ。図書館から借りた本もたくさん読んでいるよ」

「そうか、頑張れよ」

 話を否定しないで、よく聞いてくれた父親に、翼はホッとした。

「お父さんありがとう。お母さん。クリームシチュー、すごくおいしいよ。お替わり」

「はい、はい。たくさん食べてね」

 家族の夕食の時間は、和やかな雰囲気を取り戻していた。

                    *

 次の日曜日の夕方、翼は従兄の今泉由伸と一緒に高須崎公園に来ていた。由伸はつくば市にある筑波大学の四年生で、霞ヶ浦大橋を渡って、オンボロの中古車で約1時間かけて、大学へ通っていた。翼のあこがれの従兄だった。

 由伸は、母方の実家の今泉家の長男で、優秀なことで親戚中の期待を集めていた。筑波大学の環境科学類へ現役合格した。四年生になり、生物学の教授の研究室に出入りして、霞ヶ浦の魚類を中心として、生物と生態系の多様性について卒業研究をしていた。

 その日、トビーが約束どおり再び高須崎公園に来れば、翼は彼がアース星の生物について研究していると言っていたので、由伸を紹介したかった。二人の関心の分野が共通しているので、きっと話が合うのではないかと考えた。

翼は日頃から遊んでもらっている由伸を、土曜日に訪ねて、トビーのことを話した。由伸は半信半疑で聴いていたが、翼が嘘や夢を話しているのではないと確信した。聴くうちに次第に、持ち前の好奇心が湧いていった。

 翼が日曜日にまた高須崎公園に行きたいと両親に告げた時、二人とも心配したが、従兄の由伸が一緒に付いていれば、という条件つきで許可が出たのだった。日曜日でも父親は勤務日で、近くの霞ヶ浦ふれあいランドの職員として施設管理の仕事があった。母親も家族の夕食の支度があった。

 夕方、翼と由伸は高須崎公園のあずまやのベンチに座っていた。ちょうど太陽が霞ヶ浦の対岸にあたる稲敷市の台地の方向へ沈みかけていた。太陽の光芒が数分間オレンジ色に輝き、西の空と浮島の森と湖面を染めると、間もなく闇が降りてきた。次第に闇の中で、ハーフムーンになった月と金星が現れ、プラネタリウムのような天体ショーが始まった。

翼と由伸はしばらく無言で西の空を眺めていた。成田空港へ降りる飛行機が次々に識別灯を明滅させながら、霞ヶ浦上空を通過していった。霞ヶ浦の上空を低く飛ぶ飛行体は、近くの茨城空港に着陸する旅客機だった。

高空をゆっくりとしたスピードで明滅せず通過していく飛行体が見えた。その飛行体を指さしながら、由伸が翼に言った。

「あれは、多分、人工衛星だね。太陽光を反射しながら、地球の周囲を回っているんだ。もっと暗くなると、隕石が光りながら、すーっと落下していくこともあるね。大気圏に突入して、空気との摩擦熱で高温になって光を放つんだ。シューティング・スター、つまり流星だね。でも、ほとんどは、地上に達する前に、燃え尽きてしまうそうだ」

 しばらく二人は夜空を凝視した。

「あ、あれかな」

 突然、翼が暗い空の一点を指さしていった。そこには、小さな白い発行体が明滅することなく、ゆっくりと近づいて来た。飛行体は高須崎公園の真上に来ると、一瞬上空に停止し、音もなく静かに芝生に着陸した。翼と由伸はあずまやから出て、芝生の上のぼんやりと光る白い物体に近づいた。由伸は信じられないという表情で、翼の後にゆっくり続いた。

白い物体がピンク色になり、前回と同じように穴が開いて、緑色の宇宙服を着た小柄なトビーが現れた。

「やあ、翼君。やはり来てくれたんだね。おや、今日はケンタがいないね」」

 トビーは親しげに右手をあげ、赤い眼の片方をウィンクさせて挨拶した。

「トビー。こんにちは、というよりこんばんは、かな。ケンタはうちに置いてきたよ。こちらは僕の従兄で、由伸さん。大学生で、霞ヶ浦の魚に詳しいんだよ」

「由伸さん。トビー・ランダーです。よろしく」

 由伸は、目を丸くして固まっていた。しばらく、トビーを見つめた後、ようやく言った。

「ぼ、僕は今泉由伸です。筑波大学で生物学を専攻しています」

「おー、筑波大学。日本の有名大学ですね。僕は、イプシロン大学の学生です。僕も、アース星の生物多様性にとても興味があります。いろいろ教えてください」

「こ、こちらこそ」

 二人は握手した。トビーの手はとても冷たかった。

「僕の手が冷たいので、びっくりしたでしょう」

 トビーは、由伸の表情を読み取って言った。

「体温が低いので心拍数が少ないのです。心拍数が少ないと寿命が長いことは、アース星の動物も同じですよね」

「そういえば、地球の生き物も同じです。ネズミの心拍数はとても多く、体温が高く、酸素を消費して活動が活発になるので、寿命が2~3年だけど、爬虫類のカメの心拍数はとても少なく、体温が低く、ゆっくり活動するので寿命が長いと、動物生理学の先生が言っていましたね。ただし、脳の活動には脳内の血液循環が大事だそうだよ」

 由伸は、大学の講義で、心拍数と寿命についての関係について学んだことを思い出した。だんだん、心が落ち着いてきた。

 トビーが頷いた。

「僕たちは脳を温めるために、保温装置付きのヘルメットをかぶっています。それで脳の血流が良くなります」

「その尖った頭はヘルメットなんだね」

由伸がトビーの頭部を見て言った。

「由伸兄ちゃんは、アルファ・ケンタウリって知っているの?」

「ああ、もちろん知っているよ。天文学の授業で勉強したよ。銀河系の中で、太陽系に一番近い恒星だ。周りの惑星には高等生物がいるかもしれないと言われているよ」

 由伸はまだ、信じられないという顔でようやく言った。しかし、自分の知識の範囲で考えられることで、少し冷静になってきた。

「おー。そうです。うれしいですね。僕は、アルファ・ケンタウリ恒星のまわりを回る惑星のうち、第五番目の惑星イプシロンで生まれました。イプシロン星は、実は水が少なく、冷たい山岳地帯が多く、生き物が住むには過酷な環境です。地上植物も少ないので、光合成活動が弱く、酸素の生産が少ないのです。イプシロン星の大気中の酸素濃度は、アース星の三分の一くらいです。

僕らはアース星の高山地帯なら生活していけます。呼吸活動が少なくても生きていけます。だから体温も低いのです。由伸さんが言ったように、アース星の生物に例えると、カメのようなものです。カメは寿命が長いでしょう。しかし、カメの動きはゆっくりですよね。

筋肉を動かし、脳が知的な活動をするには、エネルギーが必要です。そのエネルギーは、糖分などの物質を、呼吸で体に取り入れた酸素で酸化することで得られます。

イプシロン星では酸素が少ないので、僕たちはゆっくりと進化して、長い歴史をかけて高等生物になりました。イプシロン星は環境が厳しく、寒冷な気候で、生きていくのが大変なので、自然科学と科学技術を特別に発達させるしかなかったのです。物理、化学、工学、医学、農学もふくめてです。

しかし、文化や芸術の分野は遅れてしまいました。音楽、絵画、文学などの分野では、僕たちの文化は胸を張って誇れるものは少ないんです。その点では、アース星人に敵いません。でも科学を発達させた結果、今では宇宙船に乗って、他の恒星系にも行けるようになりました。皆さんが住む太陽系は一番近い、お隣さんです」

                  *

 由伸は、トビーの説明を聞いて、持前の好奇心が刺激されてきた。赤い眼をして、緑色の宇宙服を着たトビーは知的な高等生物であり、この願ってもない機会に、いろいろ知りたいと思い始めた。

「トビーさん。翼。立ち話もなんだから、あちらのあずまやのベンチに座って話そうか」

「いいですよ。イプシロン星人も、立ち話が長くなると疲れますから」

「なるほど。それもそうだね」

 由伸は、トビーに親近感を持ち始めていた。

 由伸はベンチの中央部をトビーに奨めて座らせ、自分と翼がその両側に座った。三人がベンチに仲良く座るかたちになった。白い光の街路灯が、あずまやと三人を照らしていた。

翼が口を開いた。

「トビー、どうして、そんなに日本語が上手なの?」

「前にもちょっと言ったけど、イプシロン星人は、アース星の研究を続けている人が多いんです。ほとんどは、大学の先生たちです。だからアース星の歴史も、各地域の歴史も、つまり各国の歴史も、その国の言葉もふくめて、それぞれ研究している専門家がいますよ。

僕の家ではパパが日本列島の研究をいろんな分野から行っていて、日本語の成り立ちも研究しているから、自然に言葉も覚えちゃうんだね。僕のうちでは、パパと僕は日本語で会話することもあるよ。それも古墳時代の古代日本語でね。それがマニアックだって、亡くなったママは呆れていたけどね」

「へーえ。そうなんだ」

翼が感心したが、由伸は驚いた。

「古墳時代の人が使っていた言葉を知りたければ、トビーさんに聞けばいいんだね。これはすごいぞ。筑波大学の比較言語学の先生や古代史の先生なら、きっと目の色変えて興味を持つと思うよ。なにしろ、古墳時代はまだほとんど漢字が普及していない時代だから、文字記録がごく少ない。だから、古墳時代の人がどんな会話をしていたか、よくわからない。当時の言葉がわかれば、すごく古代史研究が進むと思う」

「トビーと呼んでください。僕がこの地方に来たのは千五百年前の古墳時代以来、二度目ですけど、パパは、学者として何度も日本の各時代に来て、視察して研究しています」

「そんなに来ているのなら、見つからなかったの? その時代の人たちに?」

 由伸は当然の質問をした。

「パパに限らず、イプシロン星人がアース星に来た時は、透明化装置をONにしますから、誰にも見られないのです。それで、人々に近づいて、会話も聞けるし、政府の要人の会話も聞けますから、何でも分るのです。当然、図書館に行って、そこでたくさんの本や資料も閲覧します。

イプシロン星人にとって、アース星の秘密は筒抜けです。一般のアース星人が知らないことまで分かります。たくさんのイプシロン星人がアース星にやってきていますけど、ほとんどは学者です。その人数は限られていますから、アース星の隅々のことまで、なんでも知っているというわけにはいきませんけどね。でも知ろうと思えば、つまり研究意欲が湧けば、たいていのことは分かります。分野によっては、地元のアース星人の学者よりも詳しいでしょう」

 翼が不思議そうに聞いた。

「でも、僕たちは、トビーが見えるよ」

「ああ、それはね。ベルトについている透明化装置のボタンをOFFにしているからです。僕の宇宙船も装置をOFFにしているから今は見えるけど、ONにすればアース星人には見えなくなります。時々、アース星人にUFOとして発見されるのは、うっかりして透明化装置をONにしないで、飛行してしまった時なんです。まあ、うっかりミスは誰にでもありますよね」

由伸は、すっかり警戒心を解いて、大学の友達と話しているような気がしてきた。

「なるほど。おもしろいなあ。ところで、トビーはアース星の生物に興味があるそうだけど、具体的には何が知りたいの?」

「はい、アース星の生物の進化の仕組みを知りたいのです。アース星の生物の進化のスピードがとても速いのです。僕らからみると、世代交代の時間が短いからかもしれません。世代交代の度に、遺伝子変異は起こりやすくなりますからね。

それが、イプシロン星の生物の進化の仕組みとどのように違うのか、比較してみたいのです。それが分れば、イプシロン星の生物を自由に良い方向に進化させることができるかもしれません」

由伸は膝を叩いて肯いた。

「それは、この地球でも、多くの生物学者が関心を持っている分野なんだよ。地球の生き物は、DNAという物質が伝える遺伝情報を、細胞が分裂する時に子孫の細胞が受け継ぐことは、トビーも勉強済みだと思うけど、さらに人工的にゲノム編集とか別の生物の遺伝子を組み込む遺伝子組み換えという技術を使って、収量が多い品種、病害虫に強い品種、蛋白質をたくさん合成できる品種などを作り出すことに成功し始めている。大企業の研究室に勤める研究者は、競争しながら取り組んでいるよ。実は、僕は遺伝子を安易に操作することには批判的なんだけど、研究者の多くは興味を持って自分でもやってみたいと思っているね」

「それは僕も分かります。イプシロン星はとても自然環境が厳しく、食糧生産にも苦労しています。人口も限界に達して、なかなか増加しません。それで、僕のパパのように、大学の研究者は政府の意向を受けて、研究費を獲得してアース星の現状を知ろうとしているんです。

アース星では、歴史上、何回も戦争が起きて、そのたびに人口が減りますが、やがて平和になり人口が増えます。戦争と平和の問題をどのように考えるか。そこに、これからの世界を設計する鍵があるかもしれません。アース星の皆さんも、戦争を避けて平和を維持するために、どうしたらよいかを、常に考えていますよね。

僕は、悩みながらも常に良い方向を探ろうとするアース星の人たちが好きです。それで、これからイプシロン星人が迷惑をかけたり、アース星の秘密を盗んでしまうのはよくないのではないかと考えることもあります」

由伸は腕を組んだ。

「うーん。トビーは優しい心の持ち主なんだね。僕も共感するよ。いま、トビーが言ったことは、この地球でも現実になりつつあるよ。地球は太陽光のエネルギーがたっぷり降り注ぐし、水の惑星と言われるくらい、水が豊富だよ。生命を作る様々な物質もあるしね。水は、生命にとって最も大事なんだよね。だから、地球は生き物にとって住みやすく、進化しやすかったのかもしれないね。

だけど、現代になって、地球上の資源も無限ではないから、僕だけでなく、地球の未来を心配する人は増えているね。自然破壊も進んでいる。いわゆる地球環境問題っていうやつだね。海水はたくさんあるけど、農業にも飲み水にも使えないし、食糧も全人類に公平に供給されていない。格差が拡大している。それから、工業や農業などからの産業廃棄物や排ガス、排水が、水や空気を汚している。地球人の文明も永遠に発展するわけではないんだよね。もう、限界に近いのかもしれない」

 トビーも同意見だった。

「イプシロン星もアース星も、難しい時代に入って来ているんですね。父母や祖父母の時代のように、開発を進めて、お金持ちになれば、生活が便利になり、豊かになれると素朴に信じていた時代は過去になりつつあるんですね」

 由伸は、夜空を見上げて頷いた。

「そこに気が付いていない人がお互いの星にまだまだ多いことになるね。旧世代のおじさんたち、おばさんたちというのか」

 そんな意見交換を通じて、トビーと由伸は意気投合した。お互いに異星人であることを忘れたように、意見が一致した。

                    *

「ねえ、ねえ。お話が難しくて、僕には半分くらいしか分からないよ。次は僕にも分る話をしてよ。霞ヶ浦の生き物の話とか」

 翼は、話の中に入りたくなって、二人に注文した。

トビーは、赤い眼をパチパチさせて言った。

「ああ、ごめんなさい。そうでしたね。僕は久しぶりに霞ヶ浦に来たので、現在生息している魚について知りたいんです。もちろん、図書館の図鑑で魚の名前は調べてあるけれど、実際に霞ヶ浦の魚の状況を調べて、イプシロン大学に卒業論文として提出したいんです。

昔、霞ヶ浦は海だったわけだけど、今は水門を建設して、海水が遡上しないようにして、淡水にして、農業用水、工業用水、そして水道水として、アース星人の家庭で飲料水や料理の水や風呂の水に使っているんですよね。

つまり水資源として、おおいに開発してしまったわけだけど、魚たちにはどんな影響があったのか、調べることにしたんです。そのテーマを大学の担当教授に相談したら、それはいいね。ぜひやりたまえと言ってくれたんです」

「それなら、由伸兄ちゃんが詳しいよ。だって、由伸兄ちゃんの家は昔からの漁師さんの家なんだよ」

「そう。僕の祖父の代までは、霞ヶ浦に帆引船を出してワカサギやシラウオを獲っていたんだ。帆引漁以外の時期には、コイやフナ、ウナギ、ナマズ、それからエビやハゼ類を獲って暮らしていたんだ。大きなカラスガイを獲ることもあった。

父親の代になって、湖が汚れて魚が減ったことと、利根川の水と海水の逆流を防ぐ逆水門が建設されて、海から上がってくる魚が獲れなくなるというので、漁業権がある漁師は補償金を政府から受けたんだ。その補償金を元手に、じいちゃんとおやじはコイの網生簀養殖を始めたということなんだよ」

トビーが肯いて言った。

「やはり、水門を作った影響は大きいんですね」

「結果的にはそうだね。でもそのおかげで、筑波大学や各研究所、病院をはじめ、筑波研究学園都市の住民たちは霞ヶ浦から必要な水道水の供給を受けているんだよね。それ以上に、流域各地では、大量に、農業用水も工業用水も、淡水化した霞ヶ浦から、用水の供給を受けているんだ。霞ヶ浦の水を使って栽培される米や野菜などの農産物は東京を中心とする首都圏に住む人たちに大量に供給されているよ。

東京の人たちは、茨城県民が霞ヶ浦の水を使って生産した野菜や果物、肉や卵を食べて暮らしているんだ。流域で、野菜を作り、畜産をやれば、流れ出した肥料分や畜産排水で霞ヶ浦が汚れる。間接的に、東京都民が霞ヶ浦を汚しているんだ。だけど、都民はそのことに気づいていない。へんだよね。それなのに、昨年まで、茨城県は全国の都道府県で魅力度最下位という調査結果が出ているんだ。そのことに、僕は怒っているくらいなんだ」

 由伸は、難しい顔をして、説明を続けた。

「霞ヶ浦の小魚やエビ、ハゼ類を材料にした佃煮は、とてもおいしいんだけど、消費は減っている。若い人が佃煮や川魚を食べなくなっているんだよ。小魚をまるごと食べるからカルシウムやEPA,DHAが豊富なので、育ち盛りの子どもたちにとっては、栄養食なんだけどね」

翼は佃煮の話題になって、うれしくなった。

「僕、佃煮、大好きだよ」

「うん。翼の家では、おじいちゃん、おばあちゃんがいるので、食卓によく佃煮が出るからいいんだよ。三世代同居だと、食文化もつながるんだ。

ところで、コイの網生簀養殖業は一時的には成功して収入増加になったけど、二回にわたって養殖コイが大量死する事件が起きてね。うちをふくめて養殖業を縮小せざるをえなかったんだ。親父はがっかりして、悔しがっていたなあ。今は養殖が少しずつ回復しているけど、最盛期にはほど遠いよ。コイ養殖は湖水を汚すという側面もあるから、胸を張って堂々と仕事はできなくなっているよ」

「由伸さんは、お父さんの仕事を継ぐんですか」

トビーは心配そうに言った。

「そこだよね。親父の収入が少ないから、僕の学費も十分には出してもらえない。今までは自宅から車で通学し、奨学金とアルバイトで、なんとか勉強を続けてきたんだ。卒業後は、茨城県の水産職の公務員になって、霞ヶ浦の魚の研究を続けたいんだけど、どうなるかなあ」

「イプシロン星では、勉強したい学生は政府の奨学金で大学に入って、勉強を続けます。奨学金は、返済の義務はないんです。大学生の数は少なく、選ばれたエリートなんです。でも一般市民の税金はとても高いんですよ」

「どこもいろいろと事情があってたいへんだね。文明が進むというのは何だろうね。弥生時代の人も、古墳時代の人もすでに社会を作っていたんだから、いろいろと苦労はあったんだろうけどね。いつか、トビーから、千五百年前の日本の、古代社会の話を聞きたいね。なにしろ、当時の社会を自分の眼でみていたんだからね」

                    *

 由伸は、トビーの話を完全に信じるようになっていた。由伸は時計を見た。

「あ、もうこんな時間だ。翼の家で心配しているだろうから、そろそろ帰らなければ。トビー、提案があるんだ。今度の金曜日、僕の卒業研究の現地調査で県の水産試験場内水面支場に行くけれど、一緒に行かないか。僕が職員に、いろいろ霞ヶ浦の魚について質問するから、そばで聞いていればいい」

「行きたいけど、この姿では大騒ぎになりますよ」

「心配ないよ。それこそ、透明化装置をONにしとけば、他の人間には見えないよ」

「僕も内水試に行きたい。お願い。連れてって」翼が懇願した。

「翼は学校があるだろう。いや、午後三時頃からだったら、小学校は下校時間だから間に合うか。そうだ、翼の勉強にもなるから一緒に行こう。トビーは透明化しなくても、翼が抱きかかえていけば、ウルトラマン人形だって、通るかもしれない」

「それはグッドアイディアですね。僕は重いけど、無重力化すれば、翼君でも抱きかかえられますよ。ちなみにウルトラマンのテレビドラマは、宇宙船とイプシロン星人を目撃した人の話をヒントにして作られたそうです。それで、ウルトラマンはイプシロン星人によく似ているんです」

 由伸は頷いた。

「ヘーえ。そうなんだ。それをみんなが知ったらびっくりするね。おもしろいなあ。では、金曜日の午後3時にここで待ち合わせということでいいかな」

「いいですよ」

「OK」

「僕は、内水面水産支場の職員に電話で訪問時間を約束しておくよ。それでね。その日、時間があったら、霞ヶ浦大橋を車で渡って、かすみがうら市の水族館に行って、霞ヶ浦の魚をトビーに見せたいな。時間がギリギリで間に合えばいいんだけど」

 次回の約束をして三人は、そこで手を振って別れた。

「じゃ、僕は、今夜は近くの古墳に行って、そこで眠ろうかな。夜に古墳に来るアース星人は、いないからね」

「そういえば、夜の古墳はちょっと恐いかな。昔の人のお墓だからね」

 トビーは、宇宙船に乗り込んで、翼と由伸が見つめるうちに、音もなく離陸した。宇宙船は、ハーフムーンの夜空に溶け込んで消えていった。

                   *

 トビーの宇宙船を見送ると、由伸が翼に言った。

「翼の家に寄ってから帰ろうかな。叔父さん、叔母さんに挨拶していくよ」

「うん、来て」

「叔父さん、叔母さんを心配させないように、トビーのことは内緒にしよう」

「わかった」

 二人が高須崎公園からほど近い翼の家に入ると、翼の父と母が心配そうな顔で出迎えた。母の瑛子が待ちかねて言った。

「由伸さん。すみませんでした。翼は大丈夫でしたか」

「ええ、全然心配ありません。高須崎公園は街灯が少なくて、少し暗いですが、成田空港や茨城空港から離発着する飛行機が上空を次々に通過するのでUFOのように見えるんですね。でも飛行機は衝突防止灯を点滅させながら飛ぶので、見分けがつくんです。たぶん翼は、あまり灯りを点滅させない飛行機か人工衛星をUFOと見間違ったのだと思います」

「うん。由伸兄ちゃんによく教えてもらったよ」

 父親の健一が翼の頭を撫でながら、

「翼は宇宙人に会ったとか言っていたので、心配しましたが、まさか宇宙人はいないでしょう?」

と言って、由伸を見た。

「ええ、高須崎公園は、大きなポプラの並木があって、暗くなると黒い影法師のようで、ちょっと不気味ですよね。翼君も恐くなって、宇宙人に会ったと錯覚したようです」

「うん、やっぱり宇宙人はいないよね。宇宙には生物がいる星は少なくて、人間のような生物は地球にしかいないんだって。由伸兄ちゃんから教えてもらったよ」

 父母はようやく安心して、ほっとした顔になった。

「よかった。よかった。由伸さん。晩御飯をうちで食べていってください。ビーフシチューをたくさん作りましたから」

「じゃ、いただいていきます。さっきから美味しそうな臭いがしていたので、お腹が空いてきました」

「ワーイ、由伸兄ちゃんとビーフシチユー、いっぱい食べるよ。僕、クリームシチューもすきだけど、ビーフシチューはもっと大好き」

 二人は、家族が全員揃った居間のテーブルに座って、賑やかに会話しながら、ビーフシチューをお替わりして、満腹になるまで食べた。

                    *

 次の金曜日になった。午後3時。約束通り3人は高須崎公園の芝生に集まっていた。翼が口を開いた。

「ぼく、今日は掃除当番だったけど、先生に言って、特別に早く帰ってきたんだ。うちで用事があるから、早く帰りたいって言ったら先生がOKしてくれたんだ。この分は来週、掃除当番をやることになっているよ」

「そうか。それは、当然だな。みんなにそう伝えたかい?」由伸が話に応じた。

「うん、みんな、いいよって言ってくれた。僕、いつもは絶対にさぼったりしないから、信用、あるんだ」

 トビーは感心した。

「日頃の努力が大事ってことですね。イプシロン星の学校では、専門の清掃員を雇っているから、子どもが教室の掃除をすることはありません。でも日本の小学校のやり方は大事ですね。自分たちが使った教室は自分たちで掃除することは、あたりまえですね。うちの星でも参考にしたいです」

「さあ、僕の車に乗って。内水面支場に行こう。すぐそこだからね」

 由伸が促した。

 由伸は二人を車に乗せて、すぐ近くの内水面支場へ到着した。玄関で石川場長が出迎えてくれた。石川は、翼が抱いているウルトラマン人形に目を留めた。

「それは?」

「ぼくの宝物のウルトラマン人形です。どこでも一緒に行くんです」

「そうか。よくできている人形だね。まるで生きているみたいだね」

 トビーは、石川に気づかれないようにして、翼と由伸にウィンクした。翼は吹き出しそうになったが、由伸はハラハラしていた。

 石川が場内を案内しながら説明を始めた。

「この茨城県水産試験場内水面支場では、茨城県内の霞ヶ浦、北浦、その流入河川、牛久沼、鬼怒川、小貝川、利根川、涸沼、県北の那珂川、久慈川に生息する魚類資源、水環境、それから漁師さんたちの生活を支えている水産業の振興について調査・研究を行っています。もちろん、養殖方法の研究も行っています。水産業の対象になる魚や貝類について、何でも研究しています。 

例えば、霞ヶ浦・北浦の代表的魚種のワカサギ、シラウオはもちろん、コイ、フナ、ヌマチチブやウキゴリなどのハゼ類、テナガエビやスジエビなどの甲殻類、ハクレンなど中国から移入した魚種の資源量、それから涸沼のヤマトシジミ、河川のアユやヤマメなども研究しています。

 それらの魚が生息する湖水、河川水の水質などの水環境も定期的に調査しています。それから、魚種ごとの漁獲量、佃煮の生産量、販売額などは水産事務所の方で統計を取っています。統計の数字は、年に一回、県の水産統計報告で公表しています」

 石川は、立て板に水のように、滑らかに説明した。

「8基の水槽、4つの実験池ではコイやチョウザメなどの養殖魚に給餌して、一番効率的な餌の組成や給餌量も研究しています。できるだけ、食べ残さないように、水の汚れが少なくなるように、もっとも適切な方法を追求しています。また、専用の観測船を所有して、霞ヶ浦・北浦の水質も定期的に調査しています。プランクトンの種類や発生量も調べていますよ」

 由伸が手を挙げて、恐縮しながら言った。

「途中ですみません。質問、よろしいですか」

「はい、どうぞ」

「霞ヶ浦では、今まで何種類の魚が記録されているんですか」

「はい、明治以後、科学的に確実な記録では、百種類を少し越えています。その中には、海から遡上する魚も含まれています。例えば、ニシン、クサフグ、ギンガメアジ、コノシロ、キス、クロダイ、ヒラメなどですが、それらは今の霞ヶ浦・北浦水系では、まったく獲れません。ウナギは激減しました。マハゼ、ボラ、スズキなどは、少し生息していますが、漁獲統計には上りません。また、スナヤツメやトゲウオの仲間も昔、記録されたことがありますが、今は絶滅したと考えられています」

 トビーが、由伸の後ろから背中をつつき、小声で「水門の影響を訊いて」と促した。それを受けて由伸が言った。

「逆水門の影響はいかがですか」

「もちろん、大きな影響があります。湖水の滞留時間が長くなり、富栄養化が進んで水質が悪化しましたから、一時期、コイ、フナ、エビ類、ハゼ類など、湖沼の富栄養化に強い魚の水揚げが増えたのですが、それらも現在は減少しています。もっとも漁師さんが高齢化して、漁獲量が減ったことも要因の一つと言われています。それから大きなカラスガイなどが減って、二枚貝に産卵するタナゴ類も激減してしまいました」

「なるほど。外来魚はいかがですか」

「ブラックバス、ブルーギル、アメリカナマズ、ペヘレイ、ハクレンなどですね。一時相当増えた魚もありますが、ペヘレイのように、その後減ってしまったものもあります。ハス、ワタカ、ヒガイのように、琵琶湖から意図的、または非意図的に移入された魚もいます。

その中で、雑食性のアメリカナマズとプランクトン食のハクレンは、安定して生息していますが、商品価値が低いので、積極的な漁獲対象にはなっていません」

「なるほど、よくわかりました。いろいろ複雑な事情があって簡単ではないですね。トビーもよく分ってくれたと思います」

「え、トビ? トビウオですか」

「あ、すみません。トビウオは霞ヶ浦にはいませんよね」

 由伸はあわててごまかした。

 石川は、冷静にまじめに答えた。

「トビウオは外洋の魚ですから、当然、今の霞ヶ浦にはいません。昔、海だったころは、ウミガメやサメ類が生息していたことが、常陸国風土記に書かれていますから、その頃なら、トビウオもいたかもしれません」

「丁寧に説明していただきまして、ありがとうございました。たいへん、参考になりました」

「霞ヶ浦の魚や水環境のことは、とても複雑な経緯を辿っているから、簡単には説明しきれません。今回はほんのさわりだけの解説です。今泉由伸さんの研究が進んで、また疑問が湧いてきたら、いつでもおいでください」

「実は、茨城県の水産職の公務員試験をこの夏に受験してみました。他大学の水産学科の学生がたくさん受験していましたから、合格はむずかしいと思います。結果発表はまだですが、もし不合格なら、来年また受験してみようかと思っています」

「あきらめないで努力すれば夢はかないます。今泉さんは筑波大生で優秀ですから、多分大丈夫でしょう。あははは。

実は、僕は、今泉さんのお父さんやお祖父さんを若い頃からよく知っています。同じ漁業や水産業に従事していますからね。今泉さんが水産職の同僚になれればいいね。その時は、僕はもう歳を取って、定年退職しているかもしれないけどね」

石川は上機嫌だった。嬉しそうな石川を見て、由伸も応じた。

「そうですか。父や祖父に聞いてみます。本当に今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました」

 翼も「ありがとうございました」と石川にペコリとお辞儀をした。トビーも小声で御礼を述べた。

                    *

 車に戻った由伸は胸をなでおろして、ほっとした。

「ああ、びっくりした。トビー、ハラハラしたよ」

「すみません。自分で質問できればよかったんですけど、由伸さんが替わって大事なことは全部質問してくれたので、よく分りました」

「石川さんも、まさかウルトラマン人形が口を利くとは思っていなかったから、なんとかなったね。スリルがあったけど、面白かったね。翼」

「うん、何か、テレビドラマみたいだった」

「本当に、そんな感じだったなあ。さて、ほっとしたところで、霞ヶ浦水族館に行こう。ゆっくりしていると閉館時間になってしまう」

 由伸は車を運転して、霞ヶ浦大橋を渡り、かすみがうら市歩崎の水族館に着いた。受付の職員はトビーを見て微笑した。完全に人形と思ったようだ。由伸が二人分の料金を払い、大きな水槽が並んでいる展示室に入った。海の水族館ほど大きくなく、こじんまりした水族館だが、大型のパノラマ水槽では、霞ヶ浦に生息するナマズ、コイ、フナ、ワカサギ、ウグイ、オイカワが泳いでいた。

小型水槽では、タナゴ、メダカ、ギギ、ウナギなどが展示されていた。浅いタッチ水槽では、イモリ、スッポン、モクズガニ、サワガニが飼育されていた。ブラックバス、ブルーギル、チャネル・キャット・フィッシュ、ライギョ、ダントウボウなどの外来種の展示もあった。

「ワカサギは銀色できれいな魚ですね。群れで泳いでいますね。でも、シラウオがいませんね」

 トビーが、気が付いて言った。

「そうだねえ。残念だけど、霞ヶ浦を代表する魚の展示が少ないのはさびしいよね、ワカサギとシラウオの飼育はとても難しいんだ。常に早く泳いでいるし、餌になる生きた動物プランクトンを十分に供給することはできないそうだ。それでもワカサギにはユスリカの幼虫のアカムシを餌としてあげているそうだよ」

「オオサンショウウオが飼育されていますよ。このへんにも生息しているんですか」

「いや、このへんにはいないね。まあ、やむを得ないんだよね。珍しい生き物を見せて、お客さんに喜んでもらうことも必要だしねえ」

「でも、イプシロン星にはいない、アース星の生き物ですから、ぼくにとっては珍しくて面白くて勉強になります。図鑑で見るのとは違って生きているから、いきいきしていますね」

「なるほどね。僕らには見慣れた魚だけどね。なあ、翼」

「うん、ぼく、魚が大好きなんだ。将来、魚に詳しくなって、サカナくんみたいにテレビに出たいなあ」

「それには、たくさん勉強しないといけないなあ」

「僕、頑張るよ。由伸兄ちゃんも応援して」

「おう、もちろんだよ。その前に、ぼくがちゃんと水産職に就職しないといけないなあ」

 トビーも応援したくなった。

「由伸さんなら大丈夫ですよ。もし、アース星で就職できなかったら、イプシロン星で仕事できますよ。僕がパパを通じて政府に頼んでみますよ」

「おいおい、冗談でしょ。イプシロン星って、遠すぎるよ」

「ワープすれば、すぐそこですよ」

「まあ、冗談はそれくらいにして、そろそろ高須崎公園に戻ろう。秋の日長時間は短いから、すぐ暗くなっちゃう」

 三人は水族館の外へ出た。

「あ、そうだ。トビー、これ見て」

 由伸は、水族館のそばにある大きな石碑を指さした。石碑には、帆引船のレリーフが彫られていた。

「これ、何ですか」

「これは、帆引船を顕彰する記念碑なんだ。帆引き船というのは、霞ヶ浦のワカサギやシラウオを捕る漁船だよ。明治時代に折本良平さんが発明して、普及したんだ、白い大きな帆を風に受けて、網を引く、当時としては画期的な漁法で、最盛期には霞ヶ浦と北浦で約七百艘が操業していたんだよ。ワカサギ、シラウオがよく捕れるようになり、漁師さんの生活安定に貢献したんだね。 

発明した折本良平さんは、皆に感謝されたんだ。霞ヶ浦と霞ヶ浦漁業のシンボルなんだけど、今は観光用に数隻しか残っていないんだ。とても美しい姿なので、観光客や写真家にとても人気があるよ」

「素晴らしい。美しい形です。なぜ、この美しい漁船は少なくなったのですか」

「うん。エンジンとスクリューで動くトロール漁船が普及して、さらに効率的に魚が獲れるようになったので、風まかせの帆引船は時代遅れとして廃れてしまったんだよ。帆引船の操業は重労働だったんだけど、逆にまったく風がない日は、漁に出られなかったんだね。僕のおじいちゃんは、若いころ、帆引漁をやったそうだよ」

「そうですか。漁師さんの仕事は大変だったのですね。それは分かりますけれど、もったいないですね。燃料を使わず風力だけで動く船ですから、環境にやさしい船ですよね」

「そうだね。二酸化炭素も出さないしね。今、帆引船を国の文化財に登録しようと、教育委員会の人たちが頑張っている。ようやく帆引船のすばらしさを再評価する動きが出てきたんだよ」

「アース星でも、科学や技術に頼りすぎる文明のマイナス面に気が付き始めたんですね。イプシロン星では、科学文明を重視して発達させたので、とても偏った文明になってしまったのです。例えば、音楽や絵画などに取り組む芸術家の地位は低いのです。

しかし、アース星では、芸術家が尊敬されています。それは、文化を総合的に発達させる上でとても大事なことです。父も僕も、アース星の文明がイプシロン星と同じ道をたどってほしくないと思っています。特に人や他の生き物が住む環境を大切にしないと、結局、文明は滅んでしまいます」

「なるほど。この帆引船は、環境と調和しながら生きる方向を探る上でも、シンボルになりえるね」

「帆引船はとてもきれいなんだ。高須崎公園からも、時々日曜日に、観光帆引船が出ているのが見えるよ。観光に来た人に人気があるんだよ。広い霞ヶ浦にとても似合っているからなんだ」

 翼が眼をきらきらさせて、トビーと由伸に言った。由伸が続けた。

「トビーにも、実際に、帆引船が風をいっぱいに孕んで、湖上に美しい姿で浮かんでいるようすを見せてあげたいね」

「うん、トビー、いつか、また来てね」

「そうだね。機会を作って、また来たいね」

 由伸が二人を促した。

「さあ、車に戻ろう。日が暮れてしまう」

                   *

 三人は駐車場の車に戻り、大橋を戻って、高須崎公園に向かった。大橋からは、夕陽を浴びて、広大な霞ヶ浦が眺められた。夕陽でオレンジ色に染められた穏やかな湖面とさざ波が立っているらしい湖面が、筋状に広がっていた。行方市側には、コイの網生簀養殖場が沿岸にそって続いていた。トビーは興味深く、その光景を眺めた。

このような広大な水辺風景は、イプシロン星にはなかった。イプシロン星では、雨が少ないので、雨水が大河になって流れることもなかった。大きな湖沼も広大な海もなかった。トビーは、自分の星の荒涼とした光景が眼に浮かんだ。

高須崎公園で車を降りるとすでに太陽は西の地平線に沈み、空の色がオレンジ色から青色がかった黒色に変わっていた。霞ヶ浦の水面には夜のとばりが降りつつあった。ポプラの葉が風で少し、ざわめいていた。

三人はベンチに座った。

トビーが言った。

「由伸さんと翼君のおかげで、霞ヶ浦の環境の変遷にともなう魚類相の変化がよくわかりました。これでイプシロン星に戻って、自信を持って、卒業論文にとりかかれそうです。やはり現地調査は大事ですね。たくさん収穫がありました」

 由伸も肯いて言った。

「僕も卒業論文を仕上げなくちゃあなあ。それと水産の仕事に就ければいいんだけど」

「由伸さんなら大丈夫ですよ」

「ありがとう。まあ、あせらないで頑張るよ。トビー、また機会が合ったら、霞ヶ浦に寄ってくれよ。ワープすればすぐなんだろう」

 トビーは頭を振り、その赤い眼が落ち着きなく左右に動いた。

「実は、由伸さん。翼君。お世話になったので正直に言います。イプシロン星では、住民がアース星に移住する計画があるんです。イプシロン星は寒冷化が進み、環境が過酷で生存していくのがたいへんなんです。

それで、温暖で豊かなアース星に移住したいという希望を国会に陳情する人が多くなってきて、政府も困惑し、とりあえずアース星の調査・研究を総合的に実施することになったんです。それで、パパだけでなく、イプシロン大学の研究者がたくさんアース星に派遣されています。 

 僕も帰ったら、卒業論文の形で報告書を提出することになっています。科学的な報告書ですから正確に客観的に記述します。僕からは、移住した方がいいとか、しないほうがいいとかという意見書はつけません。それは、議員とか、指導者などの偉い人が判断することですから」

 由伸は眉間にしわを寄せて腕組みした。

「ふーん。それはたいへんなことになるなあ。地球が住みやすいから移住しようという結論になれば、宇宙人、つまりイプシロン星人が地球に大挙してやってくることになりかねないわけか。地球人の中には怯えて、排斥運動したり、武器で攻撃したりする人が出てきたらたいへんなことになるね。今、ヨーロッパやアメリカでは、貧しい国から豊かな国へ難民が流れ込んで、摩擦が起こって大問題になっているけど、その宇宙版になってしまう」

「えー。SFみたいに宇宙戦争になっちゃうよ。スターウーズになったら大変だよ」

翼も状況を想像できたようだ。

 トビーが辛そうに、細長い赤い眼を垂れ目のようにして今にも泣き出しそうだった。

「そうならないといいですね。パパや僕は、日本人にお世話になったし大好きだから、イプシロン星に帰って、もし議会に招ばれたら、丁寧に科学的に証言しようと思いますけど、正直、どうなるかわかりません」

「そうか。でも、このことは、地球人は誰も知らないことだから、今、騒いでも、嘘つき扱いされるかもしれない。翼。このことは誰にも話してはダメだよ。僕らだけの心にしまっておこう」

「うん、僕もその方がいいと思う」

「よし、翼は賢いな。トビーが正直に話してくれたことに感謝して、このことはとりあえず忘れてしまおう」

トビーは感謝をこめて言った。

「ありがとうございます。それに、もし、イプシロン星人がアース星に移住することになっても、体の仕組みが異なるので、いきなり温暖な地方には住めません。南極とか高い山とか砂漠とか、アース星人が住んでいない場所に住まわせてもらうかもしれません。僕らは体が小さく、粗食にも耐えていけます。

僕たちの人口は急激に増加することはありません。ただし、世代を重ねれば、体が温暖な気候や高い酸素濃度に馴れて、アース星人が住む低地の地方に移り住みたいというイプシロン星人が出てくるかもしれません。酸素が濃いと、体の代謝が活発になるので、寿命が短くなるかもしれません。その替わり、イプシロン星人の人口が増えていく可能性もあります。時間感覚もアース星人に合わせることになるかもしれません。それでも、できるだけ、皆さんの負担にならず、迷惑をかけないように生活していくことになるでしょう」

 由伸が腕組みをした。

「お互いに友好的におつきあいできればいいよね。いろいろ、教えあうことが大事だよ」

 トビーが眼を輝かせた。

「そこが大事なところですね。僕たちの科学はとても進歩しているので、アース星の皆さんの、お役に立てるかもしれません。例えば、今、アース星では温暖化と気候変動が大問題になっていますよね。温暖化ガスの二酸化炭素濃度が上昇して、気温と海の水温が高くなり、水蒸気をたくさん含んだ大型台風がたくさん発生したり、熱帯雨林が森林火災になったり、高い山では氷河が溶けたりしています。

アース星の科学者たちは、二酸化炭素を温室効果ガスの一つとしています。その分子構造は、太陽から降り注ぐ電磁波の一つである赤外線のエネルギーを吸収しやすいのです。炭素原子と酸素原子が二重結合と呼ばれる化学結合でつながっていますが、その結合部分では、電子の運動が赤外線エネルギーを吸収して活発化し、自身がエネルギーを持ってしまうのです。分かりやすく例えると、目に見えない無数の小さなバネが振動しているイメージですね。そうなると、大気全体の気温が上昇して、温暖化が加速します。

逆に、もし二酸化炭素などの温室効果ガスがなければ、太陽光のエネルギーは宇宙空間に拡散してしまい、アース星は冷えてしまいます。これまでは、アース星の大気中に、二酸化炭素、水蒸気、メタンなどの温室効果ガスが適度な濃度で存在していたので、温暖な気候で生命が進化できたのです。

しかし、アース星人の産業活動が活発化して、二酸化炭素をたくさん排出するようになったので、その濃度が上昇して温暖化が急速に進行中なのですね。イプシロン星でも、二酸化炭素やメタンガスが多く存在すれば、温暖化できるのですが、もともと有機物が少ないのです。有機物が少ないから、二酸化炭素ガスも少ないのです。それに、イプシロン星はアルファ・ケンタウリ恒星から遠いので、光が弱く、常に寒冷化を心配しています」

「イプシロン星の事情も厳しいんだね。僕も、筑波大学の一般教養の講義で地球温暖化の仕組みや温暖化した場合の影響は教わったよ。例えば、最近、大型台風がよく発生して、日本列島に大きな被害をもたらしているけど、温暖化で赤道付近の海水温が上がり、大量に水蒸気が発生すると、水蒸気自体が熱を持つので、地球の自転の影響で、反時計まわりの渦巻き状の大気のかたまりになって、温帯地方までいっきに移動して、台風になるんだよね。水蒸気自体が温室効果ガスになっているね。

水蒸気は蒸気機関を動かして、重い蒸気機関車を走らせるくらいだから、すごいエネルギーを発生させるんだよ。そのエネルギーが起こす強い風や水蒸気が冷やされた時に大量の雨をもたらして、日本列島に災害を発生させるわけなんだ」

「あー。なるほど。僕も地球温暖化や気候変動の仕組みが少しわかってきた。僕も大きくなったら、大学に入って、もっと科学を勉強したいな」

 翼が顔を輝かせて肯いた。

 トビーが続けた。

「アース星の温暖化は大問題ですね。イプシロン大学でも、環境問題は文明化の結果なので、基礎的なテーマとして学生が学んでいます。ところで、アース星の温暖化を緩和するには、火山を爆発させて、成層圏に薄いベールのように、細かい火山灰を拡散させて、太陽光の入射量を調整する方法があります。

これまでの歴史でも、江戸時代に浅間山が噴火して、火山灰がアース星の大気に拡散して覆い、気候が涼しくなり、冷害が発生して、アース星人の大事な食糧である米の収穫量が大きく減ったことがありました。その時は飢えで、たくさんの人が亡くなっています。パパがそれを研究テーマの一つにしています。

そのことを考えると、うまく適正な、火山の爆発規模を設定することが難しいですね。失敗すれば、太陽光を余計に遮り、太陽光発電に影響します。もし、大幅に太陽光が届かなければ、逆に寒冷化して氷河期になってしまいます。

実際、アース星ではこれまでも火山の大噴火や巨大な隕石の衝突によって、何度も氷河期に突入しています。その度に何割かの生物が絶滅しています。うまく成功して、太陽光を適度に遮ることができても、火山灰の成分は、やがて地表に降りて、薄れてしまい、効果は長続きしないかもしれません」

由伸が大きく肯いた。

「それに似たアイディアを日本の宮沢賢治という作家が、『グスコーブドリの伝記』という作品で発案しているんだよ。その作品では、冷害を防ごうと、逆に温暖化させるために一人の若い研究員が犠牲になって火山を人工的に噴火させ、二酸化炭素を噴出させるんだけどね。90年くらい前に書かれた作品だから、当時としては、随分スケールが大きいよね」

 翼は、宮沢賢治の名前が出たので顔が輝いた。

「僕、宮沢賢治の本、大好き。『風の又三郎』や『銀河鉄道の夜』は図書室から借りて、何度も読んだよ。『やまなし』は教科書にも載っているよ」

 翼の方を向いて、トビーが言った。

「アース星人でも、似た発想の案を出した人がすでにいたんですね。すばらしいですね。宮沢賢治の作品、僕も読んでみたいです。

もう一つの方法は、アース星の公転軌道を太陽から少しだけ遠ざかるように変えることです。それが成功すれば、アース星は少し涼しくなるはずです。実際に物理的に軌道を変えるには、巨大なロケットエンジンを開発して、アース星のどこかに設置し、一気にそのエンジンを噴射するのです。

そうすればアース星は、通常の軌道から少し動くはずです。ただし、エンジンの燃料に石炭、天然ガス、石油由来のもの、つまり化石燃料を使い、酸素で燃焼させれば結局、二酸化炭素濃度が増えることになりかねません」

由伸が、驚いた。

「すごい発想だね。もしそれが可能になり、実行できたら、1年の時間が変わるだろうし、近くの軌道を回る火星への影響が出るかもしれない。月の軌道も変わるかもしれない。惑星や衛星の軌道は微妙なバランスで成立しているそうだよ。ほかにも大きな影響が出る可能性があるだろうから、いろいろな角度から慎重に検討することになるだろうね。

 僕は、大気中の二酸化炭素濃度を何とかして、減らすことがオーソドックスな方法だと思うんだ。それは、まず森林を育てて、樹木が光合成によって二酸化炭素を吸収して、木材資源を確保することだね。恐竜がたくさん生息していた中生代には、ソテツ、マツ、スギの仲間の裸子植物が多く、鬱蒼とした森林が発達していたんだ。その森林が、後に化石化して、石炭の元になっているんだね。現在はその石炭を燃やして発電しているけど、二酸化炭素が増えるのは当然だよね。

 南米大陸のアマゾン河流域の熱帯雨林も、焼き畑農業や牧場の拡大で、どんどん減っているよね。牧場の家畜は、アメリカなど先進国へ肉を輸出するために飼育されるから、やはり文明の罪といえそうだよ。先進国と途上国の格差からくる南北問題とも言うけどね。

 それでも現代の日本列島は、緑が多いよね。カナダや北欧の国と並んで、森林率がとても高い。筑波大学でも、韓国人や中国人の留学生が多くなっているんだけど、彼らが日本に来て、最初に驚くことは、日本に森林が多いことなんだ」

 それを聞いたトビーが頷いて言った。

「僕も、初めて日本列島に来た時、ここは何と森林が多いんだと思いました。アース星の時間で1500年前ですから、今よりもっと緑が多かったんです」

由伸が続けた。

「そうだろうね。それからね、二酸化炭素をカルシウムと結合させて、炭酸カルシウムとして閉じ込めてしまう方法があるんだ。それをコンクリートの原料に混ぜれば建築資材として需要が期待されるんだ。僕の大学の化学の先生によると、この化学反応を効率的に行わせる方法を発見できればノーベル賞候補になるだろうし、地球の救世主になるそうだよ。

ただし、地球上で、利用できるカルシウムの量が限られているので、難しいかもしれないそうだ。ほとんどのカルシウムは石灰岩やサンゴ礁として、すでに固定されているんだよ。サンゴは、海水の中の二酸化炭素を効率的に吸収してくれているんだね。だから、サンゴは大事にすべきだって、先生は言っていたね。

同じ金属イオンのナトリウムなら海水中にたくさんあるので、重炭酸ナトリウムとして固定する方法も研究課題なんだそうだよ。重炭酸ナトリウムは、重曹や消火剤として使われているんだ」

トビーが応じた。

「アース星の化学も、かなり進歩してきましたね」

由伸が続けた。

「塩化ナトリウム、つまり食塩の水溶液を電気分解して、水酸化ナトリウム、塩素ガス、水素ガスを作る方法もあるんだけど、電気を必要とすること、発生する塩素ガスや水素ガスの大量貯蔵方法の研究が課題だね。それから、石油、石炭、天然ガスに含まれるメタンなどの炭化水素を水蒸気と反応させて発生する水素ガスを効率よく利用することだね。

同時に発生する二酸化炭素を何とかして固定して地下に閉じ込めればいいんだ。水素ガスは、少しずつ酸素と反応させて、燃焼させると水ができるけど、その時発生するエネルギーを取り出し、車を走らせることも可能だけどね。

それから塩素ガスの扱いだけど、殺菌剤、漂白剤、プラスチック可塑剤などで、塩素ガスの使い道はあるけど、大量に利用するのは難しいよ。塩素ガスは毒性があるからね。プラスチックを低い温度で燃やすと、発がん性があるダイオキシンが発生するんだよね」

「由伸兄ちゃん。さすが大学生。勉強しているんだね」

 翼が由伸を尊敬の眼差しで見た。

「まあね。せっかく学費を払っているし、学生時代が一番勉強する時間が取れるからね。生物学を勉強するだけでなく、物理や化学の知識も大切なんだ。

 今の地球では、世界の国々が二酸化炭素の排出を抑えようと努力しているんだけど、二酸化炭素を取り込む工夫には消極的だね。そこが盲点だと思うんだ。

アメリカや中国のように、覇権を争う国では、地球温暖化対策より、経済成長を優先させる国もあるから困ったものだね。日本も、原子力発電所の再稼働が困難だから、石炭火力発電所に依存する割合が増えている。国際会議で、日本も名指しで非難されるようになったね。もう環境先進国なんて胸を張れないよ。

ところで、物理的に地球の軌道を変えたり、火山を爆発させたりする、トビーの発想はおもしろいけど、ずっと先の話だよね。その時は地球人とイプシロン星人の接触が本格的に始まるだろうから、お互いに知恵を出していくことになるだろうね。地球の時間はイプシロン星の150倍のスピードで過ぎていくそうだから、僕や翼の世代ではなく、何世代も後の人たちの課題だよね。

現代の課題を未来の世代に先送りしてはいけない、とよく言われるけど、難しい課題は、拙速で解決しようとせずに、子孫に先送りするのも現世代の智恵かもしれないよ。無理に解決しようとすると、どこかにひずみが生まれるのが人間社会なんだ。まあ、とりあえず、楽観的にいこうよ。なあ、トビー君、翼」

翼は、自分の考えを言った。

「僕は、電気自動車がたくさん走るようになればいいと思う。電気自動車は二酸化炭素を含んだ排気ガスを出さないんでしょ」

由伸がやさしく助言した。

「なるほど。ただし、電気自動車は、発電所で発電した電気をリチウムイオン電池で蓄電して動くんだよ。その発電所が石炭を燃やし、二酸化炭素を排出すれば、元も子もない。だから、発電の方式をどうするかが、やはり課題になるんだよ」

「そうかあ。難しいんだね。でもいろいろなやり方を工夫することは大事だよね」

 トビーはアース星人の翼と由伸が、すでにいろいろな可能性を考えていることに感心した。

「そうですね。アース星の皆さんは、真剣にこれからのことを考えているんですね。僕たち、イプシロン星人の科学者なら、さらに助言できると思います。

ところで、今回の霞ヶ浦での僕の調査は、いったん終了です。これからイプシロン星に戻って、卒業論文執筆に取りかかります。お世話になりました」

 由伸は、トビーと翼を交互に見て提案した。

「そうか、頑張ってね。よし、僕たちの友情の記念だ。スクラムを組もう」

三人は肩でスクラムを組み、大きな声で「オー」と叫び、ハイタッチをした。

東の空には、フルムーンが出ていた。

「アース星の衛星ですね。皆さんは月と呼んでいますね。実は、月にも、イプシロン星人の宇宙船臨時発着基地があるのです。アース星の探査で、宇宙船に不具合が生じた時の修理を行っています。イプシロン星人の技術者が常駐しています。

月の裏面の地下に建設した小さな基地ですから、アース星からは望遠鏡を使っても見えません。でも、アース星人が、本格的に月に移住するようになれば、僕たちの基地は見つかってしまうかもしれませんね。

アース星から見る月は本当に美しいですね。実はイプシロン星にも三つの衛星があって、それぞれ違う軌道で、回りながら、三日月、半月、満月を繰り返しますから、にぎやかでおもしろいですよ。アース星の人たちにも見せたいですね」

「ふーん。そうなんだ。なんだか不思議な感じだね。でもおもしろそう。見てみたい」

 翼がそう言うと、トビーは翼の手を握った。

「では、翼君、由伸さん。さようなら」

「トビーも元気でね。いつか、また会えるといいね」

「トビー、バイバイ」

 トビーは名残惜しそうに、眼を瞬かせた。その赤い眼は潤んでいるように見えた。翼と由伸の眼にも涙がにじんだ、

トビーは透明化装置をONにして近くに隠しておいた宇宙船を、遠隔操作でOFFにして可視化した。トビーが指さすと、白い機体がピンク色に染まり、小さな穴が大きく開くと、トビーが乗り込んだ。トビーが振り返って手を振ると、穴はすぐに消えてしまった。

ラグビーボール型の小型宇宙船は空中にゆっくり浮かび、挨拶するように数回横に小さく揺れると、垂直に上昇し、音もなく、フルムーンの空に向かって、すーっと飛び去っていった。

翼と由伸は、しばらく無言で見送り、お互いに微笑んで握手した。

「由伸兄ちゃん。また、うちで夕ご飯、食べていって。夕ご飯はポークカレーにするって、お母さんが言ってたよ。僕、カレー、大好き」

カレーと聞いて、由伸は急に空腹を感じた。

「ポークカレーか。おいしそうだね。じゃ、また寄らしてもらうか」

「やった」

 二人は並んで、翼の家に向かった。

                   *

 トビーは、イプシロン星に戻り、卒業論文に取り組んだ。自分で収集したデータをもとに、父親や他の研究者の調査結果も引用しながら、翌年、論文「アース星日本列島における海跡湖、霞ヶ浦の環境の変遷が魚類相に与える影響」を完成させた。その論文は詳細なデータを様々な視点から解析したもので、教授たちから高い評価を得た。

それは、単に魚類学的なアプローチだけでなく、湖水の水資源としての利用、流域の開発、首都東京との関係、漁業史の変遷についての民俗学的論考、そしてアース星温暖化にともなう霞ヶ浦への影響なども含んだ総合的な論文だった。

審査を兼ねた卒業論文公開発表会が、講堂で開かれた。他の学部の教授や学生、院生たちも聴講し、質疑に加わった。

トビーは、写真をスクリーンに投影しながら、自分の研究成果を落ち着いて説明した。

「霞ヶ浦は、アース星の日本列島に位置しています。もともとは内海で、陸域から流入する栄養塩類やミネラルが豊富で、たくさんの魚貝類を育み、周辺に住むアース星人たちに恵みをもたらしてきました。

それは、当時の海岸線に沿って、貝塚と呼ばれる遺跡、すなわち当時の人々が貝や魚を採って食べ、残滓を捨てた場所の出土品を、アース星人の考古学者が分析した結果から分かっています。

その後、稲作が盛んになる弥生時代を経て、古墳時代には集落が大きくなり、権力者が亡くなると、前方後円墳と呼ばれる大きな墓を築いて、死者を葬送しました。私は、その古墳時代に、父と初めて霞ヶ浦を訪問して、とても興味を持ち始め、日本列島の自然環境と人々による開発の影響を、その時代ごとの背景を考慮しながら追跡してみました」

 美しい写真を次々に投影しながら説明するトビーの話術に、聴衆は次第に引き込まれた。

「日本列島の霞ヶ浦周辺は、東京という首都に近く、近年になって様々な開発の影響を受けてきました。首都圏の住民に豊かな農産物を提供すること、鉄鋼業を中心とした臨海工業地帯や各地の工業団地の造成、首都からの大学や研究所の移転などです。

 それらの開発が霞ヶ浦の水資源を求めました。汽水では利用できないので、地元で逆水門と呼ばれる防潮水門を建設し、淡水化したのです」

 スクリーンに、トビーが撮影した逆水門の写真が投影された。その巨大な姿に、聴衆はどよめいた。

「この水門によって霞ヶ浦は淡水湖となり、住民たちは農業用水、工業用水、生活用水として、循環させながら繰り返し利用するようになりました。湖水は閉鎖生態系となり、使用される度に水質が悪化し、植物プランクトンが大量に発生するようになりました。住民たちは、それをアオコと呼んでいます」

 トビーは、広い湖全体がアオコで覆われた写真を示した。次にアオコ発生によって、網生簀養殖場で、白い腹を見せて大量死したコイの写真も示した。会場のあちこちから、言葉にならない声が聞こえた。トビーは、さらに様々なグラフや一覧表、そして、自分のコメントなどもスライドで示しながら、説明を続けた。

「住民たちは、湖水を淡水化したことによって、甚大な弊害が生じることに気づき、様々な対策をとるようになりました。例えば、下水道の設置率を上げること、家庭では生活排水対策を取ること、農地では肥料を使い過ぎないこと、工場では排水処理施設を設置したり、下水道に接続することなどです」

 その時、聴衆の中から質問が飛んだ。水利工学のナンダー教授だった。

「防潮水門を開けて、海水を入れることをしなかったのかね?」

「はい、アース星人たちは、いろいろ議論したようです。特に漁師たちは、霞ヶ浦の水質悪化の元凶は水門を設置したことにあるとして、船上デモンストレーションを敢行して、水門開放を訴えたそうです。しかし、すでに淡水化した湖水に依存する経済構造が出来上がっていたため、漁民たちの要求は退けられたのです」

「湖水の淡水化、水質悪化によって、霞ヶ浦の生態系にどんな影響が出たのか、具体的に説明してくれたまえ」

 生態学が専門のカンダー教授が質問した。

「はい、そのテーマが私の研究内容の中心になります。霞ヶ浦は海水、さらに汽水の環境から淡水に変わりましたから、水質、プランクトン相、魚類相などに大きな変化をもたらしました。護岸堤が建設され、砂浜や水生植生帯が激減しました。実は逆水門建設以前から、湖面積の十分の一にあたる湿地や浅瀬は干拓され、農地として利用されていました。日本列島の浅い湖は、八郎潟、河北潟、児島湖、印旛沼、手賀沼の例のように、干拓されて農地が拡大した湖が多いのです」

「ほほう。イプシロン星では海がなく、水辺の湿地は貴重な土地だが、アース星の日本列島では、食糧増産のために惜しげもなく、湿地を潰したことになるね。もったいないが、ある意味、うらやましいね」

 ミクロ経済学が専門のサンダー教授が感想をもらした。

「はい、先生が指摘されたとおり、汽水湖の開発は両刃の剣のようなものです。自然環境の開発では、十分な議論を尽くして慎重に進めるべきであることは、イプシロン星でもアース星でも同じだと考えます。我々の星では、科学技術を発達させて、様々な経験を積んできましたから、アース星人たちに伝えて助言できることが多いと思います」

 トビーは、教授たちの鋭い質問や、時には学生たちの基礎的で素朴な質問にも、次々に丁寧に応えた。

「今、アース星では、温暖化対策が緊急課題になっています。気温、水温が上昇すると、生物はじめ生態系に影響します。雨が多くなり、地表から濁った水が海や湖に流れ込むと、透明度が低下してやはり生態系に影響が出ます。アース星の温暖化対策にも、我々のイプシロン星での経験から助言できるものがあるはずです。

 今すぐとは言えませんが、いずれ、イプシロン星とアース星の科学者がデータを持ち寄って意見交換し、両方にとって有益な指針となる考え方が導きだされると確信できました。

それでは、持ち時間が尽きましたので、私の研究発表は、ここまでとします」

 論理的で、十分に整理したデータを駆使したトビーの模範的な発表に対して、聴衆から大きな拍手が送られた。こうして、卒業論文発表会でトビーは、指導教授たちの厳しい試問にも的確に答え、高い得点でイプシロン大学を卒業した。卒業後は大学院への進学を希望していたが、成績優秀と評価され、イプシロン星政府の移民局直属のアース星高等研究所の若き研究員に抜擢され、政府職員として研究を続けながら、博士論文の完成を目指すことになった。

                   *

イプシロン星での一年が過ぎ、トビーはさらに研究を進めるために、高等研究所専用の宇宙船で、アース星にやってきた。前回のように、日本列島の霞ヶ浦のそばの古墳の上に着陸した。アース星の時間では約百五十年が経過していた。アース星には約五世代後の人々が暮らしていた。

夜になってから、トビーは宇宙船を透明化させて高須崎公園の上空に移動し、着陸した。公園の周囲には、ヤシの木が植えられ、並木になっていた。公園の芝生地では、十人くらいのアース星人が花火を楽しみながら、水辺で涼をとっているようだった。大人も子どももいた。家族や友人たちのグループらしかった。子どもたちは、芝生地の上で、ボール遊びをしていた。

トビーは自身を透明化して、アース星人たちに近づき、ベンチに座って雑談している大人たちの会話を聴いた。

「ようやく平和になってよかった。この間まで、小さな国が某超大国と戦争していたからなあ。日本も巻き込まれそうでひやひやした。核戦争になったら、たいへんなことになっていただろうね」

「そうですね。人間は古代からあまり進歩していないのかなあ」

「科学技術はありがたいけれど、そればかり発達させるのは問題だって、ようやくみんなが気付いてきたのかしらね」

「こんな小さな地球で、争うのは愚かなんだ。同じ地球人なんだから、弱い立場の人や国のことをもっと考えなければ、だめだよね。もう、月や火星に移住する時代なんだからね」

「うん、でも某超大国は世界の警察官を自認しているから、地球上の小さな紛争でもほっとけないんだよね。ほっとけば世界大戦にまで拡大してしまうことが心配なんだ」

「そこが、昔から難しいところなんだよね。地球連合軍がもっと強力になればいいという人もいるよ」

 トビーは耳を傾けて思った。

「やはり戦争があったんだなあ。でも大事に至らなくてよかった。それにしても、月や太陽系第四惑星の火星に移住する人も現れているんだ。あれからアース星時間で百五十年も経っているんだから当然かな」

                   *

 霞ヶ浦の上では、サーチライトを放ちながら、複数の飛行体が行き来していた。

「エア・カーがたくさん飛び廻っているから、夜空が賑やかだわ」

「そうだね。これじゃ、UFOが来ても区別できないよね」

「最近、地球のあちこちで、UFOの目撃が相次いでいるそうだよ。これまでも、超大国の航空宇宙局や空軍がUFOの調査をしてきたけれど、いよいよ、地球連合政府の特別チームが調査に乗り出してるんだ。近いうちに調査結果が発表されるそうだ」

 トビーは、イプシロン星からワープしてきた宇宙船が、各地でアース星人に目撃されていることは、同僚調査員の報告からもうすうす感じていた。うっかりして透明化装置をOFFにしたままアース星上を飛行する仲間がいることを危惧していた。UFOの存在がアース星人に知られれば、警戒心を起こさせ、移住計画は失敗しかねない。イプシロン星に戻りしだい、上司に報告し、同僚調査員への注意を喚起したいと思った。

 別のアース星人が言葉を継いだ。

「残念ながら、僕はまだ、UFOには遭遇したことがないね。エア・カーは霞ヶ浦の上も、たくさん飛んでいるけど、衝突防止装置がついているから、安全だ。僕も、教習所で運転免許を取って、職場に通勤したり、買い物やレジャーに出かける時に使っているよ。つくば市まで15分でいけるから便利になったね。エア・カーの充電ステーションもあちこちにあるし」

 そんな会話を聞いて、トビーはあらためて夜空を見上げて驚いた。

「エア・カーだって! アース星の科学技術は、もうそこまで進歩したんだ」

 透明化したトビーのそばで、大人の一人が続けて言った。

「エア・カーの電源は、ソーラー発電と風力発電で供給しているけれど、不足気味なんだよね。もう、原子力発電や火力発電は、世界的に禁止になったからね。充電ステーションでは、いつもエア・カーが順番待ちしているね。

僕は、地球の周りにソーラー発電パネルを付けた人工衛星をたくさん打ち上げて、地球に送電するシステムをもっと充実させればいいと思うんだ。大気の影響を受けない宇宙空間の方が太陽エネルギーを効率的に受け止められるからね。

ところで、今年の夏も暑いなあ。今日の日中の気温は四十度だったよ。夜は少し過ごしやすいけれど、熱気がこもって家の中にいられないよ。毎晩、熱帯夜だ。霞ヶ浦の水辺はだいぶ涼しいけどね」

「そうですね。日中は暑くて、野外で農作業をするのはつらいですね。1時間ごとに水分補給を兼ねて休憩を取っていますよ」

「僕の職場では、昼前後の最も暑い時刻は避けて、午前中の9時から11時までと、夕方の3時から5時まで仕事をするようにしています。昼飯後はいつも2時間ほど昼寝です」

「子どもらを日中、外で遊ばせるのは危険よ。熱中症になりますからね」

 母親らしい女性が言った。

「学校は窓を閉め切って、教室のクーラーをつけて授業しているわ」

 別の女性も続けて言った。

「電気代が相当かかるみたいよ。今は霞ヶ浦に設置した風力発電プラントで発電しているのは、いいと思うわ。昔みたいに石炭や石油を燃やして、二酸化炭素を発生させて発電するのは、温暖化対策に逆行するから、禁止になったのは当然よね。それに、化石燃料は、ほとんど枯渇しているんでしょう」

「うん、そうだね。原子力発電所も停止されているよ。万が一にも大事故を起こしたら、放射性物質が広範囲に飛散して、取り返しがつかないからね。結局、風力、太陽光、波力、地熱、水素など、再生可能エネルギーによる発電が主力だけど、電気代が高いのはやむを得ないと思うよ。電気を使う工場で生産する製品も高くなっているね。消費が落ち込んで経済が低迷している」

「もう経済成長を第一に目指す時代は終わったね」

「そうだね。新しい価値観を模索しなければならないね。ところで、このごろは、豪雨がすごいね。熱帯のスコールみたいな雨がよく降る、というか、このへんはすでに熱帯化しているよ。あまり雨が強いと、土壌が浸食されてたいへんだよね。栄養分がある土が流されるから、土壌がやせてしまうそうだよ。豪雨があると川から泥水が流れ込んで、河口部の霞ヶ浦の水の濁りもひどいし」

「太平洋の海水が入ってきて、霞ヶ浦の水位が上がってしまったから、国土省が堤防を高くしたけれど、先年、大きな台風が来た時は高潮になって、堤防を越えて水が溢れたことがあったなあ。潮来のあたりは海峡のように狭くなっているから、霞ヶ浦の水はすぐには太平洋に出ないからね」

「そうそう、土浦や稲敷の町は水浸しで、ずいぶん被害を受けたわね」

「うちの農地も海水をかぶって、稲や野菜が台無しだった」

「台風に直撃されると、雨だけでなく、ものすごい風が吹くからねえ。何しろ風速50メートルだから、昔の木造家屋では飛ばされてしまうからね。うちも、ようやくコンクリート建築にしたよ」

「それに、デング熱やマラリアが流行しているから、蚊に刺されないようにしないとね」

 半ズボンにサンダル履きで上半身裸の青年が、虫よけスプレーを肌にまんべんなくかけた。

「うちは農家だから、田んぼの稲は、ゲノム編集技術で、熱帯で栽培されるインディカ種の遺伝子をジャポニカ種に組みこんで、暑さに強い品種に改良した稲を栽培して、なんとか美味しい味と収量を確保しているよ。

稲だけじゃなく、マンゴー、パパイヤ、パッション・フルーツ、ドラゴン・フルーツもよく出来るよ。バナナやパイナップルは行方地方の名産品になっているよ。産地直売所にたくさん出荷されてるよね。僕はライチも有望だと思う」

 ライチの話題に、女性が続いた。

「ライチは、昔の中国の楊貴妃が好んで食べたそうね。ライチには美容によいビタミンCがたくさん含まれているそうよ。あたしもあやかりたいわ」

「今からじゃ、無理だろう」

「まあ、いじわるね。それでも、紫外線が強いから日焼けにはすごく注意しているの」

「トロピカル・フルーツの女王のマンゴスチンや王様のドリアンを試験的に栽培している農家も出てきたね。びっくりした。そのうち、このへんの特産になるかもね。昔は、このへんではメロンとイチゴとサツマイモが名産だったけど、今では、北海道でたくさん栽培してるね」

「昔、ここの公園にはポプラを植えていたそうだけど、今はヤシの木を植えているね。水辺にマングローブが自生しているわよ」

 そんな会話が聞こえてきた。

「え、マングローブ?」

トビーは半信半疑だった。あらためて霞ヶ浦の水辺を見ると、マングローブらしき樹木が鬱蒼と浅瀬を覆っていた。

「あ、ほら。帆引船よ」

 公園で涼をとっていた人々の中から、女性の声が聞こえてきた。その声につられて、人々が一斉に霞ヶ浦の湖面を眺めた。暗くなった遠くの湖面に、帆引船が数隻、風を受けた白い帆を満帆に膨らませて、湖上を音もなく進んでいた。暗い湖面に、白い蓮の花が開いたように、浮き上がって見えた。

「あー。きれいだね。霞ヶ浦に大きな花が咲いたようだ」

「やっぱり、霞ヶ浦には帆引船が似合うね」

 人々は頷きながら、じっと帆引船を眺めた。

トビーは、かつて翼と由伸が話していた帆引船を初めて見た。

「あれが帆引船か。美しい船だなあ。帆引船は復活したのだろうか」

 郷土史に詳しい人がうんちくを披露した。

「帆引船は、約300年前に、地元の発明家の折本良平がシラウオ漁のために発明したんだよ。その後、柳澤徳太郎がワカサギ漁用に改良したんだね。それまでワカサギ漁は、網元さんのような金持ちが、十数人もの零細漁師を雇って大徳網という大型のトロール式の網を使って、二隻の櫓舟でワカサギの群れを囲んで、人力で獲っていたんだ。

 帆引船が発明されてからは、漁師二人で船を操船できるから、零細な漁民でもワカサギやシラウオをたくさん獲れるようになったんだね。収入が上がることがわかって、漁師たちは競って帆引漁をやるようになって、生活が向上したそうだ。最盛期には、霞ヶ浦と北浦で七百艘もの帆引船が操業したそうだよ。

 獲れたワカサギは、佃煮などに加工されて、保存食として全国に流通しただけでなく、明治、大正、昭和の軍国主義時代にはアジアに出兵した兵士や軍艦の乗組員の食糧として消費されたそうだ」

「へー。勉強になるね。帆引船の歴史はおもしろいね」

誰かが相槌を打った。

トビーも同感して肯いた。

他の一人が言った。

「でも、その後、動力船によるトロール漁が盛んになって、帆引漁が廃れる時代があったんでしょう」

「そうそう、今から150年くらい前だね。でも、動力トロール船はスピードが出るから、ワカサギを取り過ぎてしまい、水質が悪化してワカサギ資源が激減したこともあって、霞ヶ浦のワカサギ漁そのものが、規模が小さくなってしまったんだよ。加工業者は、やむなく中国産のワカサギを輸入して、佃煮を製造したそうだよ。

 でも、帆引船は、とても美しいし、文化遺産でもあるから、観光用に細々と操業していたそうだ。写真家にも人気があったんだね。それで、国や県が無形文化財として認定し、さらに、後世に残すべき日本遺産にもなって、政府の予算で保存されてきた。つまり船体の保存、新造、そして操船技術を継承する地元の人材を育成してきたんだよ。

 それを細々と継続して、今では環境保全を最優先する時代になって、帆引船は風の力だけで動き、ワカサギを乱獲しない、いわゆる自然に優しい漁法として再評価されて、見事に復活を果たしたわけだ」

 パチパチと拍手が起こった。

「ブラボー。わかりやすい、いい説明だったよ。博物館の先生みたいだった」

「実のところ、博物館の学芸員の先生の受け売りなんだけどね。今の霞ヶ浦は、また海の水が入ってきて、汽水に戻ったから、汽水魚のワカサギがまた増えてきたことも、帆引漁復活の追い風になったね」

 それを聞いて、トビーは確認したくなった。

「霞ヶ浦に海水が入ってきて、汽水に戻ったって、さっきも言ってたけど、本当かな」

 トビーは半信半疑で、霞ヶ浦の浪打際に行ってみた。

 前回、翼と由伸に出会った時には、水辺からは、やや高かった公園には、すぐそばまで霞ヶ浦の水が迫っていた。

「あれから水位が上昇したんだな。2メートルくらい高いかな。もう堤防すれすれだ。堤防が壊れたら一大事だなあ。」

 トビーは、気が付いて水辺に行き、打ち寄せる波に手を浸して水をなめてみた。

「塩辛い」

 霞ヶ浦は確かに、海に戻っていた。アース星人は地球温暖化を止めることができず、海水面が上昇して、水門が役に立たなくなり、海水が霞ヶ浦に侵入したのだった。

「もし、堤防が壊れたら、塩分濃度が高い水が農地や市街地に広がってしまい、たいへんな被害になるなあ。どうしたら、いいんだろうか。もっと堤防を高く頑丈にするか。それとも諦めて、霞ヶ浦をふくめて、思い切って内海に戻すか。それも選択肢としてありえるけれど、水田や畑は作れないだろうなあ」

                   *

「霞ヶ浦は、サチヒコと出会った古墳時代の頃か、あるいは、もっと前の弥生時代か縄文時代の状況に戻ったようだ。温暖化の影響は霞ヶ浦でも深刻なんだなあ。

魚類では海産魚が増えたのかな。スズキとか、コノシロとか。クロダイやクサフグもいるかな。透明度は、翼や由伸さんと出会った150年前よりも良くなっていそうだな。明日、明るくなったら、透明度や窒素、リン濃度を測定してみよう。

海水ではコイは生きていけないから、コイの養殖は止めたんだろうな。養殖の仕事をしていた人たちの生活はどうなったんだろう。

海水は、農業用水、工業用水、生活用水には使えないから、この地域のアース星人はどうしているんだろうか。お金をかけて、科学技術で海水を淡水化しているのかな。やはり電気代がかかるのかなあ。まあ、そのへんから、続きの研究にとりかかるか」

 トビーは研究者としての持ち前の探求心が湧いてくるのを感じながら、サチヒコ、翼、由伸との交流を思い出していた。

「アース星では時間があまりにも早く過ぎてしまう。懐かしい友達の顔が浮かんできて、ちょっとつらいなあ。サチヒコ、翼、由伸さんはもういないんだよね。僕は、日本のおとぎ話に出てくるウラシマタロウみたいだなあ。

実は、イプシロン星の国会が、国民がアース星へ移住する法案を可決しそうなんだ。どうしたらいいのかなあ。やはり僕は、アース星人たちに移住計画を公表し、丁寧に説明して意見を聞くべきだと思うけれど。住まわせてもらう立場なんだから。

僕らは体が小さいし、酸素濃度が低いイプシロン星で進化したから、体の代謝活性が低くて、食糧は少量でも大丈夫なので、アース星人からフードロスになってしまう食べ物を分けてもらえばいいんだけどね。

でも、アース星人の中には、まだ、アフリカ大陸などで飢えに苦しむ人が多いと、パパやイプシロン大学の他の教授や研究員の研究で、分かっているんだ。日本列島は、恵まれている方だよね。

我々が住まわせてもらう場所も、アルプスのスイス、チベットのネパールやブータン、アンデス高地のペルー、チリ、アルゼンチン、アフリカのエチオピア高原、アメリカやカナダのロッキー山脈のような酸素濃度が低い土地がいいんだ。

日本列島なら、富士山や長野県の高山などの山岳や山地だよ。でも、われわれが山地、山岳で暮らせば、生活排水がふもとの河川などの水環境を汚してしまうかもしれないなあ。

それに、イプシロン星人がアース星で世代を重ねれば、しだいに高い酸素濃度に馴化して、低地や平野部に降りていく可能性はあるよね。そうなれば、アース星人とのトラブルが発生するようになるのかなあ。

僕たちの科学は進んでいるので、温暖化防止などの環境問題に助言できると思うんだ。それでも、アース星人たちは、困惑するだろうなあ。理解が得られるかなあ。平和に共存できればいいけれど。それとも戦争になっちゃうのかなあ。侵略じゃないんだよね。アース星人にとっては、僕らは難民みたいなものだから、寛容に受け入れてもらえればありがたいけどなあ」

 夜の霞ヶ浦を眺めるトビーの額に横皺が浮かび、赤い目に、うっすらと涙がにじんでいた。夜空にはアース星の月が、三日月になって浮かんでいた。その近くには、金星が輝いていた。トビーが、翼と初めて出会った時の夜空と同じだった。

 トビーは、高須崎公園の人々の話を聞いて、さらに最近の情報を得ようと、ベンチに近づいた。透明化したトビーには、人々は気づかなかった。

 中年の男性が訳知り顔で言った。

「ところで、霞ヶ浦の水が少しきれいになって、ワカサギがよく獲れるようになったのは良いようなものの、汽水のままでは水道水にも、農業用水、工業用水にも使えなくなったから、地域の生活や産業への影響は大きいなあ。

 霞ヶ浦の水を水源にしている水道水は、コストをかけて真水化しているんだけど、水道料金がずいぶん高くなってしまったね」

「そこはしょうがないわよ。何しろ、命の水だからねえ」

別の女性がひきとった。

「野菜も高いわ。霞ヶ浦の水を太い送水管で引いて作っていたハクサイ、レタス、キャベツは、作れなくなったわね。スーパーでは、野菜はすごく高価でしょう。このへんは、もともと雨が少ない地方だから、農業用水が不足してしまうのね」

 別の男性が身を乗り出して話し始めた。

「それもあるし、15年前の東京大震災の影響も大きいね。直下型の大地震で東京は壊滅状態だろう。震度7だった。湾岸地域のタワーマンションは、複数の部屋から出火して、スプリンクラーの水では消火に間に合わないし、電源もダウンしたから水を屋上の貯水タンクに汲み上げるモーターも動かない。防火扉も歪んで機能しなかった。

結局、タワーリング・インフェルノみたいになって焼け落ちてしまったところがあったね。恐ろしかった。地獄絵図そのものだった。たくさんのマンション住民が亡くなった。高層マンションは、焼けずに残っても、傾いてしまって、住み続けることはできないよね。

実は、僕たち家族はタワーマンションに住んでいたんだ。命拾いして、震災後は、東京をあきらめて、先祖の出身地の茨城県に移住してきたわけさ。東京はガレキの山になったから、とても住む場所ではなくなったよ。

ガレキは運搬船に載せて、少しずつ運び出して、太平洋の日本海溝に捨てている。日本海溝は、太平洋プレートがユーラシア・プレートに衝突してもぐりこんでいる場所だから、ガレキを捨てて大丈夫かな。心配する専門家も多いよ。何しろ150年ほど前の東日本大震災の震源だからね」

「そうなんですか。私は茨城に長く住んでいるけど、東京大震災の時は、こちらも相当揺れたなあ。震度6弱だった。建物に亀裂が入ったりしたけど、倒壊するほどではなかったね」

 トビーは、イプシロン星の高等研究所の同僚から、東京大地震が起きたという情報は得ていたが、避難民の話を聞くのは初めてだった。

 その男性が続けた。

「東京は大消費地で、自分たちは食糧を生産していなかった。首都圏周辺の、特に茨城県民が生産した米、野菜、豚肉、鶏肉、鶏卵を買って食糧にしてきたんだよね。都民は誰もそれを当たり前と思ってきた。生産者への感謝の気持ちも無かった。自分も含めてだけどね。そのことを今になって反省してるんだ。

 食糧を生産するには、肥料や豚や鶏の餌をたくさん使う。肥料は流出して水を汚すだろう。餌は家畜に食べられ、豚糞や鶏糞などの畜産廃棄物が大量に出る。それを周辺農家が安く分けてもらって有機肥料にすれば、結局、地下水や地下水が水源になる地域の小河川の水質を汚染する仕組みになるよね。その水は結局、霞ヶ浦や北浦に入ってくるから、湖水を汚染してしまう。

 東京大震災で、東京は壊滅状態になったから、茨城産の農畜産物の需要が激減して、農家の経営が成り立たなくなった。農業や畜産業をやめた人も多い。でも、その結果、霞ヶ浦の水がきれいになってきたのは、中国の古典の史記にある通り、禍福はあざなえる縄のごとしだねえ。皮肉なもんだ。霞ヶ浦の水は、百年河清を待つ状態だった。その水質改善は、誰もが諦めていたんだけどね。それが、海水が入ってきて、一気に水質問題が片付いた。でも、水道水の水源として霞ヶ浦の水が使えなくなって、水不足になったね。農業用水にも使えなくなったから、茨城県の農産物の生産は大打撃を受けた。工業用水も同じだね」

 その男性はため息まじりに一気に自説を述べた。聞いていた人々は、深刻な表情を崩せなかった。若い男性が、つらそうに言った。

「我々の文明は発達し過ぎたんでしょうかね。自然の恵みを利用し尽くした結果、文明が崩壊を始めたような気がします。文明というのは、いくところまでいかないと止まらないんでしょうね。インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、黄河文明、古代ローマ文明、そして現代の科学技術文明しかりですね。

 欲望のままに、大量消費したり、便利な暮らしを追求する時代は終わったと思います。人口も随分減ってきました。この日本列島の中だけで、さらにはこの地域だけで地産地消で、できるだけ物質循環させて、家族や隣人を大事にして丁寧に暮らしていければいいですね」

 やや年配の男性が、頷いて言った。

「そのとおりだろうね。君が言ったように、この世界、つまりかけがえのない地球という惑星は、多くの命を宿す奇跡の星なんだよね。我々人類は、自分たちを生み出してくれた母なる地球をあまりにも粗末に扱ってきた。

子どもたちは、生み育ててくれた母親の恩を忘れがちだけど、今こそ原点に戻って、地球を大切にしなければならないね。この地域では、まず母なる霞ヶ浦を守っていくことが住民の優先課題なんだよ」

 その言葉を聞いていた人々は、街灯のかすかな灯りの中で一様に納得したようだった。

 トビーは、アース星人たちが、それぞれの地域で、このような話し合いを始めているのではないかと思った。アース星人たちの文明観が変化しつつあることは、近い将来のイプシロン星人たちのアース星への移住計画へも影響するかもしれないのだった。

「そうか、アース星人にとって、この星は母のような存在なんだ。温暖化、気候変動、自然資源の枯渇、森林の激減、都市の拡大、空気や水などの環境汚染、地震災害などの問題があっても、アース星人たちは、この星を愛している。

 イプシロン星人はどうだろうか。このアース星とは比較にならないくらい、過酷な自然環境の中で高等生物に進化してきた。宇宙空間に進出できる文明と科学技術を発達させた。そして今、イプシロン星の環境の厳しさを理由に、豊かなアース星への移住を計画している。それは、賢明な選択なのだろうか。

 母といえば、僕のママは、僕がまだ小学生の頃、エア・カーの事故で亡くなった。ママは、エア・カーを自動運転にして制限速度で飛んでいたのに、手動運転で無謀な速度で飛ばしていた若者のエア・カーに衝突されて、投げ出された。ママの体は、イプシロン星の重力が強いので、すごい速度で地表に落ちてしまい、亡くなった。

 悲しかった。何日も泣いた。そんな僕を見て、パパは、僕をアース星への探査旅行に連れ出してくれた。アース星は美しかった。海も湖も、山や森林も。アース星人がみんなで協力しながら暮らしている姿も見た。サチヒコ、翼、由伸さんとも友達になれた。僕はアース星の自然とアース星人たちに、ママを失った悲しみを癒されたんだ。

 そんなアース星に、イプシロン星人が移住するのは、どうなんだろう。あらためてよく考えたいなあ」

 トビー・ランダーは、高等研究所の研究員としての調査報告書の原稿案の一部を頭の中で練り始めていた。

                   *

 その後、トビーはアース星の時間で一ケ月ほどかけて、アース星各地で調査を続けた。図書館や研究所などでは、自分を透明化させて、前回の調査から150年経過したアース星の文明の発達経過、科学技術の進歩、各地の自然災害、紛争や戦争、各国の政治や経済の状況、自然環境への圧迫の現状、民族や地域の細かな実情など、調査したいことは限りなくあった。

 地球連合政府総会、各国議会、各国政府の機関や施設にも透明化して出没し、アース星人の議論を直接聞き取った。トビーの頭脳は、アース星の最速のコンピュータ並みの処理速度で、見聞したことを記録した。図書館では文献のページを、眼の網膜に映った情報として、スキャニングし、そのまま記憶した。念のため、パーソナル・コンピュータは持参していたが、それに入力するよりも、自身の頭脳に記憶させる方が効率的で速かった。

 調査報告書に盛り込みたい情報を、ある程度収集できたと判断したトビーは、ワープしてイプシロン星に戻った。

                   *

 トビーは、イプシロン星の首都カラトンの官庁街の一角にある移民局附属高等研究所の屋上にある宇宙船発着基地に降りた。カラトンの上空は雲がなく、レモン色の薄日が地平線の彼方に沈むところだった。青黒いインクのような闇が次第に降りてきた。トビーは、アース星の夕陽の燃えるような輝きを思い出して、ため息をついた。

トビーは帰還報告をした後、宿舎で数日間休養して、アース星への調査旅行の疲れを癒した後、高等研究所に出勤し、自室で調査報告書の執筆に取りかかった。これまでに蓄積した資料に加え、今回の調査で収集した新資料を入力し、モニターでチェックした。

日本列島研究の先行研究者である父親の研究成果も参考にした。父のランダーは、イプシロン大学の地理学科主任教授を務めた後、名誉教授となっていた。父の業績を含め、多くの重要資料をプリントアウトした。思いついたことはすぐ入力し、原稿の草稿にした。

 十数日間の作業で、原稿の原型ができた。それを同僚たちに見せた。同僚たちは、アース星の他の国、地域について、フィールド・ワークの経験が豊富だった。彼らはトビーの報告書を読んで、自分が担当している地域と比較しながら、適切に助言した。トビーはそれらのアドバイスを取り入れ、原稿を推敲した。

 トビーは、自分の調査報告書が90パーセント以上完成したと判断し、上司であるホーリー部長の研究室を訪問した。上司の意見によって加筆修正し、脱稿に近づけたいと考えていた。ホーリー部長は、やや肥満ぎみの体型だが、柔和な表情でトビーを迎えた。

「ホーリー先生。アース星日本列島での私の調査報告をまとめてみました。重要かつ多様性のある調査結果を盛り込み、自分なりにコメントをつけてみました。自然科学分野だけでなく、政治、経済、産業、文化などの現状にも言及させていただきました。ぜひ、お読みいただき、ご意見をいただければと思います」

「そうか。先日は調査旅行からの帰還の報告を受けたところだったのに、もうレポートが出来たのか。君は優秀だし、お父さんゆずりの行動力というかバイタリティがあるから、期待しとるよ。この報告書は数日かけて読ましてもらうよ。ご苦労さんだったね」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

                   *

 数日後、ホーリー部長から呼び出しの連絡があり、すぐに部長室を訪れた。

「やあ、トビー・ランダー君。読ましてもらったよ。なかなか充実した内容だね」

「ありがとうございます」

「我々、イプシロン星人がアース星に移住する計画は、アース星人に知られずに、極秘に進める必要がある。実行に移すかどうかの判断は、君たち、現地調査を実施した研究員の報告書にかかっている。客観的に事実を淡々と記述し、報告することが何より肝要になる。

 今回の君のレポートは、短い調査期間にもかかわらず、実に精力的に様々な土地を視察して、環境、農林水産業を中心としながら、様々な製造業、運輸業などの産業、流通、都市化の現状、住民感情などを細かく調べあげてくれた。さすがにランダー先生の息子さんだ。まず、君の頑張りを高く評価し、お礼を申し上げたい。上司としての私も鼻が高いというものだ。あはは」

 上機嫌で、ホーリー部長はトビーの肩を強く叩いた。強すぎて、トビーは思わず顔をしかめるほどだった。部長は応接セットのソファに座るように勧めた。

「それでだね。内容は詳細で多岐にわたっており立派なものだが、地元の住民からの聴き取りについて君の感想が述べられている部分だがね。この535ページだね。アース星では、環境変化や自然災害への対応に苦慮しながら、住民たちは地元の暮らしや自然環境に満足していると書いてある。

それに続いて、君の付帯意見として、地元民の意向を尊重することが何より重要であり、我々イプシロン星人の移住は強引に進めるべきではないと書かれている。

もちろん私も、我々がアース星に移住することになれば、無用の軋轢や摩擦を避ける意味でも、地元のアース星人とのつきあいは、慎重に実績を積み上げねばならんと思っている。

しかし、現地調査員の報告書で、慎重とはいえ、消極的な論調の意見が明記されれば、移住計画に水をさすというか、ブレーキになりかねない。ここの部分を記述した君の真意を聞きたいんだ」

 トビーは部長からの質問を予期して、返答を準備していた。

「はい、丁寧にお読みいただき、ありがとうございます。ご承知のとおり、僕の父はアース星の日本列島を専門的に長く研究してきました。私も、何度か、子どもの頃から父とともに、日本列島に旅行して、現地の人との交流もありました。今回も姿を隠しながら、日本人の考え方を探ってきました。

 近年は国際化が進みましたが、日本人は、アース星の中でも独自の歴史や文化を大切にしてきた民族です。台風がしばしば来襲し、冬は積雪が多い地域があり、火山が多く、地震が多発しますが、そのような変化が多い自然環境でも、日本人は季節の変化に合わせて、生活文化を創意工夫して築き上げてきたのです。

 かつての日本人にとって理想的な生き方は、自然を愛し、自然の中で悠々と人生を過ごすことでした。しかし、科学技術の発達で、自然を利用して便利な生活をする価値観が最優先されるようになりました。

そのため、、美しい自然が壊され、食糧増産によって水環境が汚染され、行き過ぎた都市化の中で、現在の物質文明を見直す動きもあります」

「それは、科学技術の発展によって、文明を築いてきたイプシロン人への反面教師というか、反省の材料になるというのかね」

「はい、そのような謙虚な気持ちも大事ではないかと思うようになりました」

「う~む。研究者としての君の、研究の自由を最大限尊重するから、私としてはやや苦しいけれど、君の意見を否定する気はないよ。私は移民局直属の高等研究所の幹部職員なので、移民政策を推進するための技術だけでなく、論理をも構築しなければならない。しかし、君が報告書の中で、一研究員としての見解、信念を披歴する自由は認めるよ」

「部長のご理解をいただけたことは本当に心強いです。感謝申し上げます」

 トビーは、日本人のように深くお辞儀をした。ホーリー部長は、厳しい表情を崩さず言った。

「この件に関してだが、報告書を提出すればそれで終わりではないよ。近々に、イプシロン議会において公聴会が開催される。議題は、言うまでもなく、アース星への移民計画の進展状況だ。すでに基本路線は議会で承認されている。それにそって、アース星の最新情報を報告してもらいたい。地形や環境だけでなく、君が見聞した日本列島に住む人々の実情を詳しく説明して欲しい。客観的に事実を述べ、その後に君の意見を述べてもらうことになると思う。

 君の報告はとても重要だが、君の意見だけで決まるわけではないから、あまり緊張せずに役目を果たしてもらいたいね。つまり、調査員、研究員は君だけではないから、その後の複数の公聴会で、他の報告も聞き取ることになるからね。君は君らしく、信ずるところを述べればいい。しかし、言うまでもなく、思い込みではなく、調査結果をもとにして科学的、客観的に述べることが大事だね」

「身が引き締まる思いです。部長、ご配慮、本当にありがとうございます」

「がんばりたまえ」

                   *

 10日後、イプシロン議事堂の本会議場で、アース星移住計画審議会主催の公聴会が開催された。出席者は、全議員のうちアース星移民計画を審議するために互選で任命された数十名の委員たち、事務局員、移民局高等研究所長ほか幹部研究者、報道関係者、それに傍聴を希望する国民有志で抽選で選ばれた市民たち、総勢100名ほどだった。

 議長が開会を告げた。

「では、これより公聴会を開始します。先ず参考人から報告をいただいた後、質疑応答の時間とします。トビー・ランダー君。どうぞ」

 トビーは、演壇に歩み寄り、一礼して口を開いた。

「議長。ご出席の皆様。権威あるイプシロン議会で、調査報告の機会を与えていただき、感謝いたします。

 僕は先般、アース星の日本列島でフィールド・ワーク、すなわち現地調査を、移民局高等研究所の業務の一環として実施いたしました。その結果をご報告いたします」

 トビーは、やや緊張した趣で、正面を見つめながら、時折、スクリーンのスライドの画面をレーザーポインターで示し、ほとんど原稿に目を落とすことなく、説明を続けた。

「アース星は、これまで、イプシロン大学の教授、研究員による先行調査で明らかになっているように、温暖で暮らしやすく、水の惑星と呼ばれるほど大部分が海で覆われ、酸素濃度が高く、食糧が豊富であります。それらに関しては、各分野にわたり詳細な報告書が刊行されておりますので、査読いただいていると思います。

 私は今回、アース星の中でも、最も自然環境に恵まれた日本列島について、現在の環境、国民性、最新の世論と政治状況などに関して調査いたしました。その概要は、皆様に配布したレジュメに記述いたしました。

 今回の調査で特に気がついたことは、日本列島の住民である日本人の特性です。彼らは、恵まれた環境で歴史を重ねてきました。かつては戦国時代と呼ばれる激しい内戦がありましたが、大陸から分離された島国であったことから、他国から侵略されたことは、ほとんどありません。

ただ一度だけ大陸から軍隊が派遣されたことがありましたが、撃退されました。また、やはり一度だけ、大陸に侵攻したことがありましたが、失敗に終わりました。

島国で、世代を重ねた日本人は、外国からもたらされた新しいもの、珍しいものに対して好奇心が旺盛で、それを自分たちが取り入れ、より優れたものに改良する伝統を継承しています。

 ただし、アース星の時間で約300年前、我々のイプシロン時間では2年前ですが、日本では、それまでの封建時代から近代化に移行する過程で、他国の文明を受け入れることに反対し、排他的になった地域やグループがありました。しかし、犠牲はあったものの、近代化は成功し、現在ではアース星で最も科学技術、医療技術が進んだ国の一つになっています」

 トビーは、議場を見渡し、聴衆の表情を確かめて続けた。

「実存主義的な進取の国民性を持つ日本人ですが、我々イプシロン星人の移住を快く引き受けてくれるのか。慎重に考えると、僕は楽観的ではありません。

実は、現在日本列島では、地震が頻発し、温暖化、気候変動の影響で台風が列島を襲い、都市化の拡大の弊害が顕著になり、経済が停滞し、少子化と高齢化が進んで、人口はこの百五十年で半減しています。

 国民の間には、科学技術文明の限界を感じ始めている人が多くなっています。家族や隣人とのつきあいを大切にして、穏やかに素朴に暮らしていくことを第一に考えるようになってきているようです。もう、文明の進歩はたくさんだ。もう、いい。いつまで、こんなことを続けるんだ、という雰囲気を感じました。それが大多数の世論になりつつあります。

政府も国民の多数意見を政策に反映させ、科学技術予算や研究者を養成する大学院などの教育予算を削減しつつあります。企業等も研究開発部門を縮小させ、新しい技術よりも、今までの技術を洗練させる方向に転換しています。

 当然、経済規模も縮小していますが、多国間の経済競争に乗るのは過去のものになっています。ただし、先進国の経済成長にブレーキがかかった隙間に、自国を発展させようとする途上国が出てきています。そのような国は、環境を汚染し、廃棄物を大量に排出していますから、かつての先進国から批判されています。途上国の国民は、資源を浪費したり、環境を汚染したのは先進国の方だと反発しています」

 議場の出席者は、互いに顔を見合わせて苦笑した。

トビーは報告を続けた。スクリーンに霞ヶ浦の湖面と風で帆を満帆にふくらませた帆引船が映った。

「ご覧いただいている写真は、日本の首都、トーキョーの近くにあるカスミガウラという湖です。首都圏の外環に位置しています。この美しい船は風の力だけで、漁網を引いて操船する漁船です。伝統漁法です。カスミガウラは、もともと海とつながっていた汽水湖でした。

しかし、アース星時間で約200年前、水門を建設して海の水が遡上することを止めて、淡水化しました。水門は治水の役割も果たしましたが、カスミガウラが淡水化したことで、水道用水、農業用水、工業用水に大量に取水されました。使った水は、湖に戻されましたから、水は循環して何度も使われました。

それによって湖水は富栄養化し、水質が悪化しました。行政と住民は水質改善のためにいろいろな対策を講じました。その対策の効果で、ある程度水質悪化はくいとめられましたが、特産のワカサギという魚の漁獲は低迷しました。

その頃、この帆引船は効率が悪いということになって、化石燃料である軽油を燃料にするエンジンでスクリューを回転させ、網を引くトロール漁法に変わり、ワカサギは効率的に乱獲されてしまいました。帆引船はいったん、観光用を除いて、カスミガウラから消えたのです。

このワカサギは地元の人たちの重要な蛋白源でした。ワカサギの漁獲はその後も回復しなかったのですが、幸か不幸か、温暖化の影響で海水面が上昇し、水門が役に立たなくなり、海水がカスミガウラに入ってきて、また汽水に戻ったのです。そのおかげで、水質が回復し、もともと汽水の魚種であるワカサギが増え、自然エネルギーを利用する帆引船が復活したのです。

地元の人々は、この帆引き船がカスミガウラで何艘も操業する美しい光景を楽しんで眺めています。また観光客も増えています。このように、文明に頼らずに、伝統的なやり方を復活させて自然環境を守ることで、景観も食糧資源も持続的に復活しました。この事例は、アース星人、その中でも特に最近の日本人の暮らしぶりや考え方が変わってきた好例といえそうです」

 ここでトビーは、演壇に置かれた水差しから水をコップに注いで、ゆっくりと喉を潤した。出席者は、トビーの次の言葉を待った。

                   *

 一息ついたトビーは報告を再開した。

「アース星の日本人は、文明の進歩を最優先させる方向から、転換しつつあるように見えます。日本列島の美しい自然を生みだしてくれた母なるアース星を大切にしていこうという考える人が多くなっています。

そのことは、住民の何気ない会話からも伺えますし、新聞や雑誌、公共放送の論調でも、そのような記事、報道がとても目立ちます。国民の多くも賛同しているようですし、それを公約にする政党が政権を担っています。

 つまり、アース星では、日本人が特にそうですが、かつてないほど、国土、自然環境、アース星そのものを大切にしようという機運が盛り上がっているのです。アース星人たちは、宇宙ロケット、宇宙船を開発して、衛星であるルナに探査機だけでなく、アース星人のパイロットを探査に送ったこともあります。ルナは日本語では月といいます。美しい言葉です。

それから太陽系の兄弟惑星である火星や水星、小惑星などを探査することに熱心になった過去があります。それらの天体には水があるか、大気の組成は、地下資源はあるか、炭素やリンや窒素の化合物のような生命発生の痕跡はあるのか。そのような問題意識で、土壌や岩石を採取して持ち帰り、分析をしたこともありました。

 しかし、期待した成果は上がらずに、探査の機運は萎み、予算も削減されました。そんなこともあって、アース星人は母なるアース星こそ奇跡の星なんだという認識を深めることになったのです。アース星人だけでなく、アース星の全ての生命を生み育ててくれた存在が母なるアース星であり、自分たちはそれに気づかず、粗末に扱ってきたのではないかという深刻な反省が根底にあるようです。

 いずれにしても、アース星では、かつてないほどアース星のすばらしさを見直し、大切にしようという気持ちが高まっています。愛国主義というか、愛アース星主義とも呼べるかもしれません。そのタイミングで、我々イプシロン星人が、既定路線になっている移住計画を予定どおり推進できるのか、僕はおおいに疑問だと思います。

 計画どおり、移住計画を進めるのではなく、さらに様々な側面から丁寧に検討する必要があります。その中では、アース星住民に、我々の存在をそれとなく知らせ、我々が移住したらどうなるのか、反発を招かないようにするにはどうしたらいいのかを考えていく必要があります。アース星人は、宇宙には自分たち以外の知的な高等生命が存在するだろうとは、うすうす気が付いています。

我々が丁寧な手続きを省略して強引に移住すれば、アース星人には侵略と受け取られることは目に見えています。そうなれば、かなりのトラブルが予想されます。最悪の場合は、戦争を覚悟しなければなりません。戦争は双方に悲しい犠牲が出ます。

 僕の報告の結論として、ここで一度立ち止まり、根本的に移住計画を見直すことを提言いたします。以上です」

 トビーの報告が終わると、議場は重苦しい空気に包まれた。あちこちからため息が漏れた。続いて、ざわざわとした雑音が聞こえてきた。それを制するように、議長の声が響いた。

「トビー・ランダー君。報告、ありがとうございました。また、アース星の現地調査、お疲れ様でした。続いて、質疑に移ります。質問がある方は、手を挙げ、指名を受けた後、発言してください」

「議長」

最前列の議員が手を挙げた。

「メンデル議員。発言を許します」

「ありがとうございます。トビー・ランダー研究員の報告は立派なものですが、その結論は、俄かには受け入れられません。我々は、これまで、相当の時間と予算を費やして、アース星への移住について慎重に検討してまいりました。当初から、マイナス面があるだろうとは予想してきました。

それでも移住計画を進めるのは、このイプシロン星での生活が過酷すぎることです。このままでは、我々の文明の進歩の限界が見えています。イプシロン星は重力が強く、光が弱く、気温も低く、食糧を十分に生産できません。暮らしや農業生産に適した土地も不足しています。何より、水は絶対量が足りません。我々が、昔から科学技術を突出させて進歩、発達させてきた所以です。

 トビー研究員の、現地調査の結果、出てきた懸念が分からないわけではありませんが、ここでは、移住計画の中止とか、撤退という結論にならないように、強く要望いたします」

 議長がトビーを見て言った。

「今のメンデル議員の指摘に対しては、いかがですか。トビー・ランダー研究員」

トビーは、すぐ対応した。

「ご指摘、ありがとうございます。僕が申し上げたことは、アース星の日本列島の現地調査を経て、まとめた報告書の骨子であり、結論の一部です。全てではありません。ただし、アース星人たちは、日本人だけではなく、科学技術の進歩に懐疑的になってきていることは間違いないと思います。日本以外の地域でも、高等研究所の他の研究員が派遣されて現地調査を行っています。

以前から、イプシロン大学でも、政府予算で、プロジェクト研究のテーマとして、アース星の地形、気象、資源、生態系はじめ、社会情勢、とくに産業や政治形態、そしてアース星人の歴史を調べてきましたので、それらの成果を総合的に俯瞰して判断すべきものと思います」

トビーはメンデル議員の方を見たあと、議長に視線を移した。議長が、言った。

「メンデル議員、今の答えでよろしいですか」

「とりあえず、了解しました。他の意見も聞いてください」

「では、他に質問や意見がある方は?」

 後ろの席から手が上がった。

「ホーメル議員。どうぞ」

「ありがとうございます。ランダー研究員、遠いアース星での精力的な調査に敬意を表します。過去の基礎的な調査結果によると、日本列島には、標高4000メートルを越えるような山地や高原地帯はありませんね。日本列島は、ランダー研究員の報告にもあったように、アース星人にとっては、恵まれた、比較的暮らしやすい土地のようです。

我々は、むしろ、アース星人が通常は住まないような、条件の悪い土地で、移住当初は住まわせてもらうという案が有力でしたね。そうした土地の方が、現在のイプシロン星の環境に近いと聞きました。その点について、お考えをお聞かせください」

「もっともなご指摘です。しかし、そのような、条件が悪い山岳地帯は、僕は探査していません。高等研究所の同僚研究員が、現在、アース星に派遣されて、アンデス、チベット、カナダ、メキシコ、アフリカなどの高山、高原地帯で調査を鋭意実施しています。

今後、彼らが帰還して、この公聴会で調査結果を報告してくれるものと思います。そうした条件が悪い土地に住むアース星人は少数ながらいますので、貴重なデータが得られつつあると思います」

 ホーメル議員は納得した表情で席に座った。議長が続けた。

「では、ここで、高等研究所の幹部職員であるホーリー部長にもご出席いただいておりますので、部長よりご意見というか、ご所感をいただきたいと思います」

「では申し上げます。トビー・ランダー研究員の調査報告の個々の内容は、私も精査させていただきました。正確で客観的な記述に終始し、適切なものと上司として高く評価しております。ただし、彼が結論の一部として申し上げたことは、今後様々な角度から検討が必要なものと考えております。

 彼が申し上げたように、当研究所では、多くの優秀な若手、あるいは経験を積んだベテラン研究員をアース星に派遣しております。専門分野も様々です。早晩、彼らが帰還しだい、この公聴会で報告させていただき、委員、議員の皆様の議論の材料を提供させていただきたいと存じます」

議長は、満足気に頷いた。

「ホーリー部長、ありがとうございました。予定しておりました時間が来ましたが、ここで、トビー・ランダー研究員のお父上で、イプシロン大学のランダー名誉教授より、発言の申し出があります。ランダー先生は、アース星の日本列島研究の第一人者でもあります。では、ランダー先生、どうぞ」

 ランダー名誉教授はかなり白くなりかけた頭髪を右手でかき分けながら、傍聴人席から立ちあがった。

「議長。急な発言を許可していただき、感謝申し上げます。私は、イプシロン大学に着任した当初から、アース星の日本列島という興味深い地域の研究を続けてきました。もちろん、日本列島だけを調査したわけではなく、関連して、ユーラシア大陸の東アジアの地域研究をやってまいりました。というのは、時代が下るにつれて、日本列島の人々と大陸との交流が盛んになっていったからであります。

 アース星のどの地域、どの国であっても、人々は自分の地域、民族、国家を中心にものを考えます。いわゆる帰属意識が強いわけです。それは、我々イプシロン人であっても、出身地域である故郷を大切にする気持ちと同じです。

 ですから、アース星においては、日本人の考え方が典型的というわけではなく、地域や民族や国が違えば、考え方、感じ方が違います。しかし、アース星時間で約六百年前、かれらの区切りでは16世紀ごろから、デカルト、カント、パスカルなどの哲学者が、科学的精神の重要性を説いて以来、約四百年をかけて、その考え方が徐々に全アース星に広まりました。近代化、産業革命、医学の発達、そして宇宙への進出へとつながっていきました。

 しかし、トビーが報告してくれたように、ここに来て科学の進歩への反省の気持ちが、日本人に限らず、全アース星的に広がってきています。もちろん、なかには、科学の進歩を信じて疑わない国や、一部の人々がいます。そのように、いろいろな考え方が、共存していることがアース星人の哲学というか、文化なのだと思います。

 アース星人は、科学が発展した現在でも、音楽、絵画、文学などの文化を大切にしています。彼らの多くは歴史を振り返って過ちを回避する叡知があります。さらに伝統的な哲学と新しい哲学をもとにして、どのように生きるべきかという模索は常に行われていて、それが文学や芸術に反映されることがあります。

 例えば、アース星時間の200年前頃には、空想科学小説が盛んに発表されました。その中には、アーサー・クラークの「幼年期の終わり」やスタニスラフ・レムの「ソラリス」という作品では、アース星が属する太陽系外の天体からの知的生命体の訪問や、アース星人が他の天体探査で、想像を超えた不思議な知的生命体との遭遇などをテーマとして描かれています。

その中には、理性と感性のバランスの大切さや科学の行き過ぎた発達に対して、ブレーキをかける視点が盛り込まれています。またカレル・チャペックの「山椒魚戦争」は、下等な動物が進化して武器を持って戦い始めるという、アース星人同士の戦争をパロディとして皮肉っぽく表現した作品です。国家間や民族間の争いにも、突き放して冷静に捉える姿勢が読み取れるのです。

 それらの作品は残念ながらイプシロン語に翻訳されておらず、まだ我々の図書館の書架にはありません。私が申し上げたいのは、アース星人は科学技術だけでなく、様々な分野においても精神活動を盛んにおこなってきており、科学技術が突出して発展することへの危惧の念を並行して持っているということです。

 実は私も若いころは、我々、イプシロン星人の科学の発展には微塵も疑念を持っていませんでした。積極的にアース星の探査に取り組み、その成果をイプシロン星人のために役立てようと思っていました。しかし、アース星人が、科学や経済だけでなく様々な分野の研究や活動を行っていることを知ると、我々イプシロン星人の社会や文化についても、振り返らざるを得ません。

 私たちは、この厳しい自然環境にあるイプシロン星において、少しでも生活が楽になるように、科学技術を発達させ、今の喫緊の課題としてアース星への移住が真剣に検討されています。

しかし、急ぐことはありません。十分に利害得失を研究しつくし、最終的にはアース星人の了解を取り付けてから、実施に踏み切るべきであることは言うまでもありません。また、アース星人にならって、我々は、理系すなわち科学技術のみでなく、文系の学問分野での活動も盛んに行うべきです。

 こうして老骨に鞭打って、意見を述べさせていただくのも、イプシロン星人の未来を真剣に考え、より良い方向性を探る上で参考にしていただきたいからです。

 最後に、私は定年で間もなく、イプシロン大学の教授職から離れます。これまでアース星に何十回も調査に派遣していただき、大学の同僚にも政府の皆さん、議会議員の皆様にも深く感謝申し上げます。アース星はすばらしい惑星です、アース星人は、いろいろな人がいます。友好的な人もそうでない人も。でもそれはイプシロン星人の社会でも同じです。

 定年後は、のんびりと観光旅行でアース星を訪問してみたいのですが、この年では、ワープは体力的にはかなりの負担になるので、若い方々にお任せします。それに今のワープ技術は時空のわずかなゆがみ、あるいは隙間を利用して瞬間移動するものですから、大型宇宙船を作ることは困難です。現在でも標準型は大人2人の定員です。船室はとても窮屈です。それでも、よかったら、アース星旅行を楽しんでみてください。

 まあ、将来、時空のゆがみの構造が明らかになれば、今よりも楽にたくさんのイプシロン星人がアース星に旅行できるようになるかもしれません。

 実は私は、これまでアース星に行った時には、時々透明化装置のスイッチをOFFにしたまま上空を飛行して、アース星人に見つかり、UFO騒ぎを起こしてきました。皆さんが行く時には、そういうことがないようにお願いします。

アース星人は、すでに他の天体から宇宙船が来訪していることをうすうす気づいているようです。それをうまく活用して。友好的にイプシロン星人とアース星人の交流ができればいいなあと思っています。

では、老人の蛇足の話だったかもしれませんが、参考にしていただければと思います。ありがとうございました」

 老教授らしいユーモアを交えた話が終わると、出席者から拍手が起こった。議長も拍手を送り、ランダー教授を労った。

「ランダー先生。貴重なお話、ありがとうございました。ではこれにて、本日の公聴会を散会といたします」

出席者たちのほとんどは、席を立ち、出口へ向かった。幾人かは、ランダー教授とトビー・ランダー研究員を囲み、親しく意見交換をした。

「アース星への移住は慎重に進めた方がよさそうですね」

「私もそう思います。他の調査員の報告を待って、いろいろな角度から検討し直すことになるでしょう」

「イプシロン星の環境は過酷です。できればアース星に移住したいが、アース星は小さい星ですから、我々を受け入れることができるのか、疑問です」

「大型宇宙船の建造が難しいのであれば、移住の効率は良くないわけだね。ワープには危険が伴うようだ。怖いね」

「いずれにしても、平和的に率直に、アース星人に移住計画を伝えて、彼らの意向を尊重することが先決だ」

 それらの意見に、ランダー父子は一つ一つ肯きながら、和やかに応答していた。

                     了

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